牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

一年に感謝をこめて

2006-12-31 08:27:49 | Weblog
31日が日曜日の礼拝で今年を終わる幸いを感謝しています。年末最終日に礼拝できることは恵みです。一年間はちょうどカーテンがきちっと閉められるようなものです。一年の締めくくりに感謝の礼拝をささげ、明日は元旦礼拝です。生駒聖書学院チャペルで朝11時から礼拝があります。ぜひお出かけください。元旦に全能の愛なる神様のまえで、イエス・キリストの名によって祈ったことはかなえられます。昨年は二人の女性が結婚をとの願いで祈り、二人とも今年結婚式でした。感謝します。

  一年に感謝を込めて 詩篇103篇1-5節

 健康方程式 H=O+S+T;H=健康(health)O=酸素(oxygen)S=究食(simplified meals =簡素な食事) T=感謝(thanks)

•* 究食(造語)=朝は「休食」 昼は求職 夜は球食

朝は野菜ジュースなどの液体。昼は炭水化物中心の食事。夜は炭水化物を取らず、球状、つまり大豆食品を主食(豆腐や納豆)に。



 最大の健康法はT=感謝、愚痴や不満の多い人には会うな。ゆったりニコニコ過ごそう。それが究極の健康法(元救急医井上敬さん、33歳の提唱するいっぷう変わった健康法です)

 かぜならば最大の予防法はウイルス感染しないようマスクをしたり、風邪を引いている人を避けること。

 愚痴の多い人に接するとネガティブな感情が言語感染する。その結果、免疫力も下がってします。愚痴や泣き言の多い人と会うと、後でドッと疲れてします。相手の愚痴や不平不満に相づちを打つと、ますます免疫力が低下してしまう。不平不満や悪口噂話文句に変わり、ゆったりニコニコ笑って明るく過ごし、感謝し続けると健康は増進する。(25日毎日新聞朝刊より)

大掃除をしよう。 捨てる=ガラクタを整理してしまおう。愛してもいないスキでもない物を邪魔物だと思いながら、長年持ち続けることはプラスにならないばかりかストレスになり、身体にも心にもよくないことです。

 不自然な感じがするもの、不快感を与えるようなもの。悲しくなる、気が重くなる感じ、嫌な思い出につながる。雰囲気に合わない。汚く感じる、古くなりすぎたものや必要でないもの。

  肯定できるものとは?それを見ると楽しくなる。ふつふつと幸福感が湧いてくる。それを見ると元気が出る。人生の励みになる。その色や形がここと良く、部屋にシッカリなじんでいる。あると便利。自分の人生に必要だと思う(使い勝っての良い机やペンなど)

 気持ちの大掃除をしてみよう。不平不満や愚痴、泣き言や悪口そして文句を捨ててしまおう。30年前に思い切ってすべてのマイナスことばを捨て、マイナスの感情も捨て続けました。

「自分が口にすることばは、言えば言うだけそれを言いたくなるような現象を引き起こします」

 最高のポジティブなことばは聖書のことばです。毎日のデボーションで聖書のことばを口癖にするようにしてみましょう。

 特に、新年度は詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。

1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。

 聖書の約束を試してみる価値があると思います。今年もブログを訪れていただきありがとうございました。一年の恵みに感謝をこめ、新しい年も希望と輝きのすばらしい幸せな日々でありますように!祝福を祈ります。ありがとうございました。感謝します。

 

感謝します!あろがとう!

