牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

パソコン不調でモタモタ

2013-08-31 15:21:08 | Weblog
すべての重荷を 主イエスは背負い

やさしく呼びかけ われに来たれと 

へいあん与えて 愛と喜び

すべてのわずらい 感謝に変えて



恵みは豊かに 神の義示し

すべては豊かに アドナイ・イルエ

必要ことごと 愛の御手(おんて)に

ありがとう感謝で 賛美はあふれ



すべては恵みで 聖霊満たし

十字架と復活 福音伝え

アーメン信じる しあわせな日々

罪とが消されて いのち輝く

アーメン


昨日からパソコン不調。化石人間脱出中だが、原因が分からず昼前に直してもらったが、

ブログまで書けず、明日の説教の備えとともに、いつくしみ深きともなるイエスはで歌える作詞ができました。もう100以上ができました。ある教会へ行ったら、賛美集ですと渡され、20も入っており驚きでした。推敲もせず、思いつくまま口ずさんでいます。

明日から9月、生駒聖書学院も2日から二学期スタート。恵みに恵みをまし加えられながらの9月です。

今日もまた天国の一日です。

マタイの福音書

11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」






愛の顧みは豊かに

2013-08-31 10:04:09 | Weblog
聖書の一言=創世記50:25-26 そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」と言った。ヨセフは百十歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、棺に納めた。

創世記は、1章:1節「初めに、神が天と地を創造した」で始まり、50章26節「棺に納めた」で終わります。栄光の頂上から、直滑降のV字の真下、棺で終わりです。そのどん底でのヨセフの臨終のことば、「神は必ずあなた方を顧問りみてくださる」です。

人生にもどん底があります、昨朝一番の電話は、25歳の青年自殺の知らせでした。遠方で会ったことも聞いたこともない青年の名前。一人息子で長いひきこもり、残念です。どう、ことばを語って良いかもわからないほどです。しかし、神の顧りみてくださる真実の愛はあり、家族の平安と慰めを祈る朝でした。

誰も自分のことなんか考えてくれない、こんな状態はどうにもならないと、沈み込んでもイエス・キリストの救いをアーメンと信じる勇気を出してください。朝早く出会った青年も、アーメンンと祈ってくれました。8月最後の朝、明日から9月。

ありがとうございます。愛なる神の豊かな顧りみの、今日もまた天国の一日です。感謝します。


許しの愛あるところに平和が

2013-08-30 05:59:53 | Weblog
聖書の一言=創世記50:19-20 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。

何と言う高貴で高尚なことば!許しません。死んで幽霊になって、化けて出てもという日本的怪談もあります.

恨み骨髄、江戸の仇を長崎でと、親や不都合なことをした人が死んでいるのに、恨みに思い憎しみで今の不運を嘆くこともあります。許しなさい。ヨセフのように!

すべては益とされ、どんなこともプラスに変えられ、良いことのための計らいとなさってくださる真の神、愛の神がおられます。

新世界で遊び、堕落の淵にいたものが、イエス・キリストを信じて今は、立派な牧師となり、教誨師として全国的に活躍している生駒聖書学院卒業生もいます。

「それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした」きょう、恵みによりいのち生かされ、生きているのは、人を裁き恨みを晴らすためではなく、多くの人の幸せに仕えるためです。そのように、恨みも憎しみも消え去り、ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。

ヨセフのことを創世記37章(38章はユダ)から50章まで、毎日、聖書の一言で明日までかきます。

波乱万丈、ハリウッド映画にしたら大ヒット(もし映画になっていたら教えてください)だと思います。

最後の章では、兄たちが父ヤコブが復讐はするなとい残したと、ヨセフに許しを求める変わりに、まだ自分たちをかばおうとしています。

創世記


50:15 ヨセフの兄弟たちが、彼らの父が死んだのを見たとき、彼らは、「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない。」と言った。



50:16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った。「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました。

50:17 『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪いことをしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい、と。』今、どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください。」ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。

50:18 彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「私たちはあなたの奴隷です。」

すなおにごめんなさい。すみません。と言えない人間の姿がここにあります。4000年の前の出来事ですが、現代もいたるところで繰り返されている、自己正当化、責任逃れのすがたです。

それに対してヨセフは(私たちもそうでありたい)答えました。

創世記50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。

50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。

受けるよりも与えるほうが幸いです。フランチェスコの祈りを思います。

ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
アーメン。

ありがとうございます。今日もまた、ゆるしと愛と平和の天国の一日です!感謝します。



笑顔輝く天国の日々

2013-08-29 18:24:18 | Weblog
恵みの日は来た 十字架の上で
テテレスタイ(すべては完了)との み声とともに
罪とが赦され 神の子とされ
のろいと病も すべて消えゆく

