牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

肺ガン末期、余命一年宣告から3年目の秋、不思議に癒やされて

2013-11-07 05:45:57 | Weblog
聖書の一言=民数記11:6-8 だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」 マナは、コエンドロの種のようで、その色はブドラハのようであった。人々は歩き回って、それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリームの味のようであった。

マナは天使のパンです。最初にマナを食べた感激は忘れられなかったのでしょう。ところが人間の欲望には限りがなく、やがて美味しいクリームの味のようだったマナに満足できなくなりました。

欲望にかられて、「ああ、肉が食べたい。 エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも」と、つぶやきはじめました。400年間のムチに下での重労働も忘れ、喉元すぎれば熱さを忘れ、人の欲に限りがなく、満足すること、感謝することを忘れると、不平不安、恨みつらみ、文句と泣き言だらけになります。

いつでもどこでも、どんなときにも、心からありがとうございますと、感謝できる気持ちを維持したいものです。今日もまた天国の一日です。

昨日は、家内のMRI検査日でした。朝10時30分に娘の自動車で出かけ、帰りは息子が迎えに行きました。
2011年の夏に、肺ガンレベル4、抗癌剤も放射線治療も、手術もできないと余命一年を宣告されました。それから3年目の秋を迎え、髪が抜けるとかいろいろな後遺症もなく、毎週富雄キリスト教会礼拝に行き、生駒聖書学院朝の祈り会、チャペルでは手話通訳をしています。

主婦として炊事、洗濯、掃除、買い物は送迎があれば出かけます。今日の検査の結果、がんは縮小し転移はなく、数値も低くなり元気で検査から帰宅しました。いつ召されても天国ですが、わたしは主であってあなたを癒やすものですと、イエス様の十字架の打たれた傷による癒やしを信じ、心からすべてのことに感謝し続けています。病は気から、気はことばからと言いますが、イエス様の癒やしを、信じ祈り告白し、すべてのことにありがとうございますと感謝しながらの、今日もまた天国の一日です。

多くのお祈りをありがとうございます。これからもさらにイエス様の助けにより守られ、肺ガンが消えるまでに元気になり、いのち生かされた恵みを証できるようお祈りお願いいたします。

末期がんを乗り越えた恵みは、聖書のいやしと回復を信じ告白し続けたことです。回りの祈りと、全てのことに感謝し動いたことです。主治医の支持に従ったことです。
活性酸素の害を取り除く健康食品を愛飲したことも、大きな助けになりました。また最初の一年間、もっとも厳しい温野菜療法を忠実に実行したことも、その要因を担っています。
もう一つ大きな祝福は、主人が昨年夏と秋に、脳内出血、小脳内梗塞で入院し、自動車も運転しなくなり、その世話を一人で全部し、自分のことだけを考える暇がなくなったことも、末期がん余命一年を、乗り越えた原因かも知れません。

何よりも大きな祝福は、イエス‥キリストを信じて永遠のいのちを与えられ、いつ死んでも天国に召されるという平安な心です。神を信じ、信頼し続け、今日もまた天国の一日です!と、感謝しつつ日々を過ごしていることだと思います。

回りの家族も何も心配せず、家内を末期がんとはわかっていても、息子も娘も、孫たちも心配せずに、おばあちゃん元気でいいねと声をかけています。いろんな要因がありますが、神様の大きな恵みに生かされているだけです。続けてお祈りお願い致します。


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1 コメント

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感謝です。 (長谷川じゅん)
2013-11-07 10:28:33

先生方のお証しに励まされます。

主のなされるひとつひとつのわざが美しいすぎて
感動と感謝を覚えます。

先生と奥様に絶えず主のいやしの恵みが
注がれ続けますように、小さな者ですが
お祈りさせていただきます。

今日も一日を感謝いたします。
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