牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

朝から動き続けの一日でした

2012-11-30 06:23:17 | Weblog
 ブログに外見と口ぐせを変えると良い等と書いたり、良い知らせを伝えるために牧師になりましたと書きました。

 7月に右脳内出血で入院、10月に小脳梗塞で再入院。幸い両方とも主治医も驚くほどに完治しました。

ムリしないようゆっくり過ごすように、いつも言われ続けています。パソコンで小脳梗塞を検索すると、後遺症についていろいろ書いてあり、同じ状態を見つけると、それが気になりつい口に出してしまいます。

 院内改装工事が始まるので、院長室の整理をしようと行くと、副院長が汗みずくで片づけており、休んでいてくださいと叱られ書斎に戻りました。

 市役所が不要なものは引き取りに来てくれるとのことで、院長室はお任せして書斎を片づけ始めました。必要でないものを出そうと、朝から取りかかったら遅くまでかかり、久しぶりに身体を動かし続けました。

 昼過ぎに娘が来て少し手伝い、せっかく来てくれたので、車で行きつけの美容室へ散髪に連れて行ってもらいました。久しぶりにさっぱりでき、予約でいっぱいでしたが、持ち時間ないで孫の前髪と後ろもカットしてくれ、1歳7ケ月の男の子ですが、ニコニコと上機嫌にママに抱っこされたままきれいにしてもらいました。

 途中、「三度輝くいのちを与えられ」の小冊子お届けしたり、工事の打ち合わせに来られた工務店の方々5人にも、またコンビニでもお渡しでき10数冊を配ることができました。

 夜遅くには、卒業生のメールで冊子を用いたいと300冊申し込みがあり、今朝にも宅急便に来てもらい発送します。

 イエス・キリストの十字架の救いは、人を罪から救うだけでなく、病や呪いから解放し、貧困からも救いだし、死を越えて天国に導く、素晴らしい良い知らせです。

 イエス様を信じると、聖く正しく、健やか祝福され、豊かに人生を生きることができます。人間は誰であれ、どんなに長寿でも死を迎える存在です。十字架と復活を信じる者は、死を越えて永遠の天国へ行くことができます。

 同時に、イエス様とともにいる所が天国ですから、この地上での生活がどうであれ、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。と。朝からばいつも高らかに宣言できるのです。


コリント人への第二の手紙

4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。



良いニュースを伝えるだけの人生

2012-11-29 06:22:33 | Weblog
 56年前の11月24日に、種子島の城之浜海岸で洗礼を受けクリスチャンになりました。

 その後、生駒聖書学院に導かれ今日に至っています。なぜ牧師になtったのですか?と、ときどき聞かれます。

 大きな理由は、牧師として神様の召命を受けたからです。召命=神に召されて新しい使命につくことを意味 するキリスト教用語=

 山の中へ薪(たきぎ)を運びにいきいました、いつもポケットに新約聖書を入れており、その日も重い薪を背負っていたので、一休みしたとき聖書を出し読みました。ローマ人への手紙10章13~15節が、心にしっかり入って来ました。

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

 牧師になるとは、良いことを伝える人になることだと確信しました。のちに生駒聖書学院に入学し、その確信は今日も変わりません。

 「アーメンと言えば救われます!」を信条に、良いニュースを伝え続けています。聖書が伝える良いニュースとは何でしょうか。

 それは、「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力で」(ローマ1:16)信じるすべての人に、救いを得させる神の力です。

 福音とは具体的に何でしょうか。コリント人への第一の手紙15章1-5節に書かれているとおりですのことです。

 「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

 福音=良い知らせ=とは、イエス・キリストが聖書に書いてある通りに、全人類の罪を引き受けて死なれ、墓に葬られ、聖書に書いてあるとおりに三日目に復活され、今も生きいておられることです。

 そのことをアーメン=真実、誠にその通りです=と、本音で信じるならだれでも救われます。

 そのことを本気で本音で伝えているのが牧師であり、すべてのクリスチャンなのです。イエス・キリストの」十字架と復活こそ、この世で最高の良い知らせでありニュースなのです。