2006-12-30 07:12:10 | Weblog
25歳のとき牧師でした。とはいっても駆け出しで、礼拝に集うのは中学生と高校生が数人、70代の夫人が二人くらいでした。

 サポートもなく自給自立の開拓伝道で、教団や回りからのサポートもなく、家族からの支援も協力もない、全くゼロ(とは言っても古い家があり十畳一間の礼拝場=住まいがあった)と言っても言い状態からのスタートでした。

 空の鳥を見よ。野の花を見よ。蒔かず刈らず倉に納めず、それなのに天の父は彼らを養ってくださる。それならあなたがたにそれ以上良くして下さらないはずがあろうか。何も心配するな。思い煩いや心配をしないで、まず神の国と神に義を第一にしなさい。そうすれば必要な物は豊かに与えるから。明日のことを思い煩わなくていいよ。一日の苦労はその日その日だから。日ごとの糧は毎日与えるからと、イエス様の約束を信じての開拓伝道でした。

 心配してもお金が天から降って来るわけでもありません。心配しないですべてのことに感謝しなさいと聖書は教えています。すべてのことに感謝!ありがとうございます。

 そんな中で本のセールスの仕事をしました。毎日梅田まで通勤し、カバンいっぱいに本(写真本やグラビア月刊誌、絵本など)を持って大阪市内や府下全域、時には関西一円を飛び込み訪問で売り歩くのです。断られる断られる、邪魔者扱いされる、追い出されるなどろいろとありました。

 しかし、不思議なもので喜んで迎えてくれる人や、こんな写真本が欲しかったと言う人。子どもにちょうどふさわしいと喜んでシリーズで注文してくれる方。何も話さなくても、何冊も注文してくれる社長さん・・・・いろいろな出会いでした。日給月給で売り上げがなければ収入もなし。たくさん売れば収入も増える。月曜から金曜まで働き、土曜と日曜に教会をするという生活でした。

 話しべたで赤面恐怖症でした。牧師は人数が少なかろうが多かろうが必ず説教をします。週に3回同じ顔ぶれに語りますから、説教の準備だけでも大変です。同じ話をすることはあってもいろいろと例話を変えたりしないといけません。私の説教の中心は、真の神は愛であり、イエス・キリストの十字架の上にその愛は現され、罪と汚れに染まった人間のすべての罪や呪い、病や貧しさを身代わりに背負い死なれ、神ご自身であったので3日目に死に打ち勝ち復活され、復活によって死と滅びから信じる者を解放し、永遠の天国へ救いいれてくださった。そのことを聖書に書かれているとおり、「アーメン。信じます」と言えば救われ、すべての罪が赦され、神の子となり、永遠の命が与えられるのです。そしてバプテスマ(洗礼)を受けるとき、クリスチャンとして正しく健やかに祝福と繁栄の道を天国に行くまで守られると言う約束です。

 アーメンと信じるだけで、すばらしい平安と幸せな日々を生きることができる!これにまさる奇跡はないと毎日感謝しながら生きる幸いはありません。

 その救われた喜びを感謝しながら働く幸い。ありがたいですね。すべてのことに感謝しなさいは、ムリな要求ではありません。思い切ってすべてのことに感謝し、ありがとうございますと受け止めるとき、奇跡は起こり奇跡は続きます。

 理髪店に行った時、奥様が刺繍をしていました。裏側だったので糸がいっぱいでした、ひっくり返して表を見せてくれました。美しい風景画織り出されていました。その刺繍を見たときから、「すべてのことに感謝しなさい」との聖書のことばが実体験になりました。

 人生にはどうしようもない裏側がたくさんあります。裏側を見つめるときうめきや悲しみ、のろいやたたりとさえ思えることもたくさんあり、どうして???、なんで???、なぜ???と問い続けます。答えはありません。原因を探します。見つかりません。

 聖書は?ではなく!(ビックリマーク)の答えを与えてくれます。もう40年も前になりますが、刺繍を見た瞬間から十字架による救いと復活のいのちの喜びを体験し続けています。聖書のことばが心に響きました。「あなたに対して抱いている計画はわたしが知っている。-主の御告げーそれはわざわいではなくて平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与えるものである。エレミヤ29:11

 その日から、「永遠の肯定」の人生を感謝しつつ歩き続けています。そんなに簡単なものじゃないと反論されます。しかし、神のことばは生きていて力があります。神のことばに純粋にアーメンと応答するとき、刺繍の裏を表にするような奇跡が起こります。その応答のことばが、アーメン。感謝します。ありがとうございますです。思い切って自分の現状を肯定し正面から受け止めて、なぜ?なんで?どうして?の?を捨てて(?は裏側ばかり見ている証拠です)、感謝します!ありがとう!ありがとうございます!(!は表側を神の愛の目で見させていただくことです)、主ほめよ!と神を賛美してください。毎日、毎日感謝!感謝!ありがとう!ありがとうございます!

