牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

一年中、毎日が天国の一日でした!

2012-12-31 07:11:43 | Weblog
大晦日の朝も、今日もまた天国の一日です!と元気に目覚めました。365日、日々天国の毎日でした。

 7月22日(日)脳内出血と交通事故。車は修理もできないほど破壊されましたが、かすり傷なく九死に一生!

 救急車で馬場記念病院に搬入されましたが、血管の破れもなく完治宣言で8月26日に無事退院。

 一カ月ぶりの退院で9月2日歳誕生日。3日には、新入生を迎えて元気での71歳。

 減塩食事厳命で神学生とバイキングレストランにも行けず、家で家内と食べる。学期中も教授食事接待もなく、外食もなく自宅で減塩65パーセントポン酢で家内が作る食事だけ。

 事故のことを小冊子に書き、写真があればリアルと思い、堺市の現場と病院まで電車と徒歩で行く。タクシーも使ったが16000歩にも。

 何と今度は朝体が動かず、再び馬場記念病院へ。小梗塞と診断され6日間入院で、幸い手術はなしでした。

 退院後も学院講義は続け、日曜日午前の礼拝、午後は送迎車で大阪エリムキリスト教会礼拝説教。さすがに堺エリムまでは行けず、また月曜から学院チャペルや講義をつづけました。

 11月23日には、白方誠彌先生(元淀川キリスト病院院長・脳内外科専門医)を迎えて、満席の天国聖会。お交わりの中で厳しく脳内出血や脳梗塞への注意を受けました。

24日が種子島で洗礼を受けて56年目の記念日。「みたび、輝く命に生かされてと主冊子発行。(読んでいただければ贈呈でいます。メール;elimyoshi@kcn.jp へどうぞ)

 学期終了と同時に、院内改装工事(予算2000万円=お祈りとご支援をお願いします)も始まり、2月28日完成です。卒業式はきれいになったチャペルで行います。

 12月は娘が大阪エリム奏楽と送迎を引き受けてくれ、昨日の礼拝までを無事果たすことができ感謝しています。

 新しい年は元旦礼拝を生駒聖書学院教会で午前1時より行い、一年の祝福を祈ります。

 神様の恵みに生かされたすべてが働いて益となる一年でした。多くの尊いお祈りありがとうございます。

 ブログを描き続けて10年(入院中40日の中断あり)毎朝、何やかやと書き続けています。新しい年も続けます、ご愛読を感謝します。コメントもありがとうございます。

 心から幸せとご健康、ご活躍をお祈りいたします。

 今年もまた天国の日々でした。新しい年も毎日が天国の日々です!感謝します。

ピリピ人への手紙

1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。

1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。

1:26 そうなれば、私はもう一度あなたがたのところに行けるので、私のことに関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。

1:27 ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、

1:28 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。

1:29 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。

本物の愛を出す方法

2012-12-30 08:25:29 | Weblog
ほんものの愛(アガペの愛)を出す方法

 アガペ、アガペと言っても、アガペの愛が出て来ない。断食し徹夜で祈り、黙想に黙想を重ねても愛情も愛念も出て来ない。思いと願いはあっても行動が伴わず、ついつい愛がまだ足りないと自分を責めたり、人をとがめたりします。
 
 秘訣はアガペを言うことです。ああ、この人が救われ、よくなって欲しい。健康になってほしい。幸せになってほしい、この方にアガペの愛が届くように。

 このような思い考えが、聖霊により、胸の奥、イヤ腹の底から想いが湧きあがり、告白のことばが出て、口にに出てくるのです。なぜそう告白できるか、そのようなアガペの愛が胸の奥に、腹の奥底にあるからです。聖霊は愛です。

 イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。(マタイ14:14)

and He was moved with compassion for them, and healed their sick.

