牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

言いわけなしで生きて見よう

2012-02-29 07:41:06 | Weblog
今朝チャペルメッセージで、サイゼリアの話を聞きました。生駒市内にもレストランがあり、神学生たちと一度だけ行ったことがあります。安くて美味しかったとことを覚えています。

 サイゼリヤ創業者である正垣泰彦会長の初めての著書が発売されています。

 おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ(日経BP社税込1470円)

 創業から約40年、どんな考え方で繁盛店になったか、ビジネスとは何か、正垣流の経営哲学が満載ですが、一言で言えば言い訳なしの人生です。

 不平不満や言い訳が満ちている、そう言いたくなるような現実が多くあります。けれども成功している会社には、言い訳はないようです。会長自身が個人的にあ言いわけのない生き方から、現在のサイゼリアの繁栄を築き上げています。

 しっかりと現実を見つめながら明日を望みつつ、今日もまた言いわけなしの国の一日です!

申命記

26:16 あなたの神、主は、きょう、これらのおきてと定めとを行なうように、あなたに命じておられる。あなたは心を尽くし、精神を尽くして、それを守り行なおうとしている。

26:17 きょう、あなたは、主が、あなたの神であり、あなたは、主の道に歩み、主のおきてと、命令と、定めとを守り、御声に聞き従うと断言した。

26:18 きょう、主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、

26:19 主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。


つみとがをになう友なるイエス

2012-02-28 07:37:19 | Weblog
小学一年の時から高校生まで歌を歌わず、音楽の時間は口をつぐんだままでした。家でも歌はありません。

 16歳になりキリスト教会に行くようになりましたが、賛美歌の時間はやはり歌いませんでした。

 イエス様の十字架の救いをアーメンと信じ、イエス様を心にお迎えした日から、イエス様がともにおられることを体験し、特に、いつくしみ深き友なるイエスは(賛美歌312番)が大好きになりました。

 種子島の海辺や山の中、田舎の小道を歩きながら、音程は外れっぱなしでしたが、覚えて歌詞を唱えるように歌たったものです。

 昨年、種子島出身の二人の詩人と出会い、幸いお二人ともイエス様をアーメンと信じ、バプテスマを受けクリスチャンになってくださいました。

 そんなこともあり、ゆとりの一万歩を歩きながら、思いつくままに口から出ることばを、いつくしみ深き友なるイエスはのメロディで歌っています。
 
讃美歌312番 いつくしみ深き

いつくしみ深き 友なるイェスは
罪科(つみとが)憂いを 取り去り給う
心の嘆きを 包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイェスは
我らの弱きを 知りて憐れむ
悩み悲しみに 沈めるときも
祈りに応えて 慰め給わん