 「イエス様を信じます。私の心にお迎えします。アーメン」とお迎えください。人生が根底から救われ、新しい人生になります。真実に幸せな神の子として、永遠のいのちを持ち、天国に行くことができます。

 そればあkりではなく、今日もまた天国の一日です!と、復活のキリストとともに満たされて生きる天国人生を歩むことができます。


ヨハネの黙示録

 3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

ヘブル人への手紙

13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」

13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

外見や言葉使いを変えると人は変わる

2012-11-28 05:56:20 | Weblog
外見やことば使いを変えると人は変わる

人間は外見や姿形で判断したり、判断されたりしてはいけないことを良く分かっています。内面を変えると、人は幸せになります。しかし、同時に内面を変えることの難しさも、多くの人が悩み体験しています。

今日は外見やことばつかい(日々の口ぐせ)をか変えると、内面も変わること書いてみたいと思います。

生駒聖書学院は創立者がイギリス人です。聖書学院に来て驚いたのは、ネクタイ着用していないとテーブルに着くことも許されませんでした。現在はのネクタイをしていなくても食べられます。
 しかし、礼拝時のチャペル、授業中の教室ではスーツとネクタイ着用です。イギリスの良い習慣がいまも連綿として続いています。クールビズの時代から、国会でもいろんな会合の場でも規律が緩むと同時に、なんかだらしなくなったように思います。

生駒聖書学院には、少年院や、刑務所から入学生を迎えることが度々あります。現在もですが以前に、暴走族で少年院から入学してきた青年がありました。

 学院入学と同時にスーツにネクタイの生活になりました。またことば使いも、前向きで明るいことばを口癖にするよう指導しています。特に、聖書のことばを朝の目覚めから、ベッドの入るときまで口ずさむようにしています。3年間の学びですが、卒業時には見違えるように返信し、今では牧師として活躍しています。

また新聞やNHKテレビでも紹介されたり、数年前の姿からは想像もできいないような立派な牧師になっています。

もちろん、イエス・キリストの十字架と復活、聖霊のお働きに寄る内面の変化が、そのような変化をもたらしました。しかし同時に、生活態度と外見を変え、同時にことば使いから、前向きで積極的な告白がもたらした変化でもあります。

悪い習慣から離れなれないときは、生活のスタイルを変えて見ると、不思議に奇跡のような変化が起こります。

お酒の好きな方は、酒の匂いや賑わいのある場所を通らないで真っすぐ自宅へ帰るだけでクリアできます。パチンコが好きならその音のするところを通らない。覚せい剤や快楽に直ぐ誘惑を感じるなら、そんな店や場所へ近づかないだけで解決されます。

日曜日には少し早起きをして、近くのキリスト教会の礼拝の聖なる場へ行ってみるだけで、人生は美しく清らかになります。日曜日午前中のどこでも礼拝があります。
大阪エリムキリスト教会は、日曜日午後2時~3時に、大阪市浪速区新世界で行っております。 
ぜひ、新しい年に向かって、新しい変化を体験なさってください。


第一サムエル記
16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

今週は試験週です

2012-11-27 08:03:30 | Weblog
試験は何歳になっても、できれば避けたいと思うようです。神学生たちも試験に合格しないと、進級も卒業もできないので、試験時にはやはり真険に取り組みます。今週は今朝から試験スタートです。

 二学終了と同時に、校舎&チャペルの改装工事に入るので、来年3月の卒業式には、新しくなったチャペルで式を行えます。

 エレベーターも設置し、床を全部フローリングにして、靴のままで出這入りできるようにします。
 
 工務店の方も大張りきりでリフォーム工事を引き受けてくださり、思ったより素晴らしく仕上がりそうで、楽しみに工事に取り組んでくれそうです。

 今日もまた天国の一日です!お祈りありがとうございます。感謝します。


コリント人への第一の手紙

13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。

13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。

13:10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。

13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。

13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。


 


