牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

エンスージアズム=熱意

2005-10-31 07:54:22 | Weblog
「熱意は、はしか、おたふくかぜ、はやり病のように流行しやすい!」ということばがあります。
 しかし、はやり病と違うのは、熱意はよいものだということです。この熱意に取り付かれると、心の中に自分で築いた牢獄から、自分自身を解放することができます。
 あなたは変わり始めます。あなたが変わると、それに応じて、あなたの人生も変わり始めます。あなたは今まで経験したことのないような、ワクワクするような幸福感に毎日満たされ続けるでしょう。
 あなたの変化に気づくのは、あなたよりも回りにいる愛する家族や友人たちの方が先かもしれません。そしてあなたの幸せな姿に影響され、環境さえも輝くようい変わり始めることでしょう。

 「熱意=エンスージアズム」と言うことばは、ギリシャ語のエンティオスから派生したもので、「あなたの中にいる神」あるいは「神の熱意」と言った意味があります。従って、熱意には試練や問題を乗り越え解決する奇跡的な力を秘めているのです。

 今日も生きている喜びとともに、熱意に燃え輝くような人生を生きて見ましょう。祝福を祈ります。

 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

 勤勉(熱心)で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。
 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。ローマ12:9-15



愛娘をガンで召されて

2005-10-30 06:30:05 | Weblog
 今日は、28日(金)に33歳の若さで召された濱野諾子さんの召天式。式に際して、愛娘を先に天国へ召され、その悲しみの中でなされたお母様の挨拶を紹介します。

ご挨拶

I'm very proud of you.

成人式を前に、「振袖に使えるお金があるなら、留学に使わせて欲しい」と、諾子は申しました。
 英語を得意科目とした彼女が将来、その語学力を生かした仕事をする上で、ネイティブ・イングリッシュの発音をマスターするために、留学したいと考えたのは、ごく自然なことでした。
 振袖姿が居並ぶ中を、「決意表明」とも言うべき、「スーツ姿」で成人式に出席しました。
 振袖も着て、留学もしてと、両方を手に入れることもできましたのに、親に負担をかけまいと、一つを選んだ娘でした。
 もちろん、自分でもせっせとアルバイトをして、費用をためておりました。出発にあたっては、「出世払いで返すからね」と、借用証書を書いて行きました。
 留学中、4度にわたる現地の教育実習科目では、10人ほどいた仲間が次々と挫折する中で、最後までやり通し、アメリカでの英語教師の資格を取得しました。
 「I’m very proud of you. (あなたを誇りに思います) 次に続く留学生の励みになるはずです」と、ねぎらっていただいたことを、たいへん喜んでおりました。
 通訳・翻訳者として、アメリカ・ミシガン州での就職後も、将来は同時通訳もやりたいからと、講習が行われていたオハイオ州まで、ハイウェイを5時間かけて出かけて行くという情熱を持ち、常に前向きに生きておりました。
 その褒美とも勲章とも言うべき、「グリーンカード(アメリカ永住権)」も昨年取得し、「アメリカでずっと仕事ができる!」と喜んでおりました。
 ところが今年2月、病に倒れ治療のために、志半ばで帰国することになりましたことは、さぞかし残念であったろうと思います。
 33年の人生のうち三分の一の10年余を、大好きなアメリカでクリスチャンとして洗礼を受け、賛美とみことばの中、「なぎちゃん。なぎちゃん」と多くの友人、知人、職場の皆さまに愛され暮らせたことは、何よりも幸せな時間であったろうと確信しております。
 これまで慈しみ、励まし、ご指導いただきました多くの皆さまに、心から御礼と感謝を申し上げます。

 すごく優秀で頑張りやさん。意志も強く勇ましく生き、アメリカでクリスチャンになり、志半ばで召された娘を偲びつつ、挨拶に立たれた母親のことばに、参列者一同涙しました。
 娘の病床で苦しむ姿を見て、神の愛を知った母親は、9月に洗礼を受けてクリスチャンとなり、今は天国での再会を確信し、悲しみの中にも希望に輝くお顔での挨拶でした。

