牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

琵琶湖畔のエキシブ琵琶湖へ

2010-08-30 11:11:35 | Weblog
八月が終わろうとしています。

 今日から琵琶湖畔のエキシブで常置委員会があり、これから出かけます。毎年この時期に開かれ水曜日午前中まです。今回は当番で明日夜短いメッセージです。

 ちょうど誕生日前なので68歳最後のメッセージになり、語れなかった者が主の憐れみにより、立派な牧師たちの前で聖書のことばを取り次ぐようになれたのも奇跡だと思って引き受けました。

 継続は力なりで、習うより慣れよと信じ聖書の言葉を語り続けてきました。誕生日を前にしてこれからも現役の福音を伝える者として、さらに聖霊に満たされ充足の牧師の日々を期待しています。

 インターネット礼拝が3年を越えて4年目。来週9日からは聖書学院チャペルを放映します。

 ゆとりの一万歩も後一ケ月でちょうど7年になります。ケニアのサバンナを今年も歩きました。93年のナイロビの朝に強盗に襲われて以来、ナイロビでは早朝を14年間歩きませんでした。いつもホテルの中を歩いていましたが、今年はナイロビ最後の朝、14年ぶりにホテルの外へ出て町を歩きました。

 サファリで靴がどろどろになっていたので、朝の街角で靴磨きの前に座り30シリングで磨いてもらいピカピカに。嬉しかったので100シリングを渡すと喜んでくれました。

 今日は昼過ぎから琵琶湖へ行くので、明日の朝は琵琶湖畔をゆっくり祈りつつ歩こうと楽しみにしています。1日には伊勢志摩国立公園まで行き賢島周辺を歩きます。

 2日は誕生日で久しぶりに家にいて、息子家族、娘もいっしょに全家族そろってハッピーバースディの祝いをとのことで、新しい夢とロマン、ビジョンの中で輝く喜びです。

 朝ごとの明るい口ぐせ「今日もまた、天国の一日です!

 そして寝る前の感謝の一言「今日もまた、天国の一日でした!

 このシンプルな習慣が、あなたの人生にすばらしい奇跡を起こします。


イザヤ書58:11 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。
58:12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。
58:13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
58:14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。」と主の御口が語られたからである。

エレミヤ書17:5 主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。
17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。
17:7 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。
17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

ハガイ書2:4 主は言われる、ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。
2:5 これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに、約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたのうちに宿っている。恐れるな。
2:6 万軍の主はこう言われる、しばらくして、いま一度、わたしは天と、地と、海と、かわいた地とを震う。
2:7 わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる。
2:8 銀はわたしのもの、金もわたしのものであると、万軍の主は言われる。
2:9 主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きいと、万軍の主は言われる。わたしはこの所に繁栄を与えると、万軍の主は言われる』」。

今日はこれから米原市まで出かけます。メール返信は木曜日朝からになります。お元気で天国の日々を祈ります。


 

ケニア・パラダイスでの楽しい礼拝

2010-08-29 08:58:49 | Weblog
 先週22日はアフリカ宣教のど真ん中で、ケニアのパラダイス孤児院で70名くらいの方々といしょの礼拝でした。

 ケニアの礼拝は賛美が素晴らしく、身体全体をリズムに合わせて主を見上げながら歌います。賛美のリードも成長した孤児たちがキーボードやドラムを奏でながら、力いっぱい歌い天国さながらの時ですした。

 証の時間も体験を語るだけでなく、その思いをこめて賛美を歌い、一人の婦人は涙で歌えなくなるとすぐ友人がともに立ち、肩を抱きながらいしょに歌い続けたり、いつの間にか会衆もその賛美に合わせて涙しつつ感動の礼拝でした。

