牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

神の手に

2016-11-30 05:47:52 | Weblog
聖書のみことば
ローマ人への手紙12:17-21 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
人間関係の問題はいろいろあります。家庭でも学校でも、職場や社交クラブ、趣味の集まりでも。
秘訣は、すべての人が良いと思うことをはかること。
第二に、すべての人と平和を保つ。
第三に、復習しない。
どんな交わりでも、嫌な出会いがあるようです。いろいろな出会いがあります。そんなとき、理想ばかり言ってもと思われます。しかし、聖書の教えにアーメンで、すべては解決に向かいます。
してはいけないことは、裁いたり、悪口をいったり、その人を変えようとしたりしないことです。
ことの成り行きは、愛の神様にお委ねすることです。
天網恢々疎にして漏らさず=天の網は広大で、目は粗いが漏らすことはない。悪人は必ず天罰を受ける。ことわざにもあるとおりです。
自分で復讐せず、祝福を与え、愛の許しの祈りです。
ペテロの第一の手紙3:9-12 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。
主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。




貧しさも富も

2016-11-29 20:05:09 | Weblog
箴言30:7―9 二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。
不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。
私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。
二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。
主の祈りに、日ごとの糧を与えたまえとあります。今日の箴言は、まさしくその具体的な祈りです。
不誠実な人生は、不信実と偽りです。政治家であれ教育家、企業家、一般人、老幼男女だれあれ、不信実と偽りから遠ざかり、いやそれらを捨てるとき、生き馬の目を抜くような偽りの社会にあっても、平安で幸せな真実と愛の日々を生きることができます。
貧しさも富も与えず、ただ私に定められた分の食物=ただ生きるのにどうしても必要なものだけを与えてください。
その祈りは贅沢になりすぎて神様を忘れ、貧乏のあまり盗みを働かないようにと言う理由です。あらゆる境遇の中で、神様を第一にして生きる人生、神の栄光のために生き、受けるよりも与える方が幸いな日々を歩む人生を、聖書は約束しています。
ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな聖なる一日です!感謝します。

いちじくの木の下に

2016-11-29 20:03:26 | Weblog
ヨハネの福音書1:47-49 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」
ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
人生は出会いの連続。イエス・キリストの最初の弟子たちとの出会いです。アンデレ。ペテロ、ピリポ、ナタナエル=いちじくの木の下にいた男。そこは祈りの最高の場所。祈っている男との出会いです。
前向きな心、感謝の心、人の幸せを思う祈り。祈りは脳を活性化し,いつも活き活き新鮮な活動を与えます。
仕事上の困難、家庭における問題、政治経済教育、日本の国内や世界情勢など、厳しい状況に支配されそうですが、祈りはすべての波を越えさせてくれます。良い祈りを続けると良い方向に変わります。
健康のためにも、祈りは癒しであり、良薬です。
イエス・キリストのお名前での祈りを続け、あなたがイチジクの木の下にいるのを見たと言われるような祈りの器になりましょう。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

新しい人生へ

2016-11-29 08:48:58 | Weblog
聖書のみことば
コリント人への第二の手紙5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
誰でも例外なしに、アーメンと信じるだけで、新しい人生をいることが出来ます。
老若男女、性別も、国籍も、経歴も関係なく、私は無神論の中から16歳の時、新しい人生がスタート。
11月24日で59年になり、今日も現役で快調に生かされています。
詩篇118:23-24 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。
日々新しく変えられ続ける幸せ。
コリント人への第二の手紙3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
最終的には天国で完全に変えられ栄光の輝きに永遠に存在。
ピリピ人への手紙3:20-21 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。



