牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

すべてのできごとが神様からの愛のビッグプレゼント

2015-07-31 18:10:28 | Weblog
詩篇42:8 昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにありあります。私のいのち、神への、祈りが。
過去も未来も、時間的には今=思い出として振り返った瞬間に現実になります。未来=明日も良くなると思ったり、望んだ瞬間的に今の現実になります。過去も未来も、思考の中で悩んだり、恨んだり憎んだり、恐れたりはかなんだり・・・.。
永遠の今を知ると、現実=思考の中の過去も未来も=をプレゼントとして、ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。と、受け取ることができます。
詩篇の作者の経験=あなたの大波のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました=
昨年、曽木の滝へ行きましたが、大雨の時は物凄いと聞きました。人生でも、波ひとつ立たない平温で順調なとき、大波に翻弄されるような逆境の日、それが何であれ今の現実を、真っ正面からプレゼントと受け止め、すべてのことを感謝すると、不思議ななほど平安で、新しい知恵も与えられます。
朝ごとに恵みを受け、昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への祈りとともに。
今日の現実も、ビッグプレゼントと受け止め、ありがとうございます。これもまた聖なる天国からの贈り物です。感謝します。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日でした。感謝します。

ことばでも天国人生を

2015-07-31 07:09:13 | Weblog
聖書の一言;マタイの福音書15:11 口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」
レビ記には食べてはいけない食物の規定があり、食べる物によって聖となるか、汚れた者となるかに規定されていました。厳しい宗教的既定の中での発言ですから、そう信じて頑なに規定を守り、人々の生活までも規則で縛る人々にとっては耐え難い教えでした。その意味は、
口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。と、イエス・キリストは教えました。
口から出るもの=ことばです。ことばは口から出るから、それは人の心の思いです。心の思いが良ければ、良い言葉を語ります。
叶うと言う字は、口に+と書きます。口からプラスの聖書のことばを語れば、その通りにかないます。
吐くと言う字は、口に+ではなく土です。マイナスのことばを吐き散らせば、どろどろ人生です。
今日も天国ことば=前向きで、肯定的で積極的なプラスことばで、祝福の人生を歩みましょう。
恵みと愛とは 朝ごと日ごと 
主イエスの十字架 罪を贖い 
呪いを消し去り 病も癒して
心をきよめて ことばも変わる

豊かな恵みに つつまれ生きる
雪よりも白く 心洗われ
聖なる思いと 聖なることば
今日も天国 ありがとう感謝

主イエスは復活 共におられて
聖霊注いで 真理の道を
真すぐに歩ませ 実り豊かに
ハレルヤアーメン 天国の日々
アーメン
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


身体を動かさないでする運動

2015-07-30 18:22:59 | Weblog
月曜日に、タイ式マッサージと、台湾人佳佳整体指圧を受け、腹筋など体に負担がかかる運動をしないようにとのアドバイスでした。今日も5500歩ですが、立禅は、立派な健康法で、まず、①両足を肩幅に開き、少し高い椅子に腰かけるような感じで立つ=ちょっと膝を曲げ、軽く中腰になる。
②両腕は大きなボールを抱えるように円を作る。両手はソフトボールを持っているように、指の間にビー玉を挟んでいるように。あごもボールを挟む感覚で軽く引く。
③目は軽く伏せるように半眼にし、ゆっくり長く息を吐き出し、今度は鼻からゆっくり長く吸い込む。
まっすぐ立つよりも少々は疲れるが、それなりに筋肉を使っている。立ち続けることで足の筋肉が強くなる。少々不安定な姿勢なので、バランスを取るために、日ごろ余り使っていない筋肉を使います。
手を上げることにより、背筋・方が強くなる。腹式呼吸になるなど効果があるそうです。
立禅は立ったまま動かない健康法で、身体を動かすのが苦手な人や、激しい運動が禁止されている人、体に負担をかけたくないときなどに適切だと思います。
ムリせず2,3分静かに動かないで立っているだけ、立つスペースさえあれば簡単にできます。
静かに心をイエス様に向けて、豊かな聖霊の恵みに満たされたいものです。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日でした!感謝します。

聖霊注がれ、ありがとう感謝

2015-07-30 15:25:50 | Weblog
恵みと愛との 光り輝き
主イエスの栄光 いまここにあり
病も癒され 呪いは消えて
聖霊注がれ ありがとう感謝

主イエスは復活 世の終わりまで
見捨てず離れず 常に共なり
試練や困難 打ち勝つ力
聖霊注がれ ありがとう感謝

信仰希望と 愛に満たされ
福音語れば アーメン信じ
神の子とされる 天国の日々
聖霊注がれ ハレルヤアーメン
アーメン
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


