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GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

ガロ

2006年04月13日 08時13分56秒 | 徒然なるままに
私にとって「ガロ」といえばこれのこと。

青林堂の「ガロ」は'60年代から'70年代にかけて欠かさず読んでいた、なぜか親が定期購読をしてくれた月刊漫画雑誌だった。小学から中学にかけてのいわゆる多感な頃にどう考えても大学生以上、内容的にはアダルトな描写も結構あったこんな本を毎月買ってくれていた親って……(^^;)

この本のメイン・トップページは白土三平の「カムイ伝」と決まっていた。少年誌では「カムイ外伝」という忍者の話し中心の娯楽内容の物がちゃんとあって、それの本編がこのカムイ伝だったわけだ。いわゆる階級闘争、この場合現在の被差別に関わる「・」そしてその他の階級との関係などの話、日々の収穫と年貢に苦しむ「日置藩」の農民、そして商人・武家社会の物語なわけだが、あきらかに作者が当時の社会主義思想や安保、またその安保闘争の敗北などから非常に長い大河マンガのなかで揺れ動いていく姿が見られる。

無知な農民の中に「大衆から搾取する不当な支配階級」に対向する落剥の武士(浪人)の指導者や知識を得た若い農民が入りこみ武力革命を目指す所などはまるで農民の土地を守る為の闘争だったはずの成田闘争に入り込んだ学生運動家のようだ。(結局一揆は失敗に終わるのだが)
同時進行している社会とマンガとしての「カムイ伝」がリンクしていて「マルクス主義」を学ぶための教科書の様に中学生の私は読みふけったものだった。

当然、多大な影響を受けることになり高校時代はMy赤ヘルを持っていたりデモにも参加したりもしたのだが、マンガのお話と同じで結局は農民運動も革命を目指す運動家の為の単なる武力闘争になり、内ゲバとなり解体無力化されてしまったわけだ。この'70年安保敗北の背景にビートルズ来日における警察の警備態勢シミュレーションが安保時のデモ隊鎮圧のための予行演習だった事は周知の事実なわけだが。

「ガロ」はこの時期原稿料はない物の新人作家に広く門戸を開いていたので、実験的な作品や若い才能が発表の場を求めてひしめき合っていた。つげ義春・勝又進・池上遼一・つりたくにこ・淀川さんぽ等々(フォークシンガーのシバも居た)、中でも佐々木マキや林静一のようなサイケデリックな作品が私は大好きだった。
また、巻末には水木しげるの短編が載っている事が多く、おそらく白土先生と水木先生(滝田ゆう師もかな)のみギャラが発生していて一般客を引きつけ売り上げのベースとして、ノーギャラの若者の作品を載せる事で本としてのアイデンティティを構築していったのではないだろうか。結局このノーギャラ作家達の多くが独自の世界を持った素晴らしい作家になっていったわけだから「ガロ」のやっていた事は素晴らしい事だったのだろう、ただ、それが会社経営にはつながっていかなかったのだが。

ぎりぎり'80年代初頭までが「ガロ」と青林堂の存在意義だった様な気がする。革命の幻想が終了した現在、ガロのやってきた事は夢・幻だったのかも知れない。
しかしその時夢中になって読んでいた私は「幻」ではないし、社会悪には怒りを持って発言する大人になったのは「ガロ」のおかげも何%かはあるだろう。
「カムイ伝」のリアルタイム読者だった事を私は誇りに思っている、さて、もう一度あの分厚い本を読み直すとするか。
コメント (9)
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