牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

肺がん告知、余命一年と宣言されて

2011-11-30 09:54:26 | Weblog
嬉しい朝です。目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!これは主がなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。

 この日は主が造られた日である。この日を楽しみ喜ぼう! 主の恵みは朝ごとに新しい。その真実は絶えることはない。

 今は恵みは絶えることはなく、いつまでもともにおられるイエス様に愛され、守られながらの感謝の朝です。

 今日は家内の定期検査の日です。いつも近畿大学奈良総合病院までの送迎ですが、今日は自分で運転して行くと張り切っています。

 8月11日に肺がん末期の診断でした。思いがけないことで驚き主治医に余命は?と聞くと、驚いて行ってもよいですかとのこと。家内も動じることなくお願いします。医師はそうでうね一年です。手術も放射線治療も抗がん剤も効果がありません。

 イレッサを二週間試してみましょう。8月25日まで副作用もなく、その後少しだけ副作用が出たので一ヶ月でイレッサを中止しました。

 幸い、メディカル・イ―ティングを知り、親切に肺がん用食材を教えてもらい、忠実に実行し、限られた温野菜だけの生活になりました。ガンに栄養をやらないとの基本的な考えで、生野菜も果物も、当然肉も野菜もだめで、限られた野菜だけの日々になりました。

 同時に、今まで愛用していたSODも多量に使用し、グッドワーク研究所もメディカルセンターも、SOD(活性酸素除去酵素)効果に驚き、家内も愛用して続けています。

 しかし、何よりもイエス・キリストの十字架の打たれた傷により癒されたことを確信していることです。

 アーメンと信じると救われます。イエス様を心にお迎えすると、神の子となり永遠のいのちが与えられます。

 ですからたとえこの肉体が死を迎えるとも、永遠のいのちがあるから天国の生きことができるのです。

 ですから死は厳しい現実ですが、その死を越えて永遠に天国へ召されるのです。その日がいつであるか分からないから恵みなのです。

 ところがガンは余命いくばくと宣言されるので怖い宣言になるのです。以前はガン宣言をしないのが医学の常識でした。

 今はガンの告知は常識?になってきました。余命も知りたい人が多くなりつつあります。余命一年と言われて感謝しますと答える牧師夫妻に医者も驚きの顔でした。

 しかし、聖書には死を通告され、祈って余命15年を与えられた人物があります。家内もその個所を信じて、聖書どおりのいやしの確信を与えられ、祈りの中で平安に暮らしております。

イザヤ書 38:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」

38:2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、

38:3 言った。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。

38:4 そのとき、イザヤに次のような主のことばがあった。

38:5 「行って、ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう。
   
 聖書のことばを自らへの語りかけと信じ、「ありがとうございます。15年の余命が与えられ長寿が約束されました!感謝ます」と受け止めています。

 いずれにしろ神のみこころのままに日々を感謝しつつ、平安に過ごす恵みは最高の喜びです。

詩篇

23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 
 
 
 

勇気を出して

2011-11-29 10:59:59 | Weblog
今朝は、先ほどまで「原発ゼロ・生駒の会」準備会の方が訪れ、原発ゼロについてのお話しをしていました。

 濱田龍郎詩集・浦上の丘に登ればより引用します。

勇気を

勇気を出してください
もっと大声で叫んだらどうですか
あなたには夢が有るはずです
守ってやりたい人が居るはずです

今は、
黙っているほうが楽だけど
楽しいことが見えるけど
今だから、
終わりない 未来へ続く
今だから・・・・。

勇気を出してください
もっと大声で叫んだらどうですか
あなたには夢が有るはず
守ってやりたい人が有るはず

テサロニケ人への第一の手紙

5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。

5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。

5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。

5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

なくそう原発!生駒市民集会

2011-11-29 09:12:49 | Weblog
なくそう原発!

安全な暮らしと、安心して子育てできる地域社会を!

