GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

押入モエ~ヽ(=゜ω゜)ノ″

2006年04月19日 08時35分08秒 | 徒然なるままに
とあるところで、押入の話が話題に上ったので

小学校の時、5コ上の姉と同じ部屋だった。私が小6なら姉は高校2年くらいなので何となく同じ部屋ってのも鬱陶しくって、私は押入の上段を部屋に改造してもらってそこにいたわけだ。
ちゃんと裸電球だけど照明もついていて廊下に面している側は板を外して網戸にして、さらに寒い時ように跳ね上げ式のフタも造ってもらった。ふすまの側は全部取り払い、折りたたみ式の落下防止手摺りを装備、あとはカーテンを付けて完全なる個室となった。
まさに、永平寺の修行僧の居所、立って半畳寝て一畳を実践しているのだけど、唯一「立って…」の部分は不可能だった。そう、押入だから立てない。座して半畳って事になったわけで、それこそ禅宗の坊主の様な生活だったわけだ。

この部屋は本棚も作って考えてみれば今のカプセルホテルの様な物なんだけれど閉所恐怖症でもない限り、異常なほど狭い場所でなければかえって落ち着くようだ。
部屋の天井には始めて女性歌手という物を意識した黛じゅんのポスターを貼って……ただずっと聞いていたのがラジオで、小5の男子が当時は歌番組なんかほとんど見ないので「恋のハレルヤ」という歌だけでファンになっていた、はじめて写真を観た時、「(-_-)」って成ったのは事実です、あははすんません、でも、ずっとファンだったけどね。
ぬいぐるみも結構置いてあって、絶対になくては成らない「黄色ちゃん」というニットの編みぐるみが一番良い場所に鎮座していたものだ。そう、当時から人形好きだったってことだな。

中一のときの一個先輩に「長津君」という人がいて、同じ放送委員だったのだけど、彼の家に遊びに行くのがかなり好きで。なんでかっていうと彼は自分の家の外側に家の外壁を利用して掘っ立て小屋を立てて住んでいた。
しかも、1畳の家!

まさにそこは永平寺なのだが(立てるし)一番奥に座り机を作って寝る時は机の下に足が入るという事になっている。机の上には当時我が中学で大流行していたアマチュア無線の機械が積まれていてシャック(掘っ立て小屋=アマチュア無線の基地局の事)として使っていたわけだ。
その家には最大本人もあわせて3人で泊まった事がある、今考えてみれば1畳よりかは若干は広かったのだろうか、それでも、さすがにこれは狭いなと思ったらしく先輩は翌年2畳の部屋に改築していたけど。(こんどは玄関も付いていた)

どうだろう、自宅にカプセルホテルのユニットを置いて寝るていうのは?なんだか非常に落ち着く気がする、パジャマにサッカーのユニフォームTシャツさえ着なければ安全且つ快適に過ごせる気がするのだけれど。
コメント (8)
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