牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

明日1日よりインターネット放送でラジオ放送希望の声がスタート

2007-04-30 07:07:04 | Weblog
ラジオ放送希望の声が5月1日よりインターネット放送でもスタート! http://vip-amazing.com/

 ハレルヤ! 主の御名を賛美します。

 春の輝きの中で、みことばと聖霊に満たされ恵まれた日々と存じます。

 5月1日よりラジオ放送希望の声が、インターネット放送でも、ラジオ放送希望の声がスタートします。ぜひアクセスしお聞きくださいますようお願いします。

 ラジオ放送希望の声がスタートして35年、祈りとご支援に支えら、毎回8万人の聴取者があり、1ヶ月で30万人を越える方が福音を耳にしています。

 インターネット放送(http://vip-amazing.com/)は、月約30万人のアクセスがあるので、ラジオ放送と合わせると60万名以上の方々に福音を届けることができます。

 また、エリムキリスト教会では、パソコンで礼拝説教を聞くことができるよう計画中です。まだ実験放送中ですが、elim.jpにアクセスしてみてください。6月から全世界に向けて発信スタートです。

インターネット新聞christian today(http://www.christiantoday.co.jp/sakae.html)でも、天の虫けらのコラムやニュースなど掲載されています。

 リバイバルのためにお祈りとご支援をお願い申し上げます。

ご健康とご活躍の上に祝福をお祈りいたします。



・郵便振替 0990=5=245213 エリム宣教会

・銀行 三井住友銀行生駒支店 普通口座 0040438 榮義之

ピリピ人への手紙

  4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。
4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。
4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。
4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。
4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。
4:18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。
4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
4:20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
  

効果的な祈りを公開

2007-04-29 07:28:29 | Weblog
朝露を踏みつつ、すばらしい輝きの朝日に照らされて、おはようございますの声もさわやかに歩いて来ました。

 久しぶりの学院教会での礼拝説教。神様の恵みで学院教会もたくさんの方々が集うようになりました。神学生は参加しない礼拝です。周辺の方々がひとりまた一人と導かれ、幸いなときを過ごしています。

 インターネット中継礼拝(6月頃予定)が始まると、学院教会をステーションにするのでほぼ毎週、学院教会で礼拝説教をすることになります。さらに礼拝出席が増えることを楽しみにしています。

 今日は、「効果的な祈りの秘訣」と題して話します。30年来続けている祈りと、最近特に恵まれている祈りの応答です。多くの恵みの答えをいただき、自分だけの祈りにしているのはもったいなく公開します。なーんだそんな祈りだったら自分もしているという方がたくさんいることを期待しながら・・・・。



イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。マルコ11:22-24



 何も思い煩わないで人生を生きることができれば最高です。天国はもはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもなく、目の涙もすっかり拭われ、喜びと楽しみ、平安と幸せに満ちる輝きの場所です。

 イエス様の十字架により罪を赦され、永遠のいのちを与えられた私たちは、今、神の子として、神の国に生きています。永遠の天国に行くまで、何も心配しないであらゆる場合に、感謝をもって祈りと願いを神に知っていただくことができます。

 どんなことがあっても、全てのことを感謝して受け止め、願い事を神に知っていただき、、祈りは必ず答えられるという確信を持つことが大切です。

28年前に、「神様への緊急電話」(フランシス・G・ハンター著)を読み効果的な祈りの仕方を学び、今も継続しています。その秘訣を公開します。身体を使って捧げる祈りです。

1. 象徴的行為として、神様に向って手を差し伸べます。

2. できるだけ腕を前の方にまっすぐ伸ばします。

3. 手のひらが上になるようにします。

4. 手のひらを上にしたままで、心の中にある祈り、願いを神様に申し上げます。(もしそれが大きな祈りや願いであれば、両手でコップのような形を作り、それをできるだけ自分から遠くへ離します)さて、ここで祈りの重要なところにさしかかりました。ここで、二つのことのうちどちらかを選ぶ決断をします。その手をギュッと握り締めて、その重荷を自分の心に引き戻すか、あるいは単純に次の段階に進むかです。

5. ただ手のひらを裏返しにします。すると、手の中には何も残らないことになります。何かを持っていようとしてこぶしを握り締めてはいけません。できるだけ指と指とを離して伸ばします。

