牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

大阪都ホテル喫茶室で集まり

2007-04-20 07:48:33 | Weblog
 今日は午後3時ー5時の2時間、上本町都ホテル喫茶室で集まりがあります。昨年6月スタートし、超教派の集まりです。少人数でスタートしましたが、15名ほどに増えパソコンを見ながらでは少し不自由になりました。

 その間、新しく訪れた方も含めて4名がバプテスマを受けクリスチャンとなり、そのうちの二人はエリムキリスト教会のメンバーですが、あと二人は他の教会メンバーになりました。
 
 ひとりでも多くの方々がクリスチャンになる決断を与える幸いを嬉しく思います。喫茶店でコーヒーを飲みながらの気楽?な歓談の場ですので、いい雰囲気の中です。毎月、第三金曜日午後3時スタートです。ホテルのフロント前ですので、どうぞおいでください。

 先日訪ねた留置場の女性から、人生をやり直す勇気が出たとの便りが届き、イエス様の救いを体験することがどんなに貴いことかを再認識しました。出所したらエリムキリスト教会に子どもたちもいっしょに参加しますとのこと。

ローマ人への手紙
3:10 旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。
罪のない人は世界中に一人もいない。
3:11 真実に神の道に従って歩んだ人は
かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。
3:12 すべての人が道を踏みはずし、
みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行なってきた人は
どこにもいない。 一人もいない。」
3:13 「彼らの会話は、不潔で腐っており、
まるで開いた墓穴からもれる悪臭のようだ。
彼らの舌はうそで固められている。」
「彼らのことばには、
恐ろしい毒蛇のきばと毒がある。」
3:14 「彼らの口は、
のろいと苦々しいことばで満ちている。」
3:15 「彼らは自分と意見の合わない人を憎み、
すぐに殺す。
3:16 彼らの行く所ではどこでも、
悲惨な結果とめんどうな問題があとを絶たない。
3:17 彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、
神の祝福を味わったこともない。」
3:18 「彼らには、
神を恐れて悪事から遠ざかろうとする気持ちなど、
少しもない。」
3:19 そんなわけで、神様のさばきが、ユダヤ人に重々しくのしかかっています。 なぜなら、彼らは神様のおきてを守る責任があるのに、守らず、こうした悪事にふけっているからです。 彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
3:20 さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。 私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです。
3:21 -22しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。 神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。 どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
3:23 そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
3:24 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。 このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
3:25 神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。 神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリスト様の血と私たちの信仰とをお用いになりました。 ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。 キリスト様が来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
3:26 そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。 イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。 いいえ、そんなことはありません。 なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
3:27 それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。 私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。 それは、キリスト様が成し遂げてくださったことと、キリスト様に対する私たちの信仰に基づいているのです。
3:28 つまり、私たちが救われるのは、キリスト様を信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。

毎日、ゆとりの一万歩で2年半の朝

2007-04-19 09:02:08 | Weblog
99年11月に左脳内出血になり、普通だと言語と歩行に生涯が残るそうだが、イエス様の恵みによりことばも歩行も守られ元気に牧師を続けている。生かされている奇跡に感謝し、朝来とに新しいいのちの喜びを受け止めながらの9年半です。

 2003年10月に、ゆとりの一万歩を歩こうと決心し、今日で2年6ヶ月になる。一日も休まずいつでもどこでも1万歩以上を歩き続けている。普通の生活だと3000歩くらいだ。自動車で動くので歩くことはほとんどなかった。

 種子島の中学時代は片道9キロを一日も休まず通学したし、開拓伝道時代は毎日一軒一軒と歩き訪ねたり、朝早く教会案内をポスティングしたりだった。聖書学院に居住し、職住一体となりさらに、いちのまにか自動車という便利なものを利用するだけになり、歩くことが少なくなってしまった。

 体重は30年間ほとんど変化なしだが、やはり健康のために歩こうと決心し、行きかう人と挨拶したり、声をかけたりする出会いも与えられ感謝しながらの日々です。

 アフリカでも街中やサバンナを歩き、強盗に襲われてからはアフリカでは早朝はホテルの中を歩くこともある。

 少々の雨でも、雪の中を歩いたこともあり、種子島へ帰ったときは海岸線を思い出に浸りながら歩いたり・・・・。歩きつつ祈ることは常であり、夏の山道は裸で森林浴に浸ることもある。楽しい歩きを心がけている。歩いている方も結構大勢いるので出会いも楽しい。

