お通夜でもらう奴。
お通夜とか葬式とか行くとグレーの枠の着いた案内状と一緒にお清めの塩って入っているよね。
あれって、塩なんだから別に気にしない人だったらお弁当のゆで卵と一緒にお出かけに便利ジャンてな具合に考えていたのだけれど、今日じっくり見てみたら「非食品」って!
え~~~~食べちゃいけないの?塩なのに。
でまぁ調べてみたわけですよ。
そしたら、勿論普通の塩を使っている業者もあるけれど、コートしてあるとはいえ紙の小袋に入れて大量に在庫抱えてるわけだから当然湿気てしまったりする。たまに、封を切ったら固まったまんま「ポトッ」って玄関におっこって身体はぜんぜん浄められなかったなんてこともあるわけだ。そう言うのは多分塩には違いないんだけれど「工業塩」という比較的質の悪い物だったりするらしい。プラスチックだか塩化ビニールかなんかを作ったりする時に混ぜる奴だから精製の仕方が甘くって食べると下痢したりしちゃうみたい。
で、出来るだけさらさらな状態を保つためにもっとすごい奴は「白い石」を塩の結晶粒大まで砕いて、それにほんの少し本当の塩(これも工業塩の可能性大)を混ぜることで常にさらさらな状態にしておけるっていう裏技を使ってるようだね。これは食べたら歯がすり減っちゃうジャン、まさに食べるな危険、要注意。
元々は、仏教伝来以前から日本の神道では死が穢れとされていた、だから本当に昔は葬儀とか神社はやらなかったものなのだよ。ほかにも、生きていく上では血や出産その他色々なことで「気が枯れて」=「けがれて」しまったとき昔の日本人は火の力を使ったり海に身を浸して海水によって穢れを洗い落としたわけだ。そのなごりがお清めの塩だったりするわけで、石をすり下ろした奴ではなんの効果もない訳よね。
しかも、仏教じゃぁ死を穢れとは思っていないでしょう?かえって仏になるとか言っちゃうわけだから。
だから、ほとんどの人が葬式仏教に頼って葬儀するんだからこんな中途半端なインチキお清めなんてやめちゃえばいいと思うわけだよ。(最近は門徒のお寺じゃぁ塩出さないところもあるみたいだけれどね)
形ばっかりの儀式で葬儀をやるからそんな下らない物にお金を取られたりするって言うわけだ。
この前イタリアで発見された抱き合ったまま埋葬されていた5~6000年前の男女を送ったその集団のほうがよっぽど心を込めていたと思うわけだよ。
確かに儀礼的に事を進めた方が失敗もないし、忙しさに負われて遺族の方も気持ちを紛らわす事が出来て良いのかもしれないけれど、本当に心から亡くなった人を見送るなら形にとらわれない方が良いなぁ……。
とは言う物の、そうも行かないのが世の定めな~のだぁ。
お通夜とか葬式とか行くとグレーの枠の着いた案内状と一緒にお清めの塩って入っているよね。
あれって、塩なんだから別に気にしない人だったらお弁当のゆで卵と一緒にお出かけに便利ジャンてな具合に考えていたのだけれど、今日じっくり見てみたら「非食品」って!
え~~~~食べちゃいけないの?塩なのに。
でまぁ調べてみたわけですよ。
そしたら、勿論普通の塩を使っている業者もあるけれど、コートしてあるとはいえ紙の小袋に入れて大量に在庫抱えてるわけだから当然湿気てしまったりする。たまに、封を切ったら固まったまんま「ポトッ」って玄関におっこって身体はぜんぜん浄められなかったなんてこともあるわけだ。そう言うのは多分塩には違いないんだけれど「工業塩」という比較的質の悪い物だったりするらしい。プラスチックだか塩化ビニールかなんかを作ったりする時に混ぜる奴だから精製の仕方が甘くって食べると下痢したりしちゃうみたい。
で、出来るだけさらさらな状態を保つためにもっとすごい奴は「白い石」を塩の結晶粒大まで砕いて、それにほんの少し本当の塩(これも工業塩の可能性大)を混ぜることで常にさらさらな状態にしておけるっていう裏技を使ってるようだね。これは食べたら歯がすり減っちゃうジャン、まさに食べるな危険、要注意。
元々は、仏教伝来以前から日本の神道では死が穢れとされていた、だから本当に昔は葬儀とか神社はやらなかったものなのだよ。ほかにも、生きていく上では血や出産その他色々なことで「気が枯れて」=「けがれて」しまったとき昔の日本人は火の力を使ったり海に身を浸して海水によって穢れを洗い落としたわけだ。そのなごりがお清めの塩だったりするわけで、石をすり下ろした奴ではなんの効果もない訳よね。
しかも、仏教じゃぁ死を穢れとは思っていないでしょう?かえって仏になるとか言っちゃうわけだから。
だから、ほとんどの人が葬式仏教に頼って葬儀するんだからこんな中途半端なインチキお清めなんてやめちゃえばいいと思うわけだよ。(最近は門徒のお寺じゃぁ塩出さないところもあるみたいだけれどね)
形ばっかりの儀式で葬儀をやるからそんな下らない物にお金を取られたりするって言うわけだ。
この前イタリアで発見された抱き合ったまま埋葬されていた5~6000年前の男女を送ったその集団のほうがよっぽど心を込めていたと思うわけだよ。
確かに儀礼的に事を進めた方が失敗もないし、忙しさに負われて遺族の方も気持ちを紛らわす事が出来て良いのかもしれないけれど、本当に心から亡くなった人を見送るなら形にとらわれない方が良いなぁ……。
とは言う物の、そうも行かないのが世の定めな~のだぁ。