6. 腕を下に下します。

7. そのように祈ったら、「アーメン。信じます。ありがとうございます。答えられました。ハレルヤ。感謝します。神の栄光にために!アーメン」と、答えられたことを確信し、完了形で信仰を告白するだけです。

 やってみる価値のある祈りの方法です。祈りが今日から変わることを確信します。



ピリピ人への手紙

4:6 何事も心配してはなりません。 むしろ、どんなことでも祈りなさい。 神様にお願いしなさい。 そして、祈りに答えてくださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。
4:7 そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。 キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。
4:8 さて、皆さん、筆をおく前に、もう一つ申し上げたいことがあります。 真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。 きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他人の長所に目をとめなさい。 神様を喜び、賛美することばかりを考えなさい。
4:9 私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、みな実行しなさい。 そうすれば、平和の神が、共にいてくださいます。

朝日の光が・・・・

2007-04-28 07:27:49 | Weblog
 ブログを書いている部屋は東に面している。前にさえぎる建物も何もなく、生駒市と奈良市の間にある矢田丘陵から昇る太陽が、今の時期はまっすぐに差し込んでくる。

 春の陽射しの柔らかさが心地よく、思わずハレルヤ!ありがとうと、感謝のことばとともに詩篇を口ずさみ祈る。そのような朝のスタートです。

 あっという間に4月末。明日29日は結婚記念日(43年)だ。何もない駆け出しの牧師だった。家内と出会いまわりの反対もあったが、結婚することにした。婚約指輪も結婚指輪も買えない。家内は自分で安い指輪を買って今でもそのままはめている。

 給料はなかったが、幸い教授だったので聖書学院に住まいが与えられ、食事も時々炊事担当の方が差し入れてくれ飢えることはなかった。

 家内が保育園で子どもたちの世話をしていたので、結婚祝いに炊飯器やトーストをいただき、最低限の炊事道具もあり、ささやかなスタートだった。

 お互いに貧しく育ったので、少々のことでは何ともなく、感謝しながらの新しいスタートだった。二人とも決心したのは借金(ローンも)をしないこと。「いま持っているもので満足しなさい」(ヘブル13:5)の聖書のことばをアーメンと受け止めて、43年間過ごして来た。幸いなことに聖書の約束は常に真実で、与えられた物で満足し感謝しながら守られている。

 3年間、経済を支えてくれた聖書のことばの一部分を紹介します。いつもアドナイイルエ(主の山に上には備えがある)と告白し、すべての必要が満たされ続けている秘訣です。

マタイ 4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

詩篇23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

詩篇34:9 【主】を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、【主】を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。

詩篇 103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ。
 聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、
 あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを穴から贖い、
 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

マタイ 6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


コリント人への第二の手紙 8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

ピリピ人への手紙4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

拘置所に面会に行く

2007-04-26 07:58:41 | Weblog
火曜午後は堺市を走り回ったが、昨日もう一度拘置所面会に出かけた。16日に留置場で初めて出会った母子家庭の37歳母親です。留置から拘置所に移され、公判待ちの状態です。

 「私の顔変わりましたか。出所できるような顔になっていますか?」と、面会室の窓越しに会うなり質問してきました。一週間前に警察留置場で最初に出会ったときより、さわやでに元気そうでした。

 イエス様。信じます。心にお迎えします。私の罪をお赦しください。家族のためにも出所できるようお願いします。アーメン。ありがとうございます。そのようになり子どもたちを幸せにできます。感謝します。アーメン」とともに祈りました。

 それから一週間、「天の虫けら」や「パワーフォーリビング」を読み続けていると話していました。刑務間にあと2分ほどですと言われ、残った時間イエス様に二人で祈りました。公判の結果は分かりませんが、情状酌量を期待して執行猶予で出所できるよう期待しています。

