牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

雪の山道を恵みを感謝しつつ歩く

2010-12-31 18:37:05 | Weblog
 2010年が過ぎようとしています。元旦から今日まで多くの恵みに満たさ、今年もまた天国の日々でした。

聖歌604番を口ずさみながら、雪の山道をゆとりの一万歩で締めくくりました。
 
望みも消え行くまでに  世の嵐に悩む時
  数えてみよ主の恵み  汝(な)が心は安きを得ん

  数えよ主の恵み  数えよ主の恵み
       数えよ一つずつ  数えてみよ主の恵み

主の給いし十字架を  担いきれず沈む時      
  数えてみよ主の恵み  呟(つぶや)きなどいかであらん

  数えよ主の恵み  数えよ主の恵み
       数えよ一つずつ  数えてみよ主の恵み

世の楽しみ 富(とみ) 知識  汝(なが)心を誘(さそ)う時
  数えてみよ主の恵み  天津国(あまつくに=天国)の幸(さち)に酔(よ)わん  
 
 数えよ主の恵み  数えよ主の恵み
       数えよ一つずつ  数えてみよ主の恵み

 生駒聖書学院、エリムキリスト(学院・富雄・大阪・堺)教会、教団やグループ諸教会、
今年説教に招かれたすべてのキリスト教会や大学、出会ったすべての方々の上にも恵み豊かな祝福が注がれたと確信しています。

 家族全員も健やかに守られ、それぞれに幸せに暮らせました。元旦には、孫たちのにぎやかな笑顔が静かな家いっぱいにあふれることと思います。

 今日もまた天国の一日でした!感謝しますの挨拶が広まり、今日もまた幸せな天国の一日です!あるいは、楽しい天国の一日です!美しい輝きのことばが、メールや電話や手紙にあふれ続けています。

 個人的にも数えきれないほども恵みの歩みでした。明日からの新しい年、2011年はさらに増し加わる恵みあふれる日々になると大きく期待しています。

 この一年をp締めくくる聖書のみことばを引用して、新しい希望とチャレンジの年に備えています。

ローマ人への手紙 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
 

コリント人への第二の手紙4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。


伝道者の書3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。


エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 すべての恵みに感謝しつつ、新しい年へ期待と希望にあふれて前進を決意する夜です。

 今年も毎日のブログへのアクセスありがとうございます。11年もよろしくお願いします。

 ありがとうございました。新年の幸せと健やかさを心よりお祈りします。感謝します。


太陽を拝まないで、真の創造者・唯一の愛の神を

2010-12-31 10:08:04 | Weblog
大晦日になりました。一年365日、今日もまた天国一日です!感謝します。毎日が今日もまた主が造られた新しい日。主の恵みは朝ごとに新しい。主の恵みは永遠に絶えることはない。

 今、テレビで太陽と怨霊と天皇?という番組が流れています。日本の政権(天皇制であろうと、武家制度であれ、民主政治であれ)の背後に怨霊への恐れがあり、その怨霊をしずめる祀りごとが権力の象徴とされていることが長々と説明されていました。

 そのたたりを鎮めるために神社や仏閣があり、その根底には太陽信仰があることが分かります。

 明日は元旦ですが、生駒山には日の出を拝む(大半は見るためですが、太陽が東の空をそめて登ると自然に手を合わせます)人々が多くあります。日本=日の元の国という国名が、太陽信仰を潜在的に現わしています。生駒山の下山道には神仏合体の宝山寺があり、初詣で生駒は大混雑の大晦日から元旦です。

 初めに神が天と地を創造した(創世記1:1)とある、天地万物の創造者、唯一の真の愛の神を知ると、太陽や大宇宙、大自然の背後にある神様が分かります。

 壮大な神殿や拝殿、那智の滝の壮大さに神や仏の姿を見ると話し、天照大神や創世神話を有り難く受け入れ、何でも神として敬い拝む姿を情けなく恥ずかしいと思います。

 明日、初詣に出る人の数が多ければ多いほど日本の未来は暗くなってしまいます。

 聖書の警告にすべての人が耳を傾けるときが来ています。

申命記5:5 そのとき、私は主とあなたがたとの間に立ち、主のことばをあなたがたに告げた。あなたがたが火を恐れて、山に登らなかったからである。主は仰せられた。

5:6 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

5:7 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

5:8 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

5:9 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

5:10 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

5:11 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

5:12 安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。

5:13 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

5:14 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も。――そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。

5:15 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。

5:16 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。

5:17 殺してはならない。

5:18 姦淫してはならない。

5:19 盗んではならない。

5:20 あなたの隣人に対し、偽証してはならない。

5:21 あなたの隣人の妻を欲しがってはならない。あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」


偶像とは何でしょうか?

