牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

サムシンググレートで良いのか

2013-10-31 19:34:26 | Weblog
昨年の今日書いたブログ。今年は朝東京上野から帰宅でした。

今朝もチャペルだけの参加でした。副院長のメセージは、事実か真実かという話でした。

 イエス様は目を上げてご覧になりました。

 目に下げるか、目を上げるか、目を見上げるか、目の三つの表現があります。

 目を下げる時、自己卑下であり、否定的消極的人を身下げたり、非難したり上から目線で人を裁いたりしてしまいます。

 イエス様は目を上げて、貧しいやもめのレプタ銅貨2枚(50円玉2枚くらい?)を入れるのをご覧になりました。

 その隣ではお金のある人たちが有り余る中から献金を投げ入れていました。やもめ女は、乏しい中から、持っていた生活費全部を入れたのです。

 事実は献金を投げ入れたことです。見える計算をするなら大きい金額と、レプタ2枚が事実でした。

 しかし、イエス様はやもめ女の真実をご覧になりました。私たちも事実は大切ですが、目を上げて真実を見る心を持ちたいものです。

 人に接する時事実を見る目と、真実を捕える心の目も必要です。

 また、目をさらに上に向けて、唯一の愛である真の神様を見上げたいものです。いまサムシング・グレートという言葉を良く耳にします。この宇宙には人間より遥かに偉大な力があると言う考えです。

 医者や科学者の中にもその力を信じて研究にいそしんである方もあり。難しい研究や、手術に成功したときなど、サムシング・グレートが力を与えてくれたと、謙遜に語る場合があります。

 サムシング・グレートは全能の神であり、私たちの主イエス・キリストであると言えば宗教になると言うのが、サムシング・グレートと言う方たちの言い草です。

 真実から目を背けないで、真の神の真実を見つめる方たちが増えることを今朝も祈ります。

  日本全国に真の神の真実を見る目を持つ人々が増えることを期待し、イエス・キリストの救いが満たされることを感謝します。




色んな所でいろんな出会い

2013-10-31 12:33:06 | Weblog

昨日と今日朝まで、東京でした。西洋美術館でのミケランジェロ展も、上野駅前のホテル泊だったので行くことができました

しかし、上野公園散策もせず、午前中には生駒に帰りました。昨日も昨年書いたブリグが届いていました。


右脳内出血で退院したばかりだったので、もう顔を見たくないと思ったのに、また来たのねと、看護師たちに微笑みかけられ、病院じゃなくて他のとこところで合いたかったのにと、前の入院を覚えている方から声をかけられました。

 前回入院時は、動けるようになるとおはようございます!こんにちは。こんばんはと出会おうみんなに声をかけながら、院内をしました。また、天の虫けらやマンガを200冊前後配りた二週間の入院でした。本やマンガを読んでくれたかたからは声をかけられました。

 今回はひとり部屋に5日間もいたので、病室に来てくれる方以外とは会えませんでした。相部屋に移ると、看護実習生が付きっきりで看護してくれ(前回も実習生が着いてくれたそうですが)ました。出勤してから午後3時まで側にいてくれ、検温や血圧計などベッドの周りをきれいにしたり、飲み水を運んでくれたり高待遇でした。

 リハビリの時には階下まで付き添ったり、リハビリのない時には病院の廊下や玄関までいっしょに歩いてくれたり世話をしてもらいました。今回はリハビリ病院へ移転せず退院だったので、結構助かりました。
幸い、牧師であることを自習生に伝えられていたので、話題の中心は聖書や教会、信仰の話になり、アーメンと信じる祈りをお二人ともしてくれました。付き添いはひとりでしたが、ときどきもう一人も話を聞きたいとベッドに来てくれました。

 最後の日に、「天の虫けら」と「今日もまた天国の一日」が届き、お渡しでき感謝でした。同室の3名の方も気持ち良く受け取っていただき幸いでした。

 前回は病院2週間、リハビリ病院2週間と一ヶ月間も入院し、元気で退院できました。退院後すぐの26日に3名の洗礼式。礼拝説教。生駒聖書学院始業式と続きました。

 今回は早い退院でしたが、退院直後朝と昼の礼拝説教。今週は授業も休んでしばらく静養で書斎にこもっています。昨日は家の周りを5000歩だけ歩気周りました。今日も良いお天気なので小鳥の囀りを聞きながらの、天国の一日になりそうです。ハレルヤ。 