また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」黙示録14:13

 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙示録21:3-4
 
 イエス・キリストの救いをアーメンと信じるなら誰でも天国に行くことができます。


末期がんで召された

2005-10-29 07:56:08 | Weblog
 33歳(1972年3月18日生まれ)の姉妹が、昨日天国に召されました。病室を見舞い、詩篇23篇を朗読し祈りをした直後に、召されたとの知らせを携帯電話に受けました。
 濱野諾子(なぎこ)姉妹は、鹿児島市で誕生。父親の仕事で北九州市、三島市、宝塚市などを経て、小学5年生のとき奈良市に転入。奈良高校から国立京都教育大学欧米言語学科を卒業。ノースタン・ミシガン大学で修士課程を履修後、アメリカ英語科教師資格を取得。
 その後、クオリティ・スプリング・トーゴー株式会社に就職。通訳・翻訳
業務で活躍中、昨年はグリーンカード(アメリカ永住権)も取得しました。

 1998年6月、ミシガン州イーストランシング日本人教会で、イエス・キリストを信じてバプテスマを受けクリスチャンとなりました。
 その後、クロスロード・バプテスト教会日本語礼拝に属し、通訳やJCPMカンファレンス企画実行委員として奉仕を続けていました。

 今年2月にステージ4の末期がんで手術も不可と診断され、ミシガン州キャンサーセンターで放射線治療。
 4月末、治療のため帰国。堺市の大阪労災病院に入院し、外泊のおり数回ほど礼拝に出席することができました。

 日曜日は堺エリムの礼拝が午後5時半からなので、大阪エリムの礼拝が終わると高速道路で病院を見舞い、みことばを読み祈る毎週でした。病状は非常に厳しく痛みもあり、医学的には帰国したときから末期という状態でした。
 しかし、本人の信仰は揺らぐことなく、お母様はその姿を通してイエス様を信じ、9月の洗礼を受けてクリスチャンになり、祈りつつ看病を続けました。
 日曜日に見舞ったときは、まだ話ができましたが、連絡を受けて昨日午後駆けつけたとき、まさしく死の陰の谷を歩んでいるときでした。

 詩篇23篇
23:1 【主】は私の羊飼い。
 私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、
 いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、
 御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
 私はわざわいを恐れません。
 あなたが私とともにおられますから。
 あなたのむちとあなたの杖、
 それが私の慰めです。
23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
 私の頭に油をそそいでくださいます。
 私の杯は、あふれています。
23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
 恵みとが、私を追って来るでしょう。
 私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。

 今夜、学院教会で前夜式。明日礼拝をともにしつつ召天式を行います。

 濱野姉妹の好きだった聖書のことば

 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
            第一コリント10:13
 
 

無限の可能性はあなたとともに

2005-10-28 05:51:22 | Weblog
1857年9月、セントラル・アメリカ号は、サウスカロライナ州360キロの沖合いでハリケーンに遭って沈没しました。
 この船には4億5千万ドル(約675億円)相当の金貨が積まれていました。
 1987年7月18日、オハイオ州の宝探しグループによって、ついに発見され引き上げられ、ノーフォーク連邦地裁は、同グループが沈没船の権利を持つことを正式に決定しました。
 このすばらしいニュースは世界中に発信され、日本の新聞にも掲載されました。
 しかし、それ以上にすばらしいことは、あなたの中には無限の価値ある資源が眠っているということです。
 それを眠らせたまま一生を終わるのか、それとも引き出して、自分と世界のために活用するかはあなたにかかっています。
 あなたはそれを引き出す権利も、所有権も持っているのです。あなたの可能性をイエス・キリストのよって引き出してもらってください。

 するとイエスは言われた。「できるものならと言うのか。信じる者にはどんなことでもできるのです」(マルコ9:23)

 あなたの人生には確かに不可能なことがいっぱいかもしれません。しかし、どんな不可能も挑戦として受け止め、乗り越え克服し、勝利者となることができるのです。
 そう考えただけでも楽しくなり、心が燃えてきます。生きることはすばらしいことです。「私はできる!勝利者だ!」と大きく叫んでみましょう。
 あなたは広く大きくすばらしい世界に生きることができるのです。
 あなたの中にある無限の可能性、無限の豊かさ、無限のエネルギーが、活用されるのを今日も待っているのです。

 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
 神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。
 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。創世記1:26-31

 あなたの指のわざである天を見、
 あなたが整えられた月や星を見ますのに、
 人とは、何者なのでしょう。
 あなたがこれを心に留められるとは。
 人の子とは、何者なのでしょう。
 あなたがこれを顧みられるとは。
 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。
 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、
 万物を彼の足の下に置かれました。
 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、
 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。
 私たちの主、【主】よ。
 あなたの御名は全地にわたり、
 なんと力強いことでしょう。詩篇8:3-10
 


深夜に神学生の家が火事に!

