牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

車の運転も止め

2017-01-31 18:53:13 | Weblog

イザヤ書49:1-3 島々よ。私に聞け。遠い国々の民よ。耳を傾けよ。主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私を隠し、私をとぎすました矢として、矢筒の中に私を隠した。そして、私に仰せられた。「あなたはわたしのしもべ、わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現わす。」
今朝の目覚めとともに、聖書の使徒の働きのことばが響いた。「たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」
1999年11月の東京での左脳内出血の癒された時は、真夜中でも危篤には車で駆けつけ、アーメンと信じ病床洗礼、召天式など動きました。出産の時は家族よりも早く行くこともあります。
2012年の堺市での右脳内出血。その一か月後の小脳内梗塞以来、免許証も返却し運転を止めました。
今は、もっぱら大阪行きは電車です。生駒駅までタクシー950円。
今までタクシー利用のない生活でしたが、イエス・キリストの福音を聞いてもらえる良いチャンスが与えられ、いつも名刺代わりにマンガや、天国から追い返された牧師の冊子を渡します。
伝道者の書9:11 私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



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ただ信じるだけで

2017-01-31 18:47:48 | Weblog
使徒の働き8:35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
サマリヤの町で大リバイバルが起こり、ピリポがイエス・キリストを宣べ伝え、行っていたしるし=汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったから=を見、神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受け、それでその町に大きな喜びが起こりました。
その働きのさ中に、聖霊がガザ=荒れ果てた荒野へ行くよう導かれました。神のなさることはみなその時にかなって美しいが、人間的には考えられない現実もあります。
だれもいないと思ったガザへ下る道を、エチオピア女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理しているエチオピア人宦官が、馬車でエチオピアへ帰る途中でした。しかも、馬車の中でイザヤ書の巻物を声を出して読んでいたのです。
ピリポは、読んでいることが分かりますかと言うと、宦官は、導く人がなければ、どうして分かりましょう。
ピリポを馬車へ乗せました。
彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
聖書はイエス・キリストについて書かれた神のことばです。ヨハネの福音書5:39―40 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
結果、道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
そこでピリポは言った。もしあなたが心底から信じるならば、よいのです。すると彼は答えて言った。私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。(8:36-37
そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
初代教会時代、エチオピアはキリスト強国となり、福音宣教に偉大な貢献を果たします。聖地旅行でそのバプテスマの水のある所を感動と共に訪れました。
人生には思いがけないようなことが起こります。迫害だけでなく、成功の絶頂の時でも、原因が分からないようなこと起こります。
個人的には、左右脳内出血、小脳内梗塞、2年8ヶ月前には、49年間苦楽を共にした妻が召されました。
しかし、何事が起ころうと福音が前進する幸いです。昨日も家庭集会で初めて出会った婦人が素直にアーメンと信じてくれました。家族の幸せを祈りました。
ピリピ人への手紙1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



105歳でアーメン

2017-01-31 05:21:14 | Weblog
聖書の約束
テサロニケ人への第一の手紙5:16-18いつも喜んでいなさい.絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
105歳の婦人が入院したので、岡山県まで見舞いに行きました。病室で神の愛と、イエス・キリストの十字架の救いを語り、アーメンと信じるように勧めました。家には仏壇があるとのこと。心の中にはと聞くと、心は空っぽと答え、イエス様を心に迎えてくれました。
これからどうしたらいいのかと尋ねられ、いつも喜んでいなさいと、出された手帳に書くと、ニコリ微笑んで、いつも怒ってばかりだったので、私に一番必要なことばですと、喜んでくれました。
亡くなる前に孫の牧師に洗礼を授けてもらい、永遠の天国へ安らかに召されました。
いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する人生。平安で幸せです。
イエス・キリストの救いをアーメンと信じ、心を開いて受け入れるだけです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。


信じる喜び

2017-01-30 18:20:59 | Weblog
使徒の働き8:12 しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。
イエス・キリストの最後の命令は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます」
イエス・キリストが十字架上に死に、三日目の朝復活されたのに、彼らは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。その後、彼らのうちのふたりがいなかのほうへ歩いていたおりに、イエスは別の姿でご自分を現わされた。そこでこのふたりも、残りの人たちのところへ行ってこれを知らせたが、彼らはふたりの話も信じなかった。
しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。
イエス・キリストの最後の命令は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます」でした。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。
それは、ピリポにも同じことが起こり、今もなお全世界で、アーメンと信じてバプテスマを受ける人々が続出しているのです。

ありがとうございます。今日もまた天国の一に日です。感謝します。

明日の心配は無用

2017-01-29 18:19:45 | Weblog
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6:25-34)
ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日でした!感謝します。明日の心配は無用です。

命を運ぶ

2017-01-29 18:16:00 | Weblog
胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
この世に生まれたのは、真で愛の神の恵み、いのちは神に与えられたものです。赤ちゃんが生まれる喜びを親は知っています。たとえ望まれない誕生であったとしても、神が与えた尊いいのちです。生まれたなら、死ぬまで生きることが人の運命=命+運です。運命がないとか、ついてないと言わないで、しっかり与えられた命を大事にいきることです。
神が天に召してくださる日まで、いのちを運び終われるように、愛の神は責任を持て守り導かれます。歳を重ねることを恐れ悩むこともなく、いのちを与え、さらにイエス・キリストの十字架と復活により、永遠のいのちまで与えてくださることを、アーメンと信じる恵みに感謝します。
天地万物の創造者、唯一の真の愛の神を愛します。
イザヤ書46:5-8 わたしをだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。袋から金を惜しげなく出し、銀をてんびんで量る者たちは、金細工人を雇って、それで神を造り、これにひざまずいて、すぐ拝む。彼らはこれを肩にかついで運び、下に置いて立たせる。これはその場からもう動けない。これに叫んでも答えず、悩みから救ってもくれない。このことを思い出し、しっかりせよ。そむく者らよ。心に思い返せ。
ありがとうごあいます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。