ちょっと変えるだけで

2016-11-28 18:16:09 | Weblog
間は外見や姿形で判断したり、判断されたりしてはいけないことは良く分かっています。内面を変えると、人は幸せになります。しかし、同時に内面を変えることの難しさも、多くの人が悩み苦しんでいます。
反対に、外見やことばつかい(日々の口ぐせ)を変えると、内面も変わります。
生駒聖書学院は創立者がイギリス人です。聖書学院に来て驚いたのは、ネクタイを着用していないと、食事のテーブルに着くことも許されませんでした。現在はネクタイをしていなくても食べられます。フリースタイルの時代になりました。
しかし、生駒聖書学院は礼拝時のチャペル、授業中の教室ではスーツとネクタイ着用です。イギリスの良い習慣がいまも連綿として続いています。
生駒聖書学院には、少年院や、刑務所を出所した入学生を迎えることもあります。暴走族で少年院から入学してきた青年がありました。学院入学と同時にスーツにネクタイの生活。またことば使いも、前向きで明るいことばを口癖に。聖書のことばを朝の目覚めから、ベッドでも口ずさむ。3年間の学び、卒業時には見違えるようになり、今では新聞やNHKでも紹介されたり、数年前の姿からは想像もできないような立派な牧師になっています。
もちろん、イエス・キリストの十字架と復活、聖霊のお働きにより、そのような変化をもたらしました。しかし同時に、生活態度と外見を変えました。刑務所や少年院も、受刑者を紳士になれるよう、神の子として内面も外形も生まれ変わらせるような法律ができればいいですね。
悪い習慣から離れられないときは、生活のスタイルを変えて見ると、不思議に奇跡のような変化が起こります。
お酒の好きな方は、酒の匂いや賑わいのある場所を通らないで真っすぐ自宅へ帰るだけでクリアできます。パチンコが好きならその音のするところを通らない。覚せい剤や快楽に直ぐ誘惑を感じるなら、そんな交わりや店、薄汚い場所へ近づかないだけで解決されます。
今年はもうすぐクリスマス。近くのキリスト教会の礼拝の聖なる場へ行ってみるだけで、人生は美しく清らかになります。
生駒聖書学院教会は、午前10時から、大坂新世界のエリムキリスト教会では午後2時。ぜひ、新しい年に向かって、新しい変化を体験し、平安で幸せに満ちた新しい人生を体験ください。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日でした。感謝します。

あだ名つけ名人

2016-11-28 18:10:34 | Weblog
ヨハネの福音書1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
1:42 And he brought him to Jesus. Now when Jesus looked at him, He said, "You are Simon the son of Jonah. You shall be called Cephas" (which is translated, A Stone).
バプテスマのヨハネに紹介され、イエス・キリストと語ったアンデレは、自分の兄弟シモンを連れてきました。
シモンに目を留めると、その目は何と慈愛深く、心の中まで見通す眼差しだったことでしょう。かれは3年後の夜も、そのまなざし=ああ、主の瞳まなざしよ=に愛され赦されましたが・・・。
どんな眼差しで見るかで対人評価は雲泥の差になります。
イエス様は、ニックネーム名づけの名人。うわべの評価だけでなく、皮肉やお世辞でもなく、その人の魅力を最大限に引き出すあだ名です。
見短く粗暴にさえ見える、自分が親分えなければ収まらないガリラヤの漁師シモンを、ケパ=ペテロ名づけました。
You shall be called Cephas" (which is translated, A Stone).
現在もローマカトリック教会は、そのペテロの上に教会は建つと主張します。バチカン市国のローマ法王はペテロの後継さyと名乗っています。
キリスト教会は、イエス・キリストをアーメンと信じる信仰こそ、どんな人生であっても、イエス・キリストによって新しくされます。
今日、イエス・キリストを信じ心にお迎えし。岩のように揺るがない人生を、平安と幸せに過ごし、天国の道を歩みましょう。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

まさかの坂

2016-11-28 06:47:45 | Weblog
聖書のみことば
詩篇1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
当時は文語訳聖書で、その為すことは皆栄えんから、娘にみさかと名付けた教え子があります。三坂と栄えの名前からという人もありましたが、詩篇から、その子が何をしても、みな栄える幸せを願った名前です。
人生には、坂があります。書斎は坂の上にあります。毎日、院長室まで下り坂、帰宅は上り坂です。
生駒聖書学院は丘の中腹にあり、それこそ下り坂、上り坂です。若いママたちが自転車でスイスイ上るので、すごいと思ったら電動ですよとニッコリ。
人生や伝道牧会、教会生活にも上り坂、下り坂の連続ですが、どんな坂でも天国への上り坂です。
でも同時に、みさか=全部栄える坂です。
まさかという坂もあります。まさか自分にこんなことが起こるなんてという、「まさか」は、誰にでも起こります
牧師でも例外ではありません。57歳まで健康そのもの、風邪なし、肩こりも経験なし、頭痛、腹痛、睡眠障害もなく、薬も病院も知らない元気でした。
何と右脳内出血、左脳内出血、小脳内梗塞、2度の交通事故にまで。まさか自分にこんなことがと思っても、まさかが真さかで起こりました。
ところが、まさかは自分次第で、下り坂にもなり、上り坂にもなります。イエス・キリストをアーメンと信じると、すべてがプラスになり天国への上り坂です。
具体的には向きを変えるだけです。上を向いていますか。下向きですか。上を向いていれば、まさかの坂を真っ直ぐに天国への道を上って行けるのです。
まさかに出会ったら、ありがとう。感謝してますと挨拶です。その瞬間、まさかは奇跡の坂になり、平安と幸せの波が押し寄せます。波乗りサーファーのように、喜び楽しみに変えられます。アドナイ・エリエゼル=主は助け主。世の終わりで、見捨てず見放さず、ともにおらあれるインマヌエルの主。イエス様。助けてくださいと素直に祈れる日々です。
上を見上げてまさかの坂を上り続けましょう。幸せを祈ります。
ありがとうございます。きょうもまたまさかの天国の一日です。感謝してます。

