牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

美しい春がやってくる

2011-03-31 20:24:07 | Weblog
生駒聖書学院の土手に植えた桜が満開です。まだ2メートルくらいの大きさですが、寒さに負けず美しい花を小枝いっぱい咲き誇っています。

 大地震、大津波、原発事故と悩まされた三月です。明日から春四月、心からの祈りをささげつつ一日が終わろうとしています。

 伊勢の赤福の宣伝にある、祈りのことばです。

 どんな遠いところにいても
 どんなつらいことがあっても、
 ふるさとの地に、いつか必ず
 美しい春がやってくることを
 みんな、みんな祈っています。

詩篇 121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。

121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。

121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

想定外!想定外!想定外!

2011-03-31 08:32:09 | Weblog
想定外!大震災、想定外!大津波、想定外!福島原発事故。今回の東北関東大震災に際し、3月11日より想定外ということばが、日本中を飛び回っています。

 想定外=予想と違った成り行きとなること。またそのさま。思いのほか。以外。

 ことばの意味通りですが、想定外と言えばすべてが許されるような今の状態です。特に政治のリーダーシップを取る人たちにとって、想定外で逃げてはいけないと思います。

 大地震や大津波、原発事故などの問題が、実はすでに予見されていたこともだんだん明らかになってきています。

 無責任に政治を非難したり、福島原発事故を糾弾するとするならば、それもまた単なる非難中傷だけの「問題指摘であり、真の解決には至らないと思います。

 今こそ、天地万物の創造者の前に畏敬の念を持ち、神の愛をしっかり受け止め、どんな事態をも乗り越えていく力を受け続けたいものです。

 信仰、希望、愛に堅くたち、起こったできごとを想定外と言うだけではなく、祈りと行動を持って真摯に取り組みたいものです。

 昨夜は生駒から運んだ生野菜や調味料で、気仙沼の非難地域での炊き出しが行われました。
果物も持って行ってもらいましたので、少しでも食べていただけたと思います。野菜や果物を、カップラーメンを箱詰めにしてくれた店員さんたち、ありがとうございました。

 心からの祈りは想定外の平安と慰め、助けが注がれるように祈りつつの朝です。

エペソ人への手紙

3:14 こういうわけで、私はひざをかがめて、

3:15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。

3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。

3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、

3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、

3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、

3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。



愛に生きる恵みの日々

2011-03-30 07:58:51 | Weblog
 聖書との出会いは、15歳の時でした。講堂で種子島の鍼灸師の方が、ヘレンケラーとの出会い(握手をしてもらっただけでしたが)により、人生に希望が満ちあふれ、今の自分があると言うような話でした。

 その中で、「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」と言うことばがあり、人のいのちは全世界よりも重いことを強く語りました。

 そのことばがシッカリと15歳の少年の胸に受け止められました。クリスチャンになる前だったので、それが聖書にあるイエス・キリストのことばだと言うこともしらなかったけれども、
いのちはゼ世界よりも尊いことをシッカリと理解しました。

 それから半年後に西之表キリスト教会で、アメリカからのアル・ハモンド宣教師に導かれたクリスチャンになり、あの胸に響いたことばを聖書の見つけた時、さらに大きな感動を与えられました。

 その日以来、聖書に親しむ日々が続き、ただ読むだけでなく「かみのことばは生きていて力がある」(ヘブル書4:12)ことを100パーセントアーメンと信じています。

 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 詩篇1:2-3

聖書は、生きるいのちを幸せにし、心や霊を平安にするだけでなく、生活全般(家族、仕事、経済、社会生活、人間関係、趣味や教養、さらに健康)を祝福し、肉体の詩を迎える時天国へ迎えてくださることを宣言しています。

 それらの約束は絵空事ではなく、本音でアーメンと信じるとき、聖霊の恵みにより聖書の約束が現実に実現するのです。

 そして愛によって生きる恵みが与えられます。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ書5:5)

 神の愛は、そのひとり子を十字架に犠牲にした大きな愛です。神ご自身のいのちを身代わりにするほどに、全世界どころか全宇宙のすべてよりも尊いいのちを与えられているのが人間なのです。

 そのいのちを奪う権利はだれも持っていません。殺人は最大の罪です。自殺者が10年以上も3万人を越えている現実は恐ろしいことです。また考えれないような殺人事件、幼児虐待や暴力事件、世界中に起こる戦争と言う大殺人。