Compassion=あわれみ, 思いやり, 同情。
[ラテン語「一緒に苦しむ」の意 (COM‐+patī 「苦しむ,耐える」)]

 いくら愛。アガペの愛を下さいと願い、祈って出て来るものではない。告白すると行動になって出てきます。スッと出るか、ボツボツかは分からないが、絶対出てくるのが聖霊に満たされているあなたから出る愛なのです。
 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:5)御霊の実は愛だからです。

 あなたの心が愛に満たされているなら、アガペの愛を信じ告白し実行できるのです。相手を思いやることばが告白なのです。それが胸の奥=腹の奥底から絶えず出ている状態になって、初めてアガペの愛の実践です。「あんな奴、早く地獄へでも行ってしまえ!」と思ったり、告白したらアガペの愛とはとても言えません。そんな思いが胸の中や腹の奥底にあったら怖いですね。

 聖書を読むとイエス様のアガペのことばがいっぱいあります。いつも聖書に親しみそのことばを自分の告白としたいものです。

腹の底で思うことと、口で言うことばが一致し、行動する時奇跡が起こるのです。

悪い例です。

腹の底=「馬鹿やろう!お前なんか知るもんか。前から別れようと思ってたんだ。もうじき別れるからな」
口では=「あらあなた、お帰りなさい。今日もお仕事お疲れさまでした」表面はニコニコ、内面は鬼です。

胸に愛のことば=「この人のおかげで、私も幸せになれた。この人と結婚してほんとによかった。ありがとう。感謝しています。愛しています」
口に=「ダメ!ダメ!バカ親父」を連発する方、口癖よ、悪気はないのよ。ではどうにもなりません。

告白は両方です。腹の奥底も、口のことばも同じ句、アガペーの愛が常に流れることです。


まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11:23)
 
 愛は実行です。良いことの実行です。愛は善行です。御霊の実は、寛容、親切、善意です。

 「こうすれば、こう受けるだろうからやってみよう」偽善です。

 「こんなことをしてなにになるかしら。まあ、しなけりゃならないことだし、いいことだからやりましょう」と頭で考えてやるのも霊的には偽善です。

 だから、何か行動するとキは、腹の底でどんな告白をいっているのかを、自分でチェックするのもいいですね。

 愛に満ちた善行=愛情と愛念から出た行い=相手が喜んでくれることが善行。

一対一の善行=霊的喜び、精神的喜び、物質的喜び、肉体的喜びもともないます。

一対大勢=会社、教会、外国人=海外宣教。ラジオ放送、テレフォン・メッセージ、インターネット礼拝、ブログなど。ボランティア活動等、人にも喜んでもらい、人からの評価が無くても神様に喜んでいただけます。あなたがたの力を主が喜ばれるからだと聖書にあるとおりに。

神様と同じ思いとなることです。
神様と同じ言葉を語る=天国ことばを語る=聖書のことば
神様をほめたたえる、賛美することです。神様が喜んで下さったら、喜んでご褒美をください

神様に喜んでいただくことが、神様への愛です。

 信仰生活はどうしたら神様に喜んでいただけるかをいつも思う生活です。神様はあなたの幸せだけを考えてくださいます。

あなたの信じる通りになる。

あなたの言う通りになる

あなたのするとおりになる

みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

また、みことばを実行する人になりなさい。こういう人は、その行ないによって祝福されます。

 年末をそのようにアガペの愛を実践し、本物の愛で新しい年を迎えましょう。

 ありがとうございます。今年も愛にあふれた天国の毎日でした!感謝します。

マタイ 7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

ルカ新改訳
6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

使徒20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

きれいな胡蝶蘭を買う

2012-12-29 15:29:28 | Weblog
 午前中ずっと明日の礼拝のメッセージの備え。2012年をあ愛で送り、2013年を愛で迎えある!で、備えができ、明日も生駒聖書学院教会、昼から大阪エリムキリスト教会でメッセージです。

 昼食は熊本からの贈り物、九州生塩ラーメンを美味しくいただく。今日は歩いてないので食後の運動を兼ね、郵便ポストまで行く。

健康回復のみことば、「あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした」(18:36)や、そのほかの聖書のことばを口ずさみつつ距離を伸ばし、知り合いの花屋まで行く。
 きれいな胡蝶蘭を勧められ、配達を頼んで帰り道、石川啄木の「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という短歌を思い出し、、聖書のことば「あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした」と、口ずさみ坂道を上りつめつめる。
 
 何と7000歩にもなっていました。穏やかな年末の午後でした。

箴言

3:1 わが子よ。主のおしえを忘れるな。主の命令を心に留めよ。
3:2 そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。
3:8 それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。
3:16 その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。
3:17 その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。