専門でなくても、偉大な作品が完成

2013-10-30 02:26:22 | Weblog
ミケランジェロは、イタリア全土で熟達した彫刻家として有名になっていました。
彼はローマ法王ユリウス二世の彫像を造るために呼ばれ、興奮して有名な大理石の採石場カララへ出かけ、巨大な大理石を吟味し、選び買い求め、幸せな半年間を過ごしました。
 ところが大理石とともにローマに帰ると、彫像ではなくシスティナ礼拝堂の天井画を描くよう法王に言われた。彼は真っ青になり、画家ではないからと抗議し、ラファエロへと願ったが、法王はミケランジェロに描くよう厳しく命じました。
カララの有名な大理石を選んだ、もったいない、システィナ礼拝堂の高い天井画を完成するのに何年かかるか、彼は絵など描きたくないという激しい怒りと失望の気持ちをグッとこらえました。
絵を描く決心をして、はしご伝いに足場に上ったミケランジェロは。仰向けになって頭上の天井に描き始めました。まさに拷問のように、絵の具が顔にこぼれ落ち、目に入るとヒリヒリ、何よりも私は有名な彫刻家だ、絵描きではない。
画家たちに依頼したが、助けになるどころか足でまとい。彼らが書いたところを消してまた書き直す。
彼は覚悟を決めて、彼は絵筆を手にして、夜明けとともに描き始め、暗くなり手元が見えなくなるまで描き続けた。
いく夜も礼拝堂に泊まり、あおむけになったまま描き続け、不自然な姿勢に慣れてしまい、疲れがたまり具合が悪くなっても、ただひたすら描き続けました。
そして徐々に天井いっぱいに、かつて人間の手で創造されたころのないほど完璧で神聖な情景が出現しました。
父なる神が光よあれと宣言しているところ、アダムとエバの創造、人間の堕落、ノアの大洪水・・・・。300を超える像がミケランジェロの筆の先から次々と生まれました。
どれも崇高で、巨匠ミケランジェロの彫像と変わらない力強さと威光を備えていました。
計り知れないほどの疲労と孤独にさいなまれながら戦った四年の歳月が過ぎ、ようやくこの膨大な天井画が完成しました。
足場が取り外され、システィナ礼拝堂の扉が開け放たれて、大勢の人々が押しかけて入ってきた。
天井を見上げた人々は、驚きの余り立ち尽くしました。ラファエロももやってきて、ミケランジェロと同じ時代に生まれたことを、心から神に感謝しました。
システィナ礼拝堂でその天井がを見上げた日を思い出し、鳴門市の大原美術館で、複製画を何度も見たことを思い出します。
上野西洋美術館に、ミケランジェロ展を見学しました。

血液サラサラに成るように、毎日安納芋の食生活です

2013-10-29 18:26:30 | Weblog
昨年の今日のブログが返送されたので、また紹介します。お祈りありがとうございます。ボツボツ元気のひびです。


昨年10月18日(水)の朝、まったく動けなくなり、堺市馬場記念病院まで運ばれ治療室へ。
CT検査で小脳内脳梗塞とのことで病室へ。それから21日(日)夜まで点滴を寝たっきりで受け続けました。

 食事はおかゆを中心にスプーンで食べ、日曜日夜、個室から交通事故で両肩骨折の方、自治会の祭りで胴上げされ、酒も入っていたのでそのまま落とされ頭を割った方、また産業事故で落下してきた70キロの物体に脊椎骨折した方、脳内出血で右目が見えなく名た方との相部屋に移されました。
体調の変化とともにお話しを聞いたり、手を置いて祈ったり、退院の日には「天の虫けら」と「マンガ」も「気持ちよく受け取ってもらいました。

 退院した土曜日は一日中ベッドの中でした。熊本での集会の祝福を祈り、天気予報では雨だったけれども晴天に恵まれ盛会とのことをお聞きし、種子島バンザイと叫びました。集まりで種子島縁(ゆかり)の会も結成され幸いでした。

 昨日は朝学院教会メッセージ、身体がきつかったけれども昼から大阪エリムキリスト教会礼拝説教へ車で、送迎してもらいました。

  帰りにコンビニで牛乳を買ってもらい夕食後はすぐに休みました。月曜日、今学期は通学生メッセージになっているので少しゆっくり、チャペル出席でメッセージを聞き恵まれました。

 今日は授業時間を交換し、終日休みにしてもらっています。脳梗塞は手術なしで完治していますが、高血圧と血液をサラサラにする必要があり、今学期いっぱいムリしないで過ごす予定にしています。メール返信が遅れたり、コメント返信も滞ることをお許しください。

申命記

10:12 今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、

10:13 あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。

10:14 見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。

10:15 主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである。
 

 

感謝して食事できる恵みに感謝!

