牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

生きているだけで奇跡

2016-09-30 19:58:51 | Weblog
目覚めの瞬間、恵みの朝に、いつも感謝と声にします。すべての悩みや問題、試練など何事でも、すべてのことに感謝することで、解決する恵みを体験し続けて来ました。
生きているだけでも感謝だと入院中も感謝し、右脳内出血が一ヶ月で痕跡もないほど完璧に完治し、脳外科の専門医二人がMRIやCT検査を示しながら、奇跡ですよと言ってくれたことも覚えながら。
4年前ですが、リハビリの主治医もすぐ退院許可を出し、近くの内科医もデータを見ながら、さすが牧師さんですね。不思議なくらいですと完治を喜んでくれました。
4年後の今も左足のしびれがあり、ほっておけば治りますよと医者に言われながら、左足をさすりつつ、今日は6000歩きました。目覚めとともに、神様感謝します!左足がスッキリ直りました。感謝の告白です。自分の体に感謝することは、素晴らしいですね。歯の治療も終わり、歯があるだけでも感謝。流動食も終わり、食べられるだけでも感謝。岡田哲也歯科医に足首回しを教えてもらい、しびれもすぐ消え、普通に歩ける恵みの健康。
思い切り自分の体に感謝し、しびれを感じたら直ぐ、神様いのちをありがとうございます。左足を感謝します!そう告白し、どうですか?と問われたら、ありがとうございます。左足がと言わないように、言葉が話にくいといわないように気をつけています。病は気から、気は言葉から・・・・。
ヤコブの手紙3:2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です=言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。

テサロニケ人への第一の手紙5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます



復活の事実

2016-09-30 19:48:57 | Weblog
マルコの福音書16:6 青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
サザエさんの著者、長谷川町子さんはクリスチャンです。初めて聖地旅行でイスラエルへ行った時、イエス・キリストの葬られた墓を訪れました。その墓にキリストの遺骨はなく、空の墓と知り、復活を心から信じたと、新聞に書いていました。その切り抜きも今はありませんが、書棚にはサザエさん全集45巻と、いじわるばあさん4冊もあり、時々取り出して見ながら、思わず微笑むこともあります。
驚いてはいけませんと天使は復活を告げました。驚くべき歴史的事実の復活です。2000年の歴史を貫き、復活し生きて働く十字架の救いを、全世界の22億5400万人=人口比率3分の一の人々が信じ、救われた平安で幸せな、キリスト教徒です。
ヘブル人への手紙7:24-25キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
13:5-8 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。




ハイ。行きます。

2016-09-30 05:48:47 | Weblog
今朝のデボーションはヨナ書。ヨナは鳩と言う意味で、文書預言者で最も古い預言書です。
神様から、当時の大帝国アッシリアの首都ニネベに悔い改めを宣教せよとの命令を受け、出かけましたが港に着くと、ニネベとは反対のタルシシ行きの船があり、何とその船に乗り込み、船底で寝てしまいました。
航海の途中大嵐になり、積み荷を全部投げ捨てても、船は沈没しそうになります。船長はクジで悪い人を見つけ、何とそのくじがヨナに当たります。
ヨナは自らを神への罪を公言し、船は助かりましたが、ヨナは大嵐の海に投げ込まれ、海の巨獣に飲み込まれます。
三日3晩、その腹のなかで悔い改め、陸に吐き出されたのがニネベ。彼は三日間、ニネベを行き巡り悔い改めを叫びます。
ニネベとニネベの民12万人は、断食と悔い改めで滅亡をまぬかれる4章の預言書です。

ヨナ。ニネベにいらっしゃい。いいえ。 行きたくない。
ヨナ。ニネベにいらっしゃい。いいえ!行きたくない。
大きな魚。ヨナを飲んだ。

ヨナ。ニネベにいらっしゃい。ハイ。行きます。
私はヨナのように、裁きの魚に飲まれたくない。
ヨナ。ニネベにいらっしゃい。ハイ。行きます。アーメン。

日曜学校で子どもたちとよく歌い、ハイと返事できるようになろうと教えました。
特に、聖書のことばに、ハイ=アーメンと言えるように。そう願いながらの新しい日を迎えています。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。


