牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

慎重の上にも慎重にと

2010-01-31 08:30:09 | Weblog
昨日はいつもお世話になっている歯科医に治療に行きました。堺市上野芝駅前ですので、車で40分~60分かかりますが、もう長年治療のたびに出かけています。

 インプリント治療のため昨年10月6日に3本手術をしました。根になる骨がものすごく弱く小さいので、日本一の歯科医が東京から駆けつけて来て、手術が終わるとまたすぐ東京へ御帰りでした。

 その手術の後、頬が大きく腫れ上がり大阪の大教会説教に招かれていたので、肥りましたね?と言われながらの奉仕でした。

 12月13日は関東の大教会礼拝説教っでしたので、それくらいまでは仮の歯を12日(土)に診療日を入れてもらい、仮歯でも入れば少しは話もよくなるかも?と感謝していました。

 東京の歯科医に相談したら、絶対そのままにして辛抱してもらいなさいと言うアドバイスだったので、仮歯は入れられないので来なくて良いとの電話が入りました。直後、電話が鳴り13日の説教のために土曜日から来て備えてくださいとのこと。グッドタイミンげで13日は、午前9時と11時の礼拝説教でした。

 昨日は、日本一の歯科医が4ヶ月はそのままにして骨ができるのを待つようにとの指示だたことを詳しく説明し、来週6日(土)でちょうど4ヶ月目ですから、仮歯を入れることができますとのこと。

 3月8日からの聖地旅行の時は、今治療中の3本がしっかりした歯になっているので、ホッと一安心です。

 2月は礼拝はもちろんですが、11日(祭)ヨベル聖会メッセージ。13日(土)在日大韓基督教会河口教会100数年記念・賛美とみことばの集いメッセージ。最後の週28日(日)は大阪オンヌリ教会礼拝メッセージ2回と奉仕が続くので、はがしっかり治っていることは話をするためにはものすごい感謝です。

 とは言いながらまだ治療が必要な歯が数本あるので、今年いっぱいはかかるだろうと言われています。

 慎重の上にも慎重を期して、治療を続けてくださる堺の歯科医と、わざわざ東京から駆けつけてくださる名歯科医に心から感謝しつつの昨年6月に始まったインプラント治療に感謝しながらの日々です。

 まだ堅いものが食べられず、今日からは甘いものも少し控えて、今週6日(日)の仮歯の治療を心待ちしながらの日曜日の朝です。

 幸い6日は、壊れたメガネも完成しているので、7日の日曜日は変身?しての礼拝説教になると楽しみにしています。

 さあこれから、生駒聖書学院教会の礼拝、午後2時より大阪エリムキリスト教会、午後5時半からは堺市堺東のエリムキリスト教会礼拝へゴーです。聖霊が伴ってくださり、満たされてみことばをまっすぐに語り、愛する兄弟姉妹の幸せに輝く姿を思いながら・・・・。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日・礼拝の日です。感謝します。ハレルヤ。

ヘブル人への手紙

13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

13:16 善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。


愛と赦しと感謝が輝く天国

2010-01-30 09:25:30 | Weblog
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。

 朝の目覚めから安眠のときまで、今日もまた天国の一日です!が口癖になっています。天国は死んでから行く所と考えられています。それは間違いではありません。

 3月8日(月)出国、13日(土)昼に帰国する6日間に聖地旅行へ行きます。まだイスラエルには行っていませんが、気持は聖地旅行を楽しんでいます。

 でも気持だけでも聖地ですが、旅行社から切符が届くと、それは確実な喜びに変わります。中にはイスラエルに着くまでは信用いできない?と言う、変わった方もありますが、それは例外。普通には予約を入れた段階で間違いなく聖地へ行く保証が与えられ、料金を支払い航空券が届けば確実です。

 今日もまた天国の一日です!と毎朝、毎夕告白しています。それは天国に行く気持があるからです。同時に天国行が保証されているからです。

 旅をするときはホテルや宿を予約します。フロントで予約をしていますと言うと、お待ちしておりました。・・・様.お部屋へご案内しますと、歓迎されます。一夜の宿へ止まる時さえ予約をしている方が間違いありません。行き当たりバッタリもスリルはあるかもしれませんが、良いホテルであればあるほど予約が必要です。そして時には旅に出る前に、今度はあそこに予約したんだよと自慢します。