2013-10-29 10:02:42 | Weblog
旧約聖書には、レビ記11:2 「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。11:3 動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。

牛肉や羊肉は食べても良いのです。

11:4 しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
11:5 それから、岩だぬき。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
11:6 また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。

11:7 それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。

11:8あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものである。

豚は食べてはならないと規定され、ユダヤ教では現在もそレをしっかり守っています。イスラエルへの生地旅行では、豚肉は絶対に出ることはありません。

そ他、魚や鳥、など禁じられた食物があります。

イエス様は食べ物についてどう教えたのでしょうか。


イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」

イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。

また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
マルコの福音書7:18-23

使徒パウロは、あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。

食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。

それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。ローマ14:1-6

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。第一コリント10:30

食べるもので救いが左右されるわけではありません。アーメンと信じて、バプテスマを受ければ救われるのです。聖書の救いから遠ざける教えに近づかないようにしたいものです。

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。

神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。

神のことばと祈りとによって、聖められるからです。(第一テモテ4:1-5

終わりの時代には惑わす霊と悪霊の教えにとに心を奪われる時が来ると宣言しています。そして今がまさにそのようなじだいです。

ですから聖書の食物に対する結論は、「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。

神のことばと祈りとによって、聖められるからです」(第一テモテ4:1-5)

今日も日毎の食物をお与えくださいと、祈りつつ感謝して食事をいただけることは幸いです。

今日もまた天国の一日です。

食べるものに気をつけなさい

2013-10-29 05:52:59 | Weblog
聖書の一言=レビ記11:44 わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。地をはういかなる群生するものによっても、自分自身を汚してはならない。

14章には食べてはいけないものが命じられています。今でもユダヤ教では厳格に守られています。医学的に、また栄養学的に見ると、それらを食べない方が健康に良いという説もあります。

その規定を論じるよりも、イエス様は口から入るものは人を汚さず、内から出るものが人を汚すと教え、パウロは食べない人は食べる人裁かない、食べる人は食べない人を裁かないように、感謝して受けるなら捨てるものはないと断言しています。

自分を汚すような、健康を損ない、神の聖から離れるような嗜好品、生活習慣病をもたらすようなものから離れることは当然のことです。
飲み食いによって、神の裁きをうけることのないように、食べるにも飲むにも、神の栄光が現れるような、食生活が願いです。

義と平和と聖霊に満たされ続ける、今日もまた天国の一日です。感謝します。

テモテへの第一の手紙

4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

4:2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

4:3 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。

4:4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。

4:5 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。

4:6 これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。

昨年の今日の礼拝メッセージ

2013-10-28 18:32:49 | Weblog
昨年ノ今日は日曜日。以下の様なブログを書いていました。

今朝は退院したばかりですので、朝は学院教会礼拝、身体の調子を見ながら昼から大阪エリムを予定してます。

 8日間の脳梗塞入院で早い退院を感謝しています。ゆっくりボツボツ主の豊かな癒しを体験しております。ハレルヤ!今日もまた天国の一日です!感謝します。」


神を愛し、人を愛する

ルカ10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と、イエス様は有名は良いサマリヤ人の話をしてくださいました。

神を愛する=最高の倫理道徳とともに、聖く正しく生きる最高の人生です。

第一戒 出エジプト記20:2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

第二戒   〃   20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

第三戒   〃   20:7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

第四戒   〃   20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
20:9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
20:10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――
20:11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

人を愛する
第五戒 出エジプト記220:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
第六戒  20:13 殺してはならない。
第七戒    20:14 姦淫してはならない。
第八戒    20:15 盗んではならない。
第九戒    20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない   
第十戒    20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」

新しい戒め=倫理道徳を越えた、さらに人を裁かず、自らを謙遜に生きる王道の人生です。

ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。


結論として、それは難しい不可能の人生ではなく、イエス様がともに歩んで下さることにより、達成可能な勝利に輝く人生です。豊かな神の愛が聖霊により注がれ続ける日々です。

第一ヨハネ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。


探しだしてでも感謝してみよう

2013-10-28 06:35:01 | Weblog
聖書の一言=7:15 和解のための感謝のいけにえの肉は、それがささげられるその日に食べ、そのうちの少しでも朝まで残しておいてはならない。
レビ記には、5つの供え物=全焼のいけにえ、穀物のささげもの、和解のいけにえ、罪のためのいけにえ、罪過(とが)のためのいけにえ=一章から七章まで、詳しく規定支持されています。

