牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

太平洋と東シナ海に囲まれた種子島

2006-08-31 06:49:39 | Weblog
 先週、久しぶりに種子島へ行き、いろいろと思い出やなつかしさの数日でした。生まれ育った村に新空港ができ便利になりました。ちょうど種子島の真ん中くらいなので地名が中割といいます。

 東側の太平洋まで約6キロ、西側は東シナ海で焼く9キロ。小学校4年生まで海鳴りや遠くに見える海しか見たことがありませんでした。4年生のとき潮干狩りに行き、ミナやながらめ、あわびやウニなどを採りました。子どもですから小さな物しか採れませんが、海の幸を味わうこともでき、時々太平洋岸に行ったことを覚えています。太平洋は見渡す限りの水平線です。ときたま沖合いを大きな船がポツンと見えるくらいです。その海の向こうへ行ってみたいと思ったものです。 世界中へ福音を携えて出かけることなど考えたこともなかったのですが・・・・。

 東シナ海は中学の入学式に9キロを歩いて参加した日に初めて行きました。山を少し下ると馬毛島が見え、天気が良いと屋久島や硫黄島や竹島、薩摩富士(開門岳)や大隈半島まで見える素晴らしい風景です。浜津脇に星原中学があるので毎日、東シナ海目ざして歩きました。

 浜の少年たちは体育の時間になると水泳は海です。泳ぐというよりもぐって海老や貝を採ります。体育の教師宅が海辺にあり、そこに持って行っては放課後、奥様が煮ておいた海産物を押しかけては食べたのどかな時代でした。その奥様にも今回会いましたが、都会暮らしだった奥様のとってそれはそれは大変なことだったと笑っていました。

 そのような大自然に囲まれて育ったことを心から感謝し、毎日火曜浜の中学校への行き帰りに、雪をいただいた屋久島を時おり見るたび、雪よりも白い心になりたい願いを持ちました。幸いにもそんなに汚れに染まない16歳のとき、西之表基督教会に導かれ、イエス・キリストの十字架の救いを体験することができました。

 雪よりも白くの願いが、イエス・キリストとの出会いの中でかなえられ、いつも「御子イエスの血がすべての罪から私をきよめるのです」感謝します。

 どのような罪の汚れもきよめる十字架の血潮を信仰によって仰ぐとき、新しい人生が始まります。そのスタートは、今のこの瞬間から可能なのです。「アーメン。信じます。イエス様を心にお迎えします。お入りください」と祈り、バプテスマを受けるだけで救われ、神の子とされ永遠のいのちを受けるのです。

 正しく健やかに豊かに祝福されながら永遠の天国への喜びに向って、神を天のお父さんと呼びつつ、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝しつつ生きる、幸せを体験できるのです。

詩篇

51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、
 罪ある者として母は私をみごもりました。
51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。
 それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。
 そうすれば、私はきよくなりましょう。
 私を洗ってください。
 そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。
 そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、
 喜ぶことでしょう。
51:9 御顔を私の罪から隠し、
 私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。

51:10 神よ。私にきよい心を造り、
 ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、
 あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、
 喜んで仕える霊が、私をささえますように。
51:13 私は、そむく者たちに、
 あなたの道を教えましょう。
 そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。

51:14 神よ。私の救いの神よ。
 血の罪から私を救い出してください。
 そうすれば、私の舌は、
 あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。
 そうすれば、私の口は、
 あなたの誉れを告げるでしょう。

故郷を思う日々

2006-08-30 08:31:25 | Weblog
 故郷があることはなつかしいものです。わずか2泊の滞在でしたが、種子島ですごすことができました。

 父は外国航路の船乗りでした。船を下りて自分の故郷である徳之島に帰りました。そこで出合った共産主義者と息統合し、村政改革などを主張しました。満州事変の始まる直前で、思想的取締りは厳しく、父の友人は警察署長でお前に手錠をかけることは忍びないからと、種子島移住の道を開いてくれました。

 父が移住したのは種子島の真ん中当り〔今新空港が完成した近く)で、西之表市中割生姜山と言う小さな集落でした。そこには大正3年の桜島大噴火で家を失った方たちが開拓村として割り当てられた土地で、甑島の人々も移住していました。