イザヤ書45:16 偶像を細工する者どもはみな、恥を見、みな共に、はずかしめを受け、恥の中に去る。

45:17 イスラエルは主によって救われ、永遠の救いにはいる。あなたがたは恥を見ることがなく、いつまでも、はずかしめを受けることがない。

45:18 天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てられた方、これを形のないものに創造せず、人の住みかに、これを形造られた方、まことに、この主がこう仰せられる。「わたしが主である。ほかにはいない。

45:19 わたしは隠れた所、やみの地にある場所では語らなかった。ヤコブの子らに『むなしくわたしを尋ね求めよ。』とも言わなかった。わたしは主、正義を語り、公正を告げる者。

45:20 諸国からの逃亡者たちよ。集まって来て、共に近づけ。木の偶像をになう者、救えもしない神に祈る者らは、何も知らない。

45:21 告げよ。証拠を出せ。共に相談せよ。だれが、これを昔から聞かせ、以前からこれを告げたのか。わたし、主ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。

45:22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。

44:9 偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。

44:10 だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。

44:11 見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。

44:12 鉄で細工する者はなたを使い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。彼も腹がすくと力がなくなり、水を飲まないと疲れてしまう。

44:13 木で細工する者は、測りなわで測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の美しい姿に仕上げて、神殿に安置する。

44:14 彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。また、月桂樹を植えると、大雨が育てる。

44:15 それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。

44:16 その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった。』と言う。

44:17 その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから。』と言う。

44:18 彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟ることもできない。

44:19 彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか。』とさえ言わない。

44:20 灰にあこがれる者の心は欺かれ、惑わされて、自分を救い出すことができず、『私の右の手には偽りがないのだろうか。』とさえ言わない。

コリント人への第一の手紙 8:4 そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。

8:5 なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、

8:6 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。


10:19 私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。

10:20 いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。

10:21 あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。

テモテへの第一の手紙 6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。

6:17 この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

良い血液が、きれいな血管を流れるとき

2010-12-30 07:26:26 | Weblog
大好きな聖書の言葉の一つに、ヨハネの第三の手紙1章2節があります。

新共同訳=愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。

新改訳= 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

口語訳=愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。

 三拍子の幸せを祈り、与えられる祝福のことばです。

肩がこる 首筋のうしろが重い
風邪をひきやすい
頭痛がする
のぼせる
目がかすむ、目の奥が疾れる
便秘が続く 下痢する
耳鳴りがする
手足がしびれる
痔が悪くなる
腰が痛い 
心臓の付近が時々痛む
朝起きがつらい
抜け毛が多くなる
立ちくらみがする
空せきをする
寝つきが悪い

 死にいたる病の四割、認知症の六割は血液の流れに原因があると、テレビで報じられていました。

 中学生のころから、健康とはきれいな血液が、きれいな血管の中をサラサラ流れていれば良いと思っていました。誰に聞いたのか、本で読んだのか覚えていませんが、高校生のときキリスト教会に行き、イエス様を信じてクリスチャンになりました。

 十字架の上で血(神の血・宝血)を流し、御子イエスの血がすべての罪からきよめてくださると聞きました。

 賛美歌を歌いながら、イエス・キリストの血汐のきよめを信じました。

十字架の血に 清めぬれば
来(こ)よとの御声(みこえ)を 我は聞けり

主よ我は 今ぞ行く
十字架の血にて 清め給え

弱き我も 御力(みちから)を得
この身の汚れを みな拭(ぬぐ)われん

 主よ我は 今ぞ行く
十字架の血にて 清め給え

真心(まごころ)もて 切(せつ)に祈る
心に満つるは 主の御恵(みめぐ)み

主よ我は 今ぞ行く
十字架の血にて 清め給え

ほむべきかな 我が主の愛
ああ、ほむべきかな 我が主の愛

  主よ我は 今ぞ行く
十字架の血にて 清め給え


 その日(1957年11月24日)以来、十字架で流された神の血により、すべてがきよめられ新しくなったことを感謝しつつの日々です。

 十字架と復活の福音を信じ、イエス様を心にお迎えした瞬間から、すべての罪が赦され、心が雪よりも白く新しくされ、同時に肉体もまたキリスト血が流れ健やかに生きる(医学的は別として)ように変えられたことも信じました。