いつくしみ深き 友なるイェスは
変わらぬ愛もて 導き給う
世の友我らを 捨て去るときも
祈りに応えて 労(いたわ)り給わん アーメン


聖歌607番 つみとがをになう

つみとがをにのうともなるイエスに、
うちあけうるとはいかなるさちぞ
やすきのなきものなやみおうもの
ともなるイエスをばおとずれよかし

こころみのあしたなきあかすよる
きおちせずすべてうちあけまつれ
われらのよわきをしれるきみのみ
われらのなみだのもとをよみたもう

きずかれせしものおもにおうもの
かくれがなる主にすがれただちに
ながともはわらいはくがいすとも
主はなれをいだきなぐさめたまわん アーメン 

 昨日紹介した神学生の作詞をアレンジしてみました。

生駒の地に立つ われらのIBC(聖書学院)
心燃やされて 主イエスを仰ぐ
聖霊の風は さやかに吹いて
福音伝える 天国の日々

奇跡は続くよ 主イエスの愛は
癒しの恵みも 豊かに流れ
天は開かれて 不可能はなし
日本は輝く 天国の日々

試みのときも 主イエスはともに
勇気と慰め 励まし強め
福音伝える 力に満たす
主イエスの笑顔に 天国の日々

詩篇


34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。

34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。

34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。

34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。

34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」

34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。

34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。

34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。

34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。



生駒の地に立つ

2012-02-27 20:02:54 | Weblog
神学生作詞を紹介します。

生駒の地に立ち 聖書学院
心踊らせて 天を見上げる
聖霊の風に 豊かに吹かれ
福音のために 主イエスの道を

奇跡の連続 愛に満たされ
すべてが輝く 天国の日々
天が開かれて いやしの川が
日本に流れて 天国の日々

試練の時にも 主イエスが共に
福音のためと 励ましうけて
喜び感謝で 主イエスを見上げ
主イエスの御顔が 満面の笑み


涙はぬぐわれ、天のふるさとへ

2012-02-27 05:07:53 | Weblog
毎月第四日曜日は、午前中奈良市の富雄キリスト教会、午後は大阪エリムキリスト教会、夜は堺エリムキリスト教会で礼拝です。

 富雄は先月31日に、86歳の教会員が召され家族葬でした。昨日教会員全員で記念礼拝を守り、全家族クリスチャンになった喜びの礼拝でした。

 聖歌隊が個人愛唱歌を賛美し、家族も口ずさんでいました。

賛美歌359 夕日はかくれて

1 夕日はかくれて道なお遠し 行く末いかにと 思いぞ煩らう
  わが主よ今宵も側方にまして 淋しきこの身をはぐくみ給え

2 したしき友みな先立ちゆきて おぐらきうき世に我のみ残る
  わが主よ今宵も側方にまして 淋しきこの身をはぐくみ給え

3 いのちの夕影の移ろいゆけば いこいの宿りも近くやあるらん
  わが主よ今宵も側方にまして 淋しきこの身をはぐくみ給え

4 み旨によりつつ 眠らせたまえ 常世のひかりに目覚むる日まで 
  わが主よ今宵も側方にまして 淋しきこの身をはぐくみ給え

 家族葬の時の富雄キリスト教会牧師説教を紹介します。

 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。ヨハネの黙示録14:13

 まず始めに「今から後、主似あって死ぬ死者は幸いである」とあります。お葬式の時間、大切なご家族との別れの時間は決して幸いな時ではありません。悲しみ、痛み、苦しみの時です。

 私も塚本さんから連絡をいただき、壽賀子さんが入院されていた白庭病院へ急ぎました。先週の金曜日に容態が悪くなったとお聞きし、お見舞いしました。肺炎で昨年12月16日に入院されましたが、先週にお見舞いしたときに会ったばかりでした。

 とても急な話だと思いました。86歳でした。ご家族はもっとそのように思われたと思います。人が死ぬということはとても悲しく、つらいことです。その死を受け入れるのもとても難しいことかもしれません。ご家族は涙を持って悲しまれたことだと思います。

 しかし、聖書は主にあって死ぬ死者は幸いであるであると言っています。どうして幸いなのでしょうか。主にあって死ぬ、つまりイエス・キリストを信じて死ぬ者は幸いであると言っています。なぜかというと、イエス・キリストを信じるならば、天国への希望があるからです。
 
 死んだ後の不安はなく、永遠のいのちをいただき、天国に行くことができるからです。壽賀子さんは、60年以上前だとお聞きしましたが、女学校時代、若い頃からキリスト教に触れておられました。ご主人のお兄さん、お姉さんが戦前よりの熱心なクリスチャンで、会うたびに讃美歌を歌ってくださったそうです。

 歌がお好きだったそうで、讃美歌も覚えて口ずさんでいたそうです。ご自身の結婚式のときもキリスト教式で、讃美歌がさらに好きになったそうです。今日後で歌う「ちちみこみたまの」という讃美も大好きだったそうです。

 8年前に次男の昌弘さんを天に送ったときに、家族そろって洗礼を受けて頂きました。それ以降、富雄キリスト教会の礼拝で、大好きな讃美をいっしょに歌ってくださいました。

 入院中も、桂一郎さんが讃美のCDと亡くなられた弟さんが作った歌のCDを聞かせてあげていたそうです。本当に歌がお好きな方でした。壽賀子さんはイエス・キリストを信じ、天国に行かれました。