 原発事故で問われる核の問題。世界の核保有国の核を万一使用したら地球は滅びてしまいます。文明の進化は地球を滅亡へ急がせている感がします。

 すべての国が神の愛を受け止め、愛に生きる地球になるように、今朝も祈りながらの天国の一日のスタートです。

第一テモテ4:8-9「肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔(愛による歩みを生きることは)すべてに有益です。このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。

愛は人に害を与えず、祝福をもたらします。

第一ペテロ3:8-9「最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう」

4:8「 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」

箴言10:12 「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう」

エペソ4:32-5:24:32 「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました」
神の愛はアガペの愛

コリント第一13:4-8 「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。
13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」

告白の祈り;私は神の愛によって歩みます。私は人々を批判しません。なぜなら愛は隣人を悪くおもいません。私が神の愛で歩むと、私は人生で神の最善の祝福を与えられます。私は心優しい人です。赦すことができます。私は悪口をいいません。私は悪を捨て、すべての人と平和に過ごします。今日もまた天国の一日です!感謝します。

被災地へ再び、今度は炊き出しのために

2011-03-29 08:30:28 | Weblog
先週、仙台の被災地へ義援金を託した卒業生らのレポートです。

お祈りありがとうございます!

昨日の朝、仙台から大阪にかえってきました。
明日、昼頃に準備して、再度こちらを出発することになりました。

現地では、あまりの破壊的な状況に言葉を失う場面もありましたが、健康が支えられてみなさまの祈りを肌で感じることができました!

現地では、西多賀聖書バプテスト教会・気仙沼第一バプテスト教会・利府キリスト教会、この三つの教会に義援金をお渡しすることができ、主にある兄弟姉妹が先ずこの時に、癒されて強められて欲しいとせつに願わされました。

また、破壊的な被害をうけた気仙沼を訪れる機会が与えられて、その被害の現実にショックを受けました。

海岸沿いの街が壊滅していたからです。その中でも、役所の前に住んでいる熊谷(クマガヤ)ケイスケ君の家族との関係ができつつあります。

明日からの訪問では、石巻市で行なう西宮の炊き出しチームと連携するとともに、気仙沼の熊谷家にもよらせていただき、ゆっくり彼らの話に耳を傾ける時間を持ちたいと願っています。

みなさまの力強い励ましと祈りをおいかぜに、明日火曜日の午後に出発いたします。
今回の仙台行きの祈りの課題を最後に整理いたします。
・明日、東大阪の宣教師宅を出発しますが、その足が守られて渋滞をすりぬけてスムーズに現地いりできますように。

・高速道路P休憩所や現地でも、コンスタントにガソリンを給油することができますように。

・西宮炊き出しチームと西多賀教会のボランティアが、御霊によってひとつとされ石巻市の方々にこころからお仕えできますように。

・すでに現地いりしているチームの心身の疲れがとりのぞかれ、私達つかえるものが、しっかりと祈りとみことばに満たされて日々歩むことができますように。

以上になります。
主とみなさんの祈りにささえられての歩み、心から感謝します。

 再度の被災地訪問の知らせを受けて、炊き出しのために生野菜(大根、ニンジン、ネギ、みそ等)、果物(リンゴ、バナナ、グレープフルーツ、オレンジやみかん等)、さらにカップラーメンやうどんなども100勝以上購入しました。昨夜遅く取りに来てもらい、車いっぱいに積んでもらいました。

 さらの寄せられた義援金を託し、東北関東大震災被災地と福島原発避難地にある方々の救いと平安、守りをともに祈り送り出しました。

 また今朝のメールにアフリカの子どもたちが、日本の大地震を知らされ、真の神様に心からの祈りをささげている動画がありました。世界中が日本の救いを祈ってくれています。感謝で涙があふれそうです。

http://www.youtube.com/watch?v=0L5W5CYkbR4&feature=player_embedded

イザヤ書
43:1 だが、今、あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。

43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。

3:3 わたしが、あなたの神、主、聖なる者、あなたの救い主であるからだ。
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

神学博士号授与式&記念講演、祝賀会出席

2011-03-28 07:42:56 | Weblog
昨日は、午後からの大阪エリムキリスト教会聖書の学びを終え京都市へ。途中大渋滞の名神高速道路でしたが、やっと午後5時の神学博士授与式に間に合いました。

 同志社大学神学部長と指導教授(神戸女学院院長)が、アメリカで行われたペンテコステ学会参加のため、卒業式に出席できなかった青木保憲牧師のために、大学総長署名の神学博士号を授与しました。大学での卒業式でも青木牧師のアメリカでの活躍(渡米中、東北関東大震災や福島原発事故ニュースがあり、アメリカで震災の祈りや義援金が寄せられたこと)を、早朝自ら神学部だけでなく各学部でも話されたそうです。