 来週は2日(火)ー5日(金)まで、掛川市ヤマハリゾートで大会があります。昨日遊びに来ていた4歳の孫が嬉しそうに、じいも行くの?今度遊びに行くんだ。いっしょの遊んでねと大騒ぎをしていました。

 まだ現実には行っていなくても、パパが申込み登録したから大丈夫!とのことばで安心し、何も心配しなくて大喜びです。

 イエス・キリストを信じるとき、それは地獄行の道が封鎖され、天国への道が開かれたことです。人は罪を持つ限り天国行くことは出きません。この世でどのような豊かな(天国と思うほどの贅沢三昧)生活をしていても、死ねば終りだけではなく、地獄へ行かなければなりません。

マルコの福音書 9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。
9:45 もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちにはいるほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
9:47 もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国にはいるほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
9:48 そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

 その地獄行の罪人を救うために、イエス・キリストは全人類のすべての罪を十字架の上に引き受けてくださいました。罪だけだはなく病も呪いも貧乏も、そして死を全部引き受けてくださったのです。

 墓に葬られましたが、すべての地獄行の問題を処理し終わり、三日目に復活し今もなお生きて働いておられる救い主となってくださいました。聖霊によりイエス様をアーメンと信じ、自分の心にお迎えするとき、イエス・キリストは心にお入り下さり、天国行の切符となられるのです。

 そのことを聖書に書いてあるとおりに信用するなら大丈夫です。「この奥義はあなたがたのうちにおられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ1:27)

 イエス・キリストが聖霊により子頃の中に住んでおられるので、そこは天国です。もちろんこの肉体が死ねば地上でのいのちが終わるので、天国へと目されます。永遠に肉体も死なない天国です。ソの日を待ち望みながら、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。と、愛と赦しと感謝死あふれながらの毎日を過ごせる幸い!ハレルヤ。感謝します。

ルカの福音書

17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。

17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」



揺れても沈まない・今日もまた天国の一日です

2010-01-29 07:52:03 | Weblog

 生駒聖書学院卒業生出版の、「揺れても沈まない・四次元の経営」を昨日紹介しました。

 フランスのパリ市紋章には、帆に風を受け荒波をけって前に進む帆船が描かれ、その下にラテン語で、Fluctuat nec mergitur(揺れても沈まない) と銘文が書かれています。

 人生には越えなければならない荒波が幾つもやってきます。しかし、大波に揉まれ木の葉のように揺られながらも沈まず、不安な中にも安定を求め、しなやかに乗り切って行くことができます。

 コロンブスがアメリカ大陸へ向かったとき、発見の偉大な業績を達成するまでには、嵐に遭遇し、どこにいるやらわからなくなったり、乗組員の失望や反対など様々な困難に出会いましたが、その航海日誌には、今日も航海を続けたと書き続けられていたそうです。

 昨夜は、一月誕生の神学生5人(ひとりは12月生まれでしたが)と近くの食堂で誕生会をしました。人生は様々だとそれぞれの苦労やユニークさに感動しました。

 生駒聖書学院で過ごす3年間が、一人ひとりの将来を決めていく大切な期間であり、そのような時期を委ねられていることに厳粛な思いで眠りに着きました。

 朝の目覚めとともに、机上にあった昨日届いた、「揺れても沈まない」の署名が目に留まり、神学生一人ひとりの前途に、また卒業して苦労しながらの前進している姿を思いつつ、祈りをささげる朝のひと時です。

詩篇

107:22 彼らは、感謝のいけにえをささげ、喜び叫びながら主のみわざを語れ。

107:23 船に乗って海に出る者、大海であきないする者、

107:24 彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。

107:25 主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。

107:26 彼らは天に上り、深みに下り、そのたましいはみじめにも、溶け去った。

107:27 彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。

107:28 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。

107:29 主があらしを静めると、波はないだ。

107:30 波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。

揺れても沈まない

2010-01-29 05:56:33 | Weblog
生駒聖書学院卒業生出版の、「揺れても沈まない・四次元の経営」を昨日紹介しました。

 フランスのパリ市紋章には、帆に風を受け荒波をけって前に進む帆船が描かれ、その下にラテン語で、Fluctuat nec mergitur(揺れても沈まない) と銘文が書かれています。