 11年前に脳内出血で倒れましたが、お医者さんが酒も飲まず、タバコも吸わずにきよらかに生きて良かったですねとほめられ、すっかり完治し元気で守られているのも恵みと感謝しています。

 血液を良くするには、肝臓・腎臓・心臓がしっかり働いてくれることです。

 肝臓は、体内の老廃物や食品添加物や、農薬などを解毒します。

 腎臓は、不要な物質を尿にして体の外へ出します。

 心臓は、肺で酸素をとって、きれいになった血液を体のすみずみまで送り出します。

 この三つの内臓は、互いに助け合って働いているのです。

 良い血液とは、赤血球が充分にある。酸素が豊富にある。老廃物が混じっていない。
栄養分が充分にある。血行が良く、サラサラしている。と言えると思います。

 特に、血液だけでなく血行が良いためには、血管がきいなことが大切です。幸い25年前に、活性酸素の専門医と出会い、SOD様健康食品のことを二時間にわたって聞くことができました。

 それ以来、活性酸素のの害をもたらす食品(特にカップラーメン等)をほとんど口にすることなく、もちろんアルコールやタバコとは生涯無縁で過ごしていましたが、粗食で楽しく過ごしています。

 脳内出血で倒れたのに、いいことばかり言うなとお叱りをうけることもありますが、聖書の約束は真実であることの証のために、脳内出血になったと感謝し、病む方々への理解と祈りが深くなたと確信しています。

 聖書の約束は、全能の神の約束=神の言葉は生きていて力があり(ヘブル4:12)ます。

アーメン(確かにその通り真実です)と心で信じ口で告白し行動に移すとき、霊も心も身体も平安に守られ、感謝しつつ天国に召される日まで生きることができるのです。

 今日もまた、血汐に洗われ雪よりも白くされた天国の一日です!感謝します。

出エジプト記15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。


イザヤ書53:4 まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。


ペテロの第一の手紙2:24 そして(イエス・キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


テサロニケ人への第一の手紙5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

落ち葉集めで一万三千歩のゆとりの一日

2010-12-29 08:16:43 | Weblog
昨朝、インターネット録画(28日ー1日分)を終えると、裏山がごそごそしているので熊?とは追わなかったが、近づいてみると副院長が急坂にしゃがみながら落ち葉を集めていました。

 年末の習慣で教師館&院長館の周囲をきれいに掃除をしています。神学生もいないのでもう何十年もの仕事です。

 大きな落葉樹(樫の木など)はほとんで切ってしまいましたが、全部と言うわけにもいかず毎年すごい落ち葉です。

 着替えるとすぐ熊手と箒、ノコギリと鎌を持ち家の周りや山の中、納骨堂周囲の落ち葉を集めました。市条令(罰金30~300万円)で燃やすことができないので、山のように積み上げ良い肥料になるなあと思いつつ励みました。

 夕方5時までに周囲が自分でも満足がいくほどきれいになりました。

 普段身体を使わないので、腕も足腰(急坂にへばりつくので)も痛くなりシャワーを終えると同時にスゴイ大雨、思わずハレルヤ!と感謝しました。

 朝から歩く時間がなかったのでポケットの万歩計を取り出すと、何んと13,300歩にもなっており、よく動いたなあと自画自賛の一日でした。もちろん熟睡で元気な朝を迎えています。

 今日もまた、平安に守られる恵みあふれる天国の一日です!

イザヤ書

新改訳
48:17 あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。

48:18 あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。

48:19 あなたの子孫は砂のように、あなたの身から出る者は、真砂のようになるであろうに。その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもないであろうに。」48:17 イスラエルの聖なる神/あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神/わたしはあなたを教えて力をもたせ/あなたを導いて道を行かせる。

新共同訳
48:17 イスラエルの聖なる神/あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神/わたしはあなたを教えて力をもたせ/あなたを導いて道を行かせる。

48:18 わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。

48:19 あなたの子孫は砂のように/あなたから出る子らは砂の粒のように増え/その名はわたしの前から/断たれることも、滅ぼされることもない。

口語訳
48:17 あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。

48:18 どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、

48:19 あなたのすえは砂のように、あなたの子孫は砂粒のようになって、その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。
 

あたりまえ

2010-12-28 01:36:26 | Weblog
年末になると、すべてのことに感謝することを深く思います。昨日(27日)のCGNTVで鹿児島県の種子島、西之表キリスト教会(母教会)池田公栄牧師のメッセージを聞きました。