重税は国を滅ぼす

2016-11-27 18:22:31 | Weblog
箴言29章
責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いやされることはない。正しい人がふえると、民は喜び、悪者が治めると、民は嘆く。
知恵を愛する人は、その父を喜ばせ、遊女と交わる者は、財産を滅ぼす。
29:4 王=政治家は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす。
正しい人が治めると国民は喜び、悪人が権力を握ると嘆きます。
1945年8月15日、戦争が終結し70年、国際政治の中で平和憲法を持ち、戦争しないで世界の先頭を走る国になりました。
憲法は政治家のためのものですが、憲法を守らないで国のためと言う政治家が増えています。政治家が国のためと言い始めるとき、国民のことを忘れている時です。戦争の脅威を大声で主張し、お金お金と経済大国になることだけを言い、国民に格差が広がろうと、国が富むために我慢しろと、差別さえある国になろうしています。
主権在民の日本です。政治家を選ぶ選挙が来年やって来ます。選挙へ行かなければ、日本の進路を誤らせてしまう責任を、自分で決めてしまいます。しっかりと平和憲法を守る政治家を選びたいものです。平和憲法のもとにある日本を忘れないようしましょう。
ほんとうに日本国民を愛し、理解し、国際政治でも平和の先頭に立つような議員が選ばれるかどうかは、選挙に行く国民によって決められます。
I love two J’s=Japan & Jesus
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝しま

何を求めていますか

2016-11-27 18:10:43 | Weblog

ヨハネ1:38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
1:39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は十時ごろであった。
時は十時=今なら午後4時です。
あなたがたは何を求めているのですか。彼らは、先生どこにお泊りですか。と答えました。
来なさい。そううれば分かりますと言われて着いて行きました。
何を求めているのでしょうか。
お金を、仕事を、結婚相手を、大学合格を、健康を、レジャーを…数限りない求めがあります。自分の中にある求めだけでもたくさんあります。十人十色、百人百色、いや千人・万人千色万色の数だけ求めがあり、いろいろ違います。
自分が求めていることが具体的な人は幸せです。その幸せを与える相手がいる人はなお幸いです自分の幸せから、人の幸せを求める、祈る人生を人生は幸いです。
今朝何を求めていますか。
受けるよりも与える方が幸いです。利他行動で相手が変われば、自分も変わり幸せです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



ジャンル:ウェブログ

愛に輝く

2016-11-27 07:50:44 | Weblog
愛に輝く人生を
コリント人への第一の手紙13:4-7 愛は寛容=すべての人に対する忍耐。
愛は親切=すべての人にやさしい。
愛は人をねたみません=うらまず、そねまず。
愛は自慢せず、高慢になりません=高ぶらず、ほこらず。
礼儀に反することをせず=礼儀正しく、不作法にならず。
自分の利益を求めず=義務と責任を果たす。
怒らず=いらだたない。
人のした悪を思わず=、うらみをいだかない=いだく=帳簿につけない。
不正を喜ばずに真理を喜びます=真実に直面する勇気。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。=忍耐と信用と期待と物事を克服し変革するまで望みの忍耐。
愛は決して絶えることがありません=最後まであきらめない不滅の愛。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
愛は今日も豊かに=ローマ人への手紙5:5それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。