愛で閉じ、愛で迎える

2012-12-29 07:36:44 | Weblog
 2012年を愛で閉じ、新しい年を愛で開こうと祈りつつの年末。

 愛とは何か頭では分かっているつもりでも、毎日の生活の中でどう考え,どう実行していくのかを、考えてみましょう。

 聖書の教える愛はアガペの愛です。でもアガペの愛を哲学的、概念的に考えるとまた分からなくなります。 

 イエス様の時代には、「モーセの十戒」がユダヤ人の生活を支配していました。

十戒の中心は愛です。そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。(マタイ22:36-39)

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。と、イエス・キリストは宣言されました。

 十戒は神から直接与えられたものでしたが、ユダヤ人たちは様々な戒律を定め、イエス様の時代には630を越える戒律が定められていました。600以上もありました。

 その戒律に従ってラビが裁きをする。あなたのしたことは、第何条に反するから違反。あなたの妹は第何条違反、と責めるのがラビの仕事でした。だからラビの仕事は、検察官か裁判官のようでした。

 イエス様は、神様は律法を与えたたけれども、律法ではない。神様は人を裁くのが趣味で律法を定めたのではなく、人々の幸せを願って律法を定めた、神様の人々への愛によって、十戒を与えたのです。それを守れば生きるという教えです。

 当時のユダヤ教は、「律法、律法、律法、規則、規則、規則」(イザヤ28:13)でがんじがらめになっていました。

 イエス様は、律法は裁き罪を定めるためではなく、人を愛する神様が人の幸せのために与えた。と教えるとともに実行されました。

 その愛を実践が隣人を愛することです。神様の愛は大きくて深く、人間の目で見たらわからない。でも神の形に象って造られた人間にも、その神なる部分があり、それが愛です。

 ストルゲの愛=親の子への愛、家族愛です。フィレオの愛=友愛、友情です。またエロス=男女間の愛、夫婦愛です。それを愛情とも愛念と言っても過言ではない。特にエロスの愛は誤解され、エログロナンセンスに堕落しています。

 東関東大震災、津波、原発事故へのボランティア活動は、その同胞愛、世界中からは人類愛が現わされました。あれはアガペではないと批判する人たちは、律法を持って裁く人たちです。足りない、足りないではどうにもなりません。実行するのが愛です。

 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。(マタイ22:36-39)

 だから愛は実行されることによって有効になるのです。見えない神をアガペの愛で愛していますといくら言っても、見えている隣人、いちばん身近にいる夫や妻、子どもや、親や兄弟姉妹を愛するのが、実際的な愛です。お正月はその愛を実践できる最高の時かもしれません。

 里帰りを愛する日本は幸いな国です。我が家も子どもや孫たちが正月2日にやってきます。

 5歳の孫と1歳9か月の孫は、ご飯党なので家内はご飯を炊いて、両家とも降りかけ持参でやって来ます。家内も私もおせち料理も食べませんので、子どもたちはそれぞれ食べ物持参での正月です。それでもアガペとストルゲの理屈は別として、神の愛あふれる日々を感謝して過ごしています。 

 
ありがとうございます。今日もまたアガペの愛の天国の一日です!愛で過ごす年末、愛で迎える新年に大きな期待を!感謝します。


ルカの福音書

10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」

10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」

10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

10:29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。

10:31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

10:33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、

10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。

10:35 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』

10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」

10:37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

最高に気持ちよい一日

2012-12-28 05:59:09 | Weblog
 昨日は、送迎付きで堺市まで行きました。4ヶ月振りの外食。思い切ってかに道楽でした。 
 24日に堺エリムキリスト教会を引っ越し、昨日、オーナーに正式に会堂を返却する日。年内にすべてが終わり、何と5年9ヶ月も家賃無償で使わせてもらいました。

 牧師が元気で伝道できる限りは、無償でと言う約束でした。7月の礼拝後、脳内出血と交通事故になり、堺に行けなくなり連絡し会堂を返却することにしました。堺の一等地で、毎週のように新しい方も導かれる所でした。

契約通りに返却を決意し、オーナーとの引き渡しもお互い最高に気持ちよく、祝福を祈り合ってのお別れでした。
 堺エリムキリスト教会は、婦人牧師がしっかりと伝道牧会で、素晴らしい教会員たちと祈り、何と南海高野線堺東駅前のテナントで、時間借りで場所も決まり、年末30日からの礼拝を守ります。