 聖書のローマ人への手紙8章28節からのみことばでした。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」

 特別なことがあったかなかったかに関係なく、あたりまえと思うすべてのことに感謝できれば、最高の2010年を天国の一日として生きたことになります。

あたりまえという詩があるので引用します。

あたりまえ
こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう。

あたりまえであることを。
お父さんがいる。お母さんがいる。

手が二本あって、足が二本ある。
行きたいところへ自分で歩いて行ける。
手を伸ばせばなんでもとれる。
音が聞こえて声がでる。

こんなしあわせはあるでしょうか。

しかし、だれもそれをよろばない。
あたりまえだ、と笑ってすます。

食事が食べられる。
夜になるとちゃんと眠れ、
そして、また、朝がくる。
空気を胸いっぱいにすえる。

笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走り回れる、
みんなあたりまえのこと。

こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない。

そのありがたさを知っているのは、
それをなくした人たちだけ。

なぜでしょう。あたりまえ。

『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』井村和清



あたりまえのことを あたりまえにやれて あたりまえのことに感動できる人になりたい

あたりまえのことを あたりまえにやることが おろそかになってはいないだろうか

あたりまえのことに感動できなくて 狂った刺激のみ追ってはいないだろうか

人間は 人間らしくあれと言う あたりまえのことを大切にしたい

詩篇

1:1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず

1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。

1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。

1:4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。

1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。

1:6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。


感動とともに生きる天国の一日を!

2010-12-27 09:31:31 | Weblog
目覚めて外を見ると真っ白な雪景色の聖書学院キャンパスです。昨夜遅く降り始めたのでしょうか。

 種子島は雪がなく、生駒に来に最初の雪を見て嬉しく感動した朝を思い出し、真っ白な雪の中を今朝も歩きまわりました。犬は喜び庭駆け回るという童謡を思い出しながら・・・・。

 今日また、雪よりも白く洗われた天国の一日です!

 昨夜は、天に召された愛する教会員の前夜式。アメリカから帰国した牧師になっている娘さんの間に合いました。お孫さんは堺市でのゴスペルコンサートに出演中で出席できませんでしたが、今日の葬式で大事なお爺ちゃんを見て号泣するのではと思います。

 まだ幼い日、アメリカから毎週土曜日に電話で、お爺ちゃん、明日は礼拝行ってね!と電話で勧めました。日曜の夜には、お爺ちゃん、チャンの礼拝に行った?と確認の電話です。

 そのことを嬉しそうに報告してくれた顔を思い出しながら、今朝の葬儀に間に合ったときのアリサさんを思いながら朝です。

 今回は、富雄キリスト教会員たちが、準備や受付、奏楽や賛美で参加し、司式も榮義嗣牧師担当で、葬式をするのは今月二回目なので、ひやひやしながら見守っています。落ち着いて式を進行する姿に安心しながらの参列です。

 感動とおもにに生きる習慣を身につけると、今日もまた感動の天国の一日です!

 一日に三つの喜びを見つけ、喜び楽しみましょう!

詩篇16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。

16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

35:9 こうして私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって楽しむことでしょう。

118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。

118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。


 いつも明るい明日を信じ期待し、今日と言う日を幸せに感謝しつつ生活しましょう!

詩篇17:15 しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。

エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。


 周りの人に幸せを与えることができるといつも考えましょう!そうすると周りにいる人も幸せに包まれます。

使徒の働き20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

マタイの福音書
7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

ルカの福音書6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

生駒のサンタクロース!天国へ帰る

2010-12-26 08:59:52 | Weblog
もう十数年前になりますが、生駒市保育園に毎年サンタクロースがプレゼントをたくさん持ってきてくれました。

 トナカイのソリではなく自動車でしたが、大きなサンタクロースの訪れを子どもたちは喜び楽しみました。名前を聞いても明かさず、十数年間も生駒のサンタさんは楽しみにされていました。

 だれかが尾行して駅前のグリーンヒル内にある「菜の花」という洋品店の、小川孝太郎さんが秘密のサンタクロースだと分かりました。今でも「菜の花」は駅前グリーンヒルで営業しています。

 小川孝太郎さんは、大阪の商家に生まれ、戦争が激しくなり岐阜県に疎開しました。その戦時中、キリスト教に対する迫害をもっとも厳しく受けた美濃ミッションの教会で洗礼を受け、将来は牧師になりたいというほどの心燃える少年でした。