 礼拝メッセージはヤベツの祈り。

 私を大いに祝福してください。アーメン。ありがとうございます(アサンテサア!)大いに祝福(バリキ)されました!。感謝します。

 私の地境(領域)を大いに広げてください。アーメン。ありがとうございます。大いに拡大されました。感謝します。

 あなたの御手が私とともにあってください。アーメン。ありがとうございます。あなたの御手がともなりました。感謝します。

 わざわいから遠ざけて私がムるしむことのないようにしてください。アーメン。ありがとうございます。わざわいから遠ざけて苦しむことがありませんでした。感謝します。

 教会堂の中にスワヒリ語のありがとうございます(アサンテサー)が響き渡り、そこで神は彼の願いに答えられたと、ヤベツの祝福が十字架と復活の主により確実に届けられ、聖霊充満の中で充足した按手の時が声がでなくなるまで続く礼拝でした。

 レンタカーのドライバーも礼拝に参加し、それからあとは祝福(バリキ)が合言葉になり、祝福に包まれたドライブになり感謝!

 礼拝後は出席者全員分のパンを購入持参していたので、楽しい食事交わり会。手品を持参の神学生は昼食後も独り舞台の活躍で、驚きと笑いの渦がさらに喜びを与える幸いでした。手品の種がばれる(わざとばらすゆとりも出て)とまたお大笑い・・・・。

 今日は2週間ぶりに学院教会、大阪エリム&堺エリムでの礼拝メッセージへこれからスタートです。

ヨハネの福音書
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである

生後四日で召されて天国へ

2010-08-28 09:54:49 | Weblog
 昨夜、帰国し最初に聞いたニュースは、身ごもっていた神学生夫人が、早産で出産したが生後四日で召されたことでした。幸い、葬儀も神学生(牧師)が行い、家内たちも出席し天国への旅立ちを見送りました。

 今朝お見舞いに行き、みことばとともに、ワーズワースの「われらは七人」の詩もタイプし、慰めを祈りました。

われらは七人


私はとあるあばら家の娘に会いました。いくつだと尋ねると娘は八歳だと答えました。
髪がこくてきれいだった。それをくるくると束ねていた。

その娘は何のかざりもなく、野育ちのかわいい子。
その眼はほんとにきれいだった。いじらしほどかわいかった。

嬢ちゃん、嬢ちゃん、お前は兄弟が何人?
何人ですって?七人ですわ!娘はそう言って不思議そうにしていた。

その兄弟はどこにいる。二人は家でお留守だわ。
二人は海に行っています。私の兄弟は七人です!

ほかの二人はお墓の中よ!お墓には妹と弟がいるわ!
私の家は教会の横で、母ちゃんは家にいらっしゃる。

何だって二人は家にいて、またふたりは海にいるって、
それでも七人なの?どうしてそれが七人なの?

すると娘が答えて言うよう、私たちは七人の兄弟だわ、
その中二人はお墓の中よ!教会の墓場の木の下にいてよ!

嬢ちゃん、お前はよく走るのね。生きているから駆けられるのね。
二人は墓へ行ったなら、兄弟は五人ではないのかね?

でもお墓には草が青々で、石がちゃんと立っています。
うちの家からすぐそこに、二人はちゃんと並んでいます。

私はそこで編み物と、またぬいものをよくします。
またその上に腰かけて、歌をうたってきかせます。

また夕方になってから、空が4きれいになるときに、
私はお椀を持っていて、そこでご飯を食べますよ。

さっき死んだのは妹で、寝床でうめいていましたが、
あとではいたみが消えていて、静かにあっちへ行きました。

だから墓場に埋められて、草葉の露が消えたとき、
私とジョンと二人して、お墓の周りで遊ぶのよ。

雪が真っ白に降るときに、私がすべって出て行くときに、
ジョンも走ってついて来て、お墓のそばにころびます。

ねえ、お嬢ちゃん、二人が天にいるならば、あなたの兄弟は何人なの?
あら!おじさん、七人ですといっているのに、娘はすかさず答えて言うた。

「でもー人は死んでいる。二人の霊は天にある」
と私が言っても動かずに、やはり七人だと言い張った。

 
 昔から心慰められている美しい詩です。今日もまた天国の一日です!