テサロニケ人への第一の手紙

5:9 なぜなら、神様は、怒りをぶちまけるために私たちをお選びになったのではなく、主イエス・キリストによって救うために、選んでくださったからです。
5:10 主イエス・キリストの死は、主が再び来られる時に、私たちを、その生死の状態にかかわりなく、永遠に主と共に生かすためでした。
5:11 そういうわけですから、すでに実行していることでしょうが、互いに励まし合い、助け合いなさい。
5:12 愛する皆さん。 あなたがたの間で一生懸命働き、まちがいがあれば親身になって忠告してくれる、教会の役員たちを尊敬しなさい。
5:13 その人たちは、何とかしてあなたがたの手助けをしようと、真剣なのですから、彼らを高く評価して、心から愛しなさい。 くれぐれも言っておきますが、争いなど起こさないようにしてください。
5:14 愛する皆さん。 なまけ者や手に負えない乱暴者は、きびしく注意しなさい。 臆病な人を励まし、弱い人を思いやりなさい。 そして、だれに対しても忍耐しなさい。
5:15 悪をもって悪に仕返ししないように、気をつけなさい。 かえって、お互いに、またどんな人にも、常に善意を示すよう心がけなさい。
5:16 いつも喜びにあふれていなさい。
5:17 いつも祈りに励みなさい。
5:18 どんなことがあっても、感謝を忘れないように。 これこそ、神様が、キリスト・イエスに属するあなたがたに、望んでおられることだからです。
5:19 聖霊様の恵みを無にしてはいけません。
5:20 預言する者を軽べつしてはいけません。
5:21 万事よく調べて、それがほんとうに良いものかどうかを確かめなさい。 そして、ほんとうに良いものであれば、受け入れなさい。
5:22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
5:23 どうか、平和の神様が、あなたがたを完全にきよめてくださいますように。 霊とたましいと体とが、いつも健全で、主イエス・キリストが再び来られる時に、少しも非難されない者としてくださいますように。
5:24 あなたがたを招いて自分の子供としてくださった神様は、約束どおり、きっとそうしてくださいます。


インターネットでラジオ放送を!?

2007-04-18 10:05:31 | Weblog
 昨日はラジオ放送録音で朝日放送スタジオへ出かけた。17時からだとばかり思い込んで行ったら18時からだった。

 カメラマンの方も同行しており、1時間待機するため局を出て喫茶店で時間を待つことにした。レジでママさんにパワーフォーリビングと雪よりも白くをプレゼント。ラジオ放送を35年間続けているので水曜日の朝お聞きくださいと案内もできた。

 スタジオでカメラに映してもらい、5月放送5回分を収録。5回目は前田牧師が話した。

 収録が終わりJR福島駅前の商店街にある串カツ屋で夕食。有名な串カツ屋とのことで満席だ。カウンターが空いたので串カツ16本のお任せコースを注文。串カツ屋に入るのは、65年生きて今日が3度目。前に出かけてもう10年くらいが過ぎている。美味しかったというのが率直な感想。

 食べながらインターネット放送のアイディアを詳しく説明してもらった。インターネットでラジオ放送希望の声を毎日流すことができ、いつでも聞きたい時に効いてもらえるシステムとのこと。顔写真が映り、同時に声だけが流されるとのこと。予定としては5月ごろからスタートできるとのこと。

 ラジオ放送の聴取者が想定32万人(1ヶ月)、インターネットも一ヶ月30万人のアクセスがあるそうだ。一人でも多くの方々に福音を知らせたいと切願しているので、いい方法だと思う。