 来年は1月6日が新年礼拝、その日にはまだ送迎車が必要ですが、堺エリムへ行こうと願っています。久しぶりに、朝、昼、夜の一日中動きます。

 帰り道に車があるので病院を見舞いました。帰宅するとガレージに野菜の山。ものすごく大きな農家を訪問した牧師が、帰り道に立ち寄り、大根、水菜、サトイモ、熟柿等を降ろして行ったと家内も途方に暮れた顔で側に立っていました。

 早速仕分けして、周りに少しづつ持って行き、「今日は水炊だたけど、水菜買うのを忘れたのに嬉しい!」と、喜んでくれた家もあったりでした。

 やっと終わると娘が孫を連れて来たので、いっしょに遊ぶ(と言っても1歳9カ月目)しばらく大騒ぎしてバイバイ。

 久しぶりに動き回った一日、院内改装中の工務店の方々にも挨拶。病人には見えないですねとのことば。

 そうです。イエス様に癒しをいただきすっかり大丈夫です。大事をとって体調を整えているんです。と親切なお見舞いの言葉に感謝する、早い夕暮れでした。

 ありがとうございます。今日もまた最高に気持ちの良い天国の一日でした!感謝します。

 安眠で熟睡、今朝も、今日もまた天国の一日です!感謝します。ハレルヤ。

ローマ人への手紙

8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

・・・・8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

ゾンビの腰降りダンス

2012-12-27 08:10:17 | Weblog
健全な精神は健全な肉体に宿る」と言う有名なことばがあります。しかし本当の言葉は、健全な精神は健全な肉体に宿る(が宿るように祈らねばならない)と言う意味です。

 若者が体を鍛えるだけで勉強しないことを嘆き、『健全な肉体には健全な精神も!』(肉体だけ鍛えてもダメ!)という意味です。

 聖書は精神と肉体だけでなく、「あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように」と述べています。

 人間は健全な霊と、健全な魂=精神、そして健全な身体=肉体とが調和した時がいいのです。その中での最優先は霊的であることです。真の神が三位一体であるように、人間も霊・魂=精神・肉体が調和している時、幸せで平安なのです。

 霊は真の神を体験できるます。

 魂=精神は、知性・感情・意志であり、自分を意識するものです。

 体は五感=視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触角があり、世界=他を意識します。

 精神と体で生きているのが普通です。霊は最初の人間が堕罪した瞬間に死にました。だから外観がどんなに美しいタレントたちが半裸で踊っていても。ほんとうは死人(骸骨)・ゾンビが腰振りダンスをしているのです。


 そう思うとイエス様のおことばのとおりです。「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」夜の巷をさ迷い歩く、霊的死人がゾンビのように多くなる、年末の繁華街です。

 イエス・キリストのことばに、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです」とあります。

 十字架の上に死に、墓に葬られ3日目に復活された、イエス・キリストをアーメンと信じる者は、霊的いのちがああてられるのです。内にある霊が信じるときに再生されると言ってもいいでしょう。それは永遠のいのちです。神のいのちが与えられます

 だから肉体が死んだら神の国=天国に行けるのです。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(ヨハネ5:24)

 主イエス・キリストを信じると、新しい人生がはじまります。そのことを新生と言います。輪廻ではなく、この世で新しく生まれ変わり、神の子となり、天国に生きる者とあるのです。
 
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(コリント第二5:17)

 その新しさは霊的新生、新しさです。肉体の変化ではありません。身体はもとのままです。けれども内面に霊が与えられたので、平安でニコニコ顔になったり、イライラが消えたりするので姿型も美しくなる(特に女性は)人が多いです。精神=心の考えがだんだん聖書的になるので、高貴なことを考え口にするので穏やかで高尚な人に変わります。

 たとえそのような外見的変化が無くても、神に霊が与えられたので神の子である事実に変化はありません。だからもう人と比較して落ち込んだり、高慢になって人を身下げたりもしなくなり、謙遜がその人を満たします。