 不平不満や愚痴、のろいのことばを捨ててください。年末です。大掃除をする家もあるでしょうし、着る着物を新しくする方のあるでしょう。新しい年を迎える前に、心の大掃除をしてみてください。イエス・キリストの十字架と復活により、心のごみをきれいさっぱり捨ててみませんか。

 感謝にあふれて、ありがとうと2006年を送り、感謝にあふれて、ありがとうと2007年をお迎えください。2007年が!!!の連続の感謝にあふれた日々でありますようお祈りします。

詩篇

51:3 私は、自分がどんな恥ずべきことをしたか、よく存じております。 そのことで夜も昼も責めさいなまれているのです。
51:4 私はあなたに、ただあなたに罪を犯し、この恐ろしいことをしでかしました。 一部始終をご存じの神様が下す判決に、誤りはございません。
51:5 しかし、私は生まれながらの罪人なのです。 母が私をみごもった時から、罪人でした。
51:6 神様をお喜ばせするものは、徹底した正直さだけです。 ああ、そのことを私に心底わからせてください。
51:7 汚れをきよめる血を振りかけてください。 再び身も心もきれいになれるように、私を洗ってください。 雪よりも白くなりたいのです。
51:8 罰は受けます。 でもそののち、喜びを取り戻させてください。
51:9 どうか、いつまでもこの罪を見すえないで、視界から消し去ってください。
51:10 ああ神様。 どうか、きよい思いと正しい願いでいっぱいの、新しいきれいな心にしてください。
51:11 私を見限って、永久に御前から追放しないでください。 聖霊を私から取り上げないでください。
51:12 救いの喜びを再びあざやかにして、心から神様に従おうとする思いに満たしてください。
51:13 そうすれば、私のように罪深いほかの人間にも、神様の道を教えてやります。 きっと悔い改めて、神様に立ち返ることでしょう。
51:14 -15ああ神様。 頼みの綱はあなただけですから、どうか死刑の宣告を下さないでください。 助けてさえいただければ、私の舌はゆるみ、神様の赦しを高らかに歌いだすでしょう。 ああ、どれほど神様をほめたたえますことか。




聖書を一日1章読めば一年間で完読

2006-12-29 08:42:34 | Weblog
日本語の聖書は約1900ページ。聖書は旧約1439章+新約461章=1176章あります。

39章読めば一ヶ月出読了。毎日24章読めば年間8回読める。毎日10ページで年2回読了。毎日3章読むと一年間で読み終わります。

 聖書には、口語訳や新共同訳、新改訳などあります。私は通常新改訳を使っています。リビングバイブル訳は、自分の子どもが分かりやすく聖書を読めるように訳した聖書です。どの書店でも置いてあります。また注文すると取り寄せてくれます。大きい字や小さい字など、たくさんの種類があります。ぜひ新しい年、聖書をお読みください。

 聖書は真の神のことば、生きていて力があります。聖書のことばを読むと幸せになります。書かれている聖書のことばを、「アーメン。信じます。ありがとうございます。そのとおりになりました(過去完了が一番良い)。感謝します」と、告白するだけで不思議なことが実際に起こります。そのようなクリスチャンとして毎年、祝福に包まれて平安で過ごしています。

 今年はヤベツの祈りを毎日祈り告白しました。私を大いに祝福してください。私の地境を広げてください。御手が私とともにあってください。わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてください。(聖書歴代誌第一4:9-10)

 そのような祝福に包まれた一年でした。感謝します。ありがとうございます。と感謝し続けています。

詩篇1:1 幸いなことよ。
 悪者のはかりごとに歩まず、
 罪人の道に立たず、
 あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、
 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。

