ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

ピエロの音楽会

2014-09-04 14:14:41 | 大切な人 家族・友人
朝日を背にした窓際で・・・ 影絵のようで何となくいい感じ・・・


             


夜寝静まった後の音楽会・・・静かな雰囲気の中で落ち着いて・・・

             


父の買い求めた小物は実家のあちこちにあっているのが当たり前なのですが、ふっとしたときに父を思い出します。きっとこんな写真を見せたらニコ!って「パパの笑顔」で喜びそうです。



昼下がりの聖堂

2014-09-04 10:32:37 | カトリックの信仰
散歩の途中で自宅近くの修道院の聖堂に寄りました。
誰もいないと思って扉を開けたら…シスターが奥の方に立っておられました。
祭壇に向かって、何人かの友人たちの顔を思い浮かべながら祈りました。
静かな、静かな聖堂の中で、時々衣擦れの音…

この聖堂の十字架は、痩せて哀れなイエス像がかかっています。
太っちょのふんぞり返っているイエス像はあり得ませんが、そんなのもっと嫌ですね。
あまり、この像のこと好きじゃないのだけど、でもこの十字架の足元を飾る花はイエス様のことをいつも賛美している気がしてミサに与るとミサ後にカメラを向けたくなります。

今日も友達の顔を思いながら見上げるイエス様は、今流行の男子スカートをはいて(似合っているかも)、みんなお見通しのようです。全部受け止めて、「大丈夫だよ」って言っておられるようでした。

何が大丈夫なんでしょう・・・とりあえず・・・祈らずにはおられない友達がそれぞれに抱えていることは違うけれど、神様からの恵みに支えられて平穏な気持ちの中で過ごすことができるようにと、みんなが笑顔の中で過ごせますようにと思います。どんな形であっても神さまはいつでも見ておられるから、希望をもっていて欲しいと思います。

祈ることしかできない私はすでに、困難や悲しみ、涙の中にいる彼らに励まされているような気がします。祈れることに感謝しつつ心を込めて祈るときに、何より彼らと共にいることに気付くのです。

シスターが「十字架の道行」をしておられることに気が付きました。
遠く母国からいらしているシスターのために、良く日本にいらして長く尽くしてくださっていることに感謝せずにはいられない気持ちになりました。イエス様の十字架の道をたどりながら、復活へ導かれる祈りはいつでも珠玉の祈りです。


皇居のお濠端

2014-09-02 22:07:36 | 日々の出来事
お友達は少しの標高の変化にも心臓が耐えられるかという身体なのでここ数年、近場の旅行もできなくなったので、同じ都内でも翌日に用事を控えている時には出かける4時間前には薬を飲むために早起きをしなくてはいけないので、用事のある場所近くにホテルで泊まって快適さを味わって以来、気分転換がしたくなった時にはプチプチ移動で都内の某ホテルに泊まることが多くなったそうです。

今日は、悪さをする病を抱えていても体調がいいのでと避暑代わりに宿泊中の彼女ご夫妻とランチでした。

人と人との関わりってとっても不思議だと思います。お料理教室でご一緒の友人とは教室の時におしゃべりを一杯したのでもないのに、今年の初めに久しぶりにお会いして夏に手紙のやり取りをして、今は私の祈りの時間の真っ先に来る存在です。今日お会いしている間も、話している内容はとってもとっても重いものなのに、明るくて前向きで「今を生きている!」というパワフルな彼女に圧倒されていました。

この頃はいつも一緒にいらっしゃるというご主人とは初対面でしたが、全くお話に加わらない訳ではなく彼女を暖かくサポートしておられて、みんなの共通の友人の話やお料理の話には3人で話が盛り上がり、いい時間をご一緒できました。

「生きていられる間は、みんな生きている。人間は生きるために生まれてきたのだから。
無理はできないけれど、できることを楽しみながら過ごしたい。皆にえ~ってびっくりされているけど
病気のことも皆に知っていてもらいたい。」友人の言葉です。