 今は、天国でイエス様とお出会いし、愛するご主人、また息子さんの昌弘さんと出会い、とても笑顔の素敵なお方でしたから、笑顔で私たちのことを見守っておられることだと信じます。

 聖書の次のことばに、「御霊も言われる。しかり、彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」と書いてあります。

 壽賀子さんは、その病から、痛み、苦しみから解放されて、今ゆっくりと休んでおられます。心臓の病や、脳も腫瘍がありました。そして最後は肺炎で、息が苦しそうでした。大好きな食事もできませんでした。

 長い苦しみの中、精一杯生きて、1月30日の午前10時5分に静かに、眠るように息を引き取られたそうです。壽賀子さんは、今、様々な苦しみから解放されてゆっくり休んでおられます。

 ですから、キリスト教で死というものは、おやすみなさいです。そして天国でまた会いましょう、がキリスト教でのお別れです。

 そして、「彼らの行いは、彼らについていくからである」壽賀子さんは、地上ではお別れしましたが、その行いは、思い出はたくさん私たちの中に残されています。家族みんなに愛されて、お孫さんたちもおばあちゃんに会いに、沖縄から、東京から駆けつけて、塚本さんも毎日病院へ通い、この土曜日、日曜日はずっと病院でお母様と過ごされました。

 いつも笑顔で、平穏で優しい壽賀子さんの良い思い出は、ずっと私たちの心に残されています。壽賀子さんは、イエス・キリストを信じ、天国に行かれました。天国はとても美しい場所で、そこには悲しみ、痛み、苦しみ、涙もないところであると聖書は言っています。

 そこに行くためには、イエス・キリストが私の罪の身代わりのために十字架で死んだこと。墓にほうむられましたが、三日目によみがえられて、天に昇り、今も生きている、まことの神であり、救い主であることを信じるならば、私たちも罪が赦されて、永遠の命をいただき、天国に行くことができるのです。

 壽賀子さんは、そのことを信じて、今、天国に行かれました。86歳という生涯を送り、楽しいことも、悲しいこと、苦しいこともありましたが、今は天国でゆっくりと休んでおられます。塚本壽賀子さん、また天国でお会いしましょう。ゆっくり休んで下さい。

 そのようにして、塚本さんとの最後のお別れをしたいと願います。もう一度、聖書のことばを一緒にお読みしましょう。・

 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。ヨハネの黙示録14:13

聖歌645 父の神がわれら
1.父の神が我ら 信仰してる民に 備えられた住まい そこにて我らは行く
    
    やがて我ら 清い向こう岸で 共に手をば とりて喜び会おう

2.青い空に雲の かけらすらも見えず そこで我ら声を 合わせて 歌うたおう

    やがて我ら 清い向こう岸で 共に手をば とりて喜び会おう


3.救い受けた我ら 御恵みの数々 父の神の前で 広げよう 感謝持て

    やがて我ら 清い向こう岸で 共に手をば とりて喜び会おう


黙示録

7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。

7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。

7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。

7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」


天の御国よ、天国の日々

2012-02-26 20:35:49 | Weblog
天の御国よ(賛美歌312番/いつくしみ深き友なるイエスのメロディで)

美(うるわ)し懐かし  天の御国よ
主イエスを信じて  永遠(とわ)のいのちを
受けたる我らは  神の子とされ
喜び 平安  天国の日々

主イエスの十字架 救いの道を
主イエスの復活  確かな救い
罪 とがきよめて 義(正しき)道を
感謝と賛美の 天国の日々

死の陰の谷を 歩くときにも
主イエスは離れず 共におられて
慰め励まし 導きたもう
希望に輝く 天国の日々

毎日が天国の一日、死んでも天国!

