牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

一人暮らしも2年目の大晦日

2015-12-31 19:37:10 | Weblog
イザヤ書14::24 万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。
2015年大晦日を迎えました。夕方少し雨ですが、明日は朝日が輝きます。明日元旦礼拝は、午前11時より生駒聖書学院教会で。牧師の祝福の祈りがります。
今年も天地万物の創造者、全知、全能、遍在、永遠、不変、唯一の真の神の愛に平安に守られ続け感謝です。神のなさることは、みなその時にかなって美しい。
天地宇宙の創造者である神は、その独り子イエス・キリストを世界に贈り、十字架と復活により、すべての罪や病、呪や貧乏を解決し、死の力を持つ悪魔を滅ぼし、死の恐れから解放し、アーメンと信じる者を恵みにより神の子としてくださいます。
大きな愛のご計画の中に、信頼して憩う平安と幸いの今年。昨年5月17日には余命一年を宣告された、愛する家内、4年の延命を与えられ、てんごくと指文字を残して召されました。2011年 余命一年宣告から4年間、痛みもなく頭髪もそのまま黒々で、炊事、洗濯、掃除、買い物もこなしました。特に2012年7月、運転中の交通事故で右脳内出血、10月には小脳内梗塞で倒れ入院の私のために、祈りと看病で支えてくれました。先に天国へ行きましたが、多くの皆様の祈りに感謝しています。
今年も、開拓伝道時代に救われた80歳の婦人と電話で、いっぱい話し、思い出は尽きませんでした。
多くの祈りと支援委支えられ、恵みと愛に守られ、元気で一人暮らしの年末、正月も2年目を迎えています。
ありがとうございます。今年もまた天国の聖なる日々です。感謝します。





選ばれ幸せに感謝の365日

2015-12-31 06:23:00 | Weblog
聖書の一言;ヨハネの福音書15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
聖歌 450 何故(なにゆえ)御(み)神は※変ホ長調→ニ長調に移調
①何故(なにゆえ)  御(み)神は  斯(か)かる身をも
  神の子と為(せ)しか  知るを得ねど

 (くり返し) 我が  寄り頼む主は
      委(ゆだ)ねたる  身と霊(たま)を
      守り得(え)給うと  確信するなり

②何故  御言葉  信ぜし時に
  安きを得たるか  知るを得ねど
 (くり返し) 

③何故  主イェスを  救い主と
  信じ救われしか  知るを得ねど
 (くり返し) 

④我が世の終わりに  如何(いか)なること
  待てるかは  つゆも知るを得ねど
 (くり返し) 

⑤救い主イェスを  何(いず)れの日に
  見奉(たてまつ)るかは  知るを得ねど
 (くり返し) 

悪魔≙サタンは、大天使ルシファーの成れの果て

2015-12-30 18:18:09 | Weblog
イザヤ書14:1215 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、私は北の果てにある会合の山にすわろう。私は密雲の頂に上り、私いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
'I will ascend into heaven ,I will exalt my throne above the stars of God; I will also sit on the mount of the congregation On the farthest sides of the north; I will ascend above the heights of the clouds
,I will be like the Most High.'
聖書では悪魔の存在は自明のことです。イザヤ書14章とエゼキエル28章は、悪魔の始まりを示唆しています。天使のルシファーが、自ら神に変わろうと,私は=I will と宣言し、天から落とされ、エデンの園でアダムとエバを罪に誘い、人類に罪=SINが入り、人は生まれながら罪人です。英語のSINは、その真ん中にI=私があります。罪とは自我中心、自己義を立てることで、ルシファーの神に変わろうという高慢の種です。高慢は滅びに先立ちます。謙遜は栄誉に先立ちます。
イエス・キリストが処女から生まれたのは、人間の持つ罪の遺伝子を持たない、神の子の誕生でした。
人類の始祖アダムの罪が、全人類を罪に定めたように、イエス・キリストの十字架上での罪の解決が、全人類に罪からの解放を与えました。罪の結果、死が人間を支配し、地獄行きに定められましたが、イエス・キリストの十字架の死と復活で、死の力を持つ悪魔は滅ぼされました。イエス・キリストをアーメンと信じるだけで、死の不安から解放され永遠のいのちを与えられ、天国行きの保証となるのです。
悪魔に支配されているように思える世界ですが、悪魔はすでに十字架によって滅ぼされ、その欺瞞によって、欺かれているだけの世界です。アーメンと信ずる者は、その足の下に悪魔を踏みつけ、平安と勝利に輝き、神の栄光のために生きることができるのです。
イエス・キリストは、天においても地においてもいっさいの権威を持つ主であり、救い主です。悪魔の欺瞞にダマされないで、聖書をシッカリと読み、聖霊に満たされ世の終わりまで共におられる、復活のキリストの勝利を受けて、新しい年が恐れない希望に輝くよう備えましょう。
あらいがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。