 やせた土地にしがみつくように暮らす山の中、30個ほどの個数でしたが鴻峰小学校は生姜山にあり、周辺の集落〔十六番・万葉・砂中・千段の峰・十三番・十八番〕から通学でした。

 唱和23年入学時は49名の一年生。生姜山からは3名だけでした。桜吹雪の散る門を母に連れられて入学したことを思い出します。今は、その桜木も本数も減り、昔の面影はありません。校舎も建て直され、生徒数は過去5年間ゼロ。でも閉校にはならず休校で2年後に入学する子どもを待っています。引っ越したらどうするのだろうと、余計な心配をしてしまします。

 過疎がこれほど進むとはだれも予想していなかったのではと思います。それでも新空港もできたのだから、少しは増えるのではと言う期待があるのかもしれません。しかし、西之表市内から車で30分、中種子町の中心地からは15分、南種子からも40分くらいですから、わざわざ空港の近くに住む人もいないかもしれません。

 ともかく田舎、コンビニも食堂もなく都会生活になれた者には不便そのもの。空港に小さなレストランとラウンジがあるだけでもほとおしました。

 それでも故郷は故郷、幼馴染の、あの川、この山、だれか故郷をしのばざる!と口ずさみつつ・・・。なつかしさの種子島でした。

詩篇

84:1 万軍の【主】。あなたのお住まいは
 なんと、慕わしいことでしょう。
84:2 私のたましいは、【主】の大庭を恋い慕って
 絶え入るばかりです。
 私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
84:3 雀さえも、住みかを見つけました。
 つばめも、ひなを入れる巣、
 あなたの祭壇を見つけました。
 万軍の【主】。私の王、私の神よ。
84:4 なんと幸いなことでしょう。
 あなたの家に住む人たちは。
 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。 セラ
84:5 なんと幸いなことでしょう。
 その力が、あなたにあり、
 その心の中にシオンへの大路のある人は。
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、
 そこを泉のわく所とします。
 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
84:7 彼らは、力から力へと進み、
 シオンにおいて、神の御前に現れます。

84:8 万軍の神、【主】よ。
 私の祈りを聞いてください。
 ヤコブの神よ。耳を傾けてください。 セラ
84:9 神よ。われらの盾をご覧ください。
 あなたに油そそがれた者の顔に
 目を注いでください。

84:10 まことに、あなたの大庭にいる一日は
 千日にまさります。
 私は悪の天幕に住むよりは
 むしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
84:11 まことに、神なる【主】は太陽です。盾です。
 【主】は恵みと栄光を授け、
 正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。
84:12 万軍の【主】よ。
 なんと幸いなことでしょう。
 あなたに信頼するその人は。





思い出の鴻峰(こうのみね)小学校

2006-08-29 08:46:14 | Weblog
種子島にもう生家はないが、必ず訪れるのは鴻峰小学校です。今年も訪ねましたが、もう5年前から休校。閉校にならないのが不思議なくらいです。

 昭和23年入学時は49名の一年生でした。全校は200名を越える生徒数。卒業のときは29名でした。53年後の今はもう5年間も生徒数ゼロです。種子島空港が3月に開港し、小学校から歩いて10分くらい。空港のある小学校ですが・・・。種子島は3万5千人くらいの人口です。一市2町の島ですが、鴻峰小学校に近い立山小学校は6名の生徒とのこと。中学校は03年に閉校になった浜津脇の星原小学校も20名だそうです。少子化は小さな島にとっては、厳しすぎるような現実です。

 小学校は3年生までは2キロくらいでしたが、それからは鐘がなって出かけても遅刻しないほど近い家でした。その2件の家も今はなく杉の木が大きく育ち、竹林が入り口への道を隠してしまっていました。

 なつかしさと共に、「故郷は遠きにありて思うもの」が実感の島への旅でした。

エレミヤ書

31:10 諸国の民よ。【主】のことばを聞け。
  遠くの島々に告げ知らせて言え。
  「イスラエルを散らした者がこれを集め、
  牧者が群れを飼うように、これを守る」と。
31:11 【主】はヤコブを贖い、
  ヤコブより強い者の手から、
  これを買い戻されたからだ。
31:12 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、
  穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、
  羊の子、牛の子とに対する【主】の恵みに喜び輝く。
  彼らのたましいは潤った園のようになり、
  もう再び、しぼむことはない。
31:13 そのとき、若い女は踊って楽しみ、
  若い男も年寄りも共に楽しむ。
  「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、
  彼らの憂いを慰め、楽しませる。
31:14 また祭司のたましいを髄で飽かせ、
  わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。
  ──【主】の御告げ──」