2012-02-26 06:55:40 | Weblog
 今日は、富雄キリスト教会で礼拝メッセージです。今日もまた天国の一日です!死なないのに何で天国ですか?と聞かれることもあります。

 生きても地獄!死んでも地獄より良いですねと答えます。16歳の時、種子島の西之表キリスト教会で、アーメンと信じて洗礼を受けクリスチャンになりました。

 ただそれだけで、すべての罪(原罪)が赦され、神の子とされ永遠のいのちを与えられました。なんという恵みでしょうか。いま生きているのもただ恵みだけです。

 
 今日の礼拝は、先月27日に86歳で天に召された姉妹の記念礼拝です。

永遠のいのちと天国

ルカ17:21 いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。

ローマ14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

黙示録14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」

 死について幸せになる信仰のために、まず必要なことは死という現実を受け入れることです。死をイヤがったり恐れたりしている間は、信じて平安になることも難しいのです。
 
 人は誰でも死ぬということは変えようのないことです。現実を受け入れることは、幸せに生きる基本です。現実を嘆いたり、人のせいにしているだけでは、自ら幸せになることはできません。現実を受け入れた上で、聖書のことばをしっかり信じることです。
 
 死を意識することで、生の充実をはかることができます。限りがあるから1日1日を大事にできます。

 一期一会=人生の中の一つ一つの出会いを大事にすることです。
 
 一日一生=朝目覚めたら、きょうも生きていられてよかった。きょう一日を感謝しよう!夜寝るときには、きょう一日無事に送れてよかったと感謝します。

 どんなに苦しいことも今日一日のこと=明日のことを思い患うな。心配するな!
 
 死を考えることで、自分の命の大切さ、人生の大切さを感じ、自分を大切にすることが第一だと思います。
 死を考えることで、人の大切さを知ることができます。人との出会い、人がいてくれることの幸せを確認できます。人は必ず別れる時がきます。だから、人との出会いを大切にし、大切な人に今やさしくできます。
 
 死を考えることで、積極的になれます。勇気を出すことができます。限られた生の中でやりたいことをやろうと考えられます。死を恐れなければ、死んだ気になってやれます。ましてや、死ぬわけではないことならなおさらです。
 
 死を考えることで、人間として成長することができます。まずは現実を受け入れること。自分の思い通りにならないことがあることを知ります。将来の不安におびえない方法を学べます。自分と人の大切さを知ります。

 牧師だからそんな気楽に言えるのでしょうと、言われることもあります。しかし、自分の辛い経験(9歳までに愛する者を5人亡くす。58歳の時左脳内出血で倒れ死の陰の谷を歩く、
がん末期を宣告された家内と日々生活する。教会員の死を多く看取る等)の中を過ごし続けています。
 
 聖書の言葉は、神の愛と真実の生きていて力あることばです。そのことばをアーメンと信じる時、死を恐れず肉体のいのち終わるとも、天国の家に帰る幸いを知る恵みが与えられます。

詩篇23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

黙示録7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
詩篇118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。
詩篇4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。


よいことに注目すると、よいことだけが増えて行く

2012-02-25 08:37:34 | Weblog
 朝の目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!感謝します。

 就寝前にも、ありがとうございす。今日もまた天国の一日でした!感謝します。

 毎日が天国の一日です。問題や悩みがないわけではありまません。けれどもサンドイッチのように、その中に何があろうと美味しくいただける幸いを経験しています。

 クリスチャンたちが、今日もまた天国の一日です!と、地上での生活の日々でそう信じて告白し続けるなら、何とさいわいでしょう。

 イエス・キリストをアーメンと信じるだけで、神の子されます。神の子どもですから神のいのち=永遠のいのちを与えられています。イエス・キリストを信じる者は、だれでも永遠のいのちを持っています。

