牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

2016年もありがとう

2016-12-31 18:24:43 | Weblog
1916年、お祈りとご支援の励まし、ありがとうございます。
交通事故になったり、歯科医で口調の治療など。杖なしでの歩行を11月から初めています。
イザヤ書14::24 万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。
今年も天地万物の創造者、全知、全能、遍在、永遠、不変、唯一の真の神の愛に平安に守られ続け感謝です。神のなさることは、みなその時にかなって美しい。
天地宇宙の創造者である神は、その独り子イエス・キリストを世界に贈り、十字架と復活により、すべての罪や病、呪や貧乏を解決し、死の力を持つ悪魔を滅ぼし、死の恐れから解放し、アーメンと信じる者を恵みにより神の子としてくださいます。
大きな愛のご計画の中に、信頼して憩う平安と幸いの今年。
多くの祈りと支援委支えられ、恵みと愛に守られ、元気で一人暮らしの正月も3年目を迎えます。
ありがとうございます。今年もまた大晦日です。感謝してます。
2017年も恵みと愛で輝く、希望の新年を心より祈ります。



選ばれ実を結ぶ年の暮れ

2016-12-31 18:09:58 | Weblog
ヨハネの福音書15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
聖歌 450 何故(なにゆえ)御(み)神は※変ホ長調→ニ長調に移調
①何故(なにゆえ)  御(み)神は  斯(か)かる身をも
  神の子と為(せ)しか  知るを得ねど

 (くり返し) 我が  寄り頼む主は
      委(ゆだ)ねたる  身と霊(たま)を
      守り得(え)給うと  確信するなり

②何故  御言葉  信ぜし時に
  安きを得たるか  知るを得ねど
 (くり返し) 

③何故  主イェスを  救い主と
  信じ救われしか  知るを得ねど
 (くり返し) 

④我が世の終わりに  如何(いか)なること
  待てるかは  つゆも知るを得ねど
 (くり返し) 

⑤救い主イェスを  何(いず)れの日に
  見奉(たてまつ)るかは  知るを得ねど
 (くり返し)

ありがとうございます。大晦日もまた天国の一日です。感謝してます。 

奇跡に守られて

2016-12-31 06:57:30 | Weblog
聖書の約束
詩篇118:23-24 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。
これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。
2016年12月31日を迎え、目覚める恵みにありがとうございます。心から感謝の大晦日です。
これは主のなさったことだ。わたしの目には不思議なことである。
いつも書いているが、57歳までは一度も頭痛も腹痛も、病院も経験したことがなく、快調に生かされている日々でした。
東京帰宅での聖会を毎月行い、祝され続けていました。
1999年11月にホテルで左脳内出血で倒れ、赤羽の脳内外科病棟で1ヶ余入院。1年後お礼に病棟を訪れる。婦長さんが、本当は死んでいた人です。奇跡だったんですよ。と励ましてくれました。
その後、学院長として多くの神学生を送り出し続けています。
2012年7月に、堺市で運転中に右脳内出血になり、自動車は大破する大交通事故。馬場記念病院に運ばれ、ペガサスリハビリ病院とで1ヶ月治療とリハビリ。
退院して小冊子を書き、写真があればと生駒から堺市に電車で行く。事故現場を移し、馬場記念病院へも。1万6千歩も歩き、結果10月に小脳内出血で倒れ再入院。
今年4月1日、信号のない交差点を歩行横断中、車に跳ねられ右足打撲、左顎と頬を20針脳外科の主治医が、奇跡だ、奇跡だと驚きながら診察してくれる。
その体験を小冊子50頁にまとめ、天国から追い返された牧師として出版。全部なくなり、今年再版、読んでいただければ贈呈できます。elimyoshi@kcn.jp
これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。
目覚めとともに、恵みに生かされて奇跡の日々を現役で、喜び楽しんでいる366日でした。
明日は、元旦の日曜日。新年礼拝からスタートする、恵みと愛で輝く2017年です。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。