黙示録14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」

コリント人への第二の手紙1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

黙示録7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

ヨハネの福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ

機中2泊、ホテル6泊で時差6時間のケニアより帰国

2010-08-28 01:58:10 | Weblog
 カタール航空で関空より10時間弱でドーハ着。ドーハでウエイト4時間。ナイロビまで6時間でケニア着。それからさらに4時間のウエイトでケニア航空に乗り換え、夕方5時過ぎにビクトリア湖畔のケニア第五の都市キスムへ。19日に家を出てやっと20日の夜に到着でした。

 今までのケニア宣教はナイロビに一泊し、レンタカーで8時間以上でこぼこ道を走破し、翌日の夕方キスム着でしたが、国内線を利用すれば40分で着くので3年前から飛行機を利用しています。

 待機していたレンタカーで、ホテルチェックイン前にパラダイス孤児院を訪ね、しばらく子どもたちと楽しい交換の時を持ち、土曜日の朝に再び会う約束をし、手を振る子どもたちと別れホテルへ。

 ホテルはキスム一のインペリアルホテル。今回は朝食と夕食もすべて予約していたので、チェックインするとすぐレストランで食事でした。

 今回は、14年ぶりのケニア再訪になる京都福音教会牧師夫人と大学生&中学生の信徒、看護師の60代婦人(もう9回目のケニア)、そして生駒聖書学院1年生の60代男性の6人参加でした。

 神学生はマジックの趣味があり、手品の仕掛けをたくさん持参したので、税関ではその説明のため足止めをくったりでしたが、簡単な手品をして理解してもらっていました。

 飛行機の待ち時間や荷物が出て来るまで、時間があれば手品を披露し、孤児院では2時間余りも子どもたちに取り巻かれ、サファリの職員にも手品で大歓迎を受けていました。

 彼のいるところでは驚きの声と笑い声が広がり、それなりの意味があったように思います。ただ英語の国なので福音がマジックに乗せて自由に語れたら最高ですが・・・・。

 食事中のアメリカ人荷も披露したら怒られてしまい、何事にもTPOをわきまえるのが礼儀だと思いました。手品だけでなくふさわしいエチケットも必要だと分かったと思いますが、その大胆さは福音を伝える場ではもっと必要です。

 ブログで少しでもケニアの孤児院などが紹介できればと思っています。

 お祈りありがとうございました。元気に守られてアフリカよりも猛暑の日本に帰ってきました。

 今日もまた天国の一日です!ケニアでも毎日が天国の一日でした!感謝します。

イザヤ書

12:1 その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」

12:2 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。

12:3 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。

12:4 その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。

12:5 主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。

12:6 シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」



 


ただイエス様だけが

2010-08-27 07:28:29 | Weblog
このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。(1テサロニケ3:3)

 マリアン・アンダーソンをご存知の方もいらっしゃることでしょう。彼女は1902年、米国フィラデルフィアに生まれ、1925年、ニューヨークでデビュー以来、欧米にその名声を馳せたアルト歌手です。

 黒人がクラシックを歌う、それだけでもセンセーショナルなことでした。1935年、ザルツブルグでは、名指揮者トスカニーニが、百年に一度の美声と賛辞を惜しみませんでした。黒人歌手として初めて、1955年、メトロポリタン劇場に出演、世界的な地位が確立されました。

 1953年、日本を訪れた彼女は、数々のクラシックで聴衆を魅了しました。最後に、数曲の黒人霊歌が歌われたのですが、一種異様な迫力をもって、聞く者の心を揺さぶりました。静かに深く歌います。「私の悩みは誰も知らない。ただイエス様だけがご存知です」。

 魂の絶叫に圧倒され、訴え掛ける黒人の嘆きと悲しみに、聞く者は捕らえられてしまいました。

 偏見と差別の中で、黒人少女がどんなに惨めな、暗い日々を送ったことでしょう。音楽学校へも入学を拒否され、ただ空に向かって、星に向かって、辛苦の歌を歌い続けたのです。

 嵐のような感動の拍手の渦、聴衆の賛辞の中に立つアンダーソンの眼差しは、あの主イエスを、ひとりの魂を見つめて離さないあの主イエスを、いつまでも仰ぎ見ているのでした。「私の悩みは誰も知らない。ただ主のみ」。