11月で年度が変わります

2012-11-26 06:56:24 | Weblog
 エリムキリスト教会では長年、11月を年度変わりにして活動しています。

 新しいしい活動を、クリスマスと正月からスタートという単純発想です。また11月24日に種子島の海岸で洗礼を受け、クリスチャンとしての歩みをスタートしたので、その初心を忘れないで、イエス様の十字架と復活の福音に仕える思いもあります。

 2012年をヨハネの福音書のことばで歩んできました。

ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

 イエス・キリスト様のいのちを捨てる愛で選ばれ救われました。その選びで永続する実を結ぶために任命されました。

 自分に資格がないと思うことの多い日々です。しかし、いンれば与えるとの豊かな約束を信じ、祈りつつ生かされ続けています。

 素直に本音で、純粋な動機で疑わずに、イエス・キリスト様のお名前で祈る幸いをいつも経験しています。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。


エペソ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

エレミヤ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」


詩篇1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

ガラテヤ、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。


コロサイ1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。


7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
マタイ


ヨハネ14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

昨日で55歳の誕生日でした

2012-11-25 09:04:41 | Weblog
 昨日(24日)で55歳の誕生日でした。種子島の海岸で洗礼(バプテスマ)を受けクリスチャンになりました。早いもので神の子として生まれ変わり55年になりました。

クリスチャンは二つの誕生日があります。一つはオギャーとこの世に生まれた日、1941年9月2日に種子島の中心で生まれました。ものすごい山の中です。現在は近くに種子島空港ができていますが、生まれたころはバスも通わず、元気も水道もガスもない山の中でした。

 孫と種子島を訪ね、お爺ちゃんの生まれたお家はどこ?と聞かれ、自分の生まれた家も分からない藪になっており笑われてしまいました。

 高校性になり家から20キロも離れており、自炊下宿で自分で食事も弁当も作りながら通学しました。
 高校の放課後、種子島に来ていたアルビン・ハモンド宣教師が英会話のクラスを開きました。アメリカ人を見るのがはじめてで、みん名で出かけました。

 片言の日本語で「だれでも重荷を負って苦労している人は、私のところに来なさい。休ませてあげます」と聞きました。

 それまでの15歳までは重荷を背負う(精神的と言うより、米俵やイモ俵、薪の束やヤギの草、炭俵やともかく農家の子どもでしたので重いものをかつぐなどz)ことが多く、瞬間ですが子のアメリカ人が手伝ってくれるのかと言う思いがありました。
 
 すぐちがうことが分かり信仰の勧めであり、キリスト教のことだと分かり自分には縁のない話だとおもいました。それから半年後、その宣教師に導かれてクリスチャンになりました。

 早いものであれから55年にもなります。先週も同じ海で45年前に洗礼を受けた方とも知り合い、その方が父のところを牧師といっしょに訪ねたことも知りました。種子島の多くの方との出会いが続くここ数年です。

 地上に生を受けて71年目に、思いがけず脳梗塞、脳内出血に襲われましたが、輝くいのちを地上で与えられ、天国へ召されるまで現役の牧師として仕える恵みに感謝する、受洗記念日でした。

 今日も、午前中は生駒聖書学院教会でメッセージ。午後からは大阪エリムキリスト教会で説教し、帰り道三ケ所ほど顔を出すだけの訪れで帰宅します。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。高らかに宣言しつつ礼拝を待つ朝です。

マタイの福音書

11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

叱られ続けの一日

2012-11-24 10:49:43 | Weblog
 昨日は天国聖会。初めて聖会を午後2時30分より行い正会解でした。愛知県、三重県、滋賀県、岡山県、兵庫県、奈良、和歌山、大阪、京都はもちろん雨上がりの生駒まで、会場の椅子が足りないほどの集まりでした。
 
 講師は、81歳で現役の白方誠彌先生。自宅から電車で講演に駆けつけてくださいました。

 お話しの跡でも質問に答えたり、お交わりをなさったりでした。講壇に立たれ話しておられる姿からは、高齢を感じさせない情熱があふれておられました。後10年で先生と同年齢になりんだな、その頃も自分も同じように説教しているかなあとも思いました。