一年にありがとう!感謝します

2006-12-28 08:10:21 | Weblog
 あっという間に一年が過ぎた感がします。目まぐるしい世相。明るいニュースよりも暗く悲しい事件の連続。今年もあと3日・・・・。

 一年の終わりに感謝についてのみことばを引用してみたい。

テサロニケ人への手紙第一 5:18 どんなことがあっても、感謝を忘れないように。 これこそ、神様が、キリスト・イエスに属するあなたがたに、望んでおられることだからです。

コロサイ人への手紙3:14 何よりも大切なことは、愛にあふれて生きることです。 そうすれば、教会全体が、完全な調和を保てるのです。
3:15 キリスト様からくる平安が、いつもあなたがたの心と生活を満たすようにしなさい。 そうすることが、キリスト様の体の一部とされたあなたがたの責任であり、特権でもあるからです。 また、いつも感謝していなさい。
3:16 キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。 知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて、詩篇と賛美歌と霊の歌を、主に向かって高らかに歌いなさい。
3:17 何をするにも、何を語るにも、主イエス様の代理人として行動し、主イエス様と共に、父なる神の前に出て、心から感謝しなさい。

コリント人への第二の手紙4:15 こんな苦しみに甘んじているのも、あなたがたのためを思うからです。 キリスト様に導かれる人が増えれば増えるほど、その大きな恵みを感謝する気持ちがますます満ちあふれ、主の栄光がますます明らかになるのです。


ローマ人への手紙8:28 そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることを知っているのです。

詩篇103:1 私は心から神様をたたえます。
103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。
103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。
103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。
103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。
103:6 神様は、不当に扱われている者を公平にさばかれます。
103:7 神様はご自分の本性と、これからなそうとすることを、モーセおよびイスラエル国民に知らされました。
103:8 神様は、虫けら同然の者をあわれみ、やさしくいたわってくださいます。 また、短気を起こさず、恵みと愛に満ち、
103:9 いつまでも根に持ったりはなさいません。
103:10 罪の深さに比例して罰を下されるわけでもありません。
103:11 神様を恐れ、あがめる人には、無尽蔵のあわれみをかけてくださいます。
103:12 神様は私たちの罪を取り除き、はるか地平線のかなたに投げ捨ててくださいました。
103:13 神様は、恐れかしこむ者に対しては、父親のようにやさしい思いやりを示してくださいます。
103:14 というのも、私たちが土くれにすぎず、
103:15 また草花のようにはかなく、
103:16 風に吹き飛ばされて消える存在であることを、知っておられるからです。
103:17 -18しかし、神様は、ご自分を信じる人をいついつまでも恵み、神様との契約を忠実に守り従う人を、子々孫々に至るまでお救いになります。
103:19 神様は天に御座をすえ、すべてのものを支配なさいます。
103:20 神様の命令を一つとして聞きもらさず、すぐ実行に移す御使いたちよ、神様をほめたたえなさい。
103:21 四六時中、神様に仕える天使の軍団よ、ほめたたえなさい。
103:22 万物が声を合わせて、賛美しますように。 私も力いっぱいにほめ歌います。

 すばらしい年末の日々を祈ります。

 

ありがとう!感謝します

2006-12-27 09:19:51 | Weblog
今年、流行のことばに「ありがとう」があります。いろんな書物でありがとうのことばに接しました。五日市剛さんや野坂礼子さん、そのほか多くの方々がありがとうと言うことばの恵みを書いています。

 25歳のとき開拓伝道で厳しい苦労の中でした。教会の礼拝は中学生や収入のない方が数人。献金はほとんどなく、アルバイトで教会の働きをやっと継続している状態でした。朝5時から教会案内のチラシを配り、月曜日は聖書学院で講義し、それ以外の日は大阪市北区梅田まで通勤。

