牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

大阪都ホテル喫茶室で集まり

2007-04-20 07:48:33 | Weblog
 今日は午後3時ー5時の2時間、上本町都ホテル喫茶室で集まりがあります。昨年6月スタートし、超教派の集まりです。少人数でスタートしましたが、15名ほどに増えパソコンを見ながらでは少し不自由になりました。

 その間、新しく訪れた方も含めて4名がバプテスマを受けクリスチャンとなり、そのうちの二人はエリムキリスト教会のメンバーですが、あと二人は他の教会メンバーになりました。
 
 ひとりでも多くの方々がクリスチャンになる決断を与える幸いを嬉しく思います。喫茶店でコーヒーを飲みながらの気楽?な歓談の場ですので、いい雰囲気の中です。毎月、第三金曜日午後3時スタートです。ホテルのフロント前ですので、どうぞおいでください。

 先日訪ねた留置場の女性から、人生をやり直す勇気が出たとの便りが届き、イエス様の救いを体験することがどんなに貴いことかを再認識しました。出所したらエリムキリスト教会に子どもたちもいっしょに参加しますとのこと。

ローマ人への手紙
3:10 旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。
罪のない人は世界中に一人もいない。
3:11 真実に神の道に従って歩んだ人は
かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。
3:12 すべての人が道を踏みはずし、
みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行なってきた人は
どこにもいない。 一人もいない。」
3:13 「彼らの会話は、不潔で腐っており、
まるで開いた墓穴からもれる悪臭のようだ。
彼らの舌はうそで固められている。」
「彼らのことばには、
恐ろしい毒蛇のきばと毒がある。」
3:14 「彼らの口は、
のろいと苦々しいことばで満ちている。」
3:15 「彼らは自分と意見の合わない人を憎み、
すぐに殺す。
3:16 彼らの行く所ではどこでも、
悲惨な結果とめんどうな問題があとを絶たない。
3:17 彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、
神の祝福を味わったこともない。」
3:18 「彼らには、
神を恐れて悪事から遠ざかろうとする気持ちなど、
少しもない。」
3:19 そんなわけで、神様のさばきが、ユダヤ人に重々しくのしかかっています。 なぜなら、彼らは神様のおきてを守る責任があるのに、守らず、こうした悪事にふけっているからです。 彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
3:20 さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。 私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです。
3:21 -22しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。 神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。 どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
3:23 そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
3:24 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。 このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
3:25 神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。 神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリスト様の血と私たちの信仰とをお用いになりました。 ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。 キリスト様が来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
3:26 そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。 イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。 いいえ、そんなことはありません。 なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
3:27 それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。 私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。 それは、キリスト様が成し遂げてくださったことと、キリスト様に対する私たちの信仰に基づいているのです。
3:28 つまり、私たちが救われるのは、キリスト様を信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。