 この地上の生涯を終えると、文字通り永遠の天国に召されます。そこは悲しみも嘆きも、痛みも苦しみもなく、涙も死もない輝きの御国です。

 イエス様がともにおられる輝きと栄光の天国へ、肉体の死後移されるとは何と言う幸いなことでしょう。

 人生の終着駅を知っている人は幸いです。大震災一周年で3月10日ー13日まで、仙台市や石巻市に行きます。九州ラーメン党と同行し、九州とんこつラーメン炊き出しのボランティア活動です。礼拝に出席し、マンガも持参して福音を伝えるチャンスもあるボランティアです。

 ホテルを予約しました。一周年の時期ですから少し高い?ようにも思いましたが、大丈夫です。部屋がとれました。安心して出かけられます。今朝はまだその部屋ではありませんが、何も心配していません詩、心配する必要もありません。

 その場所もホテルの建物も、部屋の中を見たこともありません。インターネットで検索すれば見ることはできますが、そのホテルとご予約受け賜りましたとの声だけで、もう間違いはありません。
 
 ホテル代金も支払っていません。その係りの方の声だけで信用し安心しているのです。ホテルに到着すると、お待ちいたしておりました。お部屋はこちらですと案内してくれます。

 
 グレードアップすればするほど対応は良くなります。天国は最高のグレードアップされTら場所です。あなたの最終の旅は召される時です。行く当てもなく泊まる部屋も予約されないような、行き当たり場たりはまだ地上では赦されるかもしれません。寝袋でもあればと言う場合もあるでしょう。

 
しかし、永遠への旅は天国か地獄か、二つに一つなのです。イエス様が十字架上で死なれたのは、地獄への道を封鎖するためでした。その十字架とよみがえりの福音を信じるだけで、救われ神の子となり永遠のいのちを与えられるのです。

 永遠の住まいの予約完了なのです。ホテルを予約し、何度も予約確認の電話をする必要がないように、イエス・キリストを信じているなら、召されるときに天国へ確実に行けるのです。

 その喜びが、今日もまた天国の一日です!との告白に込められています。それだけではなく、イエス様がいつもともにいてくださり、すべてのことを天国の喜びに変えてくださいます。

 恐れも不安もない、平安と希望に輝く天国の歩みへと変えてくださるのです。

よいことに注目すると、よいことはどんどん増えていきます。

 まず第一に、良いことだけを信じ考えてください。

 二番目に、よいことだけを口にしてください。天国での会話を楽しみましょう。

 三番目に、良いことだけをするように生きて見ましょう。

 そうするときに、不思議に良い世界、良い隣人、良い職場、良い学校、良い年齢、良い家庭、良い経済、良い仕事、良い年齢、良い教会、良い日本、良い国と、良いことが周りにいっぱいあふれていることに気づきます。

 そのすべては、イエス・キリストをアーメンと信じ心にお迎えしたときからスタートします。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。
 
詩篇

19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。

19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。

19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。

19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。

19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。

19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。

19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。

19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。

愛されて愛に押し出されて生きる幸せ

2012-02-24 10:33:03 | Weblog
 今朝のチャペルで、申命記11章を読みながら与えられ歌いました。

申命記11:1 あなたはあなたの神、主を愛し、いつも、主の戒めと、おきてと、定めと、命令とを守りなさい。

豊かな幸せ

み神の約束  永遠(とわ)に変わらず
偉大な奇跡は 今もなされて
すべてのみことば 守り行い
乳 蜜 流れて  幸せ豊か

約束の土地は  潤いあふれ
主の目が留まり 花咲き実る
年の初めより  年 終わるまで
すべては満たされ 幸せ豊か

主イエスの十字架 すべてを赦し
神の子とされて 永遠(とわ)のいのちを
御霊に満たされ 福音伝え
世界を変えゆく 幸せ豊か


 神に愛され愛しているので、いつも、主の戒めと、おきてと、定めと、命令とを守ることが喜びであり、幸いな日々です。

 律法を守れば救われるのではなく、神が愛してくださるので律法を守ることが、喜びであり楽しみなのです。

 律法の中心は愛です。

マタイの福音書 22:36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

22:38 これがたいせつな第一の戒めです。

22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

ローマ人への手紙13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。

13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。


ガラテヤ人への手紙
5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。

5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
 
 神に愛される人生に祝福があふれます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

東日本大震災一周年で石巻市へ

2012-02-24 04:19:08 | Weblog
3月11日は東日本大震災、大津波、原発事故一周年を迎えます。この一年間、神学生たちや卒業生をボランティアとして6回派遣しました。派遣だけでなく2回震災地を訪れ、11月には、いわき市での1100食アーメン炊き出しでした。

