ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

フランシス教皇様 就任ミサの説教

2013-03-19 23:56:07 | カトリックの信仰
英語の堪能なK師が抄訳してご自分のブログにアップくださいました。

The Vaticanで就任ミサは一緒にミサにあずかっているような気がして嬉しかったのですが、いかんせん言葉が伝わらなくて海外でミサにあずかった時にもっと言語を学ばなくてはと思うのにしなかった付けは今もまだ…(><)
転載させていただきます。

■説教からの抜粋■

ラジオ・バチカンの英語版テキストから抄訳したものです。

「ヨセフはどのようにして守護者としての役割を果たしたのでしょう?思慮深く、謙遜で、もの静かに、しかし確かな存在感と徹底した忠実のうちに果たしたのです。神の御旨を理解するのが困難に思えたときでさえ。」

「神は人間の手で建てられた家を望みません。御言葉と御計画への忠実を望んでおられます。聖霊によって刻印された生きた石によって家を建てるのは、神ご自身です。ヨセフは、神の声を聞くことができ、神の御旨に導かれているからこそ『守護者』なのです。それゆえに、ヨセフは彼の手に委ねられた人々に対してより一層配慮したのです。」

「守護者である召命は、しかしながら私たちキリスト教徒だけに限られたものではありません。それは単に人間であることから生まれるものでもあり、全ての人にかかわることです。それは、創世記が語っているように、またアッシジのフランスコが模範を示したように、全ての被造物、創造された世界の美しさを守ることです。」

「『守護者』であるために、私たちは自分自身のこともよく見なければなりません。憎しみや妬み、傲慢は人生を汚すということを忘れないようにしましょう。『守護者』であるということは、つまり、自分自身の感情や思いを注意深く見守るということなのです。なぜなら、善い思いも悪い思いもそこに宿るからです。それらの思いは、建てもしますが、壊しもします。善良さや柔和さを恐れてはなりません。」

「人類が責任を全うできなくなるたびに、被造物を、兄弟姉妹を世話することができなくなるたびごとに、破壊への道が開かれ、人々の心は頑なにされました。悲劇的なことに、どの時代にも死をたくらみ、混乱を生み、人間の尊厳を汚す『ヘロデ』がいます。」

「福音の中で聖ヨセフは強くて勇敢な人、働く人として描かれます。ですが、彼の心には偉大な優しさがありました。それは弱者の徳ではなく、むしろ精神の強さと、思いやり、共感し、他者に心を開き、愛する力の強さのしるしです。善良さや柔和さを恐れてはなりません。」

「確かにイエス・キリストはペトロに力を与えました。ですが、それはどんな力だったのでしょう?イエスはペトロに『私の羊を飼いなさい』と命じました。真の力は奉仕であること、教皇も力を行使するときには、十字架を輝かしい頂点とする奉仕の中に深く入り込まなければならないということを忘れないようにしましょう。」

「マリアと共にイエスを守り、すべての被造物を守り、一人ひとり、とりわけ最も貧しい人を守り、私たち自身を守ること。これこそがローマの司教が果たすべき使命であり、同時にすべての人が果たすべき使命です。希望の星を明るく輝かせるために。神が与えて下さったすべてのものを、愛をもって守りましょう。」



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