高ぶり

2016-12-30 18:46:20 | Weblog
イザヤ書14:1215 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、私は北の果てにある会合の山にすわろう。私は密雲の頂に上り、私いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
'I will ascend into heaven ,I will exalt my throne above the stars of God; I will also sit on the mount of the congregation On the farthest sides of the north; I will ascend above the heights of the clouds ,I will be like the Most High.'
聖書では悪魔の存在は自明のことです。イザヤ書14章とエゼキエル28章は、悪魔の始まりを示唆しています。天使のルシファーが、自ら神に変わろうと,私は=I will と宣言し、天から落とされ、エデンの園でアダムとエバを罪に誘い、人類に罪=SINが入り、人は生まれながら罪人です。英語のSINは、その真ん中にI=私があります。罪とは自我中心、自己義を立てることで、ルシファーの神に変わろうという高慢の種です。高慢は滅びに先立ちます。謙遜は栄誉に先立ちます。
イエス・キリストが処女から生まれたのは、人間の持つ罪の遺伝子を持たない、神の子の誕生でした。
人類の始祖アダムの罪が、全人類を罪に定めたように、イエス・キリストの十字架上での罪の解決が、全人類に罪からの解放を与えました。罪の結果、死が人間を支配し、地獄行きに定められましたが、イエス・キリストの十字架の死と復活で、死の力を持つ悪魔は滅ぼされました。イエス・キリストをアーメンと信じるだけで、死の不安から解放され永遠のいのちを与えられ、天国行きの保証となるのです。
悪魔に支配されているように思える世界ですが、悪魔はすでに十字架によって滅ぼされ、その欺瞞によって、欺かれているだけの世界です。アーメンと信ずる者は、その足の下に悪魔を踏みつけ、平安と勝利に輝き、神の栄光のために生きることができるのです。
イエス・キリストは、天においても地においてもいっさいの権威を持つ主であり、救い主です。悪魔の欺瞞にダマされないで、聖書をシッカリと読み、聖霊に満たされ世の終わりまで共におられる、復活のキリストの勝利を受けて、新しい年が恐れない希望に輝くよう備えましょう。
あらいがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

愛の深い友

2016-12-30 18:38:37 | Weblog
ヨハネの福音書15:13-15 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。




== 讃美歌312番 いつくしみふかき ==

いつくしみふかき 友もなるイエスは 

つみ とが うれいを とりさりたもう

こころのなげきを つつまず のべて

などかは おろさぬ おえる おもにを




いつくしみふかき 友なるイエスは

われらのよわきを しりて あわれむ

なやみ かなしみに しずめるときも

いのりに こたえて なぐさめたまわん

いつくしみふかき 友なるイエスは




かわらぬ あいもて みちびきたもう

よの とも われらを すてさるときも

いのりに こたえて いたわりたまわん




いつくしみ深き友なるイエスは、16歳まで一度も歌ったことのないが、初めて歌った歌です。

その日以来59年、歌い続けています。




イエス・キリストは天地万物の創造者、三位一体の神です。神は愛です。そのアガぺの無条件の愛は、十字架に上に現されました。その大きな愛が、友としての愛でいつもともにおられる恵みです。

友の愛は50:50の愛、神が対等の愛を約束し、愛深い友として、いつもともにおられる幸い。

今日も、友なるイエスをアーメンと信じる幸せをかみしめる年末です。

その体験を=歌えない、踊れない、無口の牧師物語20頁=

マンガ牧師紹介があります。プレゼントです。

elimyosi@kcn.jp

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。










可能性は限りなく

2016-12-30 05:38:37 | Weblog
聖書の約束
マルコの福音書9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
生駒聖書学院のモットーは、不可能は挑戦となるです。創立者のレオナード・W・クーとの生涯を貫いた信仰告白です。
毎朝、この聖書の約束を神学生全員で読み、可能性への挑戦は可能となると告白しています。
限界と言うから限界ができるので、不可能ということばを使わず可能性と告白します。すぐできないといってしまうことばの癖を止めて、みことばにアーメンと言う信仰を持てるように。
歯の治療を受けてから2年半、しゃべりが厳しくなり、早く自由に話せるようになりたいとぼやくと、そう言っているから話しにくいんだと、話せているのに感謝したらと娘に指摘されたり。
杖を付いて歩くのもそうでした。脳梗塞だから杖なしでは危険だと宣告され、3年間しっかり杖で歩き守られ幸い。
10月に歯科医に、杖なしで歩きなさい。筋肉をしかり鍛えると、歯も良くなり話しもスムーズにできる。歩いて帰りなさいと言われ、阿波座新町から四つ橋駅まで、杖を持って歩き、11月から杖なしで歩き続けています。
杖を使うときは両手ステッキです。
限界は自分で勝手につくり、そう言うことで自分を納得させ。人に言う時はどうしても胃分けになります。ほんとうであっても、できない理由ばかり探すのは、今日=晦日で終わりにしよう。
デキナイ、しかたがない、無理だ、不可能だの考えとことばにサヨウナラ。
できるにコンニチワ。イエス様のことばに、アーメンありがとうと、信じる自分も何でもできると考え、告白し、態度でも示して生きていこう。
自分だけの力ではなく、約束してくださったイエス・キリストのことばを信じて、新しい年へ備えよう。私は、私を強くしてくださるキリスト=聖霊によってどんどん良くなる。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。