 そんなとき、いつもの理髪店で奥様がやっていた刺繍を見た。最初に見たときは裏側だったが、表側を見せてくれた。裏を見たときは多くのきれいな糸が出て何かよく分からなかった。表を見ると美しい風景画だった。

 人生も同じようなものですね。人生にはどうしようもない裏側のような辛さやマイナス、様々なトラウマもあります。原因を追究すればするほど分けがわからなくなり、不平不満や泣き言、悩みや苦しみだけを語るのが上手になってしまいます。

 刺繍を見た25歳のときから、人生のすべてを肯定することが出来、イエス・キリストの十字架の祝福を豊かに体験し続けています。十字架によりすべての罪や病、のろいや貧乏、死や滅びから救い出されました。復活したキリストは聖霊により心の中に住んでくださいます。

 十字架はプラスのしるし。単なるプラスだけではなく神の愛に根ざしたプラス。聖書のことばが心に響いた。エレミヤ29:11 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」

 その日以来、自己限定したりトラウマにとらえられたり、プレッシャーやストレスに縛られなず何が起ころうとも、聖書の約束どおり「すべてのことに感謝する」時、すべてのことが神の摂理の中で起こっていることを確信できるようになった。

 まさしく神のことばは生きていて力があり、その約束のことばをアーメンと素直に信じて告白するなら、そのすべてが相働いて益になることを様々な出来事を通して体験しました。

 ありがとうございます。感謝します。と神さまに感謝するとき不思議なことが起こります。現実に感謝できないことが起こっても、すべてのことに感謝します!と言い切ることが大切です。

 感謝の思いや気持ちが歩かないかを問わないで、ただそのことばを口にし続けることです。3000回言えば奇跡が起こるとか、年齢×10000回で奇跡が起こるとか、いろんな例を挙げて書いている本もあります。

 いずれにしろあるがままを感謝できれば、幸せな人生になることは間違いありません。

 年末を大きな感謝とありがとうで閉め、新しい年もありがとう!感謝しますで迎えたいものです。祝福を祈ります。

詩篇 103:1 私は心から神様をたたえます。
103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。
103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。
103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。
103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。
103:6 神様は、不当に扱われている者を公平にさばかれます。
103:7 神様はご自分の本性と、これからなそうとすることを、モーセおよびイスラエル国民に知らされました。
103:8 神様は、虫けら同然の者をあわれみ、やさしくいたわってくださいます。 また、短気を起こさず、恵みと愛に満ち、
103:9 いつまでも根に持ったりはなさいません。
103:10 罪の深さに比例して罰を下されるわけでもありません。
103:11 神様を恐れ、あがめる人には、無尽蔵のあわれみをかけてくださいます。
103:12 神様は私たちの罪を取り除き、はるか地平線のかなたに投げ捨ててくださいました。
103:13 神様は、恐れかしこむ者に対しては、父親のようにやさしい思いやりを示してくださいます。



H=O+S+T

2006-12-26 08:59:20 | Weblog
 毎日新聞ニュースインサイド(25日朝刊)に、年始年末は健康方程式という記事。

 愚痴や不満の多い人に会うなと、ショッキングな大活字。ゆったりニコニコ過ごそう!と続く。

 元救急医・井上敬さんが救急医として1万人の患者の接し、約100人の死を経験し、いっぷう変わった健康法を提唱している。「不満の多い人への会うな!」だそうです。

 なぜ「不満の多い人に会うな」が究極の健康法かと言うと、風邪ならウイルスに感染しないようにマスクをしたり、風邪を引いている人を避けることができます。

 しかし、不満や愚痴の多い人と会話するとネガティブな感情が言語感染する。その結果、免疫力も下がってしまうという。実験で証明されてはいないが、愚痴っぽい人と会うと、後でドッと疲れるでしょう?と井上さんは語る。

 健康方程式とは?H=O+S+T。 Hは健康(health),Oは酸素(oxygen),Sは究食(simplified meals),Tは(感謝thanks)

 酸素を十分に取り入れ、食事内容に気をつけ、感謝する心を持てば健康になれるということです。そしてニコニコゆったり過ごすことが究極の健康法だと一面を使って書かれていました。

