牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

サファリでライオンと出会う

2006-07-31 07:39:24 | Weblog
アフリカは野生の王国!しかし、激減する動物たち。マサイマラは肉食動物がたくさんいいることで有名。筆頭はライオンだ。マサイマラに9回来たがライオンに毎回出会って来た。一泊のサファリでライオンに出会うのは幸運だと、言われたことが何回もある。

 今回もサファリカーでサバンナを走り続けるが、しまうまやガゼールが数匹いるだけで動物の姿がない。運転手が車を止めてドアを開け、身体を乗り出して手をかざして遠方を見ている。あぶないよ!襲われたらどうするの!同乗者から声が出るが、運転手はさらに伸び上がり見つめている。

 ライオンだ!と遠くを指差したが、もちろん何も見えない。車を走らせる。いた!オスのライオンが2頭サバンナに臥せっていた。スゴイ眼力だ。同系色のサファリに伏せるライオンを遠いところから見つけたのだ。驚き感謝する私たちに、私はマサイ族。見つけて当然だとにっこり。

詩篇

34:9 【主】を恐れよ。その聖徒たちよ。
 彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。
 しかし、【主】を尋ね求める者は、
 良いものに何一つ欠けることはない。
34:11 来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。
 【主】を恐れることを教えよう。
34:12 いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、
 日数の多いのを愛する人は、だれか。
34:13 あなたの舌に悪口を言わせず、
 くちびるに欺きを語らせるな。
34:14 悪を離れ、善を行え。
 平和を求め、それを追い求めよ。
34:15 【主】の目は正しい者に向き、
 その耳は彼らの叫びに傾けられる。
34:16 【主】の御顔は悪をなす者からそむけられ、
 彼らの記憶を地から消される。
34:17 彼らが叫ぶと、【主】は聞いてくださる。
 そして、彼らをそのすべての苦しみから
 救い出される。
34:18 【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
 霊の砕かれた者を救われる。
34:19 正しい者の悩みは多い。
 しかし、【主】はそのすべてから彼を救い出される。
34:20 主は、彼の骨をことごとく守り、
 その一つさえ、砕かれることはない。
34:21 悪は悪者を殺し、
 正しい者を憎む者は罪に定められる。
34:22 【主】はそのしもべのたましいを贖い出される。
 主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。
 




マサイ族の地、サファリ観光

2006-07-30 08:10:01 | Weblog
アフリカ!と聞けば野生の王国を連想する。しかし、アフリカに行ったから野生の動物を見ることができるわけではない。保護区に守られてあるので、サファリに行かないとライオンも象も見ることはできない。

 最初のころは教会で説教し、食糧を配り、孤児たちの世話をするために来た日から駆け回り、日本に帰ってくるという状態でした。3年目ごろから神学生も同行するようになり、もしかしたら一回限りのアフリカという者もいるということに気づき、サファリ観光をケニア宣教の日程の中に、1泊か2泊入れるようにした。

 ケニアにはたくさんのサファリがあるが、やはりライオンを見ないとアフリカ!という感じがしないことにも気づいた。ナショナルパークは、象は時々見ることができる。アンボセリは草食動物天国で、象やカバがたくさんおり、白雪をいだくキリマンジェロを眺めることもできる。

 ナクル湖パークは、フラミンゴの王国と同時にサイを見ることができる。

 マサイマラ・サファリは、ライオンをはじめ肉食動物の天国。有名なのはムーの大移動。8月になるとその大移動が始まる。一度もその光景に出会ったことはないが・・・。 

 月曜日の朝早くホテルを出て、しばらくはスムーズな舗装道路だが、マサイ族の地に入るとデコボコ道で、砂埃の中をサファリカーは進む。やっと12時過ぎにサファリに到着。

 朝食を食べないまま来たのでお腹がペコペコ。サファリの昼は天国の食卓を思わせるようなバイキング。やっと美味しい食事に舌鼓を打つ・・・。ハレルヤ。感謝!

伝道者の書

5:10 金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。
5:11 財産がふえると、寄食者もふえる。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。
5:12 働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。
5:13 私は日の下に、痛ましいことがあるのを見た。所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ。
5:14 その富は不幸な出来事で失われ、子どもが生まれても、自分の手もとには何もない。
5:15 母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。
5:16 これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろう。
5:17 しかも、人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り。
  5:18 見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。
5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
5:20 こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。





来年までさようなら、パラダイスの子どもたち!