スプリングポブのような国にならないよう

2016-12-29 19:41:27 | Weblog
イザヤ書13:13-16それゆえ、わたしは天を震わせる。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く。
追い立てられたかもしかのように、集める者のいない羊の群れのようになって、彼らはおのおの自分の民に向かい、おのおの自分の国に逃げ去る。
見つけられた者はみな、刺され、連れて行かれた者はみな、剣に倒れる。
彼らの幼子たちは目の前で八裂にされ、彼らの家は略奪され、彼らの妻は犯される。
小雨そぼ降る生駒の朝です。イザヤ書から聖書のことばを書いています。39章までの前半には、厳しい裁きのことばがたくさんあります。それは聖書全体にもあり、読み始めると厳しい裁きの宣言に驚き、全部を読み終える人は少ないようです。
聖書の中心は愛です。いつまでも存続する者は信仰、希望、愛であり、その中で一番すぐれているものは愛、愛は決して絶えることはありません。
人は自分のことは棚上げして、神が愛ならどうしてこの世に不幸があり、憎しみ合いや戦争があるのか、あらゆる主義主張でいがみ合い、やがて世界は滅亡に向かいます。
今朝の箇所に、追い立てられたかもしかのように、滅びへの道を疾走する姿が描かれています。

アフリカに生息するスプリングボブは、ガゼルの仲間です。サファリに良く行き見かけ、普段は少数で集まって仲良く暮らす可愛い動物です。
ある季節になると集まり始め、数千、数万匹を越える巨大な群れになり、食糧を求めて徐々に移動します。何日もしないうちに、スプリングの疾走が始まります。スプリングボブは砂ぼこりを巻き上げながら、集団が一塊になって走りに走ります。目の前に海が現れたにもかかわらず、止まることなくそのまま疾走し海におぼれて死んでしまいます。毎年、そのようにして数万匹のスプリングボグが死に絶えます。
スプリングボブは水を嫌う生き物です。ではなぜ、数万匹にも及ぶ集団が移動する時、前方を行くスクリングボブが草=食糧を食べ尽くしてしまいます。後方の群れは餌がなく飢えて、それで後方の群れは餌を求めて前へ前へと、そして目の前に大嫌いな水が見えても疾走を止めることはできず、飛び込んで死んでしまいます。
ゆっくり穏やかに仲良く食べていれば、サバンナの草原はどこまでも広がり、平和で、楽しく豊かな日々を楽しむことができます。生存競争の悲しさです。

地球は今同じような状況です。今持っているもので満足できないで、文明を向上を国威発揚を追い求めています。昨晩のテレビ番組で、オリンピックは国威発揚のために、景気向上アベノミクスのために絶対必要だ、いや不要だと結論のない論議がなされていました。東京でのオリンピック景気で建設ラッシュ、被災地での復興が遅れる、オリンピックのためという大義名分があるので、当然のことです。大手ゼネコン1社か2社でも、わが社は震災復興地のために、集中して貢献すると名乗り上げるて欲しい。福島も熊本も忘れられてはいけない。
日本がバブルの夢よ再びで、スプリングボブのように、原子力発電発開、平和憲法改変、再軍備、武器輸出、核武装までその先に見えている。カジノ法案まで通過させ、日本を賭博場にと考えている。危機の時代に向かっている。日本の救いを願い祈る年末です。神の愛が世界を滅ぼすのではなく、人間の欲望、我欲が滅亡に向かって突進している。日本が、その先頭を走らないようにと祈ります。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。