中学時代の印象が聞く人全部いっしょだった

2006-08-28 06:46:31 | Weblog
今回の種子島行きは、種子島新生キリスト教会と西之表基督教会で話をするためでした。同時に、「天の虫けら」のビデオ(DV)化の撮影隊〔4名〕も同行してくれました。7月のアフリカ宣教では10日間カメラに映されながら・・・。今回は23日と24日の2日間、カメラにさらされながらの故郷でした。

 中学時代の担任お二人(社会・国語、体育・音楽・美術)、同級生五人(男2・女3)、教会の牧師夫妻八名にインタビューしてもらいました。

 私が中学時代どんな少年だったかという単純な取材。それぞれことなる場所での取材でしたが、担任も同級生も牧師も全員全く同じ答えだったので、取材陣も何よりも本人が驚きました。

 皆さんの記憶に残る50年前の印象は、「物を言わない静かでおとなしかった」でした。本位も歌も歌わず、ものも言わず、運動もせずと書きましたが、大げさではなくそのままの自分がみんなの記憶に刻まれていました。

 教会の牧師たちは別としてなぜ記憶に残っていたのか。それは西之表市から中種子町之星原中学へ越境入学したので、山から下りてくる新顔(しかもたった一人の侵入者)だったからです。ひとりの女性は通学路の側に家があり、2回だけさようならと小さな声で言われたので覚えていると電話で話してくれました。

 極端に物言わぬ中学生だったに牧師になっているということが、教会にまで会いにきてくれた一因だと、取材に答える姿を見ながら思いました。

 昨日の礼拝では、「荒野の恵み」と題して話しました。人生にも様々な荒野や砂漠のような状態の試練の中を通ることがあります。今日も荒野だ!と思っている方もあると思います。しかし、その辛いときこそ最高の恵みの場となるのです。通り過ぎたときに分かりかもしれません。当座は苦しいだけと感じると思います。

 聖書をシッカリ読むと、真実の約束がいっぱいあり、それにアーメンと答えるとき、人格が磨かれ品性が輝くのです。荒野を恐れないですばらしい幸せへの通過点であることを確信できればいいですね。祝福を祈ります。

ローマ書

  5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。



種子島の思い出

2006-08-27 08:54:52 | Weblog
「故郷」
高野辰之作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌(六年生)

兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷

 小学生のとき理科の実験で小鮒をもらい、殺すのは不憫で家の泉にそっと逃がしました。

 台風で泉の水が溢れ、小鮒もいっしょに流され、それから数年後小川で小鮒が釣れるようになりました。種子島では兎を追うことはできませんが・・・・。

 いかに在す父母・・・。母は37歳でもう59年前に他界し、父は長生きでしたが99歳156日で召されました。母の命日は昨日、せみ時雨の中での葬式だったことも覚えています。

 人は死ねばお終い、愛も終わり、死んだら最後。9歳の子どもでしたが,シッカリとそのむなしさを心に刻みつけ、物も言わず、歌も歌わないようになりました。

 15歳のとき義母も死にました。葬式はキリスト教式。2学期になり島の小さなキリスト教会へ行きました。そこで変わらない神の愛を知り、自らの罪深さを自覚し、イエス・キリストが十字架で身代わりとなって死に、墓に葬られ3日目に復活したことを聞きました。

 信じれば罪赦されて神のことなり、永遠のいのちを与えられ天国に行くことができるという話しでした。

 私を愛して死んでくれた方がいる!感動でした。母は私を愛して愛してくれましたが、自分の病に勝てず37歳の若さでした。父の愛は厳しさだけの愛。好きだといってくれるガールフレンドもいたけれど、だれも死んでくれはしない。

 十字架に死んでまで、罪の身代わりになってまで愛してくださる方がいた!驚きでした。2千年前だろうと何だろうとスゴイと思い、その日に信じて洗礼を受けクリスチャンになりました。49年になります。

 今週は誕生日。65歳になります。種子島旅行を古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなるきっかけにしたいと願っています。新しい夢とビジョン、チャレンジで前進です。