2006-07-29 07:51:46 | Weblog
パラダイスでの礼拝を終え、120名全員が用意の整った昼食の時間。ホールに座りきれない人たちも庭で食べる。食事はウガリ(ケニアの主食)やライス、チャパティ。おかずには肉じゃがや肉料理(牛肉や鶏肉、羊肉)、魚や野菜もある。さらにコーラやスプライトもある。子どもたちは目をキラキラさせて、食膳の祈りを待つ。

 全部エリム宣教会からの300ドルの支援で作られたご馳走でした。3万円ちょっとで120名がお腹いっぱい食べることができるから感謝だ。

 食事も終わり、2003年まで子どもたちが暮らしていた旧孤児院を訪ねた。今は小学校として使用されているそうだ。日曜日でもあり管理人がひとりいるだけだった。

 パラダイスにサヨウナラして、赤道まで出かける。レンタカーの運転手は赤道がどこにあるかを知らないので、ガイドになって細い山道を30分ほど走ると赤道だ。

 赤道から帰る途中、昨年できた超大型スーパーに立ち寄り、パラダイスの子どもたちへサッカーボールやバレーボールを買う。再び夕日に沈む孤児院を訪ね、不思議がる子どもたちにボールを渡すと大喜びで夕闇の中を走り回っていた。

 ルカの福音書

6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」



ケニアに小学校建設

2006-07-28 08:09:08 | Weblog
パラダイス孤児院の敷地は、2000年にケニア共和国から100年間提供された広大な土地です。

 その敷地の一角に小学校を昨年建設した。と言っても250万円くらいの予算で5クラスの学校です。ケニアは学期スタートが一月。現在は80名が学んでいる。教師は校長先生を入れて5名です。今回は授業中、5名の女性たちが教室で折り紙を教えたり、日本のことを少し説明したり、交歓のときを持ってくれた。次回はもっと準備して、英語もシッカリ学びなおして楽しい授業にしたと張り切っていた。

 私はその間、食糧配布でトルカナに行っており、学校の授業には参加できず残念だった。それでも日曜日の礼拝で小学校の先生たちにも会うことができ感謝だった。孤児院も学校もベースを備えたので、これからケニアの人々が力を合わせて立派な学校に育て上げるよう語ることができました。

箴言

  1:1 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
1:2 これは、知恵と訓戒とを学び、
 悟りのことばを理解するためであり、
1:3 正義と公義と公正と、
 思慮ある訓戒を体得するためであり、
1:4 わきまえのない者に分別を与え、
 若い者に知識と思慮を得させるためである。
1:5 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、
 悟りのある者は指導を得る。
1:6 これは箴言と、比喩と、
 知恵のある者のことばと、そのなぞとを
 理解するためである。

1:7 【主】を恐れることは知識の初めである。
 愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
1:8 わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。
 あなたの母の教えを捨ててはならない。
1:9 それらは、あなたの頭の麗しい花輪、
 あなたの首飾りである。
1:10 わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、
 彼らに従ってはならない。


ジャンボ!ジャンボ!ジャンボ!

2006-07-27 07:07:02 | Weblog
ジャンボ!ジャンボ!ジャンボ!

 スワヒリ語の挨拶はジャンボです。ハレルヤ!ジャンボでさらに交わりと友情は深まります。

 礼拝の中でも最初の挨拶はジャンボ!

 ンボアナシフエ!=主をほめよ!賛美せよ! 歓迎の拍手に迎えれれ、集まった120名ほどのケニア人にメッセージを語った。通訳はスタッフのラファエル・オウマ兄。毎回の通訳なので慣れているが、今年はメッセージをちゃんと伝えたかったので、原稿を書いて渡しました。

 ケニアにもう17年も来ているが、いつも何かくれ!何かしてくれ!と求めるばかり。ケニア人がみなそうではないが、ここはいつも何かを求めてくる。だからケニアでは名刺は渡さないようにしています。住所もメールアドレスもよっぽどのことがない限り、伝えないようにしています。

 ケニアから帰国すると手紙が届きます。あれやこれや欲しい物のリクエストが書いてあることが多くあります。

 「受けるよりも与える方が幸いです」〔使徒20:35〕とにエス様の教えを実行するパラダイス孤児院であって欲しいと訴えました。

 何年もいき続けているうちに分かったのですが、「ダメもとの国」だということです。ダメもととは、ダメでもともとでともかく言ってみようという意味です。

 今回も若く美しい女性がたくさん行きました。ほとんど全員が結婚を申し込まれました。ダメでもともとだけれども、この人と結婚したい!お願いです、ぼくと結婚してください。断られても失望しません。平気で楽しく笑いながら付き合っている。言われた方は嬉しかったり、ショックだったりいろいろだったようです。

