ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

19年前に逝った友

2006-11-05 21:48:18 | 日々の出来事
 大学のときの部活動で一緒だった友人S子さんの末のお嬢様M子ちゃんが今月結婚するにあたって、そのM子ちゃんと同級だった姪からサプライズプレゼントのビデオにお母さんのお友達代表で一分スピーチして欲しいといわれたのは二週間ぐらい前でした。S子さんは三人の子供たちを遺して病のために19年前に亡くなられました。このババ顔をさらすのは嫌だから、M子ちゃんの小さいときを知っている友達を紹介するからと逃げようと思ったのですが失敗(>_<) 同じ部活動仲間でありS子さんの幼馴染Uちゃんから、M子ちゃんが幼稚園の頃から闘病生活になり、『お母さんの実態の思い出はあまりない。私にとってお母さんはおばちゃまたちの語るイメージでしかない。』と語っていた話を聞いて、M子ちゃんの幼い頃を知っている友人と協力する事になりました。

 私たちの部活動仲間は縁の下の力持ちのような存在が多くて、派手さはないけれどいつの間にかいないと困る存在になっている人が多い。今回たった一分のスピーチでしたが、そのためにUちゃん、C子さん、そしてその晩急に呼び出してS子さんの思い出の詩を書いていたYさん(何と9年ぶりぐらいあってない大学時代の大親友)も朗読で加わって、S子さんのことをあれこれ偲ぶことができました。30代で亡くなったS子さんは若いときのまま、穏やかでいつもニコニコとしていてそれでいて状況を見守っていて、適切なアドバイスやら細かい配慮をする人でした。愚痴を聞いてもらったり、きちんと整理されたノートを貸して頂いたり…、姪の話を聞いていると末っ子のM子ちゃんはどうも母親似かもしれない。

 友達が覚えていてくれた話:亡くなったのが9月のはじめ、私が病院にお見舞いに行ったのも暑い季節だった。病室に到着する前に病院のコンコースでばったり会ったS子さんは辛そうではあったけれど気丈に、健気にしていたのは覚えていました。そして、言われれば確かに「本」をプレゼントした記憶もある。その「本」をS子ちゃんはとても気に入って、毎日、毎晩お母様に読んで貰っていたという。その本が私の記憶どおり『大きな木』(シルヴァスタイン)だとしたら、S子ちゃんはどんな思いでいたのだろう、お母様はどんな思いでいらしたのだろう。8月の終わり、洗礼を受けて彼女は最後のときを迎えた。そんな話は聞いた事がなかった、涙がでてくる話だった。

 ビデオレターにでたC子は、S子さんからの最後の3年分の年賀状をM子ちゃんへのプレゼントで持ってきていた。今年の夏大掃除をしたときに大量の年賀状の束を捨ててしまった私はすごく後悔した。そして、昨日の晩S子ちゃんから20歳のときに貰ったバースデーカードを見つけた。すごくすごく褒めてくれていた。すごく心配してくれていた。暖かい、厳しい、懐かしいカードだった。こんな風にS子ちゃんが蘇ってくるなんて思いもよらなかった。今更ながらかけがえのない友だったと思う。――私からの手紙をとってあるという友が何人かいる。できたら捨てて欲しい。――

 こんなチャンスを与えてくれた姪っ子に感謝。今も大切なジャパドラの仲間へ感謝。そしてS子さんに感謝。秋の夜長、まだS子さんは生きている、みんなの中に。