 ともかく日本中に福音を届けたい!幸せになってほしい!救われた人生を天国に行くまで、祝福の人生を多くの方々に伝えたい!ハレルヤ。

 ありがとうございます。すべての人に福音が届きました。感謝します!アーメン。

コリント人への第一の手紙

1:18 「イエス様は私たちを救うために死んでくださった」ということばが、滅んでゆく人々にはどんなにばからしく響くか、私にはよくわかっています。 しかし、救われた私たちは、これが神の力そのものであると認めるのです。
1:19 なぜなら、神様がこう言われるからです。
「わたしは、たとい人の目には
どんなにりっぱに見える計画でも、
人間の側の救いの計画をことごとく打ちこわし、
最も才気あふれる人の、最もすぐれた考えをも無視する。」
1:20 こうした知識人、学者、この世の重大問題にかかわる議論家たちについては、何と言われているでしょう。 神様は、彼らをみな愚か者とし、そんな知恵など無用の長物だときめつけました。
1:21 この世がいかに人間のすぐれた知恵を結集しても神様を見いだせないのは、神様のお考えによることです。 そして神様は、一般の人には、ばかばかしくて話にならないような神のことばを信じる人を、救うことにされたのです。
1:22 これは、ユダヤ人には、ばからしく思われるでしょう。 彼らは、説かれていることの真実さを証拠立てるような、天からのしるしを求めているからです。 また、それ以外の外国人にも、ばからしいと思われるでしょう。 彼らは、理性で納得できることとか、賢明と思われることしか信じないからです。
1:23 それで、人々を救うために死なれたキリスト様について話すと、ユダヤ人は腹を立て、外国人は「まるでナンセンスだ」と言うのです。
1:24 しかし神様は、ユダヤ人でも外国人でも、救いへと招かれた人々の目を開いて、キリスト様こそ彼らを救う偉大な神の力であることを、悟らせてくださいました。 実に、キリストご自身こそ、人々を救うための、神の知恵に満ちた計画の中心なのです。
1:25 この、いわゆる「ばからしい」神の計画は、最高の知識人の最も賢明な計画より、はるかにすぐれたものです。 また、キリストの十字架上の死という神の弱さは、実は、どんな人間よりも強いのです。
1:26 愛する皆さん。 自分たちの仲間を見回してごらんなさい。 キリスト様に従うあなたがたの中には、有名人や権力者や金持ちはほとんどいません。
1:27 それどころか、神様は、この世では愚か者、無価値な者と思われている人々を、わざわざお選びになりました。 それは、この世で知恵ある者、りっぱな人とされている人々を辱しめるためです。
1:28 神様は、いわゆるこの世で見下されている者、全く取るに足りない者を選び、そんな人々を役立てることによって、世間では大物と言われる人を、なきに等しい者とされたのです。
1:29 ですから、どこのだれであっても、神の御前で自慢することはできません。
1:30 というのは、あなたがたがキリスト・イエスによっていのちを確保できたのは、ひとえに神様のおかげだからです。 キリスト様は、神様の救いの計画を明らかにしてくださいました。 私たちを神様に受け入れられる者としてくださったのは、このキリスト様でした。 この方は、私たちを、きよく聖なる者とし、また、私たちの救いを買い取るために、ご自身を投げ出されたのです。
1:31 旧約聖書の、「だれでも誇ろうとする者は、主のなさったことだけを誇れ」という、ことばどおりになるためです。

[ 2 ]
2:1 愛する皆さん。 私が初めて皆さんのところへ行った時、神様からのことばを伝えるのに、程度の高い、難しいことばづかいをしたり、りっぱな理論をふりまわしたりはしませんでした。
2:2 なぜなら、イエス・キリストと、その十字架上の死以外は語るまい、と決心したからです。
2:3 私は弱々しく、おずおずと、震えおののきながら、あなたがたのところへ行きました。
2:4 また私の説教も、雄弁な説得力あることばや、人間的な知恵にはほど遠く、全く単純そのものでした。 しかし、そのことばには神様の力がこもっていて、聞く人々は、それが神様からのことばだとわかったのです。
2:5 私がそうしたのは、あなたがたの信仰が、人間のすぐれた思想にではなく、神様に根ざしてほしかったからです。

警察留置場に面会に行く

2007-04-17 09:10:00 | Weblog
昨日まで続いていた35時間セミナーが午前11時に終了。神学生一同やり遂げた満足で、希望に輝く顔で感想を述べ合い大拍手・・・・。