 夜は雨になりましたが、大阪エリムのリバイバル集会。説教は婦人牧師が元気よく語り30名ほどの集まりですが、みなさん恵みを受けてくれました。

ピリピ人への手紙

4:6 何事も心配してはなりません。 むしろ、どんなことでも祈りなさい。 神様にお願いしなさい。 そして、祈りに答えてくださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。
4:7 そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。 キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。
4:8 さて、皆さん、筆をおく前に、もう一つ申し上げたいことがあります。 真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。 きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他人の長所に目をとめなさい。 神様を喜び、賛美することばかりを考えなさい。
4:9 私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、みな実行しなさい。 そうすれば、平和の神が、共にいてくださいます。



堺市内をカーナビで駆け回る

2007-04-25 08:09:19 | Weblog
今、自動車会社社長の新車を借りて乗り回している。カーナビが着いている車を運転するのは初めてだが、すごく便利で安心して運転できる。

 電話番号をアクセスすれば目的地に導いてくれる。午後から堺市内を訪問予定があり出かける。1箇所は面会時間に1分送れたため、今日もう一度出かけるが、その後初めての場所を3カ所、ナビに導かれながら夜9時前まで訪問し続けた。初めて会う方たちばかりだったが、どの方も気持ちよく会ってくださり、50代夫婦はイエス様を受けれる決心をしてくれた。

 4人の孫たちを世話している60代の女性は、苦労ばかりで大変だが孫たちの元気な姿に励まされて、何とかやっていますと涙を流して訪問を喜び、祈りを受けいてれてくれた。

 イエス様のことを聞いたことがなく、救いを必要としていてもどこにも求めるところがなく、迷いに迷っている人々が多くいることを思うとき、もっと熱心に福音を伝えたいと願う日々である。

 カバンの中にも車の中にも福音文書(パワーフォーリビングや雪よりも白くなど)をたくさん持って歩いているが、神学生全員にもいつでも福音を伝えるようチャレンジしている。

 日本中のクリスチャンが、イエス様を信じれば救われることを、いつでもだれにでも話さえすればクリスチャンの数がどんどん増えていくことを確信している。

 「アーメン。信じます。ありがとうございます。日本のクリスチャンが大勢になりました。ハレルヤ。感謝します!」と「告白しつつ、今日もカーナビで駆け回る。夜は大阪エリムのリバイバル集会。大勢が集まることを感謝しながら・・・・。

ローマ人への手紙

10:8 というのは、キリスト様を信じることによって与えられる救い〔私たちが宣べ伝えているのは、まさしくこの救いです〕は、すでに、私たちのすぐ手の届く所にあるからです。 実際それは、自分の心や口のように、すぐ近くにあるのです。
10:9 なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。
10:11 聖書は私たちに、「キリスト様を信じる者は、決して失望させられることがない」と教えています。
10:12 この点では、ユダヤ人もそれ以外の外国人も同じです。 同じ主がユダヤ人にとっても外国人にとっても主であり、求める者にはだれにでも、ご自分の宝を惜しみなく与えてくださるのです。
10:13 主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。
10:14 しかし、主を信じていなければ、どうして主に、「救ってください」と求めるでしょうか。 また、主のことを一度も聞いたことがなければ、どうして主を信じることができるでしょうか。 だれかが教えてくれなければ、どうして主のことを聞けるでしょうか。
10:15 また、だれかが遣わさなければ、どうして人々のところへ出かけて教える人が出るでしょうか。 旧約聖書に、「神との平和を宣べ伝え、良い知らせをもたらす人の足は、なんとうるわしいことか」とあるのは、まさにこのことです。 つまり、神様の良い知らせを伝える人は、なんと歓迎されることか、というのです。



晴れやかな朝、心楽しく

2007-04-24 09:46:30 | Weblog
朝の目覚めとともに、ありがとう!と声を上げて起き上がります。さわやかな目白のさえずりが聞こえ、春の朝が晴れやかに輝いています。

 この日は主が造られた日、この日を楽しみ喜ぼう!と聖書にあります。今日生きているのは、主の恵みが朝来とに新しいく、主の愛の豊かさにあります。生きているというより、主の恵みに生かされているのが真実です。

 和歌山県橋本市から平岡修治牧師が、大預言書(イザヤ書・エレミヤ書・哀歌・エゼキエル書・ダニエル書)講義のために、自動車で来られます。国道24号線(奈良ー和歌山を結ぶ)にバイパス(京奈和道)がある部分完成したので、橋本市から生駒までずいぶん近くなったようです。