波の上を歩く

2015-07-30 08:17:59 | Weblog
聖書の一言;マタイの福音書14:271-33 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。
ガリラヤ時は地中海より250メートル海面下にあり、周辺を山で囲まれており、大嵐になることが多く、その波の上を歩いて近づく姿に、幽霊だと恐れ惑いました。
シッカリしなさい。わたしである、恐れることはない。イエス・キリストのことばに、すばやく反応したのはペテロです。ペテロは後さき考えないで感情的人格です。感情に支配され、ますが、その心情は常に正しく、その根底には愛があります。
この時も衝動的に、主よ。もしあなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。
来なさい。と言われ、船から出て、水の上を歩きました。しかし、厳しい現実に直面しました。風を見て、こわくなり、沈みかけました。叫びだし、主よ。助けてください。そこでイエス様はすぐに手を伸ばし、彼をつかんで、信仰の薄い人だな。なぜ疑うのかと、彼を助けました。
アーメン信じますで救われます。イエス・キリストの十字架の救いは、ただ信じるだけで救われます。ところが人生には、ガリラヤ湖の嵐のように、突然襲ってくる試練や困難もあります。そんな時その環境や状況だけを見ると、躓いてしまうことがあります。ペテロのは感情的で衝動的で、良く失敗もしますが、決してイエス・キリストにつまずきませんでした。
それは、この嵐のときも波を見て、こわくなり沈みかけましたが、主よ。助けてください。その瞬間、すぐ手を伸ばして、ペテロの手はシッカリつかまれ、彼は溺れることもなく助かりました。そして、二人が舟に乗り移ると、風はやみ、向こう岸に無事に着きました。
16歳の時クリスチャンになり、その日から57年、最も多く祈った祈りは、主よ。助けてください。主の名を呼び求める者は救われる。約束のように、助けられ続け、救われ続ける人生を歩んでいます。二人が舟に乗り移ると、風がやみ、目的地に着いたように、生駒聖書学院もエリムキリスト教会も、嵐や突風に襲われる時があっても、いつも平安と感謝の中で守られ続けています。多くのとりなしの祈りもあり、信仰に満たされています。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


なつかしい種子島

2015-07-29 18:49:46 | Weblog
26日は台風12号で航路も高速艇も欠航。種子島へ行けず、11月1日の日曜日に再度訪ねることになりました。種子島(たねがしま)は、鹿児島県大隅諸島を構成する島の1つ。
種子島は、鹿児島県内有人離島の中で最も東に位置し、人口減で3万減になり、それでも奄美大島に次いで2番目。高校時代(昭和32年)には、人口75,000人くらいで、西之表市になりました。今は過疎の島です。
面積は444.99km2で、奄美大島、屋久島に次いで3番目に大きい。日本では、10番目に大きい島。標高は最高点でも282mしかなく、海側から見ると殆ど平らな島。宮之浦岳1936mもある隣の屋久島と比べると対照的です。
宮之浦岳の雪を眺めつつ、星原中学へ片道9キロを3年間休まず通学し、高校時代友人に出身地を聞かれ、生姜山と答えるほとんど知りません。島の山の中、鴻峰小学校のある地域で、10年の歴史を刻んだ小学校も廃校です。現在は種子島空港ができ、生家まで歩いて3000歩位です。生家の入り口も分からないくらいの山になっています。
今年の11月24日で、アーメンと信じ洗礼を受けクリスチャンになり58年。何としても種子島の教会で体験を語りたい願いもあり、11月に訪ねる幸いが与えられました。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。

嵐の波の上を歩く

2015-07-29 06:38:23 | Weblog
聖書の一言;マタイの福音書14:22-33 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
奇跡をすなおに信じる人生は幸せです。波の上を歩く、そんなことはできないと頭から否定するか、合理的解釈で、岸辺を歩いている姿を見て、弟子たちが幽霊だと思い、波の上だと勘違いした。
聖書の記述をそのままアーメン。ハレルヤ=疑いも晴れる幸い人生を。
弟子たちが困り苦闘していたとき、ただちに助けと救いの手がさしのべられたのです。人生の逆風吹くとき、困難試練が行く手をふさぎ、境遇、誘惑、悲哀、病や苦労のなかで、孤独で苦闘しなくても良い。
イエス・キリストは両手を広げて声をかけ、しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはないと、声をかけてくださいます。
今月は、10日に台風11号のさ中、沖縄空港まで行き関空へ返し、最終便でやっとフライト。11日のリゾートチャペルでの結婚式司式をするスリルを経験。
26日は種子島の西之表キリスト教会、種子島新生キリスト教会礼拝説教でしたが、台風12号で飛行機も高速艇トッピーも欠航。幸い11月1日の日曜日に、再度行くことになり喜んでいます。
人生の逆境に行き悩み、打ちひしがれている者のために、イエス・キリストは十字架にいのちを捨て、墓に葬られ3日目の朝に復活し、ガリラヤ湖の波の上で声をかけたように、しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはないと声をかけ、世の終わりまでいつも導き、助けの手を差し伸べてくださいます。
ありがとうございます。きょうもまた奇跡の天国の一日です。感謝します。