 5月3日ー4日の祭日ツウ、大阪国際会議場で行われるラブソナタの案内に、実行委員の先生が来て昼まで説明会。

 その間に、アメリカテキサス州ダラスのインターナショナル・クリスチャン・チャーチの国沢牧師が7年ぶりの帰国とのことで訪問され、日本人教会の礼拝が祝福されており、ご子息も神学校を卒業し、英語礼拝担当の牧師として活躍しているとのこと。5年前に来日し生駒聖書学院に一週間ホームスティし、その後、アメリカのオーラル・ロバーツ大学で神学を学び昨年卒業したとのこと。本人からの手紙やビーフジャッキーのお土産までいただいた。

 昼から警察に留置されている40代女性を面接に出かける。一度も会ったことはなかったが、快く面接に応じてくれた。

 16歳の長女が援助交際をしていることが分かり、男性と車に乗ろうとする所をキャッチしたので、男を車から引き摺り下ろし、殴る蹴るの傷害事件となり、警察署に40日留置され、今日公判とのこと。娘は少年院に拘置されたが、自分は執行猶予がつくかもしれないとのこと。

 母子家庭で5人の子供を育て、下は今年が小学一年生。息子の入学式にも参加できず実家に4人を預けていると苦衷を涙ながらに話してくれた。

 イエス様の十字架の救いを語り、神の愛がありどんな罪でも咎でも、悔い改めれば赦されて新しい生まれ変わりの人生を生き直せることを話した。

 短い面談だったが涙とともに、「イエス様。信じます。私の罪を赦してください。私の心にお迎えします。どうぞお入りください。アーメン」と祈ってくれました。

 その後でもう一度、「イエス様。子どもたちをお守りください。明日の公判をお守りください。イエス様によってお祈りします。アーメン」と面談の壁を隔てていのり、「アーメン。信じます。ありがとうございます。子どもたちが幸せの中に守られました。公判で執行猶予になりました。ハレルヤ!感謝します。アーメン」と宣言もすることができました。

ヨハネの第一の手紙

1:7 しかし、神様の光の中におられるキリスト様にならって、私たちも光の中で生活すれば、互いにすばらしい交際と喜びとを味わうことができます。 そして、神の子イエス様の血が、私たちをすべての罪からきよめてくださるのです。
1:8 もし、自分には罪がないと言いはるなら、それは、自分をだましているのであって、真理を受け入れようとしない証拠です。
1:9 しかし、もし自らの罪を神様に告白するなら、神様はまちがいなくそれを赦し、すべての悪からきよめてくださいます。 〔なぜなら、キリスト様は、私たちの罪を帳消しにするために、死んでくださったからです。〕
1:10 潔白だと言いはる人は、自分がうそつきになるばかりか、神様まで、うそつき呼ばわりすることになります。 なぜなら、神様は「人間は罪を犯した」と、はっきり宣言しておられるからです。


春雨の朝を歩く

2007-04-16 07:42:44 | Weblog
今朝までセミナーの続きがあるので、早朝に歩いておこうと思い家を出た。雨が降り出したので戻って傘を用意。降ったり止んだりの中を、「ハレルヤと歌いつつ」をポスティングしながら歩く。

 教会員の家まで5000歩ほど歩き、まだ休んでいるのでメッセージ原稿を置き、昨日から少し調子が悪いという幼児のために家の前で祈る。アーメン。信じます。ありがとうございます。・・・・くんは元気になりました。ハレルヤ!感謝します。この家に豊かな幸せを!と祝福を祈る。メールで元気になったとの知らせが届く。感謝。

 昨日はアドラムキリスト教会で礼拝説教。暴走族や覚せい剤中毒、刑務所や少年院にいる子どもを持つ、悩める親たちが大勢集い、元暴走族出身の牧師とともに、、息子や娘たちの更正と救いを熱心に祈り、まず自らの責任をシッカリ受け止め、帰ってきたときあたたかく迎える聖霊の愛を求めている姿に感動した。

 説教がクライマックスに差し掛かった0時19分、会堂が揺れる!聖霊の感動でと一瞬思ったが、地震だとの叫び声が上がり、大丈夫!平安です!と声をかけ説教を続けた。聖書にはメッセージの中で聖霊の感動に揺れ動いたとあるが、地震でなくそのような感動が説教中に望むことを願う。