 そんな国での礼拝説教は、大いに祝福をを受け、その祝福を神の栄光のために、分かち与える人生こそ祝福に満ちた生活であることを、そうなって欲しい願望と祈りをこめて話しました。

詩篇

63:1 神よ。あなたは私の神。
 私はあなたを切に求めます。
 水のない、砂漠の衰え果てた地で、
 私のたましいは、あなたに渇き、
 私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。
63:2 私は、あなたの力と栄光を見るために、
 こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。
63:3 あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、
 私のくちびるは、あなたを賛美します。

63:4 それゆえ私は生きているかぎり、
 あなたをほめたたえ、
 あなたの御名により、両手を上げて祈ります。
63:5 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、
 私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。
63:6 ああ、私は床の上であなたを思い出し、
 夜ふけて私はあなたを思います。
63:7 あなたは私の助けでした。
 御翼の陰で、私は喜び歌います。
63:8 私のたましいは、あなたにすがり、
 あなたの右の手は、私をささえてくださいます。





アフリカの孤児たちに愛と希望を!

2006-07-26 07:02:16 | Weblog
親はなくても子は育つ!というが、やはり子どもは親の愛により、健やかに育つと思います。

 聖書の中心的な教えに、「あなたの父と母を敬え」とあります。神を敬い愛し、その信仰で親を愛し敬うのです。尊敬できないと言う子供たちがいます。しかし、親であることを敬うのが第一義ですね。

 私は8歳まで母ひとりの手で育ちました。9歳のとき母が死に、父とに引き取られ中学を終えるまでの7年間、いっしょに暮らしました。ほとんど話もせずただ黙って過ごしたような7年間でした。

 しかし、母の愛を充分に受けていたので、ひがまずそむかず反抗もせず、種子島の田舎で健やかに成長することができました。16歳のときイエス・キリストを信じて神の子となり、豊かな神の愛に守られクリスチャンとして歩み続けています。

 1989年、アフリカのケニアに行き、それから毎年17年間もケニアに行き続けています。そのときキスムで孤児たちに合いました。孤児院とは名ばかりの掘っ立て小屋に、30名くらいが詰め込まれて生活していました。食事の様子を見ると一握の少量さ。おかずはダシジャコほどの小魚。でも子どもたちの目はキラキラ輝き、「イエス様のお名前によっていただきます!アーメン」と感謝して、あっと言う間に食べ終わる。

 11年前に自分たちで孤児院を運営し始めました。MFA(ミッション・フォー・アフリカ、代表は下川樹也牧師)の働きです。2003年にはエリム宣教会で、広大な敷地に5棟を建設して、新しい場所に移りました。

 毎年、子どもたちに会いに出かけます。昼食会をともにし、日用品(靴やシャツなど)や食料品を買出したり、今年は新しい食堂を建設することにしました。

 子ども一人が生きていくために、最低一日1ドル、月に30ドル(3200円)で生きていけるのです。毎月50名をサポートするために2000ドルは是対必要です。スタッフたちもわずかの手当てで働いています。覚えてお祈りください。

 孤児院名をパラダイスと名づけました。パラダイスとは楽園と言う意味です。イエス様を信じれば死んだ後、天国(パラダイス)へ行くことができます。同時に、神の国(天国)はあなたがたの只中にあるとイエス様は教えました。愛のあるところ、そこは天国です。孤児であってもスタッフたちの愛に囲まれ、愛に守られている幸いを毎年感じています。さらに大きな愛がこの子たちを幸せにしてくれるよう祈りながらのアフリカ宣教です。

ヨハネの福音書

14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」

アフリカ、ケニアの孤児院で子どもたちと礼拝

2006-07-25 08:29:13 | Weblog
  28:1 もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
28:2 あなたがあなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
28:3 あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
28:4 あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
28:5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
28:6 あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。
  28:7 【主】は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。
28:8 【主】は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。
28:9 あなたが、あなたの神、【主】の命令を守り、主の道を歩むなら、【主】はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。
28:10 地上のすべての国々の民は、あなたに【主】の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。
28:11 【主】が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、【主】は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。
28:12 【主】は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。
28:13 私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、【主】の命令にあなたが聞き従い、守り行うなら、【主】はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。
28:14 あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。