 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の実を結びます。

 そのような霊的新生の経験を年末になさり、新年がカレンダーが変わるだけでなく、人生そのものが新しくなりますよう祝福を祈ります。

富雄キリスト教会と生駒聖書学院教会年末礼拝は、30日午前10時。
元旦礼拝は午前11時。新年礼拝は1月6日(日)午前10時。

大阪エリムキリスト教会は、30日(日)午後2時~3時15分
            1月6日(日)午後2時~3時15分

ローマ人への手紙

8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。

8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。           




大股でよろけずに歩ける恵み

2012-12-26 09:09:17 | Weblog
脳内出血と交通事故で退院したのが8月26日、ちょうど6ヶ月目の朝を静かに迎えています。
 
 主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。(詩篇6:2)

 「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」(詩篇23:3-4)

 主イエス様の癒しと、全国のとりなしの祈りにより、一ヶ月で完治し退院しました。再検査は来年2月で良いですと主治医に言われ、元気で退院しました。

 治ったとの喜びもあり、翌日16000歩も歩いてしまいました。リハビリ病院でも右脳だから左に影響がと言われたりもしたのですが、16000歩も動いたのか、左足にしびれがはじまりました。半年後の今もかなり強いしびれです。

 退院、完全な健康体と勘違いしてしまい、主治医から許可は出ていますが、自動車の運転は特にしないようにしています。10月にまたムリをして、交通う事故現場を、新しい冊子に写真を入れようと自分で歩いて写真を写し、次の日に小脳梗塞になりまた6日間入院し、それも恵みで完治しました。

 
 脳梗塞で運転はしないと自重し、大阪の集会やラジオ放送は送迎車で動き、ほとんど院内で改装工事(来年2月28日完成)をもい守りつつ、ボツボツゆっくり過ごしています。

 23日にクリスマスを集中し、16歳でクリスチャンになって以来、初めての静かなイブとクリスマスをひとり静かに迎えました。

 院外の坂道を歩いて郵便局への行き帰りの2500歩、詩篇の言葉を口ずさみつつ、歩いてります。

 あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした(詩篇18:36)


 ハレルヤ!今日もまた天国の一日です!感謝します。

 年末年始の祝福をお祈りいたします

 
幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。(41:1-3)
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。
主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。
主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。(91:1-6)

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。(103:1-5)


 


思い出のホワイト・クリスマス

2012-12-25 12:00:02 | Weblog
 ホワイト・クリスマス

 教会にママと一緒に来ていた可愛い3歳半の女の子が、アーメン信じますとママと一緒に祈ってくれました。

 お祈りは聞かれると言う説教を聞いた彼女は、どんな祈りでも聞かれるの?と可愛く尋ねました。祈りについての神学的概念ではなく、生の答えが必要です。そうだよ。これからどんなことでもお祈りできるからいいね。

 すると先生いっしょにお祈りすると言う。何?と聞くとクリスマスに雪が降るよう神様に祈ってとのこと。手をつないで祈りました。イブまで空を仰いでホワイト・クリスマスを期待し、クリスマスの朝も、青空の広がる空を仰ぎました。

 幼い心を傷つけないかなと思い、生駒山上のケーブル駅に電話しました。雪ありますか?
そっけない駅員のことばはひとかけらもふりませんよ。何でですか。ガチャン。

 でも思い切って生駒山へ、料金所で上に雪はあるでしょうかねと聞くと、無理でしょうな。この前少し降りましたが最近は雪なしですよと、ニコニコと答えてくれました。無駄足になるかなと思いましたが。料金を払って山上へ。

 駐車場を見渡すと、スッキリ広々しています。段ボール箱を持って少し歩きました。雪よりも白く、雪よりも白くと賛美しながら、少し歩きまわりました。ハレルヤ。何と日陰になった駐車場の隅に白く光るものが見えます。

 大急ぎで近づくと、何んと雪の山がありました。駐車場の雪を集めた場所でした。冷たさも忘れ、主よ感謝します。雪をありがとうございますと、大急ぎで段ボール箱にかき入れました。

 そのまま女の子の家まで大急ぎ、お祖母さんが出てきて、今お風呂です。何の用ですかと言うので、雪を持ってきました。大きな聞こえたのか風呂場から裸で飛び出して、雪だ!ろ叫ぶの、早くお風呂へ行くように言いました。