 朝の道は春真っ盛り、八重桜が満開、すみれやたんぽぽ、山つつじや名も知らない草花が色とりどりに咲き誇り、いのちを輝かせている。市会議員選挙が始まった生駒市の浄化を心より祈りつつ歩く。正義は国を高くし、罪は民をはずかしめる。

詩篇

1:1 幸いなことよ。
 悪者のはかりごとに歩まず、
 罪人の道に立たず、
 あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、
 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。

1:4 悪者は、それとは違い、
 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
 罪人は、正しい者のつどいに立てない。
1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。
 しかし、悪者の道は滅びうせる。
 

元暴走族リーダーが牧師になって7年

2007-04-15 09:18:38 | Weblog
 生駒聖書学院は、学歴、年齢、性別、国籍、経歴不問の神学校です。学歴不問ですが大学卒業生、大学教授もいます。今年も元やくざで更正した壮年齢者も入学しました。

 今日の礼拝はアドラム・キリスト教会7周年記念説教で、東大阪新池島町(瓢箪山駅から徒歩8分)に行きます。生駒駅まで歩き瓢箪山駅を往復し、大阪エリムへ行くので今朝は散歩に出ず、ゆとりの朝でした。

 アドラム・キリスト教会は、野田詠氏牧師が7年前スタートした教会です。自前の教会堂はまだなく元ダンスホールで教会活動をしています。

 野田牧師は、東大阪最大の元暴走族会長で、鑑別所や少年院を5回も出たり入ったりでした。5回目の少年院時代聖書を読み、イエス・キリストを信じて救われました。だれでも(たとえ少年院にいる者でも)キリストを信じるなら、その人は新しく生まれ変わった者です。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。

 院を出るとすぐ同じ院は院でも、生駒聖書学院に入学しました。聖書学院ではルールはありますが、何をするにも命令ではなく、自ら自発的にするという厳しさがあります。そこで自分から従順を学び訓練され、3年後卒業して開拓伝道に自らが荒らし周った東大阪に教会をスタートしました。

 そして今では多くの若者に更正の道を指導し、その親たちにも指導を行い、家族そろって幸せな人生を歩む指針となっています。


 キリストを信じるとき、生まれ変わりを経験します。過去がいやされ新しくされ、日々新しさの中で感謝と喜びに包まれて前進できる幸を体験なさいませんか。


マタイの福音書

6:25 ですから、食べ物や飲み物、着物のことで心配してはいけません。今、現に生きている、そのことのほうが、何を食べ、何を着るかということより、ずっと大事です。
6:26 空の鳥を見なさい。 食べ物の心配をしていますか。 種をまいたり、刈り取ったり、倉庫にため込んだりしていますか。 そんなことをしなくても、天の父は鳥を養っておられるでしょう。 まして、あなたがたは天の父にとって鳥よりはるかに価値があるのです。
6:27 だいたい、どんなに心配したところで、自分のいのちを一瞬でも延ばすことができますか。
6:28 また、なぜ着物の心配をするのですか。 野に咲いているゆりの花を見なさい。 着物の心配などしていないでしょう。
6:29 それなのに、栄華をきわめたソロモンでさえ、この花ほど美しくは着飾っていませんでした。
6:30 今日は咲いていても、明日は枯れてしまう草花でさえ、神はこれほど心にかけてくださるのです。 だとしたら、あなたがたのことは、なおさらよくしてくださるでしょう。 ああ、全く信仰の薄い人たち。
6:31 ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。
6:32 ほんとうの神を信じない人たちのまねをしてはいけません。 彼らは、このような物がたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。 しかし、天の父は、それらがあなたがたに必要なことは、よくご存じです。
6:33 神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。 そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。
6:34 明日のことを心配するのはやめなさい。 神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。

 

感謝こそ最高の喜び

2007-04-14 08:19:09 | Weblog
投資をして感謝したら利息が上がり、喜んで感謝したら今度は下がり続け、それでも感謝し続けどん底まで・・・・そこで中止した。わずかしか?残らなかったがそのお金で、どんなときにも感謝するように教えてくれた牧師に感謝をしようと決心。高島屋の仕立券付スーツ生地をプレゼントしてくれた。