日時;12月17日(午後1時半) 生駒市民集会

会場;生駒図書会館

 若狭湾にある原発から、100キロ圏内にある生駒市民として、危険な原発を無くすために考えて行きましょう。
声を上げて行きましょう。
行動して行きましょう。

映画=あしたが消えるーどうして原発?-

 市民からのアピールで、牧師としての発言を依頼され、日ごろ考えいのっていることを話す機会が与えられ感謝しています。
 

美しい出会い種子島を思う朝

2011-11-28 06:28:17 | Weblog
一筋の光りに導かれし

心は故郷種子島の

大海原をたゆとう波のよう

心穏やかに

温かき空気抱(つつ)まれる

感謝!


 美しいメールが入りました。種子島を同郷とする出会いが続き、種子島原人さんからの未明のマールで、新しいマンガ「今日もまた天国の一日」も、ダウンロードで無料公開されました。
 
 画面が薄く字がハッキリしないのが少し残念ですが、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」動画もダウンロードすると見ていただけます。

 幸い、マンガを読んで洗礼を受けてクリスチャンになった方もあり、イエス様の救いの福音がパソコンでも届けられる恵みに感謝しています。

 無料ダウンロードまんが「歌えない踊れない無口な牧師物語」&「今日もまた天国の一日」

http://www.dlmarket.jp/default.php/manufacturers_id/6777/price/1
 
 同時に、書きもアクセスください。種子島情報満載のページです。

種子島原人 http://genjin3.web.fc2.com/
ブログ種子島原人 http://gold.ap.teacup.com/genjin/ 
種子島の動画 http://www.youtube.com/profile?user=genjin3#g/u

 地上にあっても故郷がこんなに懐かしく、また同郷の方々との出会いが楽しく幸せに満ちているこのころですが、天の故郷をもともにして頂けることを心からの願いとして祈っている日々です。

 この地上の生活にはいつかさようならします。そのとき千の風になったり、いつか分からない輪廻を待つのではなく、魂の故郷である神の国=天国を持つ幸いをすべての人に体験してほしいのです。

 人はいつかな死にます。この地上でどんなに長生きしても、いつかはこの世界から別の世界へ移るのです。その行き先がハッキリしていると安心です。

 聖書には天国があるとハッキリ教えられています。この地上での旅でもホテルに予約していれば安心です。

 いわき市へンティアで行った時も、なかなか部屋は見つかりませんでした。小名浜グリーンホテルが予約受け付けてくれたので、安心して到着し歓迎されました。

 あなたの死後の行き先は決まっていますが?

 今日もまた天国の一日です!種子島同郷の多くの出会いを感謝しつつ、先に召された方々との天国での再会を思いつつ、天に望みをつなぐ喜びと感謝の朝です。


ヨハネの福音書3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。

3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。

3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。

3:21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。


10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

 

無料ダウンロード、まんが「歌えない踊れない無口な牧師物語」

2011-11-27 08:31:52 | Weblog
未明に目覚め少し気になりメールをチェック。

 無料ダウンロード、まんが「歌えない踊れない無口な牧師物語」 

http://www.dlmarket.jp/default.php/manufacturers_id/6777/price/1

 ダウンロードを自分で体験してくださいとの、種子島原人さんからのメールでした。

 「歌えない、踊れない、無口な牧師物語」を2年前に三万部発刊し、残部が100冊くらいになり、再版の予定も無く、パソコンでダウンロードすれば読めるので感激でした。

 来週には新しいマンガ「今日もまた天国の一日」(しばたまき作画)も、ダウンロードしてくださるとのことで、感謝感激です。

 種子島原人動画「http://www.youtube.com/profile?user=genjin3#g/u」でも、マンガ「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」が、ナレーション動画で配信されています。

 種子島原人さんにより、多くの良い出会いが与えられ続けています。

 詩人でボランティア九州ラーメン党の濱田龍郎さんとは、いわき市へのラーメン炊き出し1000食に同行できました。

 帰路には生駒聖書学院で、ボランティア理論や誌の作り方まで指導してしていただき、神学生一同も感激でした。
 
 12月6日よりいわき市へのボランティアを予定しているので、体験的な教えはすごく実際的でした。

 エリムキリスト教会は年度替わりが11月最終日曜日です。一年間のさまざまな恵みに感謝し、新しい気持ちでクリスマスを迎え、2002年に備えます。

 今年も洗礼を受けてクリスチャンとして人生をスタートした兄弟姉妹も加えて、聖書学院教会も大阪エリムキリスト教会も、今朝礼拝説教する富雄キリスト教会、夕方の堺エリムキリスト教会もともどもに恵みの中で前進しております。

