ほんものの愛(アガペの愛)を出す方法
アガペ、アガペと言っても、アガペの愛が出て来ない。断食し徹夜で祈り、黙想に黙想を重ねても愛情も愛念も出て来ない。思いと願いはあっても行動が伴わず、ついつい愛がまだ足りないと自分を責めたり、人をとがめたりします。
秘訣はアガペを言うことです。ああ、この人が救われ、よくなって欲しい。健康になってほしい。幸せになってほしい、この方にアガペの愛が届くように。
このような思い考えが、聖霊により、胸の奥、イヤ腹の底から想いが湧きあがり、告白のことばが出て、口に出てくるのです。なぜそう告白できるか、そのようなアガペの愛が胸の奥に、腹の奥底にあるからです。聖霊によって神の愛は注がれています。
イエス様は舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。(マタイ14:14)and He was moved with compassion for them, and healed their sick. Compassion=あわれみ, 思いやり, 同情。
[ラテン語「一緒に苦しむ」の意 (COM‐+pat 「苦しむ,耐える」)]
いくら愛。アガペの愛を下さいと願い、祈って出て来るものではない。告白すると行動になって出てきます。スッと出るか、ボツボツかは分からないが、絶対出てくるのが聖霊に満たされているあなたから出る愛なのです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:5)御霊の実は愛だからです。
あなたの心が愛に満たされているなら、アガペの愛を信じ告白し実行できるのです。相手を思いやることばが告白なのです。それが胸の奥=腹の奥底から絶えず出ている状態になって、初めてアガペの愛の実践です。「あんな奴、早く地獄へでも行ってしまえ!」と思ったり、告白したらアガペの愛とはとても言えません。そんな思いが胸の中や腹の奥底にあったら怖いですね。
聖書を読むとイエス様のアガペのことばがいっぱいあります。いつも聖書に親しみそのことばを自分の告白としたいものです。 腹の底で思うことと、口で言うことばが一致し、行動する時奇跡が起こるのです。
あ悪い例です。 腹の底で=「馬鹿やろう!お前なんか知るもんか。前から別れようと思ってたんだ。もうじき別れるからな」口では=「あらあなた、お帰りなさい。今日もお仕事お疲れさまでした」表面はニコニコ、内面は鬼です。
胸に愛のことば=「この人のおかげで、私も幸せになれた。この人と結婚してほんとによかった。ありがとう。感謝しています。愛しています」口に=「ダメ!ダメ!バカ親父」を連発する方、口癖よ、悪気はないのよ。ではどうにもなりません。
告白は両方です。腹の奥底も、口のことばも同じに、アガペーの愛が常に流れることです。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11:23)
愛は実行です。良いことの実行です。愛は善行です。御霊の実は、寛容、親切、善意です。[こうすれば、こう受けるだろうからやってみよう」は偽善です。
「こんなことをしてなにになるかしら。まあ、しなけりゃならないことだし、いいことだからやりましょう」と頭で考えてやるのも霊的には偽善です。だから、何か行動するとは、腹の底でどんな告白をいっているのかを、自分でチェックするのもいいですね。
ありがとうございます。今年もまた毎日アガぺの愛の天国の聖なる日々でした。感謝します。