 長年、睡眠薬がなければ眠れなかったのに、その夜ぐっすり眠れ、肩こりもなくなり、目もハッキリ見えるようになり、子どもが国家試験にも合格した。余りにも感謝の効果が大きいので、お金ではないすごい感謝がまたあふれてきた。

 昨日、仕立て上がりのスーツを着用し、感謝のお礼かたがた訪問した。するとさらに驚きの体験を話してくれた。

 投資で無くした以上の金額が、今度は仕事を通して入ってきたのだそうだ。しかも予想もしていなかった方法で・・・・。受けるよりは与える方が幸いであるとイエス様は教え、与えなさい。そうすれば与えられる。ギブアンドテイクではなく、ギブアンドギブンの精神で生きるとき、思いをはるかに越えた祝福が訪れることを話してくれた。

 いつも喜べ。絶えず祈れ。すべてのことに感謝せよとの聖書のことばの真実にふれ、心から感謝している姿に感動し、さらに全てのことが守られるよう祝福を祈った。

 帰りに雨模様になり、土曜日は富雄キリスト教会の子どもたちがピクニックなので、「明日の天気をお守りください。子どもたちが野外活動センターで楽しく過ごせるよう、晴れた春の日をお願いします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」と祈り同時に、「アーメン。信じます。ありがとうございます。明日は晴れました。ハレルヤ(晴れるや)感謝します。神の栄光のために。アーメン}と宣言し、雨の中を車を走らせた。朝早く目覚め外を見ると曇り空。ゆとりの一万歩に出発。薄曇りの空が明るみかけ、やがて太陽が顔を出して・・・・今は、輝くばかりの青空も広がり感謝です。

 雨が降ったらどうするのですか?との声が聞こえそうだが、その時はその時、何も心配知ることはないと割り切って、すべてのことに感謝しつつ日々を過ごしています。

コリント人への第二の手紙

4:7 しかし、このすばらしい宝〔いま私たちのうちに輝いている光と力〕は、こわれやすい器〔私たちの弱い肉体〕の中に入っています。 うちにある、その栄光に満ちた力が、確かに神様から与えられたものであって、私たち自身から出たものでないことは、だれの目にも明らかです。
4:8 私たちは四方八方から苦しめられ、圧迫されますが、押しつぶされ、打ちのめされることはありません。 「どうしてこんなことが......」と途方にくれるようなことが起きても、絶望して投げ出したりはしません。
4:9 迫害されていても、神様は決してお見捨てになりません。 打ち倒されても、また立ち上がって、前進を続けます。
4:10 この体は、かつてのイエス様がそうであったように、いつも死に直面しています。 ですから、私たちを安全に守ってくださる方は、うちに生きておられるイエス様だけであることが、だれの目にも明らかになるのです。
4:11 まことに、私たちは、主に仕えているために、絶えず死の危険にさらされています。 しかし、そのことでかえって、死ぬべき私たちの体によって、イエス・キリストの力を明らかに示す機会が、常に与えられているのです。
4:12 私たちは、良い知らせを宣べ伝えているために、死に直面しています。 しかしその結果、あなたがたに永遠のいのちが与えられるのです。
4:13 旧約聖書の詩篇の作者は、「私は信じている。 それゆえに語る」と言いました。 同じように私たちも、自分が神様の守りの中にあることを確信して、信じていることを大胆に語ります。
4:14 主イエス様を死から復活させてくださった神様が、私たちをもイエス様と共に復活させ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを、信じています。
4:15 こんな苦しみに甘んじているのも、あなたがたのためを思うからです。 キリスト様に導かれる人が増えれば増えるほど、その大きな恵みを感謝する気持ちがますます満ちあふれ、主の栄光がますます明らかになるのです。
4:16 ですから、私たちは決して落胆しません。 肉体はしだいに衰えますが、うちにある力は日ごとに強くなってゆきます。
4:17 今の私たちの苦しみや悩みは、結局のところ、取るに足りないものであり、それほど長続きもしません。 しかも、このつかの間の苦しみは、永遠に尽きない、あふれるばかりの、神様の祝福をもたらすのです。
4:18 ですから私たちは、いま見えるもの、すなわち、身の回りの苦しみには目をとめません。 むしろ、今は見えない天にある喜びを望み見ているのです。 苦しみは、やがて消え去ります。 しかし、その喜びは、永遠に続くのです。