 「信じてバプテスマを受ける者は救われます!」(マルコ16:16)

 イエス・キリストの約束です。十字架の上にいのちを捨て、全人類のすべての罪や咎、悩みや苦しみ、病や呪い貧乏、死と滅びを自分の身に引気受け、すべてが完了(テテレスタイ)してくださいました。

 死んだままだったらそんままでしたが、「たしはよみがえりでありいのちです」との宣言どおり、三日目の朝に死を打ち破り復活されました。

 イエス・キリストは、昨日も今日もいつまでも変わらず、生きて働いてくださる救い主です。

 この方をアーメン信じますと心にお迎えした瞬間、救われて新しい人生を歩み出すことができるのです。

 1957年11月24日に、種子島の教会前の城之浜海岸で洗礼を受けてクリスチャンになりました。

 見よ。わたしは世の終わりまであなたとともにいます。約束どおり聖霊に満たされ続ける恵みの日々です。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。アーメン。


ヨハネの福音書

15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。

15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。

15:15 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。


確信を持って生きよう

2011-11-26 08:55:53 | Weblog
 アメリカがまだ開拓時代のこと、ひとりの旅人がミシシッピー川沿いを向こう岸へ渡ろうと思いました。渡船もなく橋もなく上流へ歩くだけでした。

 歩き続けるうちに川に氷が張っている所まで来ました。石を投げたり杖で突いたりし、なんとか渡れそうだと思い、恐れ恐れ四つん這いで渡りはじめました。

 寒さと冷たさに苦しみながら川の中ほどまで来た時、陽気な歌声とカラカラと馬車が通り過ぎて行きました。

 それを見た旅人はすっくと立ち上がり、恐れなく川を越えて向こう岸へ着くことができたのです。

 アーメンと信じてバプテスマを受け、クリスチャンとしての第一歩を踏み出したのが16歳の時でした。

 種子島の城之浜海岸で、11月24日の洗礼を受けました。月曜日に学校へ行くと男子生徒にぐるっと囲まれ、何事かと真っ赤(当時赤面恐怖症)になりました。

 一番身体の大きい番長がにやにやと笑いながら、おまえのアーメンになったんか?と言うと、みんなが声をそろえてアーメン・・・・ンと冷やかしました。

 一人の級友が寒い海岸で海のい入って行く姿を見たので、後をつけたらキリスト教会へ戻ったので、よく朝あいつはアーメンになたぞと言いふらしてくれたのです。

 
 真っ赤になりましたが、洗礼を受けたのは事実ですから、そうだ!僕はアーメンになったんだ。みんなもキリスト教会へ行こう!と、蚊のなくような小さな声で答えました。

 幸いその日以来、冷やかす者もなく、いつも月曜日は昨日教会へ行ったかと問われるようになりました。

 ちょうど同じころ、高校に寮ができ寮生活が始まりました。ある日、柔道五段の舎官が腕組みして前に立ち、おまえキリスト教会に行っているのか?と言われ、ハイと答えました。

 すると、主われを愛す。主は強ければ・・・・わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、われを愛すと歌い、この歌知っているか?とのこと。

 知りませんと言うと、日曜学校で良く歌ったぞ。おまえ礼拝に休まずに言っているか。もちろんハイと答えると、夜の集会は?え!門限がありますし・・・・。良しおまえは夜も教会へ行けと特別許可でした。