 イエス・キリストの名によって祈り時、神様へ直接お願いできます。今日も、「アーメン。信じます。ありがとうございます。答えられました。ハレルヤ。感謝します!アーメン」と、感謝の声を上げ、ありがとうございますと楽しく過ごしたいものです。

詩篇

34:1 何が起ころうと、私は神様をほめたたえます。 どんな時にも、神様の栄光と恵みを人々に伝えます。
34:2 神様のあたたかい思いやりの数々を誇ります。 失意の中にある人々は気を取り直しなさい。
34:3 さあ、共に神様をほめたたえ、そのお名前をとどろかせましょう。
34:4 声の限りに私が呼び求めた時、神様はそれに答えて、いっさいの恐怖を取り払ってくださいました。
34:5 神様のなさることを見て、私以外の人も顔を輝かせました。 もう、その表情は沈んでいません。
34:6 大声で叫び求める哀れな者を、神様は苦しみから助け出してくださいました。
34:7 神様の使いは、敬虔な人を守り、救い出してくれるのです。
34:8 さあ、神様を試してみたらどうですか。 そして、どんなに神様が恵み深いお方か思い知るべきです。 神様に信頼する人には恵みが雨と降り注ぐことを、自分で確かめてごらんなさい。
34:9 あなたが神様のものとなっているのなら、恐れかしこみなさい。 そうすれば、必要なものはいっさい与えられます。
34:10 若く雄々しいライオンも、時にはひもじさに襲われます。 しかし、神様を敬う私たちに、祝福が足りない時などありません。

領域を広げよう

2007-04-23 07:44:53 | Weblog
月曜日は生駒聖書学院のチャペルから始まります。通常は牧師の休養日ですが、長年聖書学院の働きに携わっているので、月曜スタートが普通になっています。

 日曜日は朝からエリムキリスト教会(昨日は奈良市・大阪市・堺市)をまわり、夜の9時前に帰宅。生駒市議会選挙だったので11時前に選挙事務所を訪問し、落選した候補者を慰め、再チャレンジを決意する勇気を与えたり・・・・。電話が入り急病になったとの連絡が着たり・・・・。

 朝4時に起きて、ありがとう!ありがとう!を100回(昨日朝ごとに告白しようと説教したので)告白し、祈りとともに今日のデボーション箇所の聖書を開き、元気で新しいく生かされている恵みに感謝。

 今朝の聖書箇所は有名なヤベツの祈りでした。

 第一歴代誌4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

 何と壮大な祈りでしょう。その祈りに、神が願ったとおりにかなえられたと聖書は証言しています。
特に今朝心に響いたのは、「私の地境を広げてください!」でした。Territory=領域を拡大してください。
 まことの神様はあなたを愛しておられます。神の栄光のために、機会や影響力が拡大するのを神が許してくださいます。
 地境(領域)を広げてくだしとの願いに、神は聖なる答えをくださり、奇跡的なことを満たしてくださいます。
 ヤベツのように聖なる神に呼ばわる大胆さを持ちたいものです。

ヨハネの福音書

15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。
15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15:15 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

ありがとう!秘密のことば

2007-04-22 21:28:44 | Weblog
有り難し、というのはあり得ないこと、存在し得ないことの意味です。あり得ないこと、存在し得ないことが「起きたときに、有り難しと言う意味で使ったそうです。神様が、何かあり得ないことを起こしてくれたときに使うことばだったそうです。神様をほめたたえ、賛美することばとして、「有り難し」「ありがとう」「有り難い」ということばだったのです。
 室町時代以前は、人に対しては使わず神を称賛するときだけ使いました。室町以後、人にも感謝するとき使うようになった。

 昨年から、どんな祈りをしても、「アーメン。信じます。ありがとうございます。実現しました。ハレルヤ。感謝します。神の栄光のために!」アーメン」と、宣言し告白をしました。
 考えられないような恵みをイッパイいただいてきました。くどいようですが、その恵みをほんとに理解し、実践して欲しいと心から祈り願っていますので、語り続けます。