 戦後、父親が亡くなり長兄たちに強烈に商売を仕込まれ、やがて生駒で「菜の花」を開業しました。

 娘さんは国際結婚でアメリカのダラスに住んでいました。日本人教会に出席し聖霊に満たされ、2年ぶりの里帰りのとき、牧師から生駒聖書学院を紹介されました。

 日曜日になりキリスト教会の礼拝に行くと言うと、自分も洗礼を受けているとの父のことばに、それではいっしょに行こうと学院教会へ出席しました。

 翌週は、富雄キリスト教会が家から近いこともあって奥さまともに出席し、アーメンと言えば救われると話しかけると、実は自分も長野県で小学生の時洗礼を受けたとのこと。

 それ以来、店は日曜日も営業ですが、礼拝に出席し続け奥さまは、美しい声で聖歌隊をひっぱってくれるほどです。

 小川孝太郎さんは病になり、それでも車イスで礼拝に出席し続け、にこやかな(あの秘密のサンタさんのように)微笑みながら説教聞きいってくれました。

 奈良医療センターに入院し、先週ももう意識のなくなりかけた病床で詩篇を朗読し祈りをしたところでした。

23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 クリスマスの夜、やすらかに76歳の生涯を走り終え、イエス様の贖いによってのみ入ることの許される天国へ召されました。サンタクロースが天国へ帰ったと思いました。

 長年の善行に国からも表彰されましたが、それにまさる天国の栄光の冠が備えらていることを確信し、ご家族の平安と慰めを祈りつつ礼拝に備えています。


前夜式;今夜7時30分 葬式は、明日27日午前11時

会場は;生駒聖書学院(生駒市俵口町951)

司式者;榮義嗣牧師


マタイの福音書

 6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。

6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。

6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

クリスマスの憩いの昼食を孫たちと

2010-12-25 09:03:30 | Weblog
 クリスマスおめでとうございます。クリスマスの平和と祝福を祈ります。
 
 今月はクリスマス一色の日々で、充実の時が毎日続きました。最初の週は学院の期末試験で問題作成や採点、教会奉仕の神学生ねぎらい会、

6日は、牧師会クリスマスでしたが、料理も全部食べずに教会員相談で弁護士事務へ。夜は院内クリスマス祝会でしたが、突然の葬儀依頼で前夜式に駆けつけ出席できずでした。

 楽しいユーモアにあふれた祝会で、一年生が院長をネタ(ゆとりの一万歩と言っているが、川へ落ちたりなどで必死の一万歩や!)などで笑いを誘ったと、笑いながら報告してくれました。

 終業式が終わると、バイキングで二学期終了ですが、その足で葬儀場での葬式を行い、夜はとんぼ帰りで大阪エリム集会説教。

 病院への見舞い、都ホテル集会を忘れて一時間遅刻で駆けつけたり、その合間をぬっての三重県桑名市のはばなの里イルミネーション見学。

 さらに神戸のエリナリエが今年最後と聞き、最終日に雨の中を見学し、南京街で中華料理を楽しみました。おまけは寒さの中USJへ行き、スパイダーマン・アトラクションで3Dメガネを初めてつけてスリル満点。光の大パレードまで楽しみました。

 聖隷クリストファー大学クリスマス礼拝では、大勢の若さあふれる大学生たちに福音を語るチャンスも与えられ、16歳のときに救われた喜びを思うひと時でした。

 ミッションスクールでクリスチャン教師が少ないのは、キリスト教会が子どもや中学生伝道で魂を導かないからだと言う宗教主任のことばに、教会の伝道の取り組みを思いました。

 先生になると言う夢を子どもの時に持つので、高校、大学と選択の道を選ぶので、実際に教師になってからクリスチャンになる方はさらに少なくなります。

 クリスマス礼拝もすべての教会で礼拝出席も増え新しい方々も参加し、昼食、夕食交わり会を楽しみました。

 イブは美しいイルミネーション輝く学院教会で、新しい方々も多く出席(イルミネーションだけ見学の方はもと多かった)し、アーメン。信じますとイエス様を受け入れるクリスマスでした。

 今日は孫たちとゆっくり昼食を取る時間が与えられそうで、孫たちもジィジ・バァバに甘える時を待っています。幼い男の子たち、おしゃべりな女の子、やさしい笑顔のお姉ちゃん、みんなでゆとりのひと時です。

