
0427_25 メールメールボックスを披いたら、トップに赤い帯があってメールサービスをやめるというから、これまた、大ごとだ。メールアドレスを使ってID登録をしてきたことがどうなっていくのか。メールは終了にしないとか、どこかで書いてあったから、これは違う、話が。名前を別メールにするとか、住所変更のようなものと考えるか、それどころではない、住所不明となるには郵便の宛先不明につき返送となるような、人間が行うメールシステムではないから、ネットのどこかにさまよっているのだろうというイメージは、コンピュータメモリーの電子ゴミくずとなるだけのこと。というような、わかったかわからないかの愚痴はさておき、大変な、大仰なことだ。
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文体について続く話しである。作家の文体なり作品の文体となると文学研究者、評論家のによる分析が行われ、それが受け入れられる。村上文学の文体などは作者が意識するところもあって格好の文学作品の対象となる。また散文の文体、韻文の文体と文学における議論がある。それについて、国語の文体という視点で和文体、漢文体ということを言い出したのだが、国語の文体という説明が国語辞書によってそのように始まるからである。それはこれからの話に少しややこしくなる。どういうことか。
なお、この話は現代日本語百科の話題に取り上げる文体のこととして、日本語の文体とはどのように議論されるかを目途とする。それは話し言葉の文体、書き言葉の文体と言われて、日本語教育の重要な日本語として学ぶ項目であり、学習者は必ずと言っていいほど、この文体に、二つの日本語があるっという実感を抱く、果たして国語文体から日本語文体へのつながりはどのように見られるであろうか。
文体にある用語は辞書の解説のような分類はそう簡単なことではない。和文体の和文とは何かは結局のところ日本語のことであり、漢文体とは漢文のことであると日本語を知る使い手がそう言い切ることは難しいことではない。そう言って、待てよ、漢文が古代中国の漢文体のことであるなら、それはつまり日本語に影響した中国語の文章のことになり、果たしてそんな文体の文章は国語にあるのだろうか、これも知るところで漢文教科目を学習すれば中国の古代の文章を学ぶことがあって、それは確かに漢字で書かれた文体である。
国語では古事記と日本書記について文章を比較する、古代中国語とその日本で流布する漢文のありようである。その後にも日本歴史は六国史など漢文で書かれている。そこで気づくことにその文体は中国語発音で読まれたのか、漢文体なるものも実態はほかにも漢字ばかりで書かれたとなれば万葉集がそうであるということを思い至ることは文学研究者によることであるし、文学愛好者の万葉集は和歌集なのである。つまり、国語なのである。そこには国語を工夫して編み出す、表記のプロセスがあって書記体としての日本語が見えると言ってよい。
国語の文体の説明によく知られている用語に文語体、口語体というのがある。文語で書かれた文体、口語で書かれた言葉は国語の歴史の重要なエポックメーキングとなる。その文語、口語に合わせて、いま一度、辞書の解説による。
ウイキペディアより、説明を簡略にして引用する。
文語体
>日本語の広い意味での文語体には以下のような文体がある。
漢文 本来は中国語を表記したもの。「変体漢文体」も使われた。
漢文訓読体(漢文直訳体) 漢文を訓読により仮名交じりで書き下したもの、または初めからこの形で書いた文体。
宣命体 主に奈良時代に日本語の宣命(詔)を漢字で書き表したもの。
和文体 平安時代中期の口語に基づく文体。当時の清少納言や紫式部の作品が代表的。
和漢混交体 漢文訓読体と和文体を交えた文体。
候文 文末に丁寧の助動詞「候(さうらふ)」を使う文体で、鎌倉時代以降用いられた
普通文
さて、どうか、漢文に変体漢文体、和文体、そして候文も見えるが、これは文語体のくくりにある。
なお文体史の検索で過去記事がヒットした。ここに再録する。
>文体史は文章表記史か 2017-04-30 | 日本語史
文体史は文章体にある、それは文章表記体に見る歴史であると国語学の泰斗は言い、国語の静態を指摘した。文体史が文章表記史にあるのは、日本語の歴史に見る特異な現象である。当初は書記としての見方であったが、それを表記行動に写してみるなら、表記の選択には言語の担い手にある想像、創造による作業があったのである。静態に見る規範は必ずしも動態の規範を制約するものではない。表記主体の文体の選択はいつの時代にも言語にある意思の表れである。通史を現在からみるか、時間をさかのぼる、その時点から始めるか、それは出来事による起点でもあるが、その立場によって記述はことなってくることがあるだろう。表記史に漢文か、和文か、あるいは真名文か、仮名文か、それは書記された結果による分類でしかないから、和化漢文の実態を明らかにするのは、漢文と日本文の経過をみるに過ぎなくなり、そこに起こった言語現象の価値判断は困難である。個々の意思に解釈が施されることになるからである。
日本語に漢語が移入されて、漢文を学び、習い、漢文訓読をすることから始まった。そこには文字の模倣があった。日本語発音に合わせた音読みと翻訳をする訓読みと、それを表記する手段を作り出すことであった。漢文に対する位置づけに、漢字書体の草をもって、和文とすることが、文芸の歌によって行われた。漢字音の音韻を得て声とし、その子音を組み合わせた音韻はその母音を響きと簡素化して、文字一字を工夫した。漢文の翻訳文は訓読文として表記されて、文章体を形成する。漢文を崩した日本文は漢字仮名混交文となり、いまの漢字かな交じりを編み出していく。物語文には和歌の文章体が影響し、説話には経典による漢文が表わされ、軍記物には漢文の手法を入れて文体を創成していく。ひらがなが、なにをもって平仮名としたか、真名書きに対する、日本語発音のとらえ方である。仮名書きはすでに漢字との交ぜ書きに移ったからである。こうして、ひらがなによる書記法と漢文訓読の書記法とが行われて、日本語の意識が芽生えるのは、欧文文字の伝来によるところが社会変化にある。
それでは口語体とはどのような解説か。
>現代の、話し言葉に基づく文章の形式。口語文の文体。常体(「だ体」「である体」など)と敬体(「です・ます体」「でございます体」「であります体」など)とがある。⇔文語体。 大辞泉
国語には文語と口語のことがあり、そこに文語体、口語体と分ける。
世界大百科事典(旧版)内の口語体の言及
>【口語】より
…ところで書きことばは本来は話しことばにもとづくはずのものであるが,日本では書きことばは独特の発達をして,話しことばをよく反映するものと,はなはだしくそれから離れたものとを生じた。この前者を〈口語〉,後者を〈文語〉ということがあり,それによって書かれた文章をそれぞれ〈口語文〉と〈文語文〉,その文体を〈口語体〉と〈文語体〉という。この場合,口語とは,話しことばをよく反映した書きことばを意味する
百科事典マイペディア 「口語体」の意味・わかりやすい解説
>口語体【こうごたい】
現代の話し言葉,特に共通語に基づく文章の様式。明治以来言文一致運動により,口語との懸隔の大きい文語体に代わるものとして,口語体が発達した。
それぞれの事典の解説によるところ、国語の文体の視点は文語から口語への変遷を見る。日本語の重要な歴史的展開となる。そしてまた、日本語学習には敬体と常体のこと、です・ます体と、だ・る(-u)・い体という、スタイルを上げている。
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