2005-10-27 08:23:11 | Weblog
25日の深夜3時に、生駒聖書学院神学生の家が火事になりました。東大阪市六万寺町にあるレムエル・キリスト教会岡本牧師の留守宅でした。奥様が聖書学院神学生なので、学院家族寮で学んでおり、週末だけ自宅に家族で帰り、教会活動をしていました。
 真夜中の3時ごろ、隣家の方が火を発見し、119番してくれました。玄関からの漏電で、消防車が来たときには半焼状態でした。周辺は隣家との隙間もないくらいに密集した地域です。
 神様の守りで類焼もなく、自宅だけが半焼状態で鎮火しました。

 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。第一コリント10:13
 
 
 その知らせを聞き呆然としながらも、深夜自宅へ戻った二人はまず類焼していなかったことを、心から神様に感謝しました。
 また、真夜中に火事に気づいた隣家の方に感謝しました。
 生駒聖書学院家族寮に住んでいたことも感謝でした。自宅だったら幼い二人の息子が助からなかったかもしれないからです。
 自宅だといつも2階に寝ていました。出火は玄関からであっという間に、出口がふさがれてしまっていたからです。
 すべてのことに感謝しなさい!をムリではなく、心から受け止めて感謝の祈りを、火事場見舞いに駆けつけた私とともに祈ってくれました。
 これからの片付けやリフォームなど、またすべての家具やフトンなども水浸しで使えなくなりましたから、いろいろ事後処理があります。
 しかし、二人とも心から感謝しつつ立ち上がる勇気を持っている姿に感動しています。
 どんな出来事の中にあっても、立ち上がり克服する力が与えられていることは、何とすばらしいことでしょう。

 私たちの人生にも不可能やどうにもならないように思えることは確かにあります。
 しかし、どんな不可能も挑戦として受け止め、乗り越え克服し、勝利者となることができるのです。
 そう考えただけでも、人生はすばらしいものとなります。心が燃えてきます。「私は勝利者!です」と、大声で叫びだしたくなります。

 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
 「あなたのために、私たちは一日中、
  死に定められている。
  私たちは、ほふられる羊とみなされた。」
と書いてあるとおりです。

 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。ローマ8:35-39

前進し続けてみよう!

2005-10-26 06:17:59 | Weblog
悩みがあろうが、喜びがあろうが、前に向って進み続けよう。
 雨が降ろうが、晴れていようが、雪が降ろうが、嵐が来ようとも、ただ前に向かって進み続けてみよう。
 座って嘆きないていてもしょうがない。
 魚がかかってこなくても、針にえさをもう一度つけ、ただ、続けてみよう。

 
 気候が悪くて穀物が実らない、しかし、続けてみよう。
 頂点まで行くのは容易じゃない。しかし、上り続けてみよう。
 十円に事欠くときも、無一文が罪なわけでもないし、
 最高の気分だ!と大声で叫んでみよう。
 そして、前進し続けて行こう。

 あきらめるほかないと思えるときにも、前に向って進み続けよう。
 苦しみの杯からも、甘い汁が流れ出るだろう。
 だから前進し続けてみよう。
 
 空の鳥を、野の花を見つめてみよう。
 甘く美しく鳴り渡る鐘の音に耳を傾けてみよう。
 天使の翼がやさしく包んでくれる愛を感じてみよう。

 何よりも十字架にいのちまで捨て、
 愛してくださった方がいることを思ってみよう。
 心は平安と喜び、愛されている感激に震えるだろう。

 泣きたいときには泣き、笑いたいときには笑い、
 歌いたいときには、ハレルヤと歌いつつ、
 前に向って前進し続けてみよう!

  シオンの娘よ。喜び歌え。
  イスラエルよ。喜び叫べ。
  エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。
  【主】はあなたへの宣告を取り除き、
  あなたの敵を追い払われた。
  イスラエルの王、【主】は、
  あなたのただ中におられる。
  あなたはもう、わざわいを恐れない。
  その日、エルサレムはこう言われる。
  シオンよ。恐れるな。気力を失うな。
  あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。
  救いの勇士だ。
  主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、
  その愛によって安らぎを与える。
  主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。ゼパニヤ3:14-17



苦しみを乗り越えて

2005-10-25 07:35:30 | Weblog
ハンディキャップを乗り越えながら 2005年10月25日
 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」マルコ9:23

 人生にはいろんな妨げやマイナス要因もあります。問題に直面すると、もうだめだとあきらめてしまい、すべてを投げ出してしまいたくなることもあります。
 じかし、そんなときこそ大きなチャンスが与えられているときと考えたら良いと思います。

