牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

友におくる詩

2014-12-31 18:21:54 | Weblog
山村暮朝の詩が届き、転載します。
友におくる詩
何も言ふことはありません。
よく生きなさい
つよく
つよく
して働くことです
石工が石を割るように
左官が壁をぬるように
それでいい
手や足をうごかしなさい
しっかりと働きなさい
それが人間の美しさです
仕事はあなたにあなたの欲する
一切(すべて)のものを与えませう

生きている不思議

2014-12-31 13:51:23 | Weblog
種子島で生まれ育ち、特に中学時代は星原通学校へ、往復18キロを3年間休まず通学。
月に一度は野間に一軒だけの和田書店に雑誌を買いに放課後8キロ歩き、生姜山の家まで12キロ、中学時代を読みながら歩き。その日は30キロ近く歩いたことになります。高校生でクリスチャンになり、往復40キロ歩いて教会の礼拝に行ったこともあります。
神様の恵みで健康に守られ、40年間風邪ひとつ引かず、ストレスもなく、お腹が痛くなったことも頭痛も知らず、髪の毛も白くならず黒々ふさふさです。
ところが1999年11月、東京北区で元気の出る集会の講演が終わってホテル宿泊の夜、右脳内出血で倒れいケ月余り赤羽で入院生活。退院帰宅後、良かったですね、病に倒れて、牧師は悲しみの人でしたが、病を知らない人でした。病をしってくださり幸いですと、病を持つ方から励まされました。
2012年7月、堺市で運転中右脳内出血になり電柱に激突の大交通事故。1か月余の入院で退院して冊子を書き、現場は自分しか分からないので、一万六千歩も歩き写真入り冊子を出版。ムリしたので今度は小脳内梗塞で、また堺市の馬場記念病院入院。15年前には左、2年前には右脳と真ん中の小脳、これでバランスの良い牧師になれそうです。
今年5月17日は、2011年肺がん末期余命一年を宣告された愛妻が、余命4年を生きて安らかに転移召されました。
主の恵みと多くの愛の祈りで、脳梗塞の言語の乱れは6月1日にきれいに直り、普通に話せるようになりました。主治医からの厳命で杖を持っていますが、毎日一万歩位は歩きます。
守られて生かされているのは、健康管理に留意し、食事も塩分制限し、糖分は1年間スイーツ立ちで過ごし、上質のサプリメントを愛用しているからか。否である、この世にまだやることがあるから生きている、これも否です。
言えることは、自分の努力や頑張りで一日を生きているわけではないように思う。100%生かされている恵みです。朝が来るたびに、朝ごとに恵みに生かされ、その真実の愛に守られていることに感謝し大晦日を感慨深く迎えています。
パウロの心境には程遠いと思いながらも、ピリピ人への手紙に励まされてそうありたいと祈らされております。そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。
こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。(1:20-25)
脳内出血、脳梗塞になって不自由を覚えている近隣の方々、末期がんで余命宣告された家族の方々、新しい年は、悲しみと悩みや病にあるご家族のお話をお聞きすることができればと祈っております。2年前から自動車の運転を止めたので、迎えに来てもらうか、自宅まで訪ねてくだされば、ゆっくりお話しを聞けると思います。与えられたいのち続く限り現役ですので、お祈りさせていただきます。
いつくしみ深き 友なるイエスは われらの弱気を知りて憐れむ
悩み悲しみに 沈めるときも 祈りに答えて 慰めたまわん アーメン
すばらしい愛の眼差しが、いつも注がれています。それを知るだけでも、生かされている感激、死ぬと文字通り平安で天国へ。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。




天国の日々

2014-12-31 08:42:47 | Weblog
聖書の一言;イザヤ書14::24 万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。
2014年大晦日を迎えました。元旦は、午前11時から新年祝福礼拝を生駒聖書学院で。
今年も天地万物の創造者、全知、全能、遍在、永遠、不変、唯一の真の神の愛に平安に守られ続け感謝です。神のなさることは、みなその時にかなって美しい。
天地宇宙の創造者である神は、その独り子イエス・キリストを世界に贈り、十字架と復活により、すべての罪や病、呪や貧乏を解決し、死の力を持つ悪魔を滅ぼし、死の恐れから解放し、アーメンと信じる者を恵みにより神の子としてくださいます。
大きな愛のご計画の中に、信頼して憩う平安と幸いの今年。5月17日には余命一年を宣告された、愛する家内、4年の延命を与えられ、てんごくと指文字を残して召されました。
余命一年宣告から4年間、痛みもなく頭髪もそのまま黒々で、炊事、洗濯、掃除、買い物もこなしました。特に2012年7月、運転中の交通事故で右脳内出血、10月には小脳内梗塞で倒れ入院の私のために、祈りと看病で支えてくれました。先に天国へ行きましたが、多くの皆様の祈りに感謝しています。
昨夜も、開拓伝道時代に救われた80歳の婦人と電話で、思い出をいっぱい話し、思い出は尽きませんでした。
多くの祈りと支援委支えられ、恵みと愛に守られ、元気で一人暮らしの年末、正月を迎えています。
ありがとうございます。今年もまた天国の聖なる日々です。感謝します。


