牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

生まれ変わりの新しい人生へ

2007-04-13 05:53:26 | Weblog
生駒聖書学院は9日(月)入学式。式当日の夜からセミナーをスタート、来週の月曜日午前中まで続きます。水曜日より金曜の3日間は朝6時開始。金曜日午後より日曜日は教会奉仕のため休みます。

 神学生一同楽しく参加してくれ、通学生の主婦は泊り込みや、朝早く車で大阪より参加しています。学ぶことの喜びと共に、お互いに話し合う楽しさ、目的を持つものが目標に向って前進する姿に感動しています。

 人間は変わることができる!誰でもキリストにあるならその人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなったのであると、聖書にあるとおりの人生の見本が生駒聖書学院に、たくさん存在しています。今年の入学生にも元やくざがの神学生がいます。

 15日の日曜日にはアドラム・キリスト教会の礼拝で説教しますが、牧師は元暴走族で鑑別所や少年院を5回も出たり入ったりでした。5回目のとき差し入れられた聖書を読み、悔い改めてクリスチャンになりました。少年院から生駒聖書学院へ入学、卒業し牧師となってもう7年目になります。

 暴走や覚せい剤、アルコール依存症に悩む少年少女の更正に取り組み、寝る間もないほどに東奔西走で活躍しています。そのような子らを持つ親御さんたちが礼拝に集い、悩む子らのために祈りつつ取り組んでいます。

 あなた方に対して抱いている計画は、わたしが知っている。-主の御告げー それはわざわいではなくて平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものである。エレミヤ書29:11

 どんな人生にも神の計画があり、わざわいを十字架の上に背負われ身代わりとなって死んでくださったイエス・キリストにより救われるのです。そればかりでなく、すべての出来事が働いて万事が益となり、多くの人々の幸せに生きる人生が始まるのです。

 新しい人生は改革や道徳的になる努力だけではなく、イエス・キリストを信じ受け入れることによる生まれ変わりによってスタートすることができるのです。

 そのような人生こそ、春の輝きにあふれる生きがいにあふれた日々なのです。新生児にも似たような素直な心と思いの中で、活き活きと歩む人生が可能なのです。

 テモテへの第一の手紙

1:12 私は、主キリスト・イエスに、どう感謝したらよいかわかりません。 主は私を使者の一人に選び、忠実に奉仕する者となる力を下さいました。
1:13 以前の私は、キリスト様の名をあざけり、主を信じる者たちを追い回し、あの手この手で迫害しました。 しかし主は、そんな私さえ、あわれんでくださったのです。 その時はまだ、キリスト様を知らず、自分のしていることの恐ろしさもわからなかったからです。
1:14 主は、なんと恵み深いお方でしょう。 どのように主に信頼すべきか、どうしたらキリスト・イエスの愛に満たされるかを、教えてくださったのです。


1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うために、この世に来てくださった」ということばは真実です。 このことをだれもが知ってくれるようにと、心から願っています。 私は、その罪人の中でも首領格の人間です。


1:16 それにもかかわらず、神様は私をあわれんでくださいました。 キリスト・イエスは、どうにも手がつけられない罪人に対してさえ、自らの忍耐深さを教えようと、私みたいな者を選ばれたのです。 それによって、だれにも永遠のいのちを持つ希望が与えられるのです。
1:17 どうか、永遠の王であり、決して死ぬことのない、目には見えない、ただ一人の、知恵に満ち満ちた神様に、栄光と誉れとが、永遠にありますように。 アーメン。