 人生には越えなければならない荒波が幾つもやってきます。しかし、大波に揉まれ木の葉のように揺られながらも沈まず、不安な中にも安定を求め、しなやかに乗り切って行くことができます。

 コロンブスがアメリカ大陸へ向かったとき、発見の偉大な業績を達成するまでには、嵐に遭遇し、どこにいるやらわからなくなったり、乗組員の失望や反対など様々な困難に出会いましたが、その航海日誌には、今日も航海を続けたと書き続けられていたそうです。

 昨夜は、一月誕生の神学生5人(ひとりは12月生まれでしたが)と近くの食堂で誕生会をしました。人生は様々だとそれぞれの苦労やユニークさに感動しました。

 生駒聖書学院で過ごす3年間が、一人ひとりの将来を決めていく大切な期間であり、そのような時期を委ねられていることに厳粛な思いで眠りに着きました。

 朝の目覚めとともに、机上にあった昨日届いた、「揺れても沈まない」の署名が目に留まり、神学生一人ひとりの前途に、また卒業して苦労しながらの前進している姿を思いつつ、祈りをささげる朝のひと時です。

詩篇

106:6 私たちは先祖と同じように罪を犯し、不義をなし、悪を行なった。

106:7 私たちの先祖はエジプトにおいて、あなたの奇しいわざを悟らず、あなたの豊かな恵みを思い出さず、かえって、海のほとり、葦の海で、逆らった。

106:8 しかし主は、御名のために彼らを救われた。それは、ご自分の力を知らせるためだった。

106:9 主が葦の海を叱ると、海は干上がった。主は、彼らを行かせた。深みの底を。さながら荒野を行くように。

106:10 主は、憎む者の手から彼らを救い、敵の手から彼らを贖われた。

106:11 水は彼らの仇をおおい、そのひとりさえも残らなかった。

106:12 そこで、彼らはみことばを信じ、主への賛美を歌った。

揺れても沈まない

2010-01-28 09:09:43 | Weblog
 今朝早く学院へ行くと、イーグレープと書かれた大型封筒が届いていました。チャペルのあと家で開封すると、平田和文著四次元の経営「揺れても沈まない」贈呈でした。

 現在、長野県松本市で株式会社アルプス警備保障を経営する平田和文社長出版の新著です。

 推薦文に、「神の導きを信じて歩み続ける人」と書いたことを思い出しました。世界遺産の屋久島に生まれ、孤高の志を胸に生駒聖書学院に入学し、卒業後は開拓伝道を開始しました。
 志半ばで警備会社を立ち上げ、その後新たなるチャレンジで冒険家として世界を経巡り、日本百名山登頂を最速66日間で達成し、松本市に移り住み、現在はアルプス警備保障という会社を経営し、自社ビルも購入、最上階には神学生時代からの夢であったキリスト教会も開設し、松本市の救いに取り組んでいます。

 会社経営の真髄を語る本・泉堅(万座温泉ホテル代表と取締役会長)

 真のリーダーの資質が問われる・渡辺明日香(株式会社ルーク19)

 勇気溢れるプイレゼント・堀内俊之(株式会社白銀工房社長)

と推薦文にあるように、活躍し広がり続ける人脈を見ることもできます。

第46回日本ペンテコステ親交会大会(2月2日-5日・掛川市ヤマハつま恋リゾート会場)では、生駒聖書学院書籍コーナーでお買い求めいただけます。

署名;揺れても沈まない/四次元の経営
著者:平田和文
定価:1,600円(税別)
発行;イーグレープ
電話;03-3261-2141 Fax.03-3261-2147
mail;p@e-grope.co.jp

 生駒聖書学院卒業生たちが、伝道牧会やその他の分野でも、「受けるよりも与える方が幸いである」ことを、身を持って実践していることに勝る幸いはありません。

 ぜひ、本書を手にとってお読みくださるよう推薦します。

コリント人への第二の手紙

9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。

9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。

9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。

9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。

9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。

9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。

メガネを大切にと叱られ?