アーメン信じて とわ(永遠)のいのちの
へいあん喜び  豊かさあふれ
すべてに感謝で 賛美ささげる
笑顔は輝き 今日も天国
...
福音伝えて 世の終わりまで
主イエスはともなり 恐れはあらじ
御霊に満たされ 輝きあふれ
新たないのちで 今日も天国
アーメン



レストラン・サンマルクから誕生日の案内があり、連れて言ってもらいました。家内は末期がん余命一年を宣告され、3年目の夏を生かされ、レスとランなど行ったことはありません。

私は8月24日で退院2年目を迎え、9月2日が誕生日。家内からのプレゼントとのことで、

二人ともあまり食べられないけれども、作りたてのパンと料理のサンマルクへ行き、久しぶりに三人いっしょのランチタイムでした。

今日もまた天国の一日です!と、生かされています。死んでも天国、生ききていても天国です。

夕方も駐車場で出会った奥さんに声をかけたり、レストランやコンビニでも、天国から追い返された牧師ですと、自己紹介しながら今日は三人との出会い。

ボツボツですが、福音に仕えています。7時には下関から大学生が、顔を見せに訪ねてくれるようです。幸せを祈り続ける、祝福の天国の日々です。感謝します。

過去に責められて

2013-08-29 03:50:14 | Weblog
聖書の一言=50:15 ヨセフの兄弟たちが、彼らの父が死んだのを見たとき、彼らは、「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない。」と言った。

人は自分のしたことを忘れないものです。人からされたことも忘れませんが。

赦しますと言い、赦しましたよ。と言われても、今自分が幸せでないのは、あんなことをされたから。またしたからだと、悔み悩んでいます。

口では強がりを言っても、夜眠れなかったり、良心の責めを感じたりします。また、自分のしたことを棚に上げて、相手を許さず責め続けたりもします。そのいずれにも、真の平安はありません。

聖書は、イエス・キリストの十字架により、したこともされたことも、されたことも古い過去はすべて赦され、新しくなったと宣言しています。

その十字架の救いを、アーメンと言えば救われます。その救いは今日も全世界で伝えられ続けています。大阪の新世界でも・・・。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。

コリント人への第一の手紙

1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」

1:20 知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。

1:21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

1:22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。

1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

1:24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

1:25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。

1:31 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。






死を迎えるとき

2013-08-28 04:57:15 | Weblog
聖書の一言=創世記50:1 ヨセフは父の顔に取りすがって泣き、父に口づけした。

人生最後の時があります。人類の歴史5000年、死を経験しなかったのは、エノクとエリヤの二人だけ。

神が人間となって下さったイエス・キリストは、最も残酷な十字架の死を味わい体験し、死の力を持つ悪魔を滅ぼし、3日目に復活し、死を克服しました。

そして、アーメンと信じる者は肉体の死を越えて、その霊魂は永遠の天国へ。やがての再会はあるけれど、愛する者の死は、人類共通の嘆き悲しみです。

家内が2011年夏、余命一年を宣告され、3年目の夏を生かされています。主治医は医者が余命を宣告したら取り消せませんとのこと。

私は左右脳内出血、小脳内梗塞、二人とも死を前にしながら生かされています。その日が来ることは確実ですが、世の終わりまであなたと共にいるとの、復活の主イエス様を信じ信頼し愛しています。

家内は14歳、私は16歳の時クリスチャンになりました。牧師となり結婚し、来年は50年を迎えます。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)


まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5:24)

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。(ヨハネ10:28)

聖書とイエス様の約束を、素直にアーメンと信じ、信頼しながらの日々です。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