後でママに聞いたのですが、お風呂の中で雪合戦で大騒ぎだったとのことです。もうその子も高校生。12年も前の元気な頃のホワイト・クリスマスの思い出です。
 
今年の生駒は雪もなく、体調を整えつつ車の運転も自重し、イブとクリスマスを静かに過ごしています。思い出のホワイト・クリスマスです。

クリスマスの平和と幸せを祈ります。

ルカの福音書

2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。

2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。

2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

クリスマスに教会引っ越し

2012-12-25 06:32:29 | Weblog
昨日の朝は8時に堺市へ。

 堺エリムキリスト教会は、堺市堺区のマンション2階にある教会です。阪神高速道路からも、夜空にくっきり浮かび上がる十字架が美しく輝いています。

 2006年に新築マンションにできた教会(36坪の美しい礼拝堂)を3年間無償で提供してもらいました。新しい方々が良く来る教会で、毎週日曜日の夜はアーメンと信じる方々でいっぱいでした。

 最初からアドナイ・イルエ(主の備え)の教会でした。例を上げれば、献堂式は3月3日でしたが、教会正面十字架や講壇、長椅子やPAスクリーン屋根や壁にあるきれいな十字架のネオンや看板に至るまで、わずか2週間もなかったが、購入するお金も満額与えら備えました。

 式後の祝賀会は、すぐ近くのカニ道楽が70人席の会場で、数十万円必要でした。
 
 その4日前に大阪ヒルトンホテル喫茶店で、その少し前に救われたばかりの方と会い、必要にためにと渡されたお金が、何とカニ道楽での祝賀会必要額とちょうど動額でした。

 無償提供の約束が過ぎましたが、牧師が元気で福音を宣教できる限りと言う条件付きでとの念書をいただきました。

 朝はインターネット礼拝、夜5時に大阪エリムキリスト教会礼拝後に堺へと継続し、4年前の卒業生が牧師として赴任しました。

 今年の7月に脳内出血で倒れ、堺へ行くことがムリになり、榮義之牧師が伝道師続ける限りの条件を果たせなくなりました。今年中に返却しようと願い、24日に移転することにしました。

 堺エリムキリスト教会は、最初からアドナイ・イルエ(主の備え)がり、幸い婦人牧師の熱心な祈りと求めにより、南海高野線堺東駅前の一等地のビルの中に、会場を借りることができ昨日移転んも完了しました。

 幸い年末30日の感謝礼拝、新年聖餐式礼拝も新しい場所で出来ることになり、教会員一同喜んでいます。バリアフリー伸びるでもあり、車イスで出這入りもでき喜んでいます。

 まだ堺エリムキリスト教会へは行けず、早く体調を整え月一度でも礼拝説教に行けるよう祈っております。

 種子島で洗礼を受けクリスチャンになり、56年目のクリスマスを迎えています。今まで味わったことのない静かなイブとクリスマスを、静かに迎えています。お祈りありがとうございます。

 クリスマスの平和と祝福をお祈りいたします。

ピリピ人への手紙

4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

4:20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

クリスマス・イブ

2012-12-24 20:56:20 | Weblog
クリスマスおめでとうございます。

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11-12)

お祈りありがとうございます。
今夏7月、種子島行き前日、右脳内内出血&交通事故、10月に小脳内梗塞になり、幸い両方とも主イエス様に癒され完治の恵みが与えられております。
それでも自動車の運転が出来ず、何処へも行けず、生駒聖書学院院内での生活を余儀なくされております。幸い日曜日は、午前中生駒、昼は送迎車で大阪での礼拝説教を継続。今年もむすばらしい喜びのクリスマス迎えました。感謝します。
クリスマスの祝福を心よりお祈りいたします。

わたしがしようとしていることは、今すぐには起こらない。ゆっくりと少しずつ、しかも確実に、実行に移される。遅いように思えても、失望するな。必ず計画どおりになるのだ。忍耐して待て。ただの一日も遅れることはない。ハバクク2章3節(リビングバイブル訳)

 牧師 榮義之 630-0243生駒市俵口町951 携帯090-1593-1269
E-mail; elimyoshi@kcn.jp ブログ;http://ibcelim.com/
ラジオ放送希望の声;ABCラジオ(1008kHz)毎週水曜朝4:35-45
種子島原人・輝きの人 http://genjin3.web.fc2.com/