愛に生きる

2014-12-30 18:44:19 | Weblog
ほんものの愛(アガペの愛)を出す方法
アガペ、アガペと言っても、アガペの愛が出て来ない。断食し徹夜で祈り、黙想に黙想を重ねても愛情も愛念も出て来ない。思いと願いはあっても行動が伴わず、ついつい愛がまだ足りないと自分を責めたり、人をとがめたりします。
秘訣はアガペを言うことです。ああ、この人が救われ、よくなって欲しい。健康になってほしい。幸せになってほしい、この方にアガペの愛が届くように。
このような思い考えが、聖霊により、胸の奥、イヤ腹の底から想いが湧きあがり、告白のことばが出て、口に出てくるのです。なぜそう告白できるか、そのようなアガペの愛が胸の奥に、腹の奥底にあるからです。聖霊によって神の愛は注がれています。
イエス様は舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。(マタイ14:14)and He was moved with compassion for them, and healed their sick. Compassion=あわれみ, 思いやり, 同情。
[ラテン語「一緒に苦しむ」の意 (COM‐+pat 「苦しむ,耐える」)]
いくら愛。アガペの愛を下さいと願い、祈って出て来るものではない。告白すると行動になって出てきます。スッと出るか、ボツボツかは分からないが、絶対出てくるのが聖霊に満たされているあなたから出る愛なのです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:5)御霊の実は愛だからです。
あなたの心が愛に満たされているなら、アガペの愛を信じ告白し実行できるのです。相手を思いやることばが告白なのです。それが胸の奥=腹の奥底から絶えず出ている状態になって、初めてアガペの愛の実践です。「あんな奴、早く地獄へでも行ってしまえ!」と思ったり、告白したらアガペの愛とはとても言えません。そんな思いが胸の中や腹の奥底にあったら怖いですね。
聖書を読むとイエス様のアガペのことばがいっぱいあります。いつも聖書に親しみそのことばを自分の告白としたいものです。 腹の底で思うことと、口で言うことばが一致し、行動する時奇跡が起こるのです。
あ悪い例です。 腹の底で=「馬鹿やろう!お前なんか知るもんか。前から別れようと思ってたんだ。もうじき別れるからな」口では=「あらあなた、お帰りなさい。今日もお仕事お疲れさまでした」表面はニコニコ、内面は鬼です。
胸に愛のことば=「この人のおかげで、私も幸せになれた。この人と結婚してほんとによかった。ありがとう。感謝しています。愛しています」口に=「ダメ!ダメ!バカ親父」を連発する方、口癖よ、悪気はないのよ。ではどうにもなりません。
告白は両方です。腹の奥底も、口のことばも同じに、アガペーの愛が常に流れることです。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11:23)
愛は実行です。良いことの実行です。愛は善行です。御霊の実は、寛容、親切、善意です。[こうすれば、こう受けるだろうからやってみよう」は偽善です。
「こんなことをしてなにになるかしら。まあ、しなけりゃならないことだし、いいことだからやりましょう」と頭で考えてやるのも霊的には偽善です。だから、何か行動するとは、腹の底でどんな告白をいっているのかを、自分でチェックするのもいいですね。
ありがとうございます。今年もまた毎日アガぺの愛の天国の聖なる日々でした。感謝します。