和解のための感謝のいけにえも規定され、その肉はその日に食べ、そのうちの少しまでも朝まで残すなと命じられています。和解とは神との関係が平和、平安であることです。

イエス・キリストの十字架の犠牲により、アーメンとその事実を信じるときに、神との平和・平安が与えられます。すべての罪も罪過も赦されたので、不安の根本的原因が解決されたので、もはや死を恐れたり、神の刑罰への恐れは消え、天国への保証が与えられたのです。

ですから毎日を全てに感謝して生きる幸いです。日々に感謝、時々刻々感謝の気持ちで生きるとき、不思議に心は落ち着き、判断力、行動力は豊かになり、物事を集中して実行できます。十字架により平安は与えられ、恐れ迷わず心騒がせることなく、今日もまた天国の一日です。感謝します。

書き終えて、そうだ、探しだしてでも感謝してみよう。

この地上に生まれてきたこと。産んでくれた母のこと。含ませてもらった乳房。生まれ育った種子島の家、毎日食べたさつま芋の食事。今月も安納芋を食べています。また種子島から新しい紅芋?も送られて来た。家内は安納芋より美味しいと食べています。土曜日は、山形からいも汁が届いた。食べるものが毎日あるだけでも感謝!

左脳内出血14年前、昨年は右脳出血と交通事故、1ヶ月後には小脳内梗塞で入院直ぐ退院。今日も元気で化石人間と言われながらブログに書けること。もう感謝することがいっぱい。家中に、学院中に感謝が溢れている。

神との和解は感謝しか無いと思う朝です。


テサロニケ人への第一の手紙

5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

昨年の今日書いたブログです

2013-10-27 20:05:47 | Weblog
作根の今日書いたブログです。

またもや、今度は脳梗塞で8日程入院し、退院になりました。
前回の右脳内出血(7月22日~8月24日)と同様にブログに書くのは恥ずかしく思いつつも、主イエス様の癒しと多くの皆様のお祈りの恵みに感謝しております。

 15日夜中に動けなくなり、朝開けとともに内科医が来てくれ血圧を下げてくれました、火曜日は一日中ベッドでうなっていました。

 火曜夜も同じ状態で、天井がぐるぐる回る、今まで経験したことがない酷いめまいと、吐気けが襲います。がまんできず17日朝に車で堺市まで寝て連れて行ってもらいました。

 主治医にこんな時は救急車で来るべきだと怒られ、すぐCT検査で何と小脳内梗塞という診断。

 すぐひとり部屋に移され点滴を21日(日)夜まで継続し、食事も上げ膳据え膳で世話されました。退院して間がないので看護師たちも顔見知りが多く、天の虫けらやマンガを読んでくださった方も多く叱れれたりもしながら楽しい時を過ごしました。

 日曜日の夜に相部屋に移され、交通事故の方、産業事故の方,もう一人は祭りの世話役で良くやってくれたと胴上げをしてもらい、みんなの酔った勢いで地面に落とされ頭を割って入院という不幸に見舞われた青年でした。

 自分のベッドに横たわるまで、交通事故に出会った方の手を置いてしばらく祈り、また点滴を受け続ける夜でした。

主イエス様のいやしと皆様の祈りに支えられ、脳梗塞でしたが幸い頭の手術もせず、何不自由なく歩くこともでき、ことばもしっかり話せて、思いがけないほど早い退院のなり、同室の皆様や看護師さんやスタッフの皆様の驚きの声の中を帰ってくることができました。

 ムリをせずゆっくり安静をいわれております。ブログへのコメントやメールへの返信が滞ることがあれば、ご容赦いただきますようお願いいたします。また明日からは何やかやと書き続けようとおもいます。よろしくお願いいたいます。

喜びの知らせを

2013-10-27 18:15:07 | Weblog
恵みは輝き  いのちは燃えて
聖霊そそがれ 新たな能力(ちから)
主イエスの十字架 すべて解決
恐れも悩みも 消えてあとなし

十字架の上にて すべて解決
病ものろいも  まずしさ死をも
悪魔は滅びて  とわ(永遠)のいのちが
豊かにそそがれ 天国の日々

主イエスは復活 すべての勝利
我とともにあり 世の終わりまで 
福音伝えて   御業あらわれ
癒しと不思議は 常に伴う
アーメン

マルコの福音書
6:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
16:20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕

16:21 〔さて、女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間の人々にさっそく知らせた。その後、イエスご自身、彼らによって、きよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで送り届けられた。〕