2010-01-27 08:16:40 | Weblog
いつも使っていた外出用のメガネが壊れ、眼鏡店に行き視力を測ったが、6ヶ月前と全く同じでした。

 どうして壊れたのですかと聞かれ、運転中助手席に置いたままでしたのでと答えました。

 もうひとつの外出用メガネを磨いて上げましょうと言われ、ポケットから取り出し手渡すと、美しい女子店員に叱られてしましました。

 メガネははめていないときはメガネケースに入れてください!そのためのメガネケースですよとのこと。当たり前のことですが、メガネは自分の目と同じだという心得があれば、あっちこっちにそのままで置くことはないと思います。

 大事なものは大事に扱うことが当たり前です。当たり前のことをちゃんとしなかったことを反省させられる眼鏡店での昨日でした。

 読書用にメガネと外出用を別にしていたので、両用のグラスに変えてもらい、完成は来週の土曜日。それまでは今あるもので間に合い、少しゆがんでいることがわかったので、メガネが完成したら修正してくれるとのことでした。

 イエス様は、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われるだけでなく、その愛を極みまで現してくださいました。その愛は不注意の愛、いい加減名取扱ではなく細やかに語りかけ祈りを聞きお守りくださいます。

 いつまでも存続する信仰と希望と愛を、シッカリ保ちまもり恵まれた幸せな日々を進みたいものです。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

ユダ書

1:17 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。

1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」

1:19 この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。

1:20 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、

1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

1:22 疑いを抱く人々をあわれみ、

1:23 火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。

1:24 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、

1:25 すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。


湯たんぽ流行

2010-01-26 07:56:08 | Weblog
08年8月4日の朝より、「今日もまた天国の一日です!」と告白し続けています。

 今朝も目覚めの時や祈りの時、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します」で、朝の時間を過ごしています。

 一月も最後の週、生駒聖書学院も平常の授業で、神学生たちも寒さの中ですが、元気で朝の祈り(5時起床)より励んでます。

 神学生のブログ、青い鳥より転載します。

去年の冬、私は韓国で冬休みを過ごしました。100年ぶりと騒がれた大雪が降って、通麻痺に陥ったほどです。

道端には寒さのせいで解けない雪が、何日もそのまま積もっていました。

ほとんど部屋に閉じこもったまま過ごしていた。年末の日、知り合いから電話が掛かってきました。

声をはずみながらとてもうれしい話を聞かせてくれました。

その知り合いは4年前に日本福音宣教会という宣教会を通して知り合いました。

地方の町に住みある教会の長老です。ホテルで勤めながら休みの時は、田舎にある畑の仕事をしています。

その畑は買うときから宣教のための資金にしますと、神様に誓いを立てたそうです。

村の人々からは農作業を知らない知り合いに人が助言をしてくれたり、からかったりしていたそうです。

しかし、素人のような人がたまに来て作業をした割に、いつも収穫の時は村の誰よりも高収入を得るので、村人からはとても不思議がっていたそうです。

そして、3年前に知り合いは作業の時、石が多く道路からけっこ深い畑を高く上げるために
業者に工事を頼みました。

畑を土で埋めて整える工事です。大型トラックが工事を始めた途端、思わず村人からすごい反対にあいました。

どんなに頼んでも、説得しても村の人々の心は変わりませんでした。結局知り合いはその工事を諦めました。

そして、知り合いは草がぼうぼうとしげっている畑を見ながら神様に祈ることしかできませんでした。

3年の月日が流れ、その祈りは聞かれました。その村の山の持ち主から自らその工事を名乗り出て、工事をさせてくれと連絡が来たのです。

今度は誰の反対も妨害もなく、工事は無事に終わりました。

知り合いは工事の前の写真と後の写真を送ってくれました。工事が止まったままの畑を見ながら、知り合いは本当にあの山の土が私の畑に降ってくれたらいいのにとまで祈ったらしいのです。

信仰によって山を動かすことができると、イエス様は言われた言葉は今、現在にも起こることを実感しました。

寒さに耐えきれず湯たんぽをついに買いました。今日から私も湯たんぽ組です。

みんなと仲良くお湯待ちに食堂に走ります。今年の冬は絶対去年より寒いです。体に気をつけて風邪ひかないように祈ります。

私の祈りの課題です。1月28日、木曜日に説教があります。覚えて祈ってください。

 今、神学生の間では湯たんぽ流行のようです。心も暖かく、信仰・希望・愛も暖かく、身体も暖かく春の陽を待つ、生駒聖書学院です。

 今日もまた天国の一日です!生駒聖書学院への入学をお待ちします.