悪魔・ルシファー

2014-12-30 06:58:44 | Weblog
聖書の一言;イザヤ書14:1215 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、私は北の果てにある会合の山にすわろう。私は密雲の頂に上り、私いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
'I will ascend into heaven ,I will exalt my throne above the stars of God; I will also sit on the mount of the congregation On the farthest sides of the north; I will ascend above the heights of the clouds
,I will be like the Most High.'
聖書では悪魔の存在は自明のことです。イザヤ書14章とエゼキエル28章は、悪魔の始まりを示唆しています。天使のルシファーが、自ら神に変わろうと,私は=I will と宣言し、天から落とされ、エデンの園でアダムとエバを罪に誘い、人類に罪=SINが入り、人は生まれながら罪人です。英語のSINは、その真ん中にI=私があります。罪とは自我中心、自己義を立てることで、ルシファーの神に変わろうという高慢の種です。高慢は滅びに先立ちます。謙遜は栄誉に先立ちます。
イエス・キリストが処女から生まれたのは、人間の持つ罪の遺伝子を持たない、神の子の誕生でした。
人類の始祖アダムの罪が、全人類を罪に定めたように、イエス・キリストの十字架上での罪の解決が、全人類に罪からの解放を与えました。罪の結果、死が人間を支配し、地獄行きに定められましたが、イエス・キリストの十字架の死と復活で、死の力を持つ悪魔は滅ぼされました。イエス・キリストをアーメンと信じるだけで、死の不安から解放され永遠のいのちを与えられ、天国行きの保証となるのです。
悪魔に支配されているように思える世界ですが、悪魔はすでに十字架によって滅ぼされ、その欺瞞によって、欺かれているだけの世界です。アーメンと信ずる者は、その足の下に悪魔を踏みつけ、平安と勝利に輝き、神の栄光のために生きることができるのです。
イエス・キリストは、天においても地においてもいっさいの権威を持つ主であり、救い主です。悪魔の欺瞞にダマされないで、聖書をシッカリと読み、聖霊に満たされ世の終わりまで共におられる、復活のキリストの勝利を受けて、新しい年が恐れない希望に輝くよう備えましょう。
あらいがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。


今年も愛

2014-12-29 18:32:10 | Weblog
今年の漢字一字は「税」とのこと。一字が「愛」となる年を願いながら、2014年を愛で閉じ、新しい年を愛で開こうと祈りつつの29日です。
愛とは何か頭では分かっているつもりでも、毎日の生活の中でどう考え,どう実行していくのか。
聖書の愛はアガペの愛です。でもアガペの愛を哲学的、概念的に考えるとまた分からなくなります。 
イエス様の時代には、「モーセの十戒」がユダヤ人の生活を支配していました。十戒の中心は愛です。そこで、イエス様は「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じように大切です。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。と、宣言されました。
十戒は神から直接与えられましたが、ユダヤ人たちは様々な戒律を定め、イエス様の時代には戒律が定められ、600以上もありました。
その戒律に従ってラビが裁きをする。あなたのしたことは、第何条に反するから違反。あなたの妹は第何条違反、と責めるのがラビの仕事でした。だからラビの仕事は、検察官か裁判官のようでした。イエス様は、神様は律法を与えたが、人を裁くのが趣味で律法を定めたのではなく、人々の幸せを願って定め、人々への愛によって、十戒を与えたのです。それを守れば生きるという教えです。
当時のユダヤ教は、「律法、律法、律法、規則、規則、規則」(イザヤ28:13)でがんじがらめに縛っていました。
イエス様は、律法は罪を定め裁くためではなく、人を愛する神様が人の幸せのために与えたと教え、自ら実行されました。
その実践が隣人を愛することです。神様の愛は大きくて深く、人間の目で見たらわからない。でも神の形に象って造られた人間にも、その神なる部分があり、人をあいするそれが愛です。
ストルゲの愛=親の子への愛、家族愛です。フィレオの愛=友愛、友情です。またエロス=男女間の愛、夫婦愛です。それを愛情とも愛念と言っても過言ではない。特にエロスの愛は誤解され、エログロナンセンスに堕落しています。
東関東大震災、津波、原発事故へのボランティア活動は、その同胞愛、世界中から人類愛が現わされました。あれはアガペではないと批判する人たちは、律法を持って裁く人たちです。足りない、足りないではどうにもなりません。実行するのが愛です。
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。(マタイ22:36-39)