11月にもう一度種子島へ

2015-07-28 18:26:06 | Weblog
作年の今日は、朝、7時に高速艇トピーで種子島出航。べた凪の海を鹿児島港に疾走。鹿児島中央駅から新水俣駅へ。神薗悟牧師夫妻と神薗房子牧師に迎えられ、名物の鯉料理でランチタイムをご一緒しました。
今年は台風の影響で種子島に行けず、息子家族6人と、娘と孫は三重県伊勢市へ出かけたので、孫たちも来ない一日。静かな憩の夜です。
種子島には、今年は行かないと思いました。でも西之表キリスト教会で、アーメンと信じ教会前の海で洗礼を受け58年。11月3日が火曜祭日。学院は火曜祭日の時は月曜が休みになります。
10月31日に種子島へ。11月1日(日)礼拝メッセージ。1957年111月24日にクリスチャンになった体験をお話できればと思う今日です。
昨日からのタイ式マッサージで体調も良くなり、昨年と違い声もはっきり出るようになっています。今回会えなかった中学同級生にも、会えれば幸いです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

5つのパンと2匹の魚で5000人が満腹

2015-07-28 07:23:18 | Weblog
聖書の一言;マタイの福音書14:15-21 夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。
5つのパンと2匹の魚で、女と子どもを除いて、男5千人が食べて満腹になり、パン切れの余りが12のかごにいっぱいあった奇跡です。
書かれている通り、5つのパンと2匹の魚が、そこにいたみんなの飢えを満たしたと、そのまま信じる恵みです。奇跡は実際に起こったのです。余りにも単純だと非難するのは簡単だが、神の全能の力を信じると、人生ワクワクです。 そんなことはないと、何もかも否定する良い、信じる方が楽しいから幸いです。
ヨハネの福音書には、この奇跡のもととなった5つのパンと2匹の魚は、一人の少年のものでした。その少年が弟子のアンデレにそれを渡しました。アンデレはこれだけしかありません。何の足しにもなりません。しかし、イエス・キリストはそのパンを受け取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂き、みんなは食べて満腹しました。
それをここに持って来なさいと、イエス・キリストの愛の手に任せると、奇跡が始まります。これだけで何になりましょうと、小さなこと少ないことを嘆いていたら、何事も怒らず持っているわずかな物も雲散霧消します。
しかし、愛なる神の全能の手に、イエス・キリストのお名前で委ねられるとき、今でも5つのパンと2匹の魚が、増え続けたような奇跡が起こり続けています。
この奇跡を信じないと言わないで、また合理的に解釈しないで、ただ一つのことをしっかり受け止めたい。それは、イエス・キリストの手に委ねる時、どんなに小さなものでも存在価値を与えられ、多くの人の人生を祝福するようになります。イエス・キリストの下で飢えは満たされ。重荷は下され平安になり、満たされた人生を生き、受けるよりも与える方が幸いな、ゴールデンルールの人生を生きるようになります。
ありがとうございます。きょうもまた奇跡の天国の一日です。感謝します。





タイ式マッサージ初体験

2015-07-27 18:41:32 | Weblog
恵みと愛との 光り輝き
愛のうち歩み 聖霊ともに
高らに賛美し 祈りをささげ
主イエスに従う 天国の日々

光の子として 賢く歩み
聖書にアーメン 確信の道
福音伝える ほほえみ豊か
主イエスに従う 天国の日々

御霊に満たされ 輝きの道
みこころ求めて ひたすら進む
十字架のイエスは いつもおられて
主イエスに従う 天国の日々
アーメン

生まれて初めてのタイ式マッサージ。最初はタイ人男性が、足首から腰、上腕までを力強くもみほぐし、思わず痛いと言いたいくらい。一通り済むと台湾女性院長が、さらに揉み解し痛みも強い、堅いですね。首の周りが大切です。頭もマッサージ。一通り終わると、血の巡りが良くなったから、ゆっくり休んでとベッドで30分ほど熟睡。目覚めて着替えると、マーボ豆腐と玄米の昼食まで用意してくれ、ご馳走になる。握手して幸せと、台湾のひとり娘と中学生孫、タイ式マッサージの祝福を祈る。初めての出会いだが、イエス・キリストを信じる祈りまでアーメン。
タイ人男性は日本語が十分でないようだが、祝福の祈りにアーメン。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。