 青木牧師は知多半島常滑でクリスチャンになり、大学を終え常滑で教師生活に入りました。結婚後、義兄の藤林牧師の京都中央チャペルへ移り、京都大学に入学とともに、アンデレ宣教聖書学院へも入学、両校卒業後牧師への道に進みました。

 さらに同志社大学神学研究科へ進み、6年後の卒業と同時に神学博士取得でした。博士論文は、アメリカ福音派研究での博士号授与でした。

 卒業を前に3月9日より、アメリカ・メンフィスで行われたペンテコステ学会で、初めて日本のキリスト教会、特にペンテコステ諸派の歴史を話しました。これは今までペンテコステ諸派でも行われたことがなく、しかも英語で直接の講演で世界にチャレンジできたそうです。

 生駒聖書学院創立者レオナ―ド・クートの貢献も紹介し、ペンテコステ学会での大きいな話題にもなり、クート師(すでに天に召された42年=青木牧師が生まれた年)の56年に及ぶ日本への愛と情熱が与えた影響を感動深く聞きました。

 式典では同志社大学神学部長、神戸女学院院長初め10名数名の牧師からの祝辞がありました。青木牧師のことを個人的にはお名前だけしか知らなく、クート師の口ぐせ、聖書を読むだよ!のことばが若い献身者の心に響いたことを証し、今日にいたっていることを祝いのことばに変えさせてもらいました。

 15歳の時、学校の講堂で聞いた鍼灸師の方の話に、「人が全世界を得ても、自分のいのちを損じたら何の得になるか(そのときは聖書の言葉とは知らなかったが)、少年時代にいのちの尊さを感動とともに受け止めました。

 日本国憲法に戦争放棄があることを誇りに思い、戦争も殺人であり、自殺も殺人、人のいのちを奪うこと最大の悪と受け止める心はいまも変わりません。

 戦争ロボットが開発され、技術の向上によりものすごく正確に抹殺できるという兵器になっているというニュースを聞きながら、地球は滅びの道に向かって突き進んでいる感を強くしています。

 ペンテコステ陣営から神学博士号取得の牧師がさらに続出することを祈りつつ、さらにご活躍をと祈る記念式典であり、すばらしい記念講演(アメリカ福音派研究の今日的意義)に感動する楽しい時間でした。

 生駒聖書学院の神学は、聖書のことばをそのまま神のことばと受け取り、神のことばは生きていて力があることを体験する神学です。聖書を読み、聖書のことばを霊にも心にも体にもそのまま受け、救われた喜びと確信で幸せに輝き、その良い知らせの福音を伝え続け、今日もまた天国に一日です!

 生駒聖書学院は4月11日(月)に入学式を迎えます。ぜひ聖霊に満たされた生駒聖書学院へお出でください。お待ちしておりンます。

 今週もまた仙台市へ向かう炊き出し隊のために、野菜や果物などを運んでもらいます。被災地や原発事故避難地の平安と守り、復興への祝福を祈ります。

 書斎の窓から見える生駒山を見上げながら

詩篇ん121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。

121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。

121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

赦しのあるところに神の愛がある

2011-03-27 06:38:44 | Weblog
神の愛は赦しの愛です。愛のあるところに赦しがあり、許すところに愛があります。そのような許しの愛があれば、家族の中に平安と幸せがあふれます。

 友人関係もお互いに許し合うとき長続きします。恋人同士も同じです。隣近所も国内問題や国際社会、地球全体が許しの愛で包まれるよう祈りつつの朝です。

 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4:32)

 神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、つまりイエス・キリストが十字架にいのちをささげ、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているか分からないからです」と祈られました。

 その愛の祈りの中に全人類は包まれているのです。神のご性質は赦して忘れる愛です。その具体的な現れが十字架なのです。

 わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ書43:25)
 
 なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。(ヘブル人への手紙8:12)

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(ヨハネの第一の手紙 1:9)

それは完全な赦しの愛です。

 わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。(ヘブル人への手紙10:17)

 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。(ミカ書7:19)

 また赦しは恨みを抱かない愛です。

 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(ペコロサイ人への手紙3:13)

 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(テロの第一の手紙4:8)

 赦さないことが祈りの妨げにもなります。

 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
 〔もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう〕」(マルコの福音書11:2226)

赦さないことは自らを罪に定めることです。

 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」

 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。

 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。

 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。

 ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。
彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。
 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。

 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。

 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。

 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」(マタイの福音書18:21-35)