 寮の先輩たちもクリスチャンだったらこれくらいの本は読むべきだと、キリスト教的な書物を貸してくれたり応援してくれました。

 そのような楽しい高校生活の中で、恐る恐るの信仰生活ではなくて、クリスチャンとして認められ、礼拝も休めない恵みの中でのスタートでした。

 洗礼を受けて55年目を迎え、種子島原人さんのホームページで紹介され、多くの種子島出身の方々との出会いが与えられ続けている日々です。

 十字架の上にいのちを捨ててまで愛してくださったイエス・キリストの救いを、アーメン信じますと告白し、ひとりでも多くの方がバプテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンになってほしいと祈り願いつつの日々です。


ヘブル人への手紙

10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。

10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。

10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

確信を持って生きよう

2011-11-26 08:55:53 | Weblog
 アメリカがまだ開拓時代のこと、ひとりの旅人がミシシッピー川沿いを向こう岸へ渡ろうと思いました。渡船もなく橋もなく上流へ歩くだけでした。

 歩き続けるうちに川に氷が張っている所まで来ました。石を投げたり杖で突いたりし、なんとか渡れそうだと思い、恐れ恐れ四つん這いで渡りはじめました。

 寒さと冷たさに苦しみながら川の中ほどまで来た時、陽気な歌声とカラカラと馬車が通り過ぎて行きました。

 それを見た旅人はすっくと立ち上がり、恐れなく川を越えて向こう岸へ着くことができたのです。

 アーメンと信じてバプテスマを受け、クリスチャンとしての第一歩を踏み出したのが16歳の時でした。

 種子島の城之浜海岸で、11月24日の洗礼を受けました。月曜日に学校へ行くと男子生徒にぐるっと囲まれ、何事かと真っ赤(当時赤面恐怖症)になりました。

 一番身体の大きい番長がにやにやと笑いながら、おまえのアーメンになったんか?と言うと、みんなが声をそろえてアーメン・・・・ンと冷やかしました。

 一人の級友が寒い海岸で海のい入って行く姿を見たので、後をつけたらキリスト教会へ戻ったので、よく朝あいつはアーメンになたぞと言いふらしてくれたのです。

 
 真っ赤になりましたが、洗礼を受けたのは事実ですから、そうだ!僕はアーメンになったんだ。みんなもキリスト教会へ行こう!と、蚊のなくような小さな声で答えました。

 幸いその日以来、冷やかす者もなく、いつも月曜日は昨日教会へ行ったかと問われるようになりました。

 ちょうど同じころ、高校に寮ができ寮生活が始まりました。ある日、柔道五段の舎官が腕組みして前に立ち、おまえキリスト教会に行っているのか?と言われ、ハイと答えました。

 すると、主われを愛す。主は強ければ・・・・わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、われを愛すと歌い、この歌知っているか?とのこと。

 知りませんと言うと、日曜学校で良く歌ったぞ。おまえ礼拝に休まずに言っているか。もちろんハイと答えると、夜の集会は?え!門限がありますし・・・・。良しおまえは夜も教会へ行けと特別許可でした。

 寮の先輩たちもクリスチャンだったらこれくらいの本は読むべきだと、キリスト教的な書物を貸してくれたり応援してくれました。

 そのような楽しい高校生活の中で、恐る恐るの信仰生活ではなくて、クリスチャンとして認められ、礼拝も休めない恵みの中でのスタートでした。

 洗礼を受けて55年目を迎え、種子島原人さんのホームページで紹介され、多くの種子島出身の方々との出会いが与えられ続けている日々です。

 十字架の上にいのちを捨ててまで愛してくださったイエス・キリストの救いを、アーメン信じますと告白し、ひとりでも多くの方がバプテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンになってほしいと祈り願いつつの日々です。


ヘブル人への手紙

10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。

10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。

10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

Go! Go! で、クリスチャン生活55年目の朝です

2011-11-25 09:04:22 | Weblog
朝の目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!と、さわやかに広がる青空に向かって叫び,
賛美歌を口ずさみつつチャペルへ歩いていました。

ああうれし、我が身も 主のものとなりけり
浮世だにさながら 天つ世の心地す

歌わでやあるべき 救われし身の幸(さち)
たたえでやあるべき 御救いのかしこさ

残りなく御旨(みむね)に 任せたる心に
えも言えず妙なる 幻を見るかな


胸の波収まり 心いと静けし
我もなく世もなく ただ主のみいませり

 1957年11月24日の朝の礼拝で、十字架の救いをアーメンと信じ、洗礼を受けて55年目の新しい日です。

 これは主がなさったことだ。私の目には不思議なことだ!この日は主が造られた新し一日、
今日もまた天国の一日です!