 祈りとは、意に乗る(神の意)プラス宣(宣言の宣)で、神の異を宣言し、賞賛しほめたたえることです。
 祈りとは神様のみことばを賞賛すること、神のことばにアーメンとお答えすることです。
 神様をほめたたえる最高のことばは、聖書のことばを宣言し、ありがとうございますと、賛美と感謝をささげることです。
 ありがとうの本質は、あるがままを全部認めること、受け入れることです。それがありがとうの本位なのです。
 自分にとって気に入らない人がいるとします。そのときに私たちは思い通りの人にしようとする、そうすると苦しい。
 層ではなくて、そうなってくれてもいいし、そうならなくてもいい、ただ目の前のあなたを受け入れると、全てを受け入れる気持ちになったら、相手の状況によって、一喜一憂することがありません。そうなれば楽になります。
 ありがとうと言うこことで、自分自身の霊性、雰囲気が変わり、相手にも伝わって結果的に自分が楽しいという状況が造りだされるだけです。相手はどうであれかまわないのです。ありがとう!と、この人はこの人でいいんだ。私はただこの人を愛し受け入れ、抱きしめればいいんだ」と「思い切ることができれば、その瞬間その人を含むすべてを受け入れることができるのです。
 過去の全てを受け入れる 現在の全てを受け入れる 未来の全てを受け入れる
ありがとうですべてが変わるのです。ハレルヤ。

朝一番にありがとう!100回言って起き上がろう!
詩篇5:3 【主】よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。
哀歌3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
朝の目覚めにありがとう!顔を洗いながらありがとう!美味しいご飯にありがとう!」味噌汁にも・・・・。
 朝目が覚めたら、ああ、幸せ!
 今週は思い切り、聖書のことばを信じて、ありがとう!をただひたすら言い続けてみませんか?感謝のことばを気持ちがなくてもいいから告白してみましょう。心を込めなくてもかまわないから、みことばを告白してみよう。

 感謝の心と言うのは謙虚さなのです。そこにある物一つによって私がいかされている。空気や水、酸素にも恵まれた地球があり、このすばらしい地球に生を受けて、生かされている・・・・ということがわかったとき、本当にすべての物に心の底から感謝するようになるのです。
 アトピーで悩む幼子を産んだ母親。そのアトピーのひどい子どもに対しても、本当に心の底から、「私の所に来てくれてありがとう」「あなたがアトピーでいてくれてありがとう」と感謝できるようになった。家の中のすべての物にも、ありがとう!イス、机、時計、炊飯器、洗濯機、コップ、茶碗にハシ、シャツにズボン、ベルト・・・・、何とそのすべての物が、いっせいにシンフォニーを奏でだしたのです。感謝のありがとうを歌いだしたのです。
 その感謝を今度は周りにいる人に、「ありがとう。ありがとう。ありがとう」と言っていたら、周囲の人も突然に、「ありがとう」のシンフォニーを奏ではじめるかもしれません。
 良い関係にある人は、お茶を入れてあげたら、「お茶をいれてくれてありがとう」と言ってくれると思います。でも中には、すごく不機嫌な人、投げやりな人、否定的な人、攻撃的な人など、自分にとって苦手な人もいると思います。そのように、もう少し柔らかくなってほしいと思っている人に対して、「ありがとう」と感謝し続けると、その人の不機嫌さや短気も直るかもしれませんね。

コロサイ人への手紙

3:14 何よりも大切なことは、愛にあふれて生きることです。 そうすれば、教会全体が、完全な調和を保てるのです。
3:15 キリスト様からくる平安が、いつもあなたがたの心と生活を満たすようにしなさい。 そうすることが、キリスト様の体の一部とされたあなたがたの責任であり、特権でもあるからです。 また、いつも感謝していなさい。
3:16 キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。 知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて、詩篇と賛美歌と霊の歌を、主に向かって高らかに歌いなさい。
3:17 何をするにも、何を語るにも、主イエス様の代理人として行動し、主イエス様と共に、父なる神の前に出て、心から感謝しなさい。

末期がんであと数週間と宣言され

2007-04-21 07:14:05 | Weblog
 昨日は都ホテルでの月一度の集い。13名が集まり互いの恵みの証を分かち合う。それぞれが経営者やキャリアたちで時間をやりくりして午後3時ー5時に集う。手をつないで祝福の祈りが終わるとすぐ次の予定に向う。