 なつかしい思い出とともに、新しい世界へ大きく飛翔したく祈りながらの夏の終わりの日々です。

エレミヤ書



31:2 【主】はこう仰せられる。
  「剣を免れて生き残った民は
  荒野で恵みを得た。
  イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」

31:3 【主】は遠くから、私に現れた。
  「永遠の愛をもって、
  わたしはあなたを愛した。
  それゆえ、わたしはあなたに、
  誠実を尽くし続けた。




31:2 【主】はこう仰せられる。
  「剣を免れて生き残った民は
  荒野で恵みを得た。
  イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」

31:3 【主】は遠くから、私に現れた。
  「永遠の愛をもって、
  わたしはあなたを愛した。
  それゆえ、わたしはあなたに、
  誠実を尽くし続けた。

久しぶりの種子島は新空港が完成していた

2006-08-26 09:31:42 | Weblog
22日(火)久しぶりの種子島行き。大阪空港から一日一便種子島直行便がある。大阪空港での厳しいチェック?を受け、搭乗案内を待つ。ゲートから歩いて飛行機に行こうとしたら突然の雷雨。係員の差し出す傘をさしたが、水しぶきでずぶ濡れになってタラップを上る。

 飛行機は滑走路を動き出したが、途中でストップ。雷雲が空港の上を動かず一時間滑走路で待機。やっと許可が出てフライト開始。種子島には午後4時半に到着。

 レンタカーを借りて生家の跡を訪ねるが、家への入り口も分からないほど。やっと記憶を頼りに見つけたが、杉の木や雑木が生い茂り、道の跡は竹やぶとなり10歩も進めず、そのままホテルまで行くことにした。

 チェックインしてすぐに中種子町にある種子島新生教会の集会に向った。7時と聞いていたがだれもいない。8時に変更になったとのこと。教会の周辺を祈りつつドライブ。集会は座談会形式とのこと。

 一番最初に出席してくれたのは中学時代の同級生。50年ぶりの再会。キリスト教徒ではないが、昨年木から落ちて背骨を折り現在もリハビリ中。その経験からほんとうは助かっていなかったのに、こうして元気で歩けるのは神がいるからだと思うようになったと話してくれた。

 二番目にきてくれたのは何と中学一年のときの担任だった恩師。国語と社会科の教師だった。この先生から読書の喜び、歴史に学ぶことのすばらしさをシッカリ教えてもらったので、今でもその教育の感化は残っている。

 8時から9時までの集会。集会ごお茶をいただきながら10名ほどの皆様の質問や経験などを語り合うことができた。

 教会からホテルの帰りついたときはもう10時を過ぎており、大浴場やサウナは11時まで。夕食もホテルのレストランの最終オーダーの時間はとっくに過ぎているどころか、レストランは10時で終了とのこと。

 ホテルの外には何か食べる物があると思ったが、数年前同時間帯に外で食べようと思い、食事できますか?と尋ねたら、できますよ。今からご飯炊くので待ってくれたら・・・と言われたことがあるので、そのまま風呂へ。係りの高年の女性がもっと早く来なさいよ。かえるの行水ではもったいないと同情してくれた。そんなこんなのあわただしい種子島第一日。熟睡!

詩篇

4:6 多くの者は言っています。
 「だれかわれわれに
 良い目を見せてくれないものか。」
 【主】よ。どうか、あなたの御顔の光を、
 私たちの上に照らしてください。
4:7 あなたは私の心に喜びを下さいました。
 それは穀物と新しいぶどう酒が
 豊かにあるときにもまさっています。
4:8 平安のうちに私は身を横たえ、
 すぐ、眠りにつきます。
 【主】よ。あなただけが、
 私を安らかに住まわせてくださいます。
 



生駒聖書学院正門

2006-08-23 09:02:06 | Weblog
黙示録3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

今日から嬉しい種子島行き!