ヨハネの黙示録
7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。

7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、

7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」

7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。

7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。

7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。

7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」



イスラエル・聖地旅行の日程が決まりました

2010-01-25 07:30:07 | Weblog
 IACA大阪支店「聖書の世界を訪ねて・イスラエル周遊」6日間

 土曜の夜に、3月8日(月)~13日(土)関空帰国の日程が届きました。もう10年以上前になりますが、同じ日程で3人で出かけて、すばらしい旅をだった思い出があります。

 8日(月)KALで関空より出国。アムステルダム乗り継ぎでテルアビブへ、ホテル小休止。

 9日(火)早朝、死海観光と遊泳体験へ。昼食後マサダ経由でクムラン、エリコ、誘惑の山を観光しつつガリラヤ湖へ。湖畔のホテルで夕食と憩いの時間。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!お休みなさいで熟睡。

 10日(水)ガリラヤ湖周辺観光。昼食にはペテロ鯛をご馳走になり、午後からカナやナザレを歴訪し、エマオを経由してエルサレムへ。ホテル・グランドコートでバイキング夕食。
 今日もまた天国の一日でした!感謝します。

 11日(木)週日、ベツレヘムや旧エルサレム市内でゴルゴダの道を歩き、嘆きの壁で祈る幸いも体験できます。10年前にいっしょに行った二人は、幸せな結婚を祈り、今ではふたりとも幸せなママになっています。
 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。

 12日(金)は早朝テルアビブ空港からアムステルダムへ。ザーンセ・スカイ風車村や木靴工房などを観光。ゴッホ美術館にも行く予定です。
 その後、空港より関空への帰路につきます.

 13日(土)お昼に関空帰着という日程で、短いけれども充実のイスラエル聖地旅行を計画してみました。

 費用は225.000円+(関空使用料2.650円、出入国税6,390円、燃油21.600円)

 ホテルは全部四つ星、グランドビーチ・ギノサールキブツ・グランドコートホテル(変更の場合でも四つ星です)
 ご参加いただける場合は申込締切り1月31日まで。料金払込は申し込み一週間後。
 下記までご連絡ください。
 
 株式会社アイエイシ・トラベル大阪支店・大塚まで 電話066-265-3337

 または生駒聖書学院・榮義之まで メール;elimyoshi@kcn.jp

詩篇
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。

121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。

121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

苦味から解放されて甘い水を

2010-01-24 09:09:39 | Weblog
 同じ聖書の箇所が、三日間心に響き続けており、金曜日、土曜日と今日の礼拝で、出エジプト記15章よりメッセージを続けています。

 今朝は富雄キリスト教会(毎月第四日曜日)の礼拝説教です。最近礼拝出席者が多くなているとのことで、昨日も喫茶店勤務の方が礼拝に来ると喜んでいたそうです。

 六日働いて一日休む、規則正しい生活ができれば、霊肉ともに健やかに幸せな天国の日々になることでしょう。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します!ハレルヤを合言葉に、肉体を離れて天国に行く日まで恵まれて過ごしたいものです。

 イスラエルは400年間のエジプトでの奴隷生活より、モーセに導かれて偉大なエクソダスを経験しました。再び奴隷につなごうとエジプトの戦車隊が追撃を開始しました。

 そのような危機一髪のとき、全能の神の御手が何と紅海を真っ二つに割き、海の中を乾いた道を行くようにして救われました。

 後を追いかけて来たエジプトの戦車600両は、溢れ返る波に飲まれて藻屑のように滅び去りました。

 完全な出エジプトが達成され、モーセとアロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来ました。
 ミリヤムは人々に答えて歌いました。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」彼女はそのとき90歳でしたが、年齢に関係なく、老幼男女ともども救いを喜び感謝しました。

 ところが喜びにあふれて進むこと三日目、水が見当たりません。やっと見つけた水は苦くて飲めず、民はつぶやき初め、そのつぶやきはあっという間に広がりました。

 つぶやきがなんの解決にならないことを知りながら、つぶやいてしまう弱さを21世紀の私たちも持っています。飲み食いのことでつぶやくのは醜いことですが、やはりつぶやいたり、不平不満をぶちまけないと気が済まないような苦味が人生にはあります。