いつくしみ深き友なるイエスは

2015-12-30 09:47:44 | Weblog
聖書の一言;ヨハネの福音書15:13-15 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
== 讃美歌312番 いつくしみふかき ==
いつくしみふかき 友もなるイエスは 
つみ とが うれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを
いつくしみふかき 友なるイエスは
われらのよわきを しりて あわれむ
なやみ かなしみに しずめるときも
いのりに こたえて なぐさめたまわん
いつくしみふかき 友なるイエスは
かわらぬ あいもて みちびきたもう
よの とも われらを すてさるときも
いのりに こたえて いたわりたまわん
いつくしみ深き友なるイエスは、16歳まで一度も歌ったことのない少年が歌った最初の詩です。
その日以来58年、讃美歌と聖歌だけを歌い、童謡も、抒情愛唱歌も、演歌も知らずでした。
イエス・キリストは天地万物の創造者、三位一体の神です。神は愛です。そのアガぺの無条件の愛は、十字架に上に現されました。その大きな愛が、友としての愛でいつもともにおられる恵みです。
友の愛は50:50の愛、神が対等の愛を約束し、愛深い友として、いつもともにおられる幸い。
58年間、何度も歌い、いつのまにかチャペル結婚式の定番讃美歌でもあります。
今日も、友なるイエスをアーメンと信じる幸せをかみしめる年末です
What a Friend we have in Jesus, all our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry everything to God in prayer!
O what peace we often forfeit, O what needless pain we bear,
All because we do not carry everything to God in prayer.
Have we trials and temptations? Is there trouble anywhere?
We should never be discouraged; take it to the Lord in prayer.
Can we find a friend so faithful who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness;take it to the Lord in prayer
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


滅びへの道=スプリングボブの疾走

2015-12-29 19:21:04 | Weblog
イザヤ書13:13-16それゆえ、わたしは天を震わせる。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く。
追い立てられたかもしかのように、集める者のいない羊の群れのようになって、彼らはおのおの自分の民に向かい、おのおの自分の国に逃げ去る。
見つけられた者はみな、刺され、連れて行かれた者はみな、剣に倒れる。
彼らの幼子たちは目の前で八裂にされ、彼らの家は略奪され、彼らの妻は犯される。
小雨そぼ降る生駒の朝です。イザヤ書から聖書のことばを書いています。39章までの前半には、厳しい裁きのことばがたくさんあります。それは聖書全体にもあり、読み始めると厳しい裁きの宣言に驚き、全部を読み終える人は少ないようです。
聖書の中心は愛です。いつまでも存続する者は信仰、希望、愛であり、その中で一番すぐれているものは愛、愛は決して絶えることはありません。
人は自分のことは棚上げして、神が愛ならどうしてこの世に不幸があり、憎しみ合いや戦争があるのか、あらゆる主義主張でいがみ合い、やがて世界は滅亡に向かいます。
今朝の箇所に、追い立てられたかもしかのように、滅びへの道を疾走する姿が描かれています。
アフリカに生息するスプリングボブは、ガゼルの仲間です。サファリに良く行き見かけ、普段は少数で集まって仲良く暮らす可愛い動物です。
ある季節になると集まり始め、数千、数万匹を越える巨大な群れになり、食糧を求めて徐々に移動します。何日もしないうちに、スプリングの疾走が始まります。スプリングボブは砂ぼこりを巻き上げながら、集団が一塊になって走りに走ります。目の前に海が現れたにもかかわらず、止まることなくそのまま疾走し海におぼれて死んでしまいます。毎年、そのようにして数万匹のスプリングボグが死に絶えます。
スプリングボブは水を嫌う生き物です。ではなぜ、数万匹にも及ぶ集団が移動する時、前方を行くスクリングボブが草=食糧を食べ尽くしてしまいます。後方の群れは餌がなく飢えて、それで後方の群れは餌を求めて前へ前へと、そして目の前に大嫌いな水が見えても疾走を止めることはできず、飛び込んで死んでしまいます。
ゆっくり穏やかに仲良く食べていれば、サバンナの草原はどこまでも広がり、平和で、楽しく豊かな日々を楽しむことができます。生存競争の悲しさです。
地球は今同じような状況です。今持っているもので満足できないで、文明を向上を国威発揚を追い求めています。昨晩のテレビ番組で、オリンピックは国威発揚のために、景気向上アベノミクスのために絶対必要だ、いや不要だと結論のない論議がなされていました。東京での建設ラッシュで、被災地での復興が遅れる、賃金向上で東京でのしかもオリンピックのためという大義名分があるので、当然のことです。大手ゼネコン1社か2社でも、わが社は震災復興地のために、集中して貢献すると名乗り上げるような企業家はないのかと思う朝です。
日本人がバブルの夢よ再びで、スプリングボブのように、原子力発電発電再開、平和憲法改変、再軍備、武器輸出、核武装までその先に見えている、危機の時代に向かっているように思うのは、思い過ぎだろうかと、日本の救いを願い祈る年末です。神の愛が世界を滅ぼすのではなく、人間の欲望、我欲が滅亡に向かって突進しているのです。日本が、その先頭を走らないようにと祈ります。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。