 36日間不平不満や愚痴を言わないで、ありがとう!感謝しますと年内を過ごそうと、11月末の説教で語りました。今年も後5日、感謝にあふれて新しい年を迎えたいものです。

 試すも試さないも自分次第ですが、年末はニコニコと笑顔で周囲に感謝し、07年を迎えたいものです。

 生駒聖書学院教会、富雄キリスト教会、東大阪エリムキリスト教会では、31日(日)午前10時より06年感謝礼拝。

07年1月1日には、生駒聖書学院教会で午前11時より元旦礼拝があります。元旦礼拝では参加者全員の祝福を牧師がお一人お一人のためにお祈りします。ぜひお出かけください。

ピリピ人への手紙

4:4 いつも、主にあって喜びに満たされていなさい。 もう一度言います。 喜びなさい。
4:5 自己中心的でなく、思いやりにあふれていることを、だれからも認められますように。 主がもうすぐ来られると、いつも意識していなさい。
4:6 何事も心配してはなりません。 むしろ、どんなことでも祈りなさい。 神様にお願いしなさい。 そして、祈りに答えてくださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。
4:7 そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。 キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。
4:8 さて、皆さん、筆をおく前に、もう一つ申し上げたいことがあります。 真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。 きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他人の長所に目をとめなさい。 神様を喜び、賛美することばかりを考えなさい。
4:9 私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、みな実行しなさい。 そうすれば、平和の神が、共にいてくださいます。



ビッグプレゼント

2006-12-25 12:27:54 | Weblog
 今朝はブログ記入が間に合わないほどの電話や洗礼式などで、クリスマスの挨拶だけでした。昼からも大阪エリムへ出かけますが、すごいクリスマス・プレゼントが届きました。

 礼拝のときクリスマスって何?と質問したら、4才の女の子が元気よくプレゼント!と答え、教会の皆に微笑が広がりました。

 ほんとうにそのとおりです。クリスマスは神がそのひとり子を全人類にプレゼントしてくださった愛の日なのです。贈り物はありがとうと気持ちよく受取ってもらえればいいのです。受取る側も素直にありがとうと受取ればいいのです。

 受けるよりも与える方が幸いです。同時に受取る幸いもあります。クリスマスはその大きな贈り物を受取った人たちが、惜しみなく与えるときでもあるんですね。

 今朝、メールの中にビッグプレゼントが入っていました。ラジオ放送でも礼拝案内をしている大阪エリムはレンタルチャーチです。

 オーナーから来年3月より10年間、家賃なしの無償提供の連絡でした!もうビックリの感動です。約70坪の教会堂です。説教壇も会堂のイスもピアノも、室内の空調からPAシステム、教会の看板や屋根の15メートルの十字架のネオンまで、すべてお借りしています。教会の正面は1千万円するステンドグラスが輝いています。

 多額の家賃を払いつつの10年間でしたが、07年度より10年間無償で使わせてもらうことになりました。オーナーの事業の繁栄意を心から祈ります。ぜひお近くの方、また新世界に遊びに来る機会がある方、新世界の名物串焼きだけでなく、神のことばを日曜の礼拝で味わってください。

 場所は、大阪市浪速区恵美須西3-2-4 栄光キリストビル2階です。JR新今宮、御堂筋線地下鉄動物園前、堺筋線えびす町駅、南海新今宮、阪堺線新今宮またはえびす町、どの駅からもすぐ近くです。フェスティバルゲイトの西側になります。日曜日午後2時と水曜日夜7時だけ開いているキリスト教会です。看板はELIMキリスト教会と提示しています。

コリント人への手紙第一

9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。
  その義は永遠にとどまる。」
と書いてあるとおりです。
9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。
9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。
9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。
9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。
9:15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。


 

クリスマス

2006-12-25 09:39:02 | Weblog
クリスマスおめでとうございます。
幸いなことよ。・・・・・
まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。(詩篇1:1-3)
みことばに信頼し聖霊に満たされる幸せを祈ります。
榮義之