1957年11月24日(日)種子島の西之表キリスト教会で、神が愛であり、その愛の印としてイエス・キリストが十字架上で死なれたことを深い感動でお聞きしました。

 母は限りない愛を注ぎ育ててくれましたが、小学四年の夏に病に勝てず37歳の若さで死にました。

 好きだと言ってくれるガールフレンドや、大切にしてくださる方も周りにありましたが、イエス・キリストは命を捨ててまで愛し、すべての罪を十字架に引き受け、三日目に復活されました。
 
 その十字架での赦しの愛は永遠に変わらず、その日の礼拝でアーメンと信じ、城之浜の海岸でバプテスマを受けクリスチャンになり54年、大きな恵みをいただき今日まで支えられております。
 
 その救いをしばたまき神学生が見事に描いてくれました。

 マンガ「今日もまた天国の一日」(しばたまき作画・24ページ、定価300円)

 アマゾンでも購入できますが、ご連絡くだされば一冊贈呈いたします。下記メールまでご連絡ください。

elimyoshi@kcn.jp

マンガ「今日もまた天国の一日」発刊

2011-11-24 07:45:19 | Weblog

 1957年11月24日(日)種子島の西之表キリスト教会で、神が愛であり、その愛の印としてイエス・キリストが十字架上で死なれたことを深い感動でお聞きしました。

 母は限りない愛を注ぎ育ててくれましたが、小学四年の夏に病に勝てず37歳の若さで死にました。

 好きだと言ってくれるガールフレンドや、大切にしてくださる方も周りにありましたが、イエス・キリストは命を捨ててまで愛し、すべての罪を十字架に引き受け、三日目に復活されました。
 
 その十字架での赦しの愛は永遠に変わらず、その日の礼拝でアーメンと信じ、城之浜の海岸でバプテスマを受けクリスチャンになり54年、大きな恵みをいただき今日まで支えられております。
 
 その救いをしばたまき神学生が見事に描いてくれました。

 マンガ「今日もまた天国の一日」(しばたまき作画・24ページ、定価300円)

 アマゾンでも購入できますが、ご連絡くだされば一冊贈呈いたします。下記メールまでご連絡ください。

elimyoshi@kcn.jp


詩篇

32:1 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。

32:2 幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。

32:3 私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。

32:4 それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ

32:5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ

32:6 それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。

32:7 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。セラ

32:8 わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。

32:9 あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押えなければ、あなたに近づかない。

32:10 悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。

32:11 正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。



人生かきくけこ

2011-11-23 10:44:36 | Weblog
詩人の濱田龍郎先生は講義の中で、生き甲斐は人生かきくけこ五カ条だと語られました。

か(い)甲斐

き(い)奇異

く(い)悔いなし

け(い)敬する

こ(い)恋

 聴きながら自分の、かきくけこも考えました。

か=感動、感謝で輝いて

き=奇跡を信じ、気軽に気楽に気持ちよく

く=悔いるときにも苦にせず苦楽をともに

け=健康で敬し敬虔に仕えつつ

こ=幸福に満たされ恋し、愛し合う。

イエス・キリストを信じる幸せを思う、収穫感謝の日の朝です。


詩篇

3:1 主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
4:7 あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。

4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。


5:1 私の言うことを耳に入れてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。

5:2 私の叫びの声を心に留めてください。私の王、私の神。私はあなたに祈っています。

5:3 主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。

5:4 あなたは悪を喜ぶ神ではなく、わざわいは、あなたとともに住まないからです。

5:5 誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行なうすべての者を憎まれます。

5:6 あなたは偽りを言う者どもを滅ぼされます。主は血を流す者と欺く者とを忌みきらわれます。

5:7 しかし、私は、豊かな恵みによって、あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。