生まれ変わりの新しい人生へ

2007-04-13 05:53:26 | Weblog
生駒聖書学院は9日(月)入学式。式当日の夜からセミナーをスタート、来週の月曜日午前中まで続きます。水曜日より金曜の3日間は朝6時開始。金曜日午後より日曜日は教会奉仕のため休みます。

 神学生一同楽しく参加してくれ、通学生の主婦は泊り込みや、朝早く車で大阪より参加しています。学ぶことの喜びと共に、お互いに話し合う楽しさ、目的を持つものが目標に向って前進する姿に感動しています。

 人間は変わることができる!誰でもキリストにあるならその人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなったのであると、聖書にあるとおりの人生の見本が生駒聖書学院に、たくさん存在しています。今年の入学生にも元やくざがの神学生がいます。

 15日の日曜日にはアドラム・キリスト教会の礼拝で説教しますが、牧師は元暴走族で鑑別所や少年院を5回も出たり入ったりでした。5回目のとき差し入れられた聖書を読み、悔い改めてクリスチャンになりました。少年院から生駒聖書学院へ入学、卒業し牧師となってもう7年目になります。

 暴走や覚せい剤、アルコール依存症に悩む少年少女の更正に取り組み、寝る間もないほどに東奔西走で活躍しています。そのような子らを持つ親御さんたちが礼拝に集い、悩む子らのために祈りつつ取り組んでいます。

 あなた方に対して抱いている計画は、わたしが知っている。-主の御告げー それはわざわいではなくて平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものである。エレミヤ書29:11

 どんな人生にも神の計画があり、わざわいを十字架の上に背負われ身代わりとなって死んでくださったイエス・キリストにより救われるのです。そればかりでなく、すべての出来事が働いて万事が益となり、多くの人々の幸せに生きる人生が始まるのです。

 新しい人生は改革や道徳的になる努力だけではなく、イエス・キリストを信じ受け入れることによる生まれ変わりによってスタートすることができるのです。

 そのような人生こそ、春の輝きにあふれる生きがいにあふれた日々なのです。新生児にも似たような素直な心と思いの中で、活き活きと歩む人生が可能なのです。

 テモテへの第一の手紙

1:12 私は、主キリスト・イエスに、どう感謝したらよいかわかりません。 主は私を使者の一人に選び、忠実に奉仕する者となる力を下さいました。
1:13 以前の私は、キリスト様の名をあざけり、主を信じる者たちを追い回し、あの手この手で迫害しました。 しかし主は、そんな私さえ、あわれんでくださったのです。 その時はまだ、キリスト様を知らず、自分のしていることの恐ろしさもわからなかったからです。
1:14 主は、なんと恵み深いお方でしょう。 どのように主に信頼すべきか、どうしたらキリスト・イエスの愛に満たされるかを、教えてくださったのです。


1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うために、この世に来てくださった」ということばは真実です。 このことをだれもが知ってくれるようにと、心から願っています。 私は、その罪人の中でも首領格の人間です。


1:16 それにもかかわらず、神様は私をあわれんでくださいました。 キリスト・イエスは、どうにも手がつけられない罪人に対してさえ、自らの忍耐深さを教えようと、私みたいな者を選ばれたのです。 それによって、だれにも永遠のいのちを持つ希望が与えられるのです。
1:17 どうか、永遠の王であり、決して死ぬことのない、目には見えない、ただ一人の、知恵に満ち満ちた神様に、栄光と誉れとが、永遠にありますように。 アーメン。

輝きの春に希望の目を上げて前進しよう

2007-04-11 07:40:28 | Weblog
頭を上げ、目を開き、心の準備を整えて
 小さな男の子がたまたま下を見ていて、キラキラした25セント硬貨を見つけた。男の子は硬貨を拾い上げる。すごいぞ、正真正銘僕の25セントだ。しかも、何の元手はかからない。