 だから愛は実行されることによって有効になるのです。見えない神をアガペの愛で愛していますといくら言っても、見えている隣人、いちばん身近にいる夫や妻、子どもや、親や兄弟姉妹を愛するのが、実際的な愛です。お正月はその愛を実践できる最高の時かもしれません。
里帰りを愛する日本は幸いな国です。我が家も子どもや孫たちが全員正月3日にやってきます。8歳の3歳の孫は、ご飯党なのでご飯を炊いて、両家とも降りかけ持参でやって来ます。今年は家内が天国へ行ったのでおせち料理もなく、両家はそれぞれ食べ物持参での正月です。それでもアガペとストルゲの理屈は別として、神の愛あふれる日々を感謝して過ごしています。 
今日も朝から市議会議員夫妻、午後から東大阪から教会員、神学生も来訪。手作り料理もいっぱい作り、夕食は作ってもらい食べきれず、明日一日の分まで十分、いただいたハーブティの香りに包まれ、しっかり食べて元気です。流動食用のカロリー200のジュースも病院理事長からプレゼント。電話で一日2個以上飲まないよう1個でよろしいとアドバイス。
しっかり食べて、散歩は5000歩、お祈りの支えで元気です。
ありがとうございます。今日もまたアガペの愛の天国の聖なる一日です!愛で過ごす年末、愛で迎える新年に大きな期待を!感謝します。

スプリングボブの疾走

2014-12-29 09:16:58 | Weblog
聖書の一言;イザヤ書13:13-16それゆえ、わたしは天を震わせる。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く。
追い立てられたかもしかのように、集める者のいない羊の群れのようになって、彼らはおのおの自分の民に向かい、おのおの自分の国に逃げ去る。
見つけられた者はみな、刺され、連れて行かれた者はみな、剣に倒れる。
彼らの幼子たちは目の前で八裂にされ、彼らの家は略奪され、彼らの妻は犯される。
小雨そぼ降る生駒の朝です。イザヤ書から聖書のことばを書いています。39章までの前半には、厳しい裁きのことばがたくさんあります。それは聖書全体にもあり、読み始めると厳しい裁きの宣言に驚き、全部を読み終える人は少ないようです。
聖書の中心は愛です。いつまでも存続する者は信仰、希望、愛であり、その中で一番すぐれているものは愛、愛は決して絶えることはありません。
人は自分のことは棚上げして、神が愛ならどうしてこの世に不幸があり、憎しみ合いや戦争があるのか、あらゆる主義主張でいがみ合い、やがて世界は滅亡に向かいます。
今朝の箇所に、追い立てられたかもしかのように、滅びへの道を疾走する姿が描かれています。
アフリカに生息するスプリングボブは、ガゼルの仲間です。サファリに良く行き見かけ、普段は少数で集まって仲良く暮らす可愛い動物です。
ある季節になると集まり始め、数千、数万匹を越える巨大な群れになり、食糧を求めて徐々に移動します。何日もしないうちに、スプリングの疾走が始まります。スプリングボブは砂ぼこりを巻き上げながら、集団が一塊になって走りに走ります。目の前に海が現れたにもかかわらず、止まることなくそのまま疾走し海におぼれて死んでしまいます。毎年、そのようにして数万匹のスプリングボグが死に絶えます。
スプリングボブは水を嫌う生き物です。ではなぜ、数万匹にも及ぶ集団が移動する時、前方を行くスクリングボブが草=食糧を食べ尽くしてしまいます。後方の群れは餌がなく飢えて、それで後方の群れは餌を求めて前へ前へと、そして目の前に大嫌いな水が見えても疾走を止めることはできず、飛び込んで死んでしまいます。
ゆっくり穏やかに仲良く食べていれば、サバンナの草原はどこまでも広がり、平和で、楽しく豊かな日々を楽しむことができます。生存競争の悲しさです。
地球は今同じような状況です。今持っているもので満足できないで、文明を向上を国威発揚を追い求めています。昨晩のテレビ番組で、オリンピックは国威発揚のために、景気向上アベノミクスのために絶対必要だ、いや不要だと結論のない論議がなされていました。東京での建設ラッシュで、被災地での復興が遅れる、賃金向上で東京でのしかもオリンピックのためという大義名分があるので、当然のことです。大手ゼネコン1社か2社でも、わが社は震災復興地のために、集中して貢献すると名乗り上げるような企業家はないのかと思う朝です。
日本人がバブルの夢よ再びで、スプリングボブのように、原子力発電発電再興、平和憲法改変、再軍備まで核武装までその先に見えている、危機の時代に向かっているように思うのは、思い過ぎだろうかと、日本の救いを願い祈る年末の朝です。神の愛が世界を滅ぼすのではなく、人間の欲望、我欲が滅亡に向かって突進していると思う朝です。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。