 苦しむ者の涙は、しばしば霊的なレンズとなって、素晴らしい光景を見せてくれます。

 船の底につけられている重りは、安定をもたらすための重荷なのです。

 光り輝く宝石は、光熱と強い圧力の産物です。

 見事な色彩の陶器は、高温の炎で焼き上げられて、生まれ出てくるのです。

 あなたの人生は、良いことばかりではないかも知れません。誤解や中傷、仕事が上手くいかなかったり、自分が願っていた学校へ入れなかったり、体を痛めてしまったり・・・・・・。でも、それで動揺したり、諦めたりしてはいけません。

 あなたが苦しみの中を、神を信じて進み続けるなら、そこに素晴らしい栄光が輝き出るのです。

 これは聖書の教え、神様のあなたへの約束です。

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全なものとなります。(ヤコブ1:2~4)

ただイエス様だけが

2010-08-26 08:44:30 | Weblog
このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。(1テサロニケ3:3)



 マリアン・アンダーソンをご存知の方もいらっしゃることでしょう。彼女は1902年、米国フィラデルフィアに生まれ、1925年、ニューヨークでデビュー以来、欧米にその名声を馳せたアルト歌手です。



 黒人がクラシックを歌う、それだけでもセンセーショナルなことでした。1935年、ザルツブルグでは、名指揮者トスカニーニが、百年に一度の美声と賛辞を惜しみませんでした。黒人歌手として初めて、1955年、メトロポリタン劇場に出演、世界的な地位が確立されました。



 1953年、日本を訪れた彼女は、数々のクラシックで聴衆を魅了しました。最後に、数曲の黒人霊歌が歌われたのですが、一種異様な迫力をもって、聞く者の心を揺さぶりました。静かに深く歌います。「私の悩みは誰も知らない。ただイエス様だけがご存知です」。



 魂の絶叫に圧倒され、訴え掛ける黒人の嘆きと悲しみに、聞く者は捕らえられてしまいました。



 偏見と差別の中で、黒人少女がどんなに惨めな、暗い日々を送ったことでしょう。音楽学校へも入学を拒否され、ただ空に向かって、星に向かって、辛苦の歌を歌い続けたのです。



 嵐のような感動の拍手の渦、聴衆の賛辞の中に立つアンダーソンの眼差しは、あの主イエスを、ひとりの魂を見つめて離さないあの主イエスを、いつまでも仰ぎ見ているのでした。「私の悩みは誰も知らない。ただ主のみ」。



 苦しむ者の涙は、しばしば霊的なレンズとなって、素晴らしい光景を見せてくれます。



 船の底につけられている重りは、安定をもたらすための重荷なのです。



 光り輝く宝石は、光熱と強い圧力の産物です。



 見事な色彩の陶器は、高温の炎で焼き上げられて、生まれ出てくるのです。



 あなたの人生は、良いことばかりではないかも知れません。誤解や中傷、仕事が上手くいかなかったり、自分が願っていた学校へ入れなかったり、体を痛めてしまったり・・・・・・。でも、それで動揺したり、諦めたりしてはいけません。



 あなたが苦しみの中を、神を信じて進み続けるなら、そこに素晴らしい栄光が輝き出るのです。



 これは聖書の教え、神様のあなたへの約束です。



私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全なものとなります。(ヤコブ1:2〜4)



新しい人生の旅立ち

2010-08-25 07:09:40 | Weblog
私が、聖書学院一年生の時でした。ある集会で、寂しそうな、険しい顔をした青年に出会いました。私はただ一つ、確かに覚えていた聖書のことばを語りました。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 神が愛してくださっている!

 イエス・キリストが身代わりとなって十字架の上で死んでくださった!

 どんな罪でも赦される!

 神の子になれる!

 神のいのちが持てる!

 新しい人生を生きることができる!

 青年の目に涙がありました。実は、彼は殺人を犯して、逃亡中だったのです。神の愛は彼を捕らえ、彼は救われました。自首し、立派に更正することができました。

 今日、神の愛に心を開き、新しい人生に旅立とうではありませんか。