淡路島へ

2016-12-29 19:39:01 | Weblog
ヨハネの福音書15:7-8 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
今日は朝早くに済まそうと思って、梅田オアシスへ出かけた。何と回転11時で散歩で時間をつぶし、開店と同時に入り、大きい字の旧新約聖書を買う。ポイントカードは持参しなかったが、パソコンで検索して5000円分。プレゼント用に使えて安い買い物になった。
そのまま帰宅し、生駒駅前でチョコレートのプレゼントも購入。タクシーで帰宅の日。
淡路島に蔵書3000冊もある、ラジオ放送聴取者があり、来春は別荘で聴取者の集いが持てるかも知れない。
1941年10月生まれの同年齢で、5000坪の農地で無農薬農業もしている。
3月には、歯の治療の完了し、話しも十分できるようになっているので、祈りながら期待している。
今日も、マンガや天国から追い返された牧師を名刺代わりに渡し、福音の広がりを祈る一日。
祈りは幸せを祈り、イエス・キリストを信じる祈りが、波紋が広がるように世界に広がるよう期待します。
一年の計は元旦に!儀礼的に習慣的な初参りなど止めて、天地万物の創造主、登り来る初日をも創造された全能の神を礼拝する2017年。
そして、毎日祈り感謝しながらの人生。多くの実を結び、神の栄光輝く365日です。
1月1日(日)午前11時より、生駒聖書学院教会の新年礼拝。牧師が祝福を祈ります。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


人間関係にありがとう

2016-12-29 05:32:28 | Weblog
聖書の約束
コロサイ人への手紙3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
すべてのことに感謝しなさい。聖書の教えです。
ところが人間関係は、相手が嫌いな人や、苦手な人だったら、なかなかすぐに感謝できない。成熟した人でも、好き嫌い、得意苦手の感情コントロールは難しいと言われています。
しかし、苦手な人や嫌いな人にこそ感謝すると、不思議に大きな幸いの波がやってきます。
どんなことがあったとしても、そのことさえ良好な人間関係を構築する土台として考える。雨降って地固まるです。
一度こじれたような関係をほぐす一朝一石とは行かないかもしれません。けれども心の中で許し、ありがとうという気持ちになることです。
相手の健康と幸せを祈り、感謝します。相手がいないところで名前がでたら、ありがとうと言う気持ちで微笑みます。
実際に口に出して感謝します。ありがとうといってみることです。そう言い続けることで、感情が満たされます。
御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
なぜ感謝するのか。
感謝することでマイナスにフォーカスしないで、心を汚さないからです。実際に感謝することがなくても。相手がいることを感謝することです。
鳥が飛ぶように、人は感謝するようになっている。
怒濤の海を渡り鳥のように、混沌の人生を生きていく。
渡り鳥は本能的に暗黒を突破すれば、光明の大地に着くことを知っている。
信じる人も知っている、一寸先は闇ではなく光だと知っている。
人間関係の複雑な闇も、すべてのことに感謝して、輝く人生を生きる。
2016年間のすべての出会いにありがとう。すべての人間関係に心から感謝して、きれいなこころで新年を迎える年末です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。


一年を閉じる

2016-12-28 19:09:38 | Weblog
イザヤ書12:2-5 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。

あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。

年間52回の日曜日があり、礼拝を毎週守るのは、カーテンをキチッと閉めるのと同じです。25日のクリスマス日曜日も、感謝の礼拝でピシッと閉めることができ感謝です。

来年は1月1日が日曜日です。深淵そうそうの幸いな礼拝です。

生駒聖書学院教会は大阪エリムと合同で、午前11時です。どうぞお出かけください。牧師の祝福の祈ります。

生駒聖書学院神学生たちも、燃えるような熱心さで各地で福音を伝え、1月10日より講義も始まりま始まりました。

2017年度、ぜひ生駒聖書学院で学び、聖書と聖霊に満たされ。主をほめ歌いつつ、十字架と復活の福音を全世界に伝える器になってください。通信課神学生も募集中。

願書願書送付は、erimyoshi@kcn.jp

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。