 「三度、輝くいのちをあたえられて」と、小冊子を聖会に間に合うよう出版しました。全員に贈呈し、三度=99年の脳内出血、今年7月に左脳内出血、そして10月小脳梗塞のことです。


 白戸先生には、一ケ月少し前、 湯川イちぃう病院でMRI検査までしてもらい、右脳内出血が奇跡的に致命傷にならない血管を避けていることを示され、交通事故と脳内出血で奇跡的な完治だと言われたばかりでした。

 小脳梗塞について、講演前後詳しく聞かせていただき、お叱りも受けました。退院後一ヶ月も経ってないこともお話しし、今回も主イエス様の守りがあったことを感謝しました。

 また三重県や名古屋からの医者にも、十分これから気を付けるように、諄々と諭されお叱りを受けました。

 
 教会員たちや家族、神学生や牧師仲間からも、しっかり励まされたりお叱りを受けながらの
ありがたい恵みの一日でした。

 午前中には75歳男性ほか3名の洗礼式もあり、今年もクリスマスに向けて、信じて救われる方々が起こされた恵みも幸いでした。

 明日、午前10時、生駒聖書学院教会礼拝説教、午後2時からは、大阪エリムキリスト教会説教です。

 小脳梗塞後遺症、音声が出しにくいが少しありますが。神のことばをハッキリ語れるよう祈り確信しています。

 目覚めとともに、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します」と、発声します。

 眠る前にも、「ありがちとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します」と、
ハッキリ宣言します。

 皆様の祈りに支えられて、毎日を元気で過ごしています。


詩篇

34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。

34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。

34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。

34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。

34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」

34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。

34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。

34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。

34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。

34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。

天国聖会の始まり

2012-11-23 08:32:20 | Weblog
日曜日は4か所で礼拝をしており、9月23日(祭日)に全員で集まる聖会を計画しました。

 今年は牧師の事故や入院もあり、今日11月23日午後1時30分になりました。岡山市からの参加もあり感動しています。

 生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。

白方誠彌先生17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の脳内外科専門医としてもご活躍中です。

 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話があります。

生駒聖書学院=生駒市俵口町951 近鉄奈良線生駒駅よりタクシーで千円
自動車は阪奈道路生駒インターより3分、無料駐車場有。午後3時半過ぎまです。お近くの方ぜひお出かけください。

 牧師として、奈良市富雄キリスト教会を開始したとき、86歳の御方が亡くなり、生まれて初めて葬儀(召天式)をしました。勝手がわからず大変でしたが、その日以来臨終の方々を見舞い、亡くなる直前にアーメン。信じますと、イエス・キリストを心にお迎えし、天国を確信し、安らかに召される場に多く立会ました。

 やがて天国でお会いする日までおやすみなさいと、直接お導きした方々も数十名に及びました。

 その方々を覚え、また誰でも愛する者の死を経験しているので、先に召された方々を偲び、なぐさめと勇気を与えられる集まりです。

 今まで愛する長男を天に送った方、奥様に先立たれた方、父親を死に間際に信仰にとを導いた方、兄弟姉妹を姉、娘を、子どもを、主人を、祖父母、母を、多くの死に直面しました。

 個人的には、母を姉を祖父母をと小学4年生までに愛する者の死を目の当たりにしています。

 牧師となり、実の肉親に勝るとも劣らぬ思いで式を行ってきました。今年は自らも交通事故や脳内出血と死に直面し、今もなおボツボツゆっくりと生かされています。
その経験を、「三たび、輝くいのちを与えられて」と題し、小冊子に書きました。