パラダイス孤児院で子どもたちと礼拝

2006-07-23 07:46:19 | Weblog
今月2日の日曜日はケニアのキスムにいた。前日まで熱砂のトルカナにいたのがウソのような、キスムの朝明けだった。
 ストリート・チルドレンへの食物提供や、持ってきたシャツやズボンなど数十枚だが配って歩いた。

 日本での日曜日は、学院・富雄・大阪・堺と朝9時から動き、堺から帰宅するのが午後8時過ぎになる。去年までは4ケ所で説教だったが今は3ヶ所。来週(30日)は東大阪エリムへ行く。

 朝10時半からの礼拝なので、ストリート・チルドレンにパンヤシャツを配り終わり、歩いていたら賛美の声がメインストリートのビルから聞こえてきた。中に入ると百人余の兄弟姉妹が賛美を歌いつつ礼拝している。
 昨年まではなかったので、新しい開拓教会だ。パラダイスへ行くので賛美終了とともに退出。ホテルへ帰る。

 迎えのレンタカーでマンボレオの孤児院へ向う。もう賛美の声が聞こええくる。子どもたちや村人も集い、百数十名が思い切り賛美している。
 賛美をリードしているのは孤児院で育った高校生。奏楽もマイクの調整も・・・。ハーモニカの音が聞こえる。孤児院に宿泊した姉妹たちが、ハーモニカを彼にプレゼントしたのだそうだ。それを上手に吹き鳴らしていた。

 賛美が90分くらい続き、メッセージに講壇に立ったのは、もう12時前だ。ヤベツの祈りをポイントを上げながら話す。今回は全部英語で説教した。日本語ができるオウマ氏が、スワヒリ語の通訳した。

 神様の大きな愛と恵みが注がれ、子どもたち全員だけでなく、参列者全員のために手を置いて祈ったから、昼の1時半過ぎまで祈り続けた。こんなに礼拝を楽しむ国に祝福を祈り続けています。

詩篇
84:1 万軍の【主】。あなたのお住まいは
 なんと、慕わしいことでしょう。
84:2 私のたましいは、【主】の大庭を恋い慕って
 絶え入るばかりです。
 私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
84:3 雀さえも、住みかを見つけました。
 つばめも、ひなを入れる巣、
 あなたの祭壇を見つけました。
 万軍の【主】。私の王、私の神よ。
84:4 なんと幸いなことでしょう。
 あなたの家に住む人たちは。
 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。 セラ
84:5 なんと幸いなことでしょう。
 その力が、あなたにあり、
 その心の中にシオンへの大路のある人は。
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、
 そこを泉のわく所とします。
 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
84:7 彼らは、力から力へと進み、
 シオンにおいて、神の御前に現れます。


 

アフリカの

2006-07-22 08:00:51 | Weblog
7月1日(土)夜10時前にトルカナからキスムの戻り、インペリアルホテルにチェックイン。生ぬるいお湯だったがシャワーで髪を洗ったら、バスタブに抹茶のような砂交じりの水が流れてきた。身体中の汗と砂埃を洗い流し、イエス様お休みなさい!そのまま蚊帳のベッドで熟睡。

 2日は日曜日。朝の目覚めとともにハレルヤと、ホテルの廊下と階段を巡り屋上まで数回歩き続ける。それほど歩数は伸びないが肌寒さを感じるキスムの朝でした。

 ストリート・チルドレンとの出会いをカメラマンが撮影したいというので、毎年黙って続けてきたストリートたちへのパンの提供にいっしょに来てもらった。まだ明けやらないキスムの町角に毛布ならぬ麻袋にくるまって寝ている子どもをそっと起こし、昨夜用意していた食パンと水を渡す。

 いつものことだが夢を見ているような寝ぼけ顔で受け取るが、大きなパンだと分かると目がキラキラ輝き、ありがとうと受け取ってくれる。通りがかりの大人がほほえんでくれる・・・。

 さらに次の箇所へと巡りながら20数名に配り終わるともう8時前だ。ホテルへ帰り少しだけしかないバイキングの朝食。

 なぜストリートがあんなにもたくさんいるのか?と、カメラマンたちに聞かれる。なぜ?多分、親に捨てられたか、親が死んで誰も面倒を見てくれないから・・・。あるいは一夫多妻の国で主人が子どもを身ごもった妻を捨て、そのままにしてしまったか?理由は様々だと思うが、ストリート・チルドレンが多いのが現実だ。

 夜は軒の下に寝ることを許可しているキリスト教会もあるし、子どもたちの世話をしている教会もある。しかし、厳しい経済的窮乏の中ですべての子どもを救済することはできていない。