 それからというもの、彼は宝物を求めて、地面を目で探しながら歩くようになった。彼は一生の間に、1セント硬貨387枚、5セント硬貨62枚、10セント硬貨49枚、25セント硬貨16枚、50セント硬貨2枚、それに1ドル札を6枚見つけた。しめて22ドル87セントである。

 確かに元手はかからなかったが、彼が見逃したものもある。美しい日没を2万8千7百42回、虹、赤ん坊の成長、空を飛ぶ小鳥、太陽の輝き、周りにいるすべての人々の笑顔、同時に彼は、100万ドルの価値がある経済効果をも見逃してしまったのである。

 さあ頭を上げ、信仰の目を開き、心の帆を上げて、イエス・キリストを見上げつつ前進しよう。ハレルヤ!

ヘブル書12:2

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい

コリント第二5:7

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。




入学おめでとう!

2007-04-10 07:20:09 | Weblog
福山市に住む卒業生からメール。小学1年生と中学1年生のお嬢さんの入学式で、写真も添付されていました。1年生ってみんな光っているんですね。ピッカピカの1年生と言うことばがありますが、幼稚園、小学校、中学校、高校、」専門学校、大学、就職等全部が新しく輝いて」います。牧師としてその全ての時期に幸せを祈る特権が与えられています。  桜満開の季節にふさわしい入学シーズンです。おめでとう!

 生駒聖書学院も、将来の牧師・宣教師・牧師夫人をビジョンに6名が献身入学式でした。大分県や大阪府内の教会から、牧師の推薦を受けての入学。全寮制の神学校ですが、通学生も最近は許可しています。家族寮もあります。

 今年は団塊の世代の入学を期待していました。大学教授を退官した経済学博士が、単身寮を希望し入学を許可しましたが、残念ながらほかに仕事ができ入学式前夜に取り消しでした。沖縄からも希望者があり受け入れる準備ができていましたが、少し先に伸びてしました。

 月5万円で学べるので団塊の世代が多く入学することを待っています。月曜ー金曜の授業です。金曜午後には帰ることができるので、新幹線を利用すれば福岡や東京も大丈夫です。牧師になるならないは別にして、今までの社会生活を有意義に生かすチャンスが、生駒聖書学院には豊かにあると確信しています。家族量もあるのでご夫妻での入寮も歓迎します。

 6月ごろからはインターネット生放送礼拝も始まるので、自宅を解放して礼拝も可能になります。お考えくださり9月入学をぜひなさってください。若者たちに混じって学べるのはリフレッシュになり、また今までの社会経験を将来日本を背負って立つ、牧師の卵たちに伝授するのは楽しいことだと思います。

お問い合わせは生駒聖書学院へ

630-0243 奈良県生駒市俵口町951 

電話;0743-74-7622 Fax.0743-73-8868

メール;yshiibc@yahoo.co.jp



イザヤ書

43:13 永遠から永遠まで、わたしは神だ。 わたしが何かをしようと身構える時、その前に立ちはだかる者は一人もいない。」
43:14 あなたを贖うイスラエルのきよい神様は、こう宣言なさいます。
「わたしはおまえのために、バビロンに軍隊を侵入させる。 それもほとんど無傷のままだ。 おごり高ぶっていたバビロニヤ人は、恐怖の叫びをあげる。
43:15 わたしは主、おまえのきよい神、イスラエルを造った者、おまえの王だ。
43:16 水の中に道を開き、海底を横切る道を造る主だ。
43:17 わたしはエジプトの強力な軍隊を、戦車や馬もろとも海底のもくずとした。 彼らのいのちは燈心のように吹き消された。
43:18 だがこんなことは、これからすることに比べたら物の数ではない。
43:19 わたしは全く新しいことをしようとしている。 いや、すでに手をつけた。 おまえの目には見えないか。 わたしの国民が故国へ戻るために、荒野に道を造り、彼らの飲み水として砂漠に川を開くのだ。
43:20 野の獣、山犬、だちょうは、荒野に水がわき出たというので、わたしに感謝する。 わたしに選ばれた国民は、この砂漠の泉でのどをうるおし、元気づく。
43:21 わたしはイスラエルを自分のために造った。 この国民は、いつかきっと、世界中の人々の前でわたしをあがめるようになる。