 たとえば、松下幸之助氏は、9歳のとき父親が米相場で無一文になってしまいました。彼は小学校もろくに行けず、自転車屋の丁稚になりました。
 夜になるといつも夜空を見上げながら、なぜ十分だけが・・・と嘆き悲しんだそうです。
 ところが15歳のとき、大阪に市電が走りました。彼はこれからは電気の時代だとひらめき、電灯会社に転職しました。電気の世界に入ったからと言っても、苦労は絶えませんでした。
 22歳のとき、質の良いソケットを製作したけれども、無名の小さな会社だったこともあり、全く売れず自滅に追いつめられたとき、思いがけない大量の注文があり、窮地を脱することができました。
 実に彼は、このような苦難を何回も味わいました。しかも、生来身体が弱く、かつ不眠に悩まされ、心身ともに散々苦しんだそうです。
 しかし、どんなときにも前向きに進み、不幸の中でも燃える情熱を持って取り組み、あらゆる悪条件の中で成功しました。ある意味では最悪の試練こそが、彼を大実業家として育てたのです。
 学歴が不要だと覇思いませんが、学歴がなくても考え一つで大きく成長し、世界に羽ばたくことができるのです。
 発明王エジソンは、3ヶ月しか学校教育を受けていませんでした。小学校1年生のとき、この子は頭が悪くて教えることができないと、教師から見放されて退学を余儀なくされたからです。
 1914年12月9日、ウエルすと・オレンジにあったエジソンの工場が、火災で焼け落ちてしましました。
 彼はその火事で00万ドルを失い、研究中の発明品の労作もすべて灰になってしまました。
 火災保険は20万ドルだけ入っていただけでした。当時、コンクリート造りの建物は火事になることはないと信じられていたからです。
 火災の翌朝、彼はこう言ったそうです。
 「災難と言うものは良いものだ。失敗も全部、燃えてしまったのだから。すべてを新しくやり直せる!ありがたいものだ」と。
 それから3週間後、彼の新しい研究所は、世界で初めての蓄音機を作り出したのです。
 これが、避けがたい不運に見舞われたとき、不屈の精神と勇気、信仰をもって、「できればと言うのか。信じる者にはどんあことでもできる」と、立ち上がったエジソンのエピソードです。
 彼は67歳とと言う年齢も意に介しませんでした。いつでも建て直しができると信じていたからです。
 信じることには勇気がいるかもしれません。しかし、信じる者は不可能を可能として行くことも事実です。
 いや、エジソンは大丈夫でも、自分はだめですよと言う人もあります。
 確かに草もいえますが、正しく物事を考える人なら、どんな逆境のときも、正しく信じ、正しく前向きに考え行動できるのです。
 どんなことが起こっても、乗り越えることができると信じていると、世界はその信仰に答えてくれるのです

話が苦手なときも

2005-10-24 07:59:32 | Weblog
 話すのが苦手だと言う人は、結構多いようです。私も幼い頃からほとんどものを言わない子どもでした。
 牧師になってからも赤面恐怖症が直らず、前に立つだけで真っ赤な顔になり、しどろもどろで自分でも何を話しているのか分からないほどでした。聞いている方はもっと分からなかったと思います。
 そん頃、ギリシャの大雄弁家、デモステネスのことを知りました。彼は生まれつき舌が短く、しかもどもりの癖もあったそうです。雄弁家を志しましたが、最初の演説は散々でした。やじり倒されたデモステネスは、もう二度と演説家となるのは無理だと皆が認めるほど打ちのめされてしまいました。
 しかし、彼は自分のはハンディキャップを克服するために、髪の毛を半分そり落とし、社交界をはなれ、どもりを克服するために、口に砂利を含みながら、エーゲ海の怒涛に向って、しゃべる練習をしました。
 彼にもう一度演説の機会がやってきました。論敵の演説に、人々は大喝采をしました。
 デモステネスが演説を終わったとき、人々は大喝采舌だけではなく人々は、「スパルタと戦おう!」と叫びだし、大勝利を得たのです。
 私たちには苦手と思うことや欠点が多くあります。そのために人生をダメにしている場合も多いのです。
 その小さな?苦手なことや欠点のため、ときどき気乗りがしなくなったり、やる気をなくしたりしていませんか。
 意気消沈し、弱気になり、絶望感の襲われて、自分のカラの中に閉じこもってはいませんか。
 それを自分の環境や、学歴、失敗や運がなかったんだとしたり、周りにいる家族や隣人のせいにして、ねたんだり恨んだりしてはいませんか。
 こうした気持ちはだれにでもあるものです。問題はそれを乗り越えるために、勇気を出すか出さないかにかかっているのです。
 勇気を出せば、方法はいくらでもあります。勝利の冠はあなたの頭に輝くのです。その気になりさえすれば、あなたはどんな状態でも乗り切ることができるのです。
 私も阪奈道路の暗渠の下や、生駒の山の中で練習したり、大阪の話し方教室に通ったりしながら、少しずつ話ができるようになりました。
 朝日放送のABCラジオでも毎週1回6分30秒の話を続けています。また毎日テレフォンメッセージで、2分間の話もしています。継続は力です。一回や2回失敗したからと言って、くよくよしないことです。