400年と70年、時が満ちた

2014-12-28 07:46:55 | Weblog
聖書の一言;イザヤ書12:2-5 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。
あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。
2014年最後の日曜日。年間52回の日曜日があり、礼拝を毎週守るのは、カーテンをキチッと閉めるのと同じです。年末の日曜日も感謝の礼拝でピシッと閉めることができ感謝です。
今年は、愛する教会員8名を天に送り、家内も召されて7ヶ月。幸い家内の召天を機会に9名が洗礼を受けて送ってくれました。
5月から9月まで歯の治療になり、流動食を持っての水俣市や阿久根市、種子島や沖縄。熊本益城エリム礼拝などでした。どこでもいつでも、挨拶と握手で、アーメン信じますの祈りが続出する出会いの日々です。歯に治療も終わり話しやすくなったので、新しい年はさらに多くの出会いを期待しています。
幸い、右脳内出血や小脳内梗塞の言語の乱れが6月1日の朝、スッキリ癒され普通に説教できるようになり感謝です。歩行は杖で歩いていますが、毎日癒され続けています。
25年近く続いたアフリカ行きは、2012年行く直前の事故入院以来中断です。しかし、ケニアではもう一つ別の孤児院支援、タンザニア宣教も支援が始まり、イエス様の十字架と復活の福音を全世界に知らせることを、を継続しています。
生駒聖書学院神学生たちも、燃えるような熱心さで福音を伝え、神学生実践伝道により洗礼に導かれる方も起こされ、新しい年に洗礼を決心しているものもあります。
3月6日には10名が卒業し、開拓伝道や刑務所伝道なども始まります。2015年度、ぜひ生駒聖書学院で学び、聖書と聖霊に満たされ。主をほめ歌いつつ、十字架と復活の福音を全世界に伝える器になってください。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



平和で美しい国を

2014-12-27 18:33:46 | Weblog
日本には世界一すばらしいものがたくさんあります。その第一は、日本国憲法です。日本国憲法が世界遺産になれば、世界は平和になります。今は、その憲法のもとにありながら、押しつけ憲法とか、自虐的だとか、改憲論者は喧々諤々です。その愚かさに気づいて欲しいのに、首相自らが違憲の道を突進し、今は各政党まで、周りにいるものもイケイケどんどんのおかしな状態、経済が良くなればいいじゃないかと、滅びへの道をまっしぐらのように危惧します。
そんなにまでして戦争がしたのか、殺人国家になると自らもわざわいに会います。
虚心坦懐、全文全文読んでみるとすぐわかります。天皇陛下も憲法に守られ、政治に利用されないだけでも平和だと思います。
富士山も大好きです。元気で何度でも登りたいものです。日本の大自然を創造し、四季折々の美しさを与える創造のまことの神を拝する国に早くなりましょう。真の愛の唯一も神をアーメンと信じ、世の終わりまでいつも共におられるイエス・キリストにより、幸せに生きる日本が、いつか来た愚かな道を再び歩まないように祈ります。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です!感謝します。

ハーメルンの笛吹男

2014-12-27 18:30:18 | Weblog
いま日本が少しおかしいと思っているのは、おかしいのだろうか。何かしらハーメルンの笛吹男のパレードのような思いがする。
「そのパレードは何処からやって来たのだろうか…」いつか来た愚かな道へ、国民を導いて迷わせて、右向け右への号令で、国のために国のためにと、国民を忘れて叫んでいるように思う。そのパレードは何処までも続いてゆく…、どこへ行くのか滅びの道へ。ついて来る者は拒まないが、去る者や反対する者は決して許さない。まるで金の亡者の葬列みたいだ。
先頭で仮面の男が笛を吹く。本音を見せず言わず、滅亡の道を嬉しそうに進んでいく。 → 
景気が良くなる、オリンピックがやってくる。国威発揚、思ったように法律変え、憲法まで捻じ曲げようとしる。原発は再会論者の暴言だけが、至当な理由のように問題なしと報じられる。被災地復興もままならず。故郷を失った人もたくさんいるのに、もう心配ないとだけ声高に言う。反省のかけらもなく、消費税を上げるから復興が進むなどとうそぶく。
どうなっている?愛する国日本は。地震のニュースは多く、津波が来る、戦争にあこがれる人も多くいる。どうなっているの。笛の音に誘われ、一人また一人と列への並びが増え、笛の音に誘われて、列が長くなっていくように思う。日本よ、愛する国よ。どこへ行こうとしているのか。日本が世界滅亡への先頭にならないことを祈るのみです。国の救いに祈りの声を上げよう。
人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。(聖書)