 パラダイス孤児院も50名の子どもの養育で精一杯。ケニア共和国やキスム市役所は、いずれの国でも同じだが何もしてくれない。行政が本気になれば、何でもすぐ解決できるはずだと思うが、そうはいかないのが政治の現実なのかもしれない。大阪にも大勢のホームレスが暮らしているが・・・。

 朝食を終え、レンタカーの迎えがある10時まで、今度はひとりで町へでる。自分のスーツケースにあるシャツやズボンなどを着ているものを残してほとんど全部だ。

 通りで出会ったストリートの少年にポロシャツを差し出す。まだ肌寒い朝なのに着ているシャツは穴が空き、たった一枚だけ。喜びに顔を輝かしながらすぐ袖を通してくれた。少し大きいようだがよく似合う。

 すると通りの向こう側から何人かが駆けて来た。奪い合うようにしてYシャツやポロシャツ、ズボンを受け取ってすぐ身にまとったり、ぼろぼろに汚れたシャツの中に抱きしめたり・・・。あっという間になくなり、遅れてきた子らは自分のシャツやズボンを指差しながら、訴えかけてくる。かわいそうだがもうないよと答える以外にない。ホテルの近くまでついて来る子もいるが・・・・。

 古着をたくさん持って来れればいいのだが、外国航路の機内持ち込みはエコノミークラスは20キロまで。20キロを越えると法外な料金を要求される。以前に関空で宅急便にして送る返したこともあった。神様。この子らに衣食住を日々お与えください。

詩篇

34:1 私はあらゆる時に【主】をほめたたえる。
 私の口には、いつも、主への賛美がある。
34:2 私のたましいは【主】を誇る。
 貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
34:3 私とともに【主】をほめよ。
 共に、御名をあがめよう。
34:4 私が【主】を求めると、主は答えてくださった。
 私をすべての恐怖から救い出してくださった。
34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。
 「彼らの顔をはずかしめないでください。」
34:6 この悩む者が呼ばわったとき、
 【主】は聞かれた。
 こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。
34:7 【主】の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、
 彼らを助け出される。
34:8 【主】のすばらしさを味わい、これを見つめよ。
 幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
34:9 【主】を恐れよ。その聖徒たちよ。
 彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。
 しかし、【主】を尋ね求める者は、
 良いものに何一つ欠けることはない。
34:11 来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。
 【主】を恐れることを教えよう。

トルカナ湖からデコボコ道をキスムへ!

2006-07-21 07:41:23 | Weblog
トルカナ湖はヒスイ湖と言われるように美しい湖です。数十年前はリゾートで、ナイロビから飛行機もあり、豊かなリゾートだったようです。

 7月1日(土)の朝早くロドワーからカラコロ村に食糧を届け、トルカナ湖で撮影やパンを数十人に分かちました。

 後は、キスムに向ってひたすらにデコボコ道を走り続け。ともかく熱い(と書くほうが暑いよりもピンとくるので)、汗がだらだら流れ窓を開けると砂埃がザーと言う感じで舞い込んでくる。

 長い道中、ソフトドリンクもほとんどない。やっと見つけた集落でコーラを見つけた。ほとんど冷えていない。けれども車の中のペットボトルはお湯になっているように熱いので、コーラが美味しい。日本ではソフトドリンクは飲まないが、ここではコーラもスプライトも美味しい!

 マンゴを売っていたので、ナイフで割ってもらいかじりついたが、まだ青いマンゴはまずかった。マンゴはやはり沖縄のアップルマンゴや宮崎マンゴが最高だ。

 先日、帰国して買ったスーパーの安いマンゴは美味しかった。一個400円だったが・・・・。

 朝も昼も夜も、レストランも食堂もなく、半分断食のようなトルカナ往復だった。同乗のカメラマンも姉妹たちも一言も不足を言うことなく、揚げパンや生ぬるいコーラを感謝してくれた。

 アフリカの大地を染めて太陽が沈むころになると、トルカナを離れキタレに近づくにつれ、冷気が車に忍び込んでくる。腕まくりが長袖になり、ジャンパーやセーターをまとい始める・・・。

 暗闇の中を走り続け、やっとキスムの夜景が見え始め、午後10時前にインペリアルホテルに帰り着く。遅いチェックインを終え夕食もないまま、明日の朝、ストリートチルドレンに食事を届ける時間をカメラマンと約束して、おやすみなさい。