聖衣

2016-09-29 18:24:41 | Weblog
マルコの福音書15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
イエスを十字架に釘付けにした百人隊長は、信仰告白をした最初の人物となりました。
聖衣という映画では、キリストを処刑したローマの護民官マーセラスは、その後良心の呵責から恐怖に脅え、深い苦しみに溺れる。が、かつて奴隷として使いキリスト処刑後、姿を消したデメテリオの導きにより神の心に触れ、宣教を志すようになる。
感動的な映画で、今でもDVDで鑑賞する事ができます。
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
百人隊長のように、十字架に正面から向き合い、イエス・キリストの救いをアーメンと信じる幸いを祈ります。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

よく眠れた

2016-09-29 05:46:35 | Weblog
久しぶりに、4月1日の交通事故以来、6カ月に4日足りないが、27日に1万歩余り、昨日6300歩。
27日に、岡田哲也歯科医に足指先を鍛えるよう指導され、つま先だけで部屋100歩。
歩くときは杖を持つだけにして、つま先を意識して歩いた。
昨晩はベッドに入ったのが9時30分。今朝4時20分まで熟睡。スッキリ目覚めFBを書く。
イエス・キリストを信じる人生は、心に平安があり、安らぎと静けさの生活です。幼子のような心で、周りが騒ぎばたついても振り回されず、落ち着いて処理します。心は幼子の純粋さと素直さ。ものの考え方と判断力は、成熟した大人=神の子で、信じる者には不可能はないと行動できます。
コリント人への第一の手紙9:23-27 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。
私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。

許しの愛

2016-09-28 19:00:37 | Weblog
詩篇108:1 神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌います。
賛美が口からあふれ、たましいのどん底から大喜びで歌える幸い。世界中のクリスチャンたちが、ハレルヤアーメンと高らかに、真で唯一の神を崇め賛美します。
ソビエト連邦を38年前一人旅、モスクワの地下教会を訪れました。二重窓の二重カーテン。小さな声で、主は今、生きておられる。わがうちにおられる。すべては主の御手にあり、明日も生きよう主がおられる。
ひときわ輝きに包まれた男性。聖書を持っていただけで、シベリア強制収容所から帰って来たばかり。苦しめられひどい目にあったが、その内なる確信はゆるぐことなく。豊かな祝福でおおわれ、許しの愛で満ちています。
うらみ憎しみのあるところに、平安も喜びもありません。主イエス様は十字架の上で、父よ。彼らをお赦しください。大きな愛の赦し、その愛に赦されていることを知ると、うらみ憎しみは消え、許しの愛に生きる幸せが輝きます。
許=人が十字架のもとで言うと書きます。許しの愛の有るところに、ゆるがない確信の人生があります。憎しみからは良いものは生まれません。赦されている大きな愛の中でも、許しの愛に生きる日々を!
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

苦しみの杯

2016-09-28 18:53:24 | Weblog
マルコの福音書14:36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
有名なゲッセマネの祈りです。イスラエルへ行くと、聖地旅行では必ずゲッセマネの園を訪ねます。2000年の歴史があるというオリーブの古株もある、美しい万国民の祈りの教会です。
最初の聖地旅行の時、ホテルから5000歩ほど歩いて朝5時に教会に着きました。まだ閉まっている門の前で聖書を読んでいると、門番が出て来たので、日本から来た牧師だと言うと教会に招き入れ、イエス・キリストが祈った大理石の岩で祈るのを許してくれました。35年も前のことで、今は大理石の回りに柵があり、触ることもできませんが・・・。
ゲッセマネの園には、キリストの祈りの大理石に刻んだレリーフがあり、上を見上げるキリストの前に、杯が描かれています。どうぞ、この杯をわたしから取り除けてくださいと、3度も血の汗を流しながら祈ったが、沈黙だけでした。その杯には、人類の原罪とすべての罪や咎、病や呪い、貧困、悩みや苦難、死と地獄行のすべての苦味が入った苦杯です。全能で愛の神は、その杯を取り除かず、イエス・キリストは沈黙の中に祈りの答えを受け、十字架の上に身代わりとして死なれたのです。
私たちも祈りに答えがないと、不信仰になりつまずかないで、みこころの十字架を背負い前進したいものです。
ペテロの第一の手紙2:21-24 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