東京都水道局、水道水の放射能の測定結果について

2011-03-26 08:54:50 | Weblog
東京都水道局のお知らせに、下記のようにありました。

「計画停電に伴う断・濁水情報」および「水道水の放射能の測定結果」について

「計画停電に伴う断・濁水情報」
 本日(3月25日)19:30現在、第2グループの計画停電が実施されたことにより、八王子市、府中市、日野市、多摩市の一部で断水・濁水が発生しています。

「水道水の放射能の測定結果」
○ 本日、3月25日に採水した東京都水道局各浄水場の浄水(水道水)について、放射能測定を行った結果、各浄水場での測定値は、食品衛生法に基づく乳児の飲用に関する暫定的な指標値である100Bq/kgを下回っています。

○ 東京都水道局の水道水は、1歳未満の乳児を含めすべての方に飲んでいただいても問題はありません。

 一昨日は、水道水の水を1歳未満の乳幼児に飲ませないようにとの通達がでました。大騒ぎになり、こちらまでも水がほしいとの願いがありました。

 何と生駒市内でもペットボトルは一本だけとレジで言われたり、張り紙があったりです。パソコンで通販をとアクセスしても全部ダメ!

 以前に勝ったことがある高級水へ電話したら、二ダースはOKとのことですぐ送ってくれました。昨日になり東京水道局は、「水道水の放射能の測定結果」、1歳未満の乳児を含めすべての方に飲んでいただいても問題はありません。とのことで安心しました。

 ところが風評被害は全国に広がり、ご飯を炊く時もペットボトルで洗ったり、無洗米が売りきれてしまったりしています。

 ホウレンソウだけでなく、福島県や茨城県というだけでまったく売れなくなっています。風評被害が広がり続けている行きすぎに、なんとかストップできればと祈りつつです。

マタイの福音書

6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。




なんとかする!何とかなる!なんとかしなければ!

2011-03-25 09:25:59 | Weblog
 東日本巨大地震・大津波被害や福島原発事故放射能漏れで野菜も水も大変な状態で、朝ごとに夕ごとに祈りつつの日々です。

 ニュースを見ていたら被災者の方が、なんとかなる!何とかする!なんとしなければ!と語っている姿がありました。ほんとうにそのとおりだとさらに祈りの確信を与えられました。

 地震や原発事故がなぜ起こったか、なぜ行方不明も含めて二万人以上のの死者が出たのか、原因究明も必要かも知れませんが、今は何の役にも立ちません。いま必要なのはどのように立ち直り復興するかの祈りとお手伝いです。

 日本中が何とかしなければ、なんとかする!何とかなるとできる限りの協力体制で取り組んでいます。

 エリムキリスト教会も仙台に向かった救援隊二組に、寄せられた義援金を託しました。

 半壊した台湾からの宣教師の主イエス会の愛教会。西多賀聖書バプテスト教会&牧師。
オアシスチャペル利府キリスト教会。気仙沼聖書バプテスト教会(新築の教会ですが津波に流された)。トラックのガソリン代。

 さらに郵便振替で、いわき市ホームチャペル(放射能漏れで避難を余儀なくされ、牧師は教会員が全員避難するまで留まりました)

 宮城県黒川郡ゴスペルタウンの拡大宣教聖書学院。NRA(日本リバイバル同盟)義援金へも送金できました。

 これからもまだまだ被災地の詳報が入ってくると思います。義援金をキリスト教会に託すと、確実に支援ができるので、これからもまた支援トラック隊が計画されているので、その都度義援金を持参してもらおうと祈りつつ備えています。

 3月11日から続くテレビや新聞の情報を聞きながら思いました。マスコミはニュースを吐き出していると言っても過言ではありません。明るいニュースもあり暗いニュースもあります。

 吐くと言う字は口に+(プラス)-(マイナス)からなっています。それはマイナス情報を伝えることも必要だからです。でも受け取る側がマイナス情報だけを受けると悲観的になり、絶望するだけです。

 しかし、吐くから-(マイナス)を取ると、叶うと言う字になります。叶うとは口に+(+)を宣言することです。受け取る側の心がけひとつで、不平不満を吐きだしたり、無責任な答えをさも正しいかのように大言壮語でわめきたてたりしてしまいます。

 -(マイナス)を取って口に+(プラス)を、なんとかなる!なんとかする!大丈夫!必ず復興すると宣言したいものです。

 同時に+(+)は十字架のしるしでもあります。本当の十字架は+ではなく、縦の線が長いので、それは単なるプラス思考や積極的考えを越えて、全能の神に望みを置き、どんなときにも、「昔よりの神は住む家。永遠の腕が下に」(申命記33:27)とあるように、十字架と復活に裏打ちされた十字架思考なのです。

