牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

イースター・サンデー

2007-04-08 07:22:49 | Weblog
自然の芽吹きが広がり、春霞がすっぽりと覆っている朝です。冬枯れの寒さ冷たさも去り、春の太陽がやさしくほほえみかけてくれます。桜も満開で気候不順のため長く咲き続けているようです。今日が最高の花見時、霞が消える頃には太陽が輝くでしょう。」

 昨日は大和郡山市内を訪問しました。郡山城の桜並木が雨に映え、満開の桜に歓迎される気分でした。プレゼントの花を買いながら少しおしゃべり、「雪よりも白く」を手渡すと、喜んで受取ってくださる。パワーフォーリビングを10冊持っていたが全部なくなり、道を聞いた売店の女性にも「雪よりも白く」を、プレゼントですと渡すと、ありがとうとほほえんでくれた。

 イエス・キリストが十字架の上で死に、墓に葬られ、3日目に復活したことを聞き、「アーメン。と言えば救われる!」のです。その救いを種子島で体験し、信じた日にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。」今年の11月24日で満50年になります。

 ただ信じますと言っただけで、50年間生きがいが与えられ、神の子とされ永遠のいのちが与えられ、すべての罪とがが赦され、健やかに豊かに祝福の日々を過ごせる幸い!イエス様。ありがとうございます。感謝しますと、すべてのことに感謝しつつ生活しています。

 素直に単純に、生きていて力がある神のことばにアーメンと言えば、聖書の約束通りのことが実現する
のです。幼子の心で「アーメン。信じます。ありがとうございます。救われました。幸せになりました。ハレルヤ!感謝します。神の栄光のために!アーメン」と、告白し続けているイースターの朝です。

コリント人への第一の手紙

15:1 さて、皆さん、良い知らせとはほんとうは何なのか、思い出してほしいのです。 というのも、それは少しも変質していず、以前あなたがたに宣べ伝えた良い知らせと同じものだからです。 あなたがたは、それを喜んで受け入れました。 そして今に至っています。 信仰が、このすばらしい知らせにしっかり根ざしているからです。
15:2 もし初めにいい加減な気持ちでその良い知らせを信じたのでなく、今もなお、それを堅く信じているのなら、この良い知らせは、あなたがたを救ってくれるのです。
15:3 私はまず第一に、かつて自分も知らされた、次のことを伝えました。 すなわち、キリスト様は、聖書に記されているとおり、私たちの罪のために死なれ、
15:4 葬られたこと、そして預言者たちの予告どおりに、三日目に墓の中から復活されたことです。
15:5 キリスト様はペテロに姿を現わし、そのあと「十二弟子」の残りの者の前にも立たれました。
15:6 そしてある時には、五百人以上のクリスチャンの前にも、姿をお見せになったのです。 その中の何人かはもう死にましたが、大部分は今も健在です。
15:7 それから、キリスト様はヤコブに、そして使徒たち全員に現われました。
15:8 そして最後に、未熟児みたいな私の前にも現われてくださったのです。
15:9 私は、使徒の中では一番ちっぽけな者であり、使徒と呼ばれる資格さえない者です。 神の教会の迫害者だったのですから。
15:10 しかし、今の私があるのは、ただひとえに、あふれるほどに注がれた神様の恵みと、あわれみとのおかげです。 この恵みとあわれみは、むだではありませんでした。 なぜなら、私はほかのどの使徒たちよりも、よく働いてきたからです。 とはいえ、実際に働いたのは私ではありません。 神様が私の内部で働き、祝福してくださったのです。
15:11 一番よく働いたのが、私であろうとだれであろうと、そんなことは問題ではありません。 大切なのは、私たちが良い知らせを宣べ伝え、あなたがたが、それを信じたという事実です。