今日、誕生日を迎えた方のために祈った時にできました。
恵みと愛との 朝を迎えて
喜び祝おう 誕生の日だ
主イエスの贖い 信じた日より
平安あふれて 喜び満ちる

主イエスは復活 今なお生きて
見捨てず離れず 助けと力
豊かに与えて 賛美を満たす
ハレルヤアーメン 天国の日々
アーメン
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

ひとり暮らし

2016-09-28 07:56:12 | Weblog
ひとり暮らしになり、2年5カ月.家内が天に召されて2年4ヶ月。老けない体つくりと言う本を読むと、適切な食事のポイントは、多くあるけれど=昨日ジュンク堂書棚を見たら、ものすごい食事療法の本がいっぱい=すべて消化力を整え、食事を速やかに消化し、生命の生き生きとした質を増やせばよい。

喜びと感謝の気持ちを持って食べる。
よく噛む=次の岡田歯科診療でしっかり噛めるように、歯を少し調整してくれる。
味わうことに意識を集中する。
座って食べる。
食後に数分間の休息をとる。
食後の休息の後、軽く散歩する。
昼をしっかり食べ、朝夜は量、質とも軽くする。

長年の生活習慣を、家内が天に行った後も、午前7時朝食。12時昼食、5時夕食を継続中です。
今日も昼は野菜炒めを作り、ご飯を少し食べます。快調に守られながらの、気力十分に生かされています。お祈りありがとうございます。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。


香りの秋に

2016-09-27 18:22:23 | Weblog
詩篇107:6 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出される。
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
すべてのことに感謝し、ありがとうの声を上げると、道が分からず荒野や荒れ地をさ迷い、飢えと渇きにたましいはおとろえ果てる。その苦しみのときに、主に向かって叫ぶと、苦悩から救い出される。107篇には、このフレーズが4回繰り返されます。
どんなに苦しみがあろうとも、苦しい時の神頼みは行けないと、訳知り顔に皮肉を言う人がいても、非難するだけ。問題を指摘し、自分の義だけを誇り、裁く名人のことなど気にするな。どんなに苦しく、さびしく辛い時でも、助けてください。守ってください。感謝します。涙も出ないような悲しみの中でも、主の御名を呼ぶ者は救われます。
この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。 主が嵐を静められると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。 彼らは、主の恵みと、奇しいわざを主に感謝せよ。
裏庭の金木犀が香りを放ち、秋の薫り豊かです。どんな時でも、十字架と復活のイエス・キリストが、共のおられて救い助けてくださいます。
ありがとうございます。今日もまた天国一日。感謝します。

ムリヤリ

2016-09-27 18:18:54 | Weblog
マルコの福音書15:21そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。
クレネ人シモンは、十字架の道行に出会い、重い十字架を背負いゴルゴダの丘に歩む、イエスの十字架をむりやり背負わされました。
そして、その最高の恥辱と思わされた十字架が、その名前を歴史に刻みこみ、イエス・キリストの救いが伝えられる全世界で語られています。しかも、アレキサンデルとルポスの父とあります。またローマ人への手紙16:13 主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。とパウロは、シモンの妻のことを私の母と書いています。
クレネに帰ってもシモンには、十字架を担がされた男という非難と恥がつきまとい、その妻も子どもたちも嘲られ、罵られ中傷されました。十字架の上でのキリストの祈りのことばを聞き、テテレスタイ=すべてが完成した。わたしの霊を御手に委ねます。
十字架の下に立つシモンの心が癒され救われ、クレネに帰った時には、復活のキリスト、インマヌエルの主がともにおられる、救われた清々しい笑顔。そのシモンの晴れやかな耀く姿を見て、後のパウロが私の母と言うほどの信仰の母に変えられ、アレキサンデルとルポスもまた素晴らしいクリスチャンになりました。
私と私の家とは、主に仕えます。主イエスを信じて家族が救われる幸いを感謝します。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。