恵みと愛との 光り輝き

主イエスのみちから(御能力) 豊かに受けて

今日も天国 平安に満ち

喜び感謝で すべてが益に



主イエスの愛の手 豊かないやし

のろいも病も 十字架の上に

貧しさと死さえ ことごと去りて

ありがとう感謝で 天国の日々



死の日が来るとき ハレルヤアーメン

天使もともにあり マハナイムこそ

主イエスの約束 真実なれば

裏を見る恨みから、表を見る感謝へ

2013-08-27 06:32:12 | Weblog
聖書の一言=創世記49:28彼は彼らを祝福したとき、おのおのにふさわしい祝福を与えたのであった。

運が良かった悪かった、因縁因果だ、ついているということを、良く聞きますが、聖書で人生は、神の愛の摂理で導かれていることを教えています。

25歳のとき、理髪店で、奥様が刺繍をしており、その裏側には刺繍の糸があり、何かよくわかりません。表を見せてもらったら、刺繍の美しい風景画でした。

人生にも訳の分からないような裏側があります。しかし、すべての出来事は災い不幸ではありません。

イエス・キリストの十字架を信じるとき、人生はすべてがプラスに変えられ、益となり輝きはじめます。アーメンと信じて見ましょう。すばらしい人生が始まります。

8歳で母と別れ、9歳でその母は死にました。16歳で十字架のいのちを捨て、愛してくださるイエス・キリストのことを聞き、しかも三日目に復活されたという。

アーメンと信じるなら、神の子にしてくださり、永遠のいのちをくださり、決して離れず見捨てず、友としていつもともにいてくださると聞き、その日に種子島の海岸でバプテスマを受け、クリスチャンになりました。

25歳のあの刺繍を見た日、聖書の約束をシッカリ受け止め、自分の人生のすべてを肯定しました。その日以来、裏を見ないで、すべては神の栄光と感謝し、すべてをありがとうと受け取りました。恨み(裏を見る)は消え、神の愛でばら色の未来を(信じ告白し)見る天国に向かう日々です。今日もまた天国の一日です。感謝します。

その経験を、同郷の詩人濱田龍郎兄が詩に作り、種子島の歌手笹川満夫兄が、作曲し歌い、CDにしてくれました。

今日もまた天国の一日

信じる者は救われる 永久に変わらぬ信仰を

誓ったふるさと種子島 バプテスマの海忘れない

今日もまた天国の一日 今日もまた天国の爽やかな一日

3番まであります。優しく包み込むような笹川満夫の歌声です。

お聞きいただければ、お贈りいたします。榮義之までお申込みください。

今日もまた天国の一日です。全能の神の愛に守られ、神のご摂理の中で幸せに輝いてお過ごしください。アーメン。

エレミヤ書 29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げ。--それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

31:3 主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。

今日8月26日は、二人の母の命日

2013-08-26 09:48:41 | Weblog
今日8月26日は、母と義母の命日です。

畑で、トンボとりをしていました。となりのおばさんがお大きな声で呼んでいます。大急ぎで家に駆け込みました。

母は長く病の床にありました。病院は無く、薬を買うこともできない中でした。やせ細った手で、真っ黒に焼けた腕を握り、義之、ごめんな。あとをたのみ・・・・。最後のことばでした。

真夏日の翌日、母38歳の野辺の送り。白木の墓標が立てられお終い。ますますもの言わぬ子どもになり、人は死んだら終わり、愛も優しさも、肌のぬくもりもなし。

それから6年後、15歳の夏8月26日、引き取って育ててくれた義母(白髪だったので場跡しか思わず、一度も呼んだこともない無口の子でした)の死でした。

実母の死ねばお終いと人生の悲しさを体験しましたが、義母の時は、小さい村で初めてのキリスト教葬式。

 賛美歌を聞くうちに、永遠を思わされました。

海ゆくとも 山ゆくくも わが霊(たま)のやすみ いずこにか得ん

うきことのみ しげきこの世 なにをかもかたく たのむべしや

死ぬるも死の 終わりならず 生けるもいのちの またきならず

うきこの世に かわるかの世 としなみは寄せず 愛はつきず

不死のやすみ またき愛の 生命(いのち)は主よただ きみにぞある

アーメン 

野辺の送りが終わり、二学期の始まり、最上医院の家庭集会に出席、その年の11月24日に、種子島の海岸で洗礼を受け、クリスチャンになりました。

今日、ひとり静かに実母と義母の死を覚える記念日です。来週2日は72歳の誕生日。ここまで生かされている恵みに感謝し、ありがとございます。今日もまた天国の一日です!

ピリピ人への手紙

1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。

1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。

1:26 そうなれば、私はもう一度あなたがたのところに行けるので、私のことに関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。



天のお父様!