 濱田龍郎氏は、熊本でボランティアラーメン党の理事長で詩人です。お互いに種子島出身であり、相通じるところも多く、種子島原人で知り合いました。

 今年も、1月9人10日に大阪市西成区愛りん(釜ケ崎)地区や、奈良市の老人ホーム奈良苑でも、1500食の九州とんこつラーメン炊き出しボランティアでした。

 3月10日~14日にも、東北へいっしょに行くことになり、礼拝や福音宣教とともに、特に石巻市でのラーメン炊き出しを行う予定です。

 昨年は、生駒市役所の震災支援で自動車で往復しました。今回は飛行機とレンタカーでのボランティアになり、車だと10時間以上かかりましたが、一時間で仙台空港なので感謝しています。

今朝、原人さんから詩集発行の案内メールが入りました。

 
濱田龍郎の 詩集「東日本大震災見聞録」43ページ(製本1000円) 
   が3月初旬発刊予定です。写真40枚掲載です。
 
種子島原人 http://genjin3.web.fc2.com/
ブログ種子島原人 http://gold.ap.teacup.com/genjin/ 
種子島の動画 http://www.youtube.com/user/genjin3/videos 
歌書物ダウンロード http://www.dlmarket.jp/default.php/manufacturers_id/6777/price/2

ヤコブの手紙

1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

1:23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。

1:24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。

1:25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。

1:26 自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。

1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。


感謝すると、良いことがいっぱい起こる

2012-02-23 10:12:16 | Weblog
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい!

 入院している105歳の方を見舞いました。まだお元気でしたので、イエス様を心にお迎えする祈りをお勧めしました。

 家には大きな仏間もあり、キリスト教になるのはムリだとのこと。心はどうですかと尋ねると、仏壇が家の中にあっても、心は空っぽですと言われたので、「イエス様。信じます。心にお迎えします。アーメン」と祈ってくださいました。

 そのあとでこれからどうしたら良いのかと聞かれ、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい!」と、聖書のことばをお伝えしました。

 すごく喜んでくださり、枕元の手帳にその聖句を書くように頼まれました。これが必要でした。怒ったり非難したり、不平や不満もあり、ご主人にも二人の息子にも先立たれ、悲しみも辛さもありでした。いつも喜びの気持ちを持てることは奇跡だと感謝なさいました。

 信じる者には永遠のいのちが与えられます。それからしばらくして安らかに天国に召されました。

 高年者であれ若者であれ、幼子の心を持っています。アーメン。信じますとイエス様を心にお迎えすると救われます。

 神の子とされ、罪やとがや汚れはきよめられ、神様を天のお父様と呼んで、どんなことでも相談(お祈り)できる身分になるのです。

 ままならないことが多い世の中ですが、不思議に良いことがいっぱい起こるようになります。

 悪いことしか起こらないと、いつも思っていたらそんなことばかりを呼び込んでしまいます。

 良いことがいっぱい起こると信じて、感謝しつつ告白し続けると、どんな出来事の中でも最善を見ることができます。

 朝には、今日もまた天国の一日です!良いことがいっぱい起こります。感謝します。

 夜には、ありがとうございます。今日もまた、良いことがいっぱいの天国の一日でした!
感謝します。熟睡の夜です。明日もまた天国の一日です!

 すべてのことに感謝します。良いことがいっぱい起こります。ありがとうございます。


エペソ人への手紙

1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。

1:6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。