先週、久しぶりに種子島へ行き、いろいろと思い出やなつかしさの数日でした。生まれ育った村に新空港ができ便利になりました。ちょうど種子島の真ん中くらいなので地名が中割といいます。
東側の太平洋まで約6キロ、西側は東シナ海で焼く9キロ。小学校4年生まで海鳴りや遠くに見える海しか見たことがありませんでした。4年生のとき潮干狩りに行き、ミナやながらめ、あわびやウニなどを採りました。子どもですから小さな物しか採れませんが、海の幸を味わうこともでき、時々太平洋岸に行ったことを覚えています。太平洋は見渡す限りの水平線です。ときたま沖合いを大きな船がポツンと見えるくらいです。その海の向こうへ行ってみたいと思ったものです。 世界中へ福音を携えて出かけることなど考えたこともなかったのですが・・・・。
東シナ海は中学の入学式に9キロを歩いて参加した日に初めて行きました。山を少し下ると馬毛島が見え、天気が良いと屋久島や硫黄島や竹島、薩摩富士(開門岳)や大隈半島まで見える素晴らしい風景です。浜津脇に星原中学があるので毎日、東シナ海目ざして歩きました。
浜の少年たちは体育の時間になると水泳は海です。泳ぐというよりもぐって海老や貝を採ります。体育の教師宅が海辺にあり、そこに持って行っては放課後、奥様が煮ておいた海産物を押しかけては食べたのどかな時代でした。その奥様にも今回会いましたが、都会暮らしだった奥様のとってそれはそれは大変なことだったと笑っていました。
そのような大自然に囲まれて育ったことを心から感謝し、毎日火曜浜の中学校への行き帰りに、雪をいただいた屋久島を時おり見るたび、雪よりも白い心になりたい願いを持ちました。幸いにもそんなに汚れに染まない16歳のとき、西之表基督教会に導かれ、イエス・キリストの十字架の救いを体験することができました。
雪よりも白くの願いが、イエス・キリストとの出会いの中でかなえられ、いつも「御子イエスの血がすべての罪から私をきよめるのです」感謝します。
どのような罪の汚れもきよめる十字架の血潮を信仰によって仰ぐとき、新しい人生が始まります。そのスタートは、今のこの瞬間から可能なのです。「アーメン。信じます。イエス様を心にお迎えします。お入りください」と祈り、バプテスマを受けるだけで救われ、神の子とされ永遠のいのちを受けるのです。
正しく健やかに豊かに祝福されながら永遠の天国への喜びに向って、神を天のお父さんと呼びつつ、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝しつつ生きる、幸せを体験できるのです。
詩篇
51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、
罪ある者として母は私をみごもりました。
51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。
それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。
そうすれば、私はきよくなりましょう。
私を洗ってください。
そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。
そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、
喜ぶことでしょう。
51:9 御顔を私の罪から隠し、
私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。
51:10 神よ。私にきよい心を造り、
ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、
喜んで仕える霊が、私をささえますように。
51:13 私は、そむく者たちに、
あなたの道を教えましょう。
そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
51:14 神よ。私の救いの神よ。
血の罪から私を救い出してください。
そうすれば、私の舌は、
あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。
そうすれば、私の口は、
あなたの誉れを告げるでしょう。
東側の太平洋まで約6キロ、西側は東シナ海で焼く9キロ。小学校4年生まで海鳴りや遠くに見える海しか見たことがありませんでした。4年生のとき潮干狩りに行き、ミナやながらめ、あわびやウニなどを採りました。子どもですから小さな物しか採れませんが、海の幸を味わうこともでき、時々太平洋岸に行ったことを覚えています。太平洋は見渡す限りの水平線です。ときたま沖合いを大きな船がポツンと見えるくらいです。その海の向こうへ行ってみたいと思ったものです。 世界中へ福音を携えて出かけることなど考えたこともなかったのですが・・・・。
東シナ海は中学の入学式に9キロを歩いて参加した日に初めて行きました。山を少し下ると馬毛島が見え、天気が良いと屋久島や硫黄島や竹島、薩摩富士(開門岳)や大隈半島まで見える素晴らしい風景です。浜津脇に星原中学があるので毎日、東シナ海目ざして歩きました。
浜の少年たちは体育の時間になると水泳は海です。泳ぐというよりもぐって海老や貝を採ります。体育の教師宅が海辺にあり、そこに持って行っては放課後、奥様が煮ておいた海産物を押しかけては食べたのどかな時代でした。その奥様にも今回会いましたが、都会暮らしだった奥様のとってそれはそれは大変なことだったと笑っていました。
そのような大自然に囲まれて育ったことを心から感謝し、毎日火曜浜の中学校への行き帰りに、雪をいただいた屋久島を時おり見るたび、雪よりも白い心になりたい願いを持ちました。幸いにもそんなに汚れに染まない16歳のとき、西之表基督教会に導かれ、イエス・キリストの十字架の救いを体験することができました。
雪よりも白くの願いが、イエス・キリストとの出会いの中でかなえられ、いつも「御子イエスの血がすべての罪から私をきよめるのです」感謝します。
どのような罪の汚れもきよめる十字架の血潮を信仰によって仰ぐとき、新しい人生が始まります。そのスタートは、今のこの瞬間から可能なのです。「アーメン。信じます。イエス様を心にお迎えします。お入りください」と祈り、バプテスマを受けるだけで救われ、神の子とされ永遠のいのちを受けるのです。
正しく健やかに豊かに祝福されながら永遠の天国への喜びに向って、神を天のお父さんと呼びつつ、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝しつつ生きる、幸せを体験できるのです。
詩篇
51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、
罪ある者として母は私をみごもりました。
51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。
それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。
そうすれば、私はきよくなりましょう。
私を洗ってください。
そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。
そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、
喜ぶことでしょう。
51:9 御顔を私の罪から隠し、
私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。
51:10 神よ。私にきよい心を造り、
ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、
喜んで仕える霊が、私をささえますように。
51:13 私は、そむく者たちに、
あなたの道を教えましょう。
そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
51:14 神よ。私の救いの神よ。
血の罪から私を救い出してください。
そうすれば、私の舌は、
あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。
そうすれば、私の口は、
あなたの誉れを告げるでしょう。