 小さな体験を冊子(50ぺーじ)ですが、贈呈できます。
お申し込みは=elimyoshi@kcn.jpまで、お名前、ご住所(郵便番号も)お知らせください。
 
 今日の23日(祭)午後1時半からの天国聖会でも、プレゼントさせていただきます。


 
黙示録14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
 

明日は天国聖会

2012-11-22 05:48:26 | Weblog
明日の天国聖会お知らせです。

11月23日(祭)午後1時30分より、生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。

白方誠彌先生17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の脳内外科専門医としてもご活躍です。

 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話があります。

生駒聖書学院=生駒市俵口町951 近鉄奈良線生駒駅よりタクシーで千円
自動車は阪奈道路生駒インターより3分、無料駐車場有。午後3時半過ぎまです。

 イエス・キリストを信じると永遠のいのちが与えられるので、地上の生活が終わると、永遠の天国へ召されます。

キリスト教では死で終わる人生ではなく、死後に天国があると信じています。死はお分かれのさようならではなく、おやすみなさいなのです。死を眠るとか、召天、または帰天と表現します。

天国聖会は天国へ召された愛する方々を偲び、やがての日私たちも愛する者と再会することを思い、天国の喜びの中で、慰めと励ましを受け、勇気と希望に輝く集いです。

 今夏、7月22日に右脳内出血と交通事故になり、救急車で運ばれ入院し、 運転していた自動車は大破し、形もないほどでした。

 集中治療室や一般病棟、2週間後にはリハビリ病院への移転、病院生活の体験や1ヶ月後の完治体験を綴った、「三たび、輝くいのちに生かされて」と小冊子を、天国聖会に発行。

 事故現場の写真や集中治療室から出た直後の写真なども掲載されています。

  今も完治してはいますが、主治医や家族、教会員や友人たちからムリをしないように勧告され、ゆっくりボツボツと学院と教会の働きを続けています。
 主イエス様の癒しと、多くのとりなしの祈りに支えられながらの日々を過ごしています。
 小さな体験を冊子(50ぺーじ)に書いてみました。贈呈できます。

お申し込みは=elimyoshi@kcn.jpまで、お名前、ご住所(郵便番号も)お知らせください。
 
明日23日(祭)午後1時半からの天国聖会でも、プレゼントさせていただきます。

ヨハネの福音書

3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

ヨハネの第一の手紙

5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。


三たび、輝くいのちに生かされて

2012-11-21 07:54:54 | Weblog
「三たび、輝くいのちに生かされて」と題し、小冊子を発行しました。

 今夏、7月22日に右脳内出血と交通事故になり、救急車で運ばれ入院した時の経験を書いてみました。

 運転していた自動車は大破し、形もないほどでしたが、かすり傷もなく九死に一死を得る事故でした。

 集中治療室や一般病棟、2週間後にはリハビリ病院への移転、病院生活の体験や1ヶ月後の完治体験を綴った文書です。

 事故現場の写真や集中治療室から出た直後の写真(見て欲しくないなと思いつつ)なども掲載されています。

 「三たび、輝くいのちにいかされて」とのタイトル、1998年1月左脳内出血、そして今年7月右脳内出血、さらに10月に小脳内梗塞に倒れ、いずれも1カ月や10日間で、完治を宣告された経験をしました。

 今も完治してはいますが、主治医や家族、教会員や友人たちからムリをしないように勧告され、ゆっくりボツボツと学院と教会の働きを続けています。

 主イエス様の癒しと、多くのとりなしの祈りに支えられながらの日々を過ごしています。

 いやされた体験を小冊子(50ぺーじ)に書いてみました。読んでいただければ、贈呈できます。
お申し込みは=elimyoshi@kcn.jpまで、お名前、ご住所(郵便番号も)お知らせください。

 今週23日(祭)午後1時半からの天国聖会でも、プレゼントさせていただきます。

天国聖会お知らせ
11月23日(祭)午後1時30分より、生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。

白方誠彌先生17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の専門医としてもご活躍です。終末医療の現場で多くの死を見つめて来られ、医師としての立場からお話下さいます。

 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話をしてくださいます。

生駒聖書学院=生駒市俵口町951 近鉄奈良線生駒駅よりタクシーで千円ほど。自動車は阪奈道路生駒インターより3分、無料駐車場有。午後3時半過ぎに終わります。

ピリピ人への手紙1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。