 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。ヨハネ16:33

 私は、私を強くしてくださる方(イエス・キリスト)によって、
どんなことでも(話すことも、勇気を出すことも、必要なすべてのことも)できるのです。ピリピ4:13


ハンディキャップに負けるな!

2005-10-23 07:32:11 | Weblog
ハンディキャップを数え上げれば、数限りなく出てくるだろう。しかし、人生にどのようなハンディキャップがあっても、自信を持って乗り切ることができるのだ。そのような不利とも思えるものを利用して成功することもできる。だれにでもハンディキャップや条件付け、失敗や挫折はある。
重要なことは、それらとどのように付き合い、どう対処するかで結果は変わってくる。
 
三重県鳥羽市には、有名なパールアイランドがある。そこで養殖真珠の実演を見たが、真珠貝の中にアマゾンで取れた、バカ貝の殻を小さくした核を入れる。
 真珠貝は痛いので何とかそれを出そうとする、しかし、絶対に出ないように入れられているので、それを3年~5年と真珠貝は抱き続ける。その間、真珠貝は液を分泌し続ける。  その分泌液が、何の役にも立たないバカ貝の核をゆっくりと包んでゆく。その痛み中、苦しみの中からあのきれいな真珠の輝きが生まれてくる。真珠はハンディキャップの輝きなのだ。

 ヘレン・ケラーは、三重苦を背負っていた。しかし、「神様が私にハンディャップを与えられたことを感謝する」と言い、世界中の多くの人々に、生きる勇気と希望を与えた。

 ベートーベンは、耳がほとんど聞こえなくなってから、あの有名なシンフォニーを作曲した。
 
ヘンデルがメサイアを作曲したときは、お金に困り果て、身も心もドン底、借金取りに監獄にぶち込んでやると脅されている最中だったそうだ。

 どんな不利な条件も、新しい人生を始めるチャンスに過ぎない。ハンディキャップに勝利にすばらしい人生を歩みだそう!

 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5:5


ハンディキャップに打ち勝つ

2005-10-22 09:09:49 | Weblog
パブロフ博士は、「人間はことばによって条件反射を起こす動物である」と言っている。
 確かにそのとおり、梅干ということばを聞くと、梅干を食べてもいないのに、聞いただけで口の中につばが出てくる。
 梅干くらいのことでは、そんなに大きな問題ではないが、日々の生活では、条件付けから逃げられない仕組みなっている。
 プラスの条件付けだったらよいが、マイナス条件付けから多いから困ったものだ。

 人は生まれた瞬間から、自分を取り巻く環境の影響下に置かれてしまう。
 たとえば、サーカスの象は、ほんとうは大きな杭を引き抜く力があるのに、小さな杭につながれたまま、一生を終わってしまう。
 怪力の象も、幼く力のない弱い頃から、ビクとも動かない杭につながれ続けると、杭は絶対抜けないと条件付けられるのだ。
 バンコクに行った時、数等の象が大きな丸太を引いたり、動かしたりしている光景を見た。スゴイ怪力だった。
 条件付けられた象はある意味では気の毒だが、やればできるのに、できないと思い込んで座り込んでしまっている人間はもっとかわいそうだ。
 さまざまな思考や行動、失敗に終わった経験に妨げられて、自分の枠から一歩も踏み出そうともしない、自分をつなぎとめている見えない杭はないだろうか。
 教育による条件付けや、経験による条件付け、年齢や運などいくらでも条件付けに取り巻かれている。
 ハンディキャップもまた条件付ける。背が低いとか、やせている肥っているとか、容貌の美醜、身体的な障害など、それこそ上げたらキリがないほどのハンディキャップに取り囲まれている。

 どんなハンディキャップも、神の栄光が現れると聖書は宣言している。
 
 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。ヨハネ9:1-3

 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。第一コリント10章13節