ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

悲しいの・・・

2015-07-11 21:24:45 | 大切な人 家族・友人
              
庭の金柑の枝落としをしたら、実の付いた小枝がありました。
この間、買った小さな花束の中にあったブルーベリーと一緒に醤油さしに活けたら母が「可愛いわねぇ!」と言ってくれました。少しホッコリしたならば嬉しいです。

午前中に、母が「悲しいの・・」と言いにきました。

どうしたの?? 本当に悲しそうだけど、どうしたの?

母は去年の秋から緑内障の自覚症状であるカスミ、見えにくい、痛くなるなど訴えるようになりました。左目は数年前の白内障の手術をしたときに緑内障を見つけて頂き、自覚症状が出る前からそのための目薬をずっと点眼していました。その総合病院で診てもらっていましたが、坂の上り下りがきつくなりもっと近くの眼科に眼圧管理のために通い始めました。
でも、余りにも不快感を訴えたので、総合病院に行って見ました。眼圧がすごく上がっていて先生もびっくりでした。
それで母のお薬手帳を見て、両眼点薬の処方になったのは去年の初めからのようでしたが、母にはそのことが伝わっていなくて(耳が遠くなったせいもあるか、思い込みのままに右目も必要なことを受け取れなかったか今となっては分かりません)
症状が出てから点眼を始めて様子を見ていましたが視野が悪くなっているようで、特に午後になり夕方になるとかすむ症状もひどくなるようでしたし、更に体質的にも角膜に傷つきやすいそうで痛みのある時も多くて、唯一の趣味であった読書もできなくなって精神的にも辛そうでした。

今春から、大学病院の緑内障専門の先生のところに行くようになりました。目薬も変えたり、増やしたりしながら眼圧は上がったり下がったり・・視野狭窄検査ではかなりの部分が見えにくくなっていることが分かり、2ヶ月前から手術も視野に入れて診て頂いています。

見えにくい不快感、見えなくなる恐れと同時に母は「早くお迎えが来ればいい」と繰り返す日々です。
先生方は疲れない程度に読書をしていいとおっしゃってくださるのですが、母は読むことを諦めてしまいました。
テレビも見なくなりました。何も音のしない部屋でチ~ンと座っているだけの時が増えました。
あれもできない、これもできない、お世話をかけて迷惑になっていると気持ちが前に向がないことが多くなりました。
食欲も落ちたので、私が居ない時には極端に食べないようなので、6月からは調理ヘルパーさんをお願いしています。

この二週間は梅雨らしい梅雨で鬱陶しい毎日でしたが、季節の変わり目、気圧の低い日、一日の中で母の場合は夕方に目はとても見え辛くなるようなので、普通の私でさえお日様が恋しい気分でしたので、母は気持ちはさぞ悪かったと思います。

だから、母がこぼす時に、出来ることを数えてみることにしました。

日常生活の起床してから洗濯機に洗濯物を放りこみ、朝食をとって一休みの後物干しをします。
雨降りではない曇天には近所を一回り15分の散歩は時々ついていくものの杖を使って(4月から自分で欲しいと言いました)一人でも行けます。私が居ない二週間近くは(この頃この期間が短くなりつつあります)ほぼ一人で身の回りのことを自分でしています!!すごいことだと思っています。
テレビ観戦で相撲のある時は関脇人が出てくる時間帯から観ます。ニュースと天気予報の時間もテレビをみます。
野球は日中のゲームはテレビで、夜はラジオで楽しんでいます。今日もお気に入りのジャイアンツの対象にいい笑顔でした!

それでも、それでも「哀しい!」と言いたい時、辛い時、不快な時ががあるのよね。

長生きをすることの辛さを目の当たりにして、自立しているゆえに嫌なのだろうなぁ、今の状況が。
と、分かったようなことを言っても本人が感じている哀しさは、本人にしか分からない辛さなのだろうと思うのです。
寿命がいつまでなんて誰にも分からないけれど、残りの日々を心穏やかに過ごせるように、一生懸命サポートしたいと思っています。父や母が私たちにしてくれたこと、まだまだ恩返しは出来ていないような気がしています。

辛いだろう、不快だろうと思う。それでももう少し元気なままでいて欲しい。

                
じめじめした梅雨空が続いたから、近所の散歩でお花を見つけて買い求めたのは数日前でした。