クリスマスイブ

2006-12-24 08:07:18 | Weblog
クリスマスイブを迎えます。例年はイエス様のお生まれをキャンドルサービスで祝います。今年は日曜日と重なり、堺エリムの礼拝だけがイブになりました。奈良市、生駒市、大阪市、東大阪市は礼拝とクリスマス祝い会。今日は4箇所を駆け足で動くクリスマスです。

 昨日は70歳のご婦人(ラジオ放送とテレフォンメッセージを欠かすことなく20年以上聞き続けている)と、33歳の男性が生駒聖書学院でバプテスマを受け、クリスマスを境にクリスチャンとしての歩みを始めました。新しい年に向って大きな飛躍だと喜んでいました。で感謝します。

 「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16)と、イエス・キリストのご命令です。アーメンと言えば救われます。クリスマスに生まれ33歳で十字架に命を捨てられたイエス・キリストは全人類の罪を背負われました。その十字架の贖いにより、全世界は救われたのです。今、そのことを認めアーメン、信じますと言えばすばらしい奇跡が心の中に起こります。

 今年でクリスチャンになり49回のクリスマスを迎えます。朝ごとの新しい恵みをいただきながら、ありがとうございます、感謝しますと喜びの日々です。ハレルヤ。

キャンディケーンとは、クリスマスツリーのオーナメントなどでよく見かける、杖の形をしたキャンディのこと。18世紀後半頃、ドイツのクリスマスでは、羊飼いの杖の形に曲げた白いキャンディが食べられていたが、これを20世紀初めにアメリカのインディアナ州のキャンディ業者がイエス・キリストをイメージして現在のような形にしたといわれている。キャンディの白色は純潔さを、赤い線は十字架で流した血の色を、緑の線はイエスが「神から人々への贈物」であることを表わしている。

ルカの福音書

  2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。



クリスマスツリーのトップスター

2006-12-23 06:53:05 | Weblog
ツリーのトップスター
 クリスマスツリーのてっぺんには、ひときわ大きな星が飾られています。これは、東方の賢者達を幼子イエス へと導いた星をあらわしています。

 大きな星の出現に新しい王の誕生のしるしを見た東方の博士たちは、はるばるエルサレムを目指しました。

 ヘロデ王は聖書学者を呼び、星について聖書に書かれている所を調べました。聖書には救い主誕生のとき、星が現れると書かれています。

 民数記に、「いつか、ずっと先のことですが、イスラエルから一つの星が輝き出ます」と書かれています。

 またミカ書には、ベツレヘムの村に救い主が誕生することが、500年前に預言されていました。

 大きな星はベツレヘムの上に輝き、東方の博士たちは救い主イエス様の前にひれ伏し、黄金、乳香、没薬などの贈り物をささげました。

 現代の星は、クリスチャンたちが輝くとき、人々をキリストに導く星となることが出来ます。

ピリピ人への手紙2:14-16、何事においても、不平を言ったり、理屈をこねてはいけません。
 だれからも非難されないためです。 心の曲がった頑固な人がひしめいている暗い世の中で、あなたがたは、神様の子供として、汚れのない、きよらかな生活を送らなければなりません。 世の人々の間で、いのちのことばを高く掲げ、星のように輝きなさい。

マタイの福音書2:1 イエスはヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムの町でお生まれになりました。
そのころ、天文学者たちが、東の国からはるばるエルサレムへやって来て、こう尋ねました。
2:2 「このたびお生まれになったユダヤ人の王様は、どこにおられますか。 私たちは、その方の星をはるか東の国で見たので、その方を拝むために参ったのです。」
2:3 それを聞いたヘロデ大王は、ひどくうろたえ、エルサレム中がその噂でもちきりになりました。
2:4 大王はさっそくユダヤ人の宗教的指導者たちを召集し、「預言者どもは、メシヤ(救い主)がどこで生まれると