 できればと言うのか。信じる者にはどんなことでも出来る!からし種一粒の信じる心で、山が動き可能性へのチャレンジから奇跡が起こるのです。

 今のこのときを最大の可能性が広がる時と信じて、あれができない、これもできないと、泣き言や不平不満、文句や悪口を吐き出さないで、あらゆる可能性を口にして、願いと祈りが叶うよう前進したいものです。

哀歌

3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。

3:24 主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。

3:25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。

 
エレミヤ書
 
29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

33:2 「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。

33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

33:6 見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。

33:7 わたしは、初めのように彼らを建て直す。

3:8 わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。

33:9 この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。

東京では水道水、乳幼児は控えて

2011-03-24 10:10:52 | Weblog
水道水が乳幼児接種を控えるようニュースで聞きました。水が守られるよう祈りつつの朝です。



 東京都が23区と武蔵野、町田、多摩、稲城、三鷹の5市で乳児の水道水摂取を控えるよう求めていることを受けて、東京都水道局は23日、550ミリリットル入りペットボトルの水24万本を乳児がいる家庭に提供するとウェブサイトで発表した。

 

 提供先は23区と武蔵野、三鷹、町田、多摩、稲城の5市で、乳児のいる家庭1人当たり3本を提供する。 24日午前中に搬送を開始する。

 

 東京都水道局は23日、葛飾区の金町浄水場から乳児が摂取できる基準を超える放射性ヨウ素が検出されたとして同浄水場の水を利用する東京23区、武蔵野、町田、多摩、稲城、三鷹の5市の全域で乳児の摂取を控えるよう求めると発表した。



黙示録22:17 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

いのちの水=エリムキリスト教会

2011-03-24 08:12:44 | Weblog
 聖書には水についての記述がたくさんあります。

 エリムキリスト教会ですが、聖書の記述から取られた名称です。

 出エジプトの大脱出、紅海が割けて海の中のできた道を通って救い出され、喜びの叫びの中を勝利の前進をしたイスラエル民族でした。モーセの姉ミリアムは90歳でしたが、タンバリンを打ちたたき若い娘のたちの先頭に立って歌い踊りました。
 
 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。

 それから3日後、彼らは水が苦くて飲めない状態に直面しました。

出エジプト記15:22 モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。
15:23 彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。
15:24 民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。
15:25 モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。

 人生の縮図のような聖書の個所です。罪の世から救い出されたクリスチャンも、アーメンの信じて救われ、救いの喜びにあふれます。

 ところが信仰生活を歩み始めると、イスラエルが荒野を歩いて水が見つからず、やっと見つけた水は苦くて飲むこともできません。

 つぶやき、不平不満、泣きごと、悪口、文句を口にしてしまいます。そこには解決はありません。解決の道を示さないで問題を指摘するだけでは、単なる評論家のことばで混乱をもたらすだけです。

 大地震、大洪水、放射能漏れに支配されている現状で、テレビでも新聞、週刊誌でも国の政策や電力会社に対する批判が、そろそろ声高に言われ始めてています。

 モーセは不思議な方法で苦い水を飲める水に変え、渇きがいやされたように、いま日本は真の神の前に跪き、いままでの高慢を悔い改め、イエス・キリストの十字架と復活の力を得、平安と愛の中でいの入りつつ前進するよう祈っています。

出エジプト記15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

 その苦い水の地マラから少し進んだ所にエリムがありました。すばらしい祝福の場所でした。
出エジプト記15:27 こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。

 ほんのちょっとの辛抱です。不平不満やつぶやき、泣き言や文句、悪口を言わずに、すべてのことに感謝しつつ進むとき、どのような苦さも十字架のもとに変えられ、エリムに着くことができるのです。

 そこには12のオアシスがあり、憩いの木陰を作るナツメヤシの木70本もある大きなオアシスでした。

 汲めども尽きないオアシス、それがクリスチャン人生の秘訣です。日曜日ごとに礼拝に集う時、天国への工程を進むクリスチャンにとって、そこがエリム、日々のデボーションでの聖書のことばと聖霊に満たされた祈り、そこがエリムと同じような慰めの場なのです。

 そのような天国への行程を進むクリスチャンにとって、エリムキリスト教会でありたいと願いながら、決してく乾かないいのちの水を体験なさってください。

ヨハネの福音書

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
 
7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。

今日の午後歯、都ホテル喫茶室での集会です。月に一回第三木曜日ですが、先週は沖縄へ出かけたので、三月は今日になりました。午後3時~5時までです。