ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

庭仕事 今朝の2時間仕事 

2013-07-28 10:44:25 | 日々の出来事
               

春先に、花がいっぱいで綺麗だった庭ぐらいにはなったのでこれで良しとすることにしました。今日は刈り残しの芝を刈り、富士の枝を落とした後始末と刈った後の掃除もやりました。

昨夕、ミサに与ったので(カトリックの典礼は土曜の晩かr日曜の朝の典礼をする)、久しぶりに早朝からではなくて朝食を済ませてから「今日で目処を付けるぞ!」と気合を入れて庭に下りました。
今回、全部手で刈ったり抜いたりしたのですが、小さい頃祖母の家に行って庭で「草をむしっていた」祖母に芝と雑草に違いを教えてもらって抜くのですがよく分かっていなかったので芝を抜いて、笑いながら「違うでしょ」と言われ続けていたことを思い出しました。今ならわかります。この家に越してきたときには芝の中にスギナとシロツメクサがいっぱいで、その胎児に手を焼いたこともあったなぁとそんなことも思い出して懐かしかったです。今でもシロツメクサもスギナもありますが、少ないような気もしますがあの頃よりこちらも鷹揚になっているのでしょう。シロツメクサの花をめでたり、たんぽぽにも寛容になって、フランス菊の株も花が終わるまで楽しむ余裕ができました。・・いや、手が回らなかっただけかもしれませんが。

昔芝が多かった時、芝刈り機をカラカラいわせて綺麗にしていたことのこと、電動草刈り機の刃が回るのはちょっと怖くてナイロン干物回転で買っていくタイプのもので買っていたことも、だんだん雑草も強くなって刃の回転する電動機に変えたことも思い出しました。どの時代も懐かしい。刈るのにかかった時間だけ、買った後の草の始末に時間がかかって大変でした。芝刈り機の時代は芝を買った後、座り込んでシロツメクサやイネ科の根が残っている草を抜く時間もありましたっけ。
芝刈りを主人がやって、私が片づけた時も、芝刈りを私がやって、草を抜くのを主人がやっていた時もありました。その周りで小さかった子供たちが走り回っていました。ずいぶんずいぶん昔の事です。この家に越してきて38年になりました。添え木をしていた木は大きくなりすぎて困っちゃんですが、それも我が家の歴史。

ここ数年、時間が細切れにしかなかったような気がするので、何だかこの数日とても豊かな時間を過ごして気分です。庭に下りると「気」があるのでしょうか。

木立の中と玄関周りは間に合わなかったので、やってくださるとおっしゃってくれたいつも知人にお願いすることにしました。