2006-08-22 07:11:04 | Weblog
 大阪空港から種子島空港まで、一日一便の直行便があります。13時55分発で15:30分着です。片道29,180円。割引やディスカウントはありません。帰りは鹿児島市内など寄り道があるので特急と新幹線で帰ります。

 神学生時代は大阪から鹿児島まで急行で18時間。鹿児島港から西之表港まで6時間。そこから山道をバスで1時間。さらに歩いて20分で家でした。今年は、住んでいた家のすぐ近くに種子島新空港ができたので、レンタカーだと5分もかかりません。でももう住んでいた家もなく、思いでは小学校(でも建て直している)だけです。

 今回の種子島行きは、種子島新生キリスト教会(今夜説教)と母教会の西之表基督教会(水曜日(説教)と、二つの教会で集会です。

 同時に、「天の虫けら」のビデオ化のために、4名の撮影隊が明日から同行してくれます。明日の予定は、大阪から撮影隊が空港に着き、生家跡をカメラと共に訪ね、小学校から東シナ海に面した星原中学校(片道9キロを休まず通学)に行き、中学時代の同級生も訪ねます。

 それから島を南下し、南種子町の鉄砲伝来の門倉岬やロケット基地を訪れ、今度は北上して西之表市へ。種子島高校や下宿していた家、鉄砲伝来記念館、若狭公園と公園下にある西之表基督教会を訪ねます。

 夜の集会後、種子島で40年以上も牧師をしながら島で一番大きな幼稚園を経営し、幼児教育の専門家でもある池田牧師夫妻、逆瀬川牧師と共に、池田牧師夫妻が中国へ再度出かけるので歓送の夕食会です。

 24日(木)朝の飛行機で鹿児島空港へ。国分市に「サバンナに愛の光 永遠に」の著者で、中学時代の担任だった東亮吉先生を訪ね、鹿屋市の敬愛園(恵生教会)も訪ねる予定です。

 ふるさとは忘れがたく、久しぶりの種子島行きに少々興奮しています。感謝!

ヘブル人への手紙

11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。
11:11 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。


  11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

 

鉄砲伝来の種子島行きを前にして

2006-08-21 08:13:45 | Weblog
昨日の日曜日(20日)種子島では、鉄砲伝来の記念行事が行われたそうです。

 鉄砲は天文12(1548)年8月25日、種子島の南端門倉崎にポルトガル人が乗った明国船が漂着しました。ムラシュクシャ、キリシタ、タモタ=(当時の聞き書きが記録されているが、キリシタ=クリスチャン、タモタ=テモテ?という名前だと思います)という3名のポルトガル人によって、火縄壱銃が伝えられました。

 このときが日本にとって最初の西洋人との出会いでした。そして歴史はその偶然と必然の中で展開して行きます。種子島漂着は船の難破という偶然のできごとでした。ところが種子島は砂鉄に恵まれ、また刀鍛冶技術に優れていたのです。さらに島主(種子島時堯)の関心と熱意は格別なものでした。種子島の高い文化レベルとポルトガル人を助けた人情が鉄砲を完成させたのです。

 その背後には、刀鍛冶八板金兵衛清定の娘若狭姫の悲劇(若狭姫をポルトガル人の妻にした)の犠牲もありました。

 ポルトガル人は2丁の火縄銃を献上したのですが、返礼に2000両を贈ったと記録にあります。現代の金の価格で換算すると約1億円になるそうです。

 人は殺戮の武器のためには、お金を惜しまないのが歴史の現実です。現代は火縄銃に変わりに核開発の余念のない世界に変わり果ててしまいました。核保有国の軍事予算はもちろん、北朝鮮は民衆が飢えようがどうなろうがかまうことなく核開発に必死・・・。

 その核の脅威におびえる日本も61年前の戦争の悲劇をもう忘れ、靖国詣でや国のために死んだから拝まなければと、戦争反対を言いながら先祖の犯した過ちの道をまっしぐらに進む感さえあるような気がします。

 鉄砲伝来は日本の統一を大きく進めたことも歴史の事実(織田信長が天下を制定したのは鉄砲の威力で戦国時代の戦いを変えた)です。しかし、刀を取るものは刀で滅びるのです。それが人類の歴史の累々たる事実です。

 アメリカもイスラムのテロリズムも、武力によって世界を制する国が、永らえ続けなかったことを歴史は証明しています。鉄砲伝来の島に帰ることを楽しみにしながら考えさせられます。

 但し、種子島は鉄砲を戦争のために用いなかったことを誇りに思います。

ペテロの第一の手紙

3:1 愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。
3:2 それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。
3:3 まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
3:4 次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
3:5 こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、
3:6 当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
3:7 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
  3:8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
3:11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
3:13 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
  3:14 そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。