町に大きな喜びが

2017-01-29 18:07:15 | Weblog
使徒の働き8:8 それでその町に大きな喜びが起こった。
激しい迫害が起こり、クリスチャンたちは逃げ出さなければという状況になった。
しかし、イエス・キリストの救いの喜びは、波紋が広がるように、彼らが逃れた所に広がりました。
牧師や伝道者ではなく、救われた信者たちの証で、信じる者と共におられる聖霊が、イエス・キリストを証しさせてくださり、癒しや奇跡も起こり、それでその町に大きな喜びが起こりました。
書斎の南側は大きな樫の木が何本もあり、太陽を遮っていました。隣接地造成で樹木が伐採され、もうすぐきれいなフェンスになります。
太陽の光が燦燦と差し込み、同時に見えなかった生駒市の中心部近くまで、書斎変え見えるようになり、夜は市内の明かりも見えます。
12万余の人口になった生駒市。市議会議員も教会員におり、生駒聖書学院も今年創立88年を迎えます。
心からの祈りと願いは、生駒市だけでなく、全国の町々津々浦々島々に至るまで、イエス・キリストの十字架と復活の福音が伝えられ、日本が救われることです。
幸い生駒聖書学院卒業生が、全国ですばらしい福音に仕えています。4月10日に入学式です。4月からの入学をお待ちします。通信課もあります。
エレミヤ書33:6-9 見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。
この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。」
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

いつもいっしょに

2017-01-29 06:11:19 | Weblog
聖書の約束
出エジプト記33:14
わかった。安心しなさい。わたしがいっしょに行く。失敗のないようにおまえを守ろう。
出エジプト記は、400年間エジプトの奴隷だったイスラエル民族が、パロの圧政から救われるエクソダスの壮大な記録です。
偉大なモーセに率いられ、様々な奇跡を経験し、荒野の旅を続ける200万民族の歩みです。
紅海横断のものすごい奇跡。荒野にパンが降り、岩から水が出たり、さらに民族の規範としての十戒授与。
すばらしいことが起こっても、ぶつぶつつぶやき、不平不満の民。モーセはどうしていいか分からず、神に祈ります。
すると、主は、わたし自らが同行し、あなたに安息を与えよう。神ご自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。失敗のないように守ろう。
凄い約束です。リーダーは誰にも不平不満は言えず、ストレスに負けそうになることも多いけれども。全能で愛の神は、いつも助けて守り安息を与えます。
へブル人への手紙13:5-6 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。

雪の日に

2017-01-28 18:13:40 | Weblog
イザヤ書45:22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。
1850年12月15日 日曜日ロンドンの朝、いつも行く教会の礼拝に向かう16歳の少年スポルジョンでした。大雪の朝でしたが突然の吹雪のため、にやむなく近くの小さなチャペルに飛び込みました。大雪で牧師が礼拝に来れず、靴屋の信徒が、開いた聖書の言葉は「地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない」でした。雪まみれで飛び込んだ初来回の少年を見て、説教したことのない彼は、そのことばを何回も読み、少年よ。仰ぎ見て救われよ!と叫びました。
スポルジョンはその瞬間、十字架の主イエスを仰ぎ見て救われました。16歳で救われ、バプテスト教会で牧師に就任し、一年で10人が400人の教会に成長する目覚ましい働きで、名説教者となり、ロンドンで牧師を続けました。1854年 ロンドンの中央にあるュー・パーク・ストリート・バプテスト教会の牧師に就任。1856年 サリー・ガーデン音楽堂の礼拝で説教をして12000人が出席。1857年 ロンドン・クリスタル・パレスで説教をして23654人が出席した。1861年 ロンドン南部のニューイントンにメトロポリタン・タバナクル教会を建設。19世紀最大の礼拝出席者の教会。
著書も多く、説教学入門やその他の著作が書棚にもあります。顎髭を豊かに蓄えているのは、説教者として喉を保護し、何時も良い声が出るためだと述べています。
同じ16歳でクリスチャンとなりましたが、スポルジョンと違い、無口の神学生で先輩たちにもっとしっかり話せと叱られました。けれども人が救われるのは、説教や、牧師の姿かたちでもなく、聖書のことばにアーメンと言うとき、聖書の約束が救いを与えるということを体験し、現在もアーメンと言えば救われますと、イエス・キリストの十字架と復活の救いを語り続けています。アーメンで救われ、天国が保証される永遠のいのちがあります。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


なぜ選ばれたのか

2017-01-28 07:27:19 | Weblog
聖書の約束
ヨハネの福音書15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
なにゆえみかみは 聖歌450番

何故(なにゆえ)  御(み)神は  斯(か)かる身をも
  神の子と為(せ)しか  知るを得ねど

 (くり返し) 我が  寄り頼む主は
      委(ゆだ)ねたる  身と霊(たま)を
      守り得(え)給うと  確信するなり

何故  御言葉  信ぜし時に
  安きを得たるか  知るを得ねど
 (くり返し) 

何故  主イェスを  救い主と
  信じ救われしか  知るを得ねど
 (くり返し) 

我が世の終わりに  如何(いか)なること
  待てるかは  つゆも知るを得ねど
 (くり返し) 

救い主イェスを  何(いず)れの日に
  見奉(たてまつ)るかは  知るを得ねど

愛に選ばれ、実を結ぶために任命された幸。祈れば備えは豊かに、恐れることもなく、神の栄光のために、聖霊に満たされ進む恵み。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。