牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

インターネットでラジオ放送を!?

2007-04-18 10:05:31 | Weblog
 昨日はラジオ放送録音で朝日放送スタジオへ出かけた。17時からだとばかり思い込んで行ったら18時からだった。

 カメラマンの方も同行しており、1時間待機するため局を出て喫茶店で時間を待つことにした。レジでママさんにパワーフォーリビングと雪よりも白くをプレゼント。ラジオ放送を35年間続けているので水曜日の朝お聞きくださいと案内もできた。

 スタジオでカメラに映してもらい、5月放送5回分を収録。5回目は前田牧師が話した。

 収録が終わりJR福島駅前の商店街にある串カツ屋で夕食。有名な串カツ屋とのことで満席だ。カウンターが空いたので串カツ16本のお任せコースを注文。串カツ屋に入るのは、65年生きて今日が3度目。前に出かけてもう10年くらいが過ぎている。美味しかったというのが率直な感想。

 食べながらインターネット放送のアイディアを詳しく説明してもらった。インターネットでラジオ放送希望の声を毎日流すことができ、いつでも聞きたい時に効いてもらえるシステムとのこと。顔写真が映り、同時に声だけが流されるとのこと。予定としては5月ごろからスタートできるとのこと。

 ラジオ放送の聴取者が想定32万人(1ヶ月)、インターネットも一ヶ月30万人のアクセスがあるそうだ。一人でも多くの方々に福音を知らせたいと切願しているので、いい方法だと思う。

 ともかく日本中に福音を届けたい!幸せになってほしい!救われた人生を天国に行くまで、祝福の人生を多くの方々に伝えたい!ハレルヤ。

 ありがとうございます。すべての人に福音が届きました。感謝します!アーメン。

コリント人への第一の手紙

1:18 「イエス様は私たちを救うために死んでくださった」ということばが、滅んでゆく人々にはどんなにばからしく響くか、私にはよくわかっています。 しかし、救われた私たちは、これが神の力そのものであると認めるのです。
1:19 なぜなら、神様がこう言われるからです。
「わたしは、たとい人の目には
どんなにりっぱに見える計画でも、
人間の側の救いの計画をことごとく打ちこわし、
最も才気あふれる人の、最もすぐれた考えをも無視する。」
1:20 こうした知識人、学者、この世の重大問題にかかわる議論家たちについては、何と言われているでしょう。 神様は、彼らをみな愚か者とし、そんな知恵など無用の長物だときめつけました。
1:21 この世がいかに人間のすぐれた知恵を結集しても神様を見いだせないのは、神様のお考えによることです。 そして神様は、一般の人には、ばかばかしくて話にならないような神のことばを信じる人を、救うことにされたのです。
1:22 これは、ユダヤ人には、ばからしく思われるでしょう。 彼らは、説かれていることの真実さを証拠立てるような、天からのしるしを求めているからです。 また、それ以外の外国人にも、ばからしいと思われるでしょう。 彼らは、理性で納得できることとか、賢明と思われることしか信じないからです。
1:23 それで、人々を救うために死なれたキリスト様について話すと、ユダヤ人は腹を立て、外国人は「まるでナンセンスだ」と言うのです。
1:24 しかし神様は、ユダヤ人でも外国人でも、救いへと招かれた人々の目を開いて、キリスト様こそ彼らを救う偉大な神の力であることを、悟らせてくださいました。 実に、キリストご自身こそ、人々を救うための、神の知恵に満ちた計画の中心なのです。
1:25 この、いわゆる「ばからしい」神の計画は、最高の知識人の最も賢明な計画より、はるかにすぐれたものです。 また、キリストの十字架上の死という神の弱さは、実は、どんな人間よりも強いのです。
1:26 愛する皆さん。 自分たちの仲間を見回してごらんなさい。 キリスト様に従うあなたがたの中には、有名人や権力者や金持ちはほとんどいません。
1:27 それどころか、神様は、この世では愚か者、無価値な者と思われている人々を、わざわざお選びになりました。 それは、この世で知恵ある者、りっぱな人とされている人々を辱しめるためです。
1:28 神様は、いわゆるこの世で見下されている者、全く取るに足りない者を選び、そんな人々を役立てることによって、世間では大物と言われる人を、なきに等しい者とされたのです。
1:29 ですから、どこのだれであっても、神の御前で自慢することはできません。
1:30 というのは、あなたがたがキリスト・イエスによっていのちを確保できたのは、ひとえに神様のおかげだからです。 キリスト様は、神様の救いの計画を明らかにしてくださいました。 私たちを神様に受け入れられる者としてくださったのは、このキリスト様でした。 この方は、私たちを、きよく聖なる者とし、また、私たちの救いを買い取るために、ご自身を投げ出されたのです。
1:31 旧約聖書の、「だれでも誇ろうとする者は、主のなさったことだけを誇れ」という、ことばどおりになるためです。

[ 2 ]
2:1 愛する皆さん。 私が初めて皆さんのところへ行った時、神様からのことばを伝えるのに、程度の高い、難しいことばづかいをしたり、りっぱな理論をふりまわしたりはしませんでした。
2:2 なぜなら、イエス・キリストと、その十字架上の死以外は語るまい、と決心したからです。
2:3 私は弱々しく、おずおずと、震えおののきながら、あなたがたのところへ行きました。
2:4 また私の説教も、雄弁な説得力あることばや、人間的な知恵にはほど遠く、全く単純そのものでした。 しかし、そのことばには神様の力がこもっていて、聞く人々は、それが神様からのことばだとわかったのです。
2:5 私がそうしたのは、あなたがたの信仰が、人間のすぐれた思想にではなく、神様に根ざしてほしかったからです。