 つぶやける人は幸いかも?ぶちまける人があるからです。しかし、つぶやかれる方はたまったものではありません。持って行きどころがない幸せを経験させられるからです。

 聖書には、「主を叫び求める人は救われる」とあり、モーセは主に向かって叫びました。すると奇妙な方法が提示されました。

 一本の木を苦い水に投げ込めと言われ、そのとおりにすると水は甘くなり、不平不満やつぶやきは消え、渇きは潤されました。

 現代に適応するなら木はイエス・キリストの十字架を予表します。十字架の元に行けばすべてが解決します。

 罪の苦味、病の苦味、呪いの苦味、貧乏の苦味、死にゆく苦味など、人生のあらゆる苦味が甘味に変わります。

 そのすばらしい救いを味わい、いつも十字架を仰ぎ、復活のいのちに生かされ、聖霊に満たされて渇かない人生を歩みましょう。

 イエス・キリストこそすべての苦味を甘さへと変えてくださり、すべてを理解し問題を解決してくださるお方です。

イザヤ書53:3 彼(イエス・キリスト)はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
 
ヘブル人への手紙 2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主(イエス・キリスト)はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

4:15 私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

マタイの福音書11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス・キリスト)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
 





苦い水が甘い水に変わる

2010-01-24 08:22:23 | Weblog
 同じ聖書の箇所が、三日間心に響き続けており、金曜日、土曜日と今日の礼拝で、出エジプト記15章よりメッセージを続けています。

 今朝は富雄キリスト教会(毎月第四日曜日)の礼拝説教です。最近礼拝出席者が多くなているとのことで、昨日も喫茶店勤務の方が礼拝に来ると喜んでいたそうです。

 六日働いて一日休む、規則正しい生活ができれば、霊肉ともに健やかに幸せな天国の日々になることでしょう。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します!ハレルヤを合言葉に、肉体を離れて天国に行く日まで恵まれて過ごしたいものです。

 イスラエルは400年間のエジプトでの奴隷生活より、モーセに導かれて偉大なエクソダスを経験しました。再び奴隷につなごうとエジプトの戦車隊が追撃を開始しました。

 そのような危機一髪のとき、全能の神の御手が何と紅海を真っ二つに割き、海の中を乾いた道を行くようにして救われました。

 後を追いかけて来たエジプトの戦車600両は、溢れ返る波に飲まれて藻屑のように滅び去りました。

 完全な出エジプトが達成され、モーセとアロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来ました。
 ミリヤムは人々に答えて歌いました。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」彼女はそのとき90歳でしたが、年齢に関係なく、老幼男女ともども救いを喜び感謝しました。

 ところが喜びにあふれて進むこと三日目、水が見当たりません。やっと見つけた水は苦くて飲めず、民はつぶやき初め、そのつぶやきはあっという間に広がりました。

 つぶやきが奈の解決にならないことを知りながらの、つぶやいてしまう弱さを21世紀の私たちも持っています。飲み食いのことでつぶやくのは醜いことですが、やはりつぶやいたり、不平不満をぶちまけないと気が済まないような苦味が人生にはあります。

 つぶやける人は幸いかも?ぶちまける人があるからです。しかし、つぶやかれる方はたまったものではありません。持って行きどころがない幸せを経験させられるからです。

 聖書には、「主を叫び求める人は救われる」とあり、モーセは主に向かって叫びました。すると奇妙な方法が提示されました。

 一本の木を苦い水に投げ込めと言われ、そのとおりにすると水は甘くなり、不平不満やつぶやきは消え、渇きは潤されました。

 現代に適応するなら木はイエス・キリストの十字架を予表します。十字架の本に行けばすべてが解決します。

 罪の苦味、病の苦味、呪いの苦味、貧乏の苦味、死にゆく苦味など、人生のあらゆる苦味が甘味に変わります。

 そのすばらしい救いを味わい、いつも十字架を仰ぎ、復活のいのちに生かされ、聖霊に満たされて渇かない人生を歩みましょう。

 イエス・キリストこそすべての苦味を甘さへと変えてくださり、すべてを理解し問題を解決してくださるお方です。

イザヤ書53:3 彼(イエス・キリスト)はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
 
ヘブル人への手紙 2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主(イエス・キリスト)はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

4:15 私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

マタイの福音書11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス・キリスト)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」