多くの実を結ぶ新しい年へ

2015-12-29 08:47:15 | Weblog
聖書の一言;ヨハネの福音書15:7-8 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
カラオケ教室の帰りに近鉄日本橋で、八朔大福の売店があり、珍しく思い立ち寄り、因島名物ハッサク大福を買う。
女店員と握手すると、牧師と会うのは初めて、アーメンと言う言葉を聞くのも初めて。空気は有るけど見えない、心もあるけど見えない。イエス・キリストのおられるけど見えない。と客足が途絶えている間に話し、幸せを祈るとアーメンということばを初めて口にし、イエス様を心に迎える祈りにもアーメン。
マンガを名刺代わりに渡して分かれた。
祈りは幸せを祈り、イエス・キリストを信じる祈りが、波紋が広がるように世界に広がるよう祈る朝です。
一年の計は元旦に!儀礼的に習慣的な初参りなど止めて、天地万物の創造主、登り来る初日をも創造された全能の神を礼拝する2016年であるよう祈ります。
そして、毎日祈りながらの人生。多くの実を結び、神の栄光輝く365日です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

幸せに恵まれ楽しい一年

2015-12-28 23:04:51 | Weblog
イザヤ書12:2-5 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。
あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。
2014年最後の日曜日。年間52回の日曜日があり、礼拝を毎週守るのは、カーテンをキチッと閉めるのと同じです。年末の日曜日も感謝の礼拝でピシッと閉めることができ感謝です。
今年も、愛する教会員2名を天に送り、家内も召されて1年7ヶ月。幸い家内の召天を機会に9名が洗礼を受けて送ってくれました。
9月で歯の治療も完成し。流動食生活も終わり、」鳴門市、水俣市や阿久根市、種子島や沖縄。熊本益城エリム礼拝などでした。どこでもいつでも、挨拶と握手で、アーメン信じますの祈りが続出する出会いの日々です。歯も完治し話す訓練もでき、2016年は、昨年新しい年はさらに多くの出会いを期待しています。
幸い、右脳内出血や小脳内梗塞の言語の乱れは昨年6月1日の朝、スッキリ癒され、普通に滑舌で説教できるようになりました。歩行は杖で歩いていますが、毎日癒され続け、今日も万歩計は10655歩。
生駒聖書学院神学生たちも、燃えるような熱心さで福音を伝え、神学生実践伝道により40台と50代が洗礼を受けました。
3月には10名が卒業し、断食祈祷院や開拓伝道、ロー者伝道なども始まりました。2016年度、ぜひ生駒聖書学院で学び、聖書と聖霊に満たされ。主をほめ歌いつつ、十字架と復活の福音を全世界に伝える器になってください。通信制神学生も募集中宇です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。






ありがとうございmす。今日もまた天国の一日です

2015-12-28 08:51:38 | Weblog
聖書の一言;ヨハネの福音書14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。
聖霊の派動に導かれ、教えられ、思い起こさせていただく幸せ。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。

自然界、動物界、そして人類も平和に

2015-12-27 19:53:04 | Weblog

イザヤ書11:5-9 正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。
11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。
クリスマスはその瞬間を垣間見せる平和のとき。いと高きところに栄光が、地の上に平和があるように。天使たちの歌声が聞こえるような年末の日々です。
イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと新いるだけで、人間世界だけでなく、動植物や全宇宙空間にまで、平和があふれる約束です。
主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすから、そう願い祈りながら福音を伝えている生涯です。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。




愛は愛のことばに応える。アーメン信じます。

2015-12-27 06:25:29 | Weblog

聖書の一言;14:21-24 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」
イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。」
神は愛です。
神が愛なら、その愛を見せてくれと言われることもあります。
神の愛はいつもあります。大自然は神の愛のしるしです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
自然の不思議さは、神の愛の恵みです。闇を破って昇る太陽に、元旦は多くの人が新しい年に幸多かれと手を合わせます。その太陽の創造者を礼拝するように、2016年の元旦から生き方を変えてください。
神の愛は、イエス・キリストの十字架に現されています。 3:15 それは、信じる者がみな、永遠のいのちを持ち、天国へ行くためです。神は、実に、そのひとり子イエス・キリストを十字架に身代わりにするほどに、この世を愛されました。それは、その救いをアーメンと信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。
神の愛は、聖書のことばに告白されています。聖書は、神の人類への愛の手紙。
25年間、洗礼を受けないで、自分の信仰こそ第一級だと思い込んでいた学者がいました。論議を挑まれましたが、イエス様を信じることにかけては人後に落ちないと胸を張ります。イエス様を愛しますか?というと、さらに胸を張ります。
そこで静かに聖書を開き、 。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」を示しました。
イエス・キリストの最後のことば、信じてバプテスマを受ける者は、救われます。と宣言されました。
理由は様々るでしょうが、屁理屈を言わずに素直に、聖書のことばにアーメンと信じる時、愛が豊かに注がれます。愛の言葉にアーメン信じます。愛しますと
告白し、今日は今年最後の日曜日、愛するイエス様の復活を喜び祝う礼拝です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

元旦礼拝=午前11時より生駒聖書学院チャペル。一年の祝福を牧師が祈ります。
1月3日(日)2016年最初の日曜日。聖餐式礼拝です。