2013-08-26 06:02:34 | Weblog
聖書の一言=創世記49:25 あなたを助けようとされるあなたの父の神により、また、あなたを祝福しようとされる全能者によって。その祝福は上よりの天の祝福、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福。


父親のいない息子は、苦難と試練の中にあり可哀想だと相談を受けました。

天に父を持つ、大らかな息子に育てるよう、エペソの手紙やマタイの福音書から、聖句を送りました。



私も8歳まで父を知らずに育ち、8歳のとき母は死にました。親はなくても子は育ちます。9月2日で72歳。今も育ち中?です。

実の父が素晴らしければ言うことなしです。しかし、聖書の教える唯一の真の神を父とし、その神の子であることは筆舌に尽くせない喜び、平安です。

助けと守りは豊かで、祝福は三拍子も、四拍子も含めて豊かです。祝福の約束だけでも豊かになります。

イエス・キリストの十字架の救いを、アーメンと信じるだけで、その祝福は、天からの霊的、地上からの現実(精神的、物質的、肉体的)を満たしてくれます。そして、永遠の天国の祝福です。祝されつつ、今日もまた幸せな天国の一日です!感謝します。

エペソ人への手紙

1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。

1:6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

1:7 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。

悪魔や悪霊が原因と言わないで

2013-08-25 05:58:38 | Weblog
聖書の一言=創世記49:23-24 弓を射る者は彼を激しく攻め、彼を射て、悩ました。しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルの岩なる牧者による。

創世記は50章、後半12章がヨセフの記録です。試練や困難、悲しみの中を歩みましたが、すべてが益となり、祝福と繁栄、ゴールデンルールに生きた記録です。

弱さという字は、弓が二つあり、しかも羽も二つあります。回りから強く攻められられたり、悩まされたりします。全能の愛の神は、その御手で守り支え、平安と同jにすべてを勝利に導いてくださいます。

それはヨセフの時も、4000年後の今も変わらず、イエス・キリストの十字架と復活、聖霊の助けにより現実に実現します。

「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(コリント人への第二の手紙12:9-10)

とある通りです。弱さは恥ではなく、むしろ感謝であり、「私が弱い時にこそ、私は強いからです」は真実です。

今朝は退院2年目の朝を迎えています。左右脳内出血、小脳内梗塞、肉体の弱さをシッカリ体験している日々です。自分だけでなく家内も、友人たちや教会員にも、肉体だけでなく様々な意味で弱さを持つ者があります。

生駒聖書学院も、エリムキリスト教会も、それは恵みであり、常に平安であり、悪魔や悪霊との戦いでもなく、イエス・キリストに有って生きる祝福と信じています。

霊的戦いあを否定はしませんが、それに捕えられてすべてを悪魔や悪霊のせいにする現今のキリスト教会の生き方は不思議です。

生駒聖書学院で教えを受けた卒業生たちが、健全な聖書の教えから逸脱しないようにと祈りながら、9月2日の二学期を待つこのころです。

十字架のより滅ぼされた悪魔を恐れないで、主がともにおられる喜びを日々体験したいものです。

小学3年生のとき、同級生に石を投げられ逃げました。すると5年生のお兄ちゃんが、両手を広げてかばいながら、義之に石を投げると、ぼくが許さんぞ!と強く言うと、腕白どもが雲の子を散らすように逃げ去り、その日から誰も意地悪をしなくなりました。

16歳でクリスチャンになり、もうすぐ72歳(9月2日)まで、5年生の先輩ならぬ、十字架のいのちを捨て、3日目に復活されたイエス様は、いつもともにおられて「わたしはあなたを見捨てず、離れない。世の終わりまであなたと共もにいる」と、聖霊によって常に臨在され、共におられます。

「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした」(ヘブル2:14-15)

十字架により滅ぼされた悪魔を恐れないで、イエス様とともにある平安を常に体験してください。

悪魔は嘘ツキの父(ヨハネ8:48)で、欺きの天才です。騙され欺かれないように、くらまさらないようにしてください。すべての問題を悪魔のせいにしてはいけません。霊的問題の原因を悪魔だと言うのは、アダム以来の人間の罪の性質です。問題の本質は自分の罪が原因です。エデンの園のアダムのように責任放棄、責任転嫁しているのです。

イエス・キリストは第二のアダムとして、すべてを十字架に背負いいのちを捨ててくださいました。

アーメンとイエス様を心に受け入れるだけで救われます。日本がすくわれるために、十字架の救いを語り続けている日々です。

すべてのことに感謝し、今日もまた天国の一日です。ありがとうございます。素晴らしい礼拝の一日です。

ぜひお近くのキリスト教会へ、お出かけください。

学院教会は、午前10時より。大阪エリムキリスト教会は、午後2時より。

ヘブル人への手紙

2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、

2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。

2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。

2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。