 3月に洗礼を受けてクリスチャンになった50代夫婦が喜びを語る。特にご主人がエリムキリスト教会に行き出してから、「お父さんは最近変わった!」と長男(新社会人)が話してくれると奥様がニコニコしながら話す。また奥様の良心がご主人が変わった姿に驚いて、エリムキリスト教会の礼拝に参加してくれるようになったことも話してくれた。

 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)聖書の約束は真実です。

 次いで主人は、皆が変わりましたねと言う理由を話す。それは短気でスグ感情を爆発させて怒るのがなくなった。以前は都ホテルでも怒りをぶちまけて迷惑をかけたことも多々あったが、こんなに穏やかな気持ちで過ごせることは最高の幸せであり、イエス・キリストの十字架によって救われ、バプテスマを受けクリスチャンになったことを喜んでいるとの体験に拍手が起こった。

 

 ホテルの集まりのあと、末期がんの青年を訪ねようと病院に向うが、気になって母親に電話すると、まだ外泊で家にいるので西宮まで来てほしいとのこと。阪神電車は甲子園まではすし詰め。西宮駅で母親に迎えられ車で家まで行く。

 身体全体にガンが広がり、治療の方法は一切なく、あとは死を待つばかりの厳しい状況との説明を聞く。25歳の若さ。見た目には元気そのものに見えるが、確実にガンが進行しているという。「平安があるか」と問うと、ニッコリほほえんで「大丈夫です。イエス様が死の陰の谷を行くときもともにいてくださいます」と答え、詩篇34篇や91篇を朗読し、家族全員と心を一つにして祈る。詩篇23篇を朗読し、また母親の車で駅まで、かなり遅くに帰宅。

 母親のメールを転載(許可済み)しますので、古藤英臣兄とご家族のためにお祈りください。本人はありがとうございますと、この世に生を受け、生駒聖書学院で学んだことや、過去1年間の療養をとおして母親との豊かな愛に育まれたこと、昨年12月から4月まで元気でやりたかったことや、交友関係のすべてのことに感謝しています。

おはようございます。いつも熱いお祈りありがとうございます。 手術の経過事態は一応順調だったのでしょうか・・
傷口は今日抜糸の予定で12階の脳外科から
15階の呼吸器内科のほうへ退院できずに移ることになりました。 手術をして良かったのか悪かったのか・・・・
すべてを益としてくださる神様の取り計らいを
感動と感謝で絶えません。
術後は一日3万円もするというホテル並みの広い個室が無料で今日まで与えられ 昨日は親戚一同20名近くが
教会に行って礼拝できなかった息子のために集まってくれて
礼拝を捧げることができました。癒しのために一同が輪になって暫く祈りました。 私達家族もこの1週間、個室は面会時間の規定がなく
朝から夜の消灯時間まで一緒に過ごすことができました。
本当に感謝でした。 ですが・・・
本人はとてもつらそうで 背中が痛いようで
息も荒く 熱も出て 見ているのが苦しい程です。足や手先が突っ張るらしく もしかすると脊髄に癌が転移しているとそうなるケースもあるということです。
本人もそのことは分かっており、自宅へ帰ることを望んでいます。病院にいても何もできないので、医者さんも許可をしてくれ、来週火曜日まで(苦しまなければそのまま)自宅に滞在する予定です。

詩篇

23:1 主は私の羊飼いですから、必要なものはみな与えてくださいます。
23:2 -3主は私を牧草地にいこわせ、ゆるやかな流れのほとりに連れて行かれます。 傷ついたこの身を立ち直らせ、私が最高に主の栄光を現わす仕事ができるよう、手を貸してくださいます。
23:4 たとい、死の暗い谷間を通ることがあっても、こわがったりしません。 主がすぐそばにいて、道中ずっとお守りくださるからです。
23:5 主は敵の面前で、私のためにおいしいごちそうを備えてくださいます。 たいせつな客としてもてなしてくださったのです。 まるで、あふれんばかりの祝福です。
23:6 生きている限り、主の恵みといつくしみが、私についてきます。やがて、私は主の家に着き、いつまでもおそばで暮らすことでしょう。