 それでもなお昼からはクリスマスの祝いでお出かけです。明日は今年最後の日曜日、午前中は富雄キリスト教会礼拝、午後は大阪エリムキリスト教会にアフリカ・パラダイス孤児院でそだった子どもが大阪で働いており、たくましい青年6名が礼拝に出席するとメールが入り、彼らの会うのを楽しみにしています。

ヨハネの福音書

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

1:2 この方は、初めに神とともにおられた。

1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

1:6 神から遣わされたヨハネという人が現われた。

1:7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。

1:8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。

1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

1:15 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」

1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。

1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。

1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

クリスマス・イブ!今夜はキャンドルサービスです。

2010-12-24 10:38:35 | Weblog
 24日はクリスマス・イブです。生駒聖書学院教会では午後7時より、イブのキャンドル・サービスがあります。今年は美しいイルミネーションに輝く学院です。クリスマスの賛美歌をイルミネーションよりも輝く顔と歌声で過ごしたいと願っています。

 明日夜まで、今夜のイブ礼拝をインターネット礼拝で流します。今日は昨夜行われた富雄キリスト教会での一日早いキャンドルサービスが放映されています。

 クリスマスおめでとうございます。一年の感謝とともに、新し年への夢と希望にあふれて年末を迎えてください。

ルカの福音書

2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。

2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。

2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。

2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、

2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。

2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、

2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。


The True Meaning Of Christmas

Jesus Christ was born this day
So many years before
He came a servant to the lost
Though he was Lord of Lords

We celebrate this joyous time
Reflecting on His birth
Not born in a mansion, but a stable
As if He had no worth

He came so He could identify
With the human heart of man
And gave His life as a sacrifice
Offering a better plan

A plan that reconciles us back
To our loving Father God
Bringing hope and redemption from
Sins ruling iron rod

For this is the only reason that we
Should celebrate this day
To become focused on anything else
Would take the meaning away

So let’s arise with joy in our hearts
And share it with everyone
The meaning of Christmas will always be
The birth of Jesus – God’s son

© By M.S.Lowndes

冬至に柚子湯に入り、南瓜のクリームスープで身体ポカポカ

2010-12-23 07:47:03 | Weblog
 昨日は、聖隷クリストファー大学クリスマス礼拝説教で、往復500キロをハイブリット車で快適に走りました。
 
 帰宅してパソコンを開くとメールで冬至と知りました。冬至とは、「日短きこと至〔きわま〕る」という意味で、日短きこと至るとは、一年で一番太陽が出ている時間が短い日ということです。

 この日は一年で最も夜である時間が長いということになるので、昔の人々は生命の終わる時期だと考えていました。

 メールにも、「一年で一番夜の長い日を迎えました。この日には昔から柚子湯に入り・南瓜を食べる習慣があります。そこで木枯らしの吹き荒ぶ寒い夜には、コトコト煮込んだミルクたっぷりの南瓜のクリームシチューがお薦めです。 身体ががポカポカ温まって超美味しいです。風邪ひかないで素晴らしいクリスマスを迎えましょう」とありました。

 現在で もその健康と長寿を願って、かぼちゃやお汁粉を食べたり体を温めることで、栄養をとり、また柚子湯に入ったりという風習を続けるメル友に幸多かれと祈る朝です。

 学院イルミネーションを見学に来る方々が増えているようです。チャペルの葬式に参列した方々がもう20年前になりますが、久しぶりにイルミネーションを見に来ましたと、副院長に声をかけてくれました。

 神学生が別の方々に教会案内や漫画「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」を手渡し、イブのキャンドルサービスを案内したりもしていました。

 今夜(23日)午後6時は、富雄キリスト教会(奈良市富雄川西1-19-18)でキャンドルサービス。ピアノやサキソフォン、クラリネットやフルート、ギターやバイオリン、さらにチェロなどの演奏とともに、静かできよらかなクリスマスの賛美歌をお歌いください。

 明日(24日)午後7時からは、学院教会(生駒市俵口町951)キャンドルサービスです。
聖なるイブをともにお過ごしください。イルミネーションもきれいです。子どもたちのはローソクではなくきれいな光を用意しています。幼い子どもも大丈夫です。大駐車場(ム料)もあります。

 イルミネーションは、25日まで夕方5時10時まで点灯しています。クリスチャン新聞とインターネット新聞でも紹介されています。

 美しいクリスマスシーズンを、今日もまた幸せな天国の一日です!と、お祈りに支えられ元気に過ごしている毎日です。

ルカの福音書

マリアの賛歌

1:46 そこで、マリアは言った。

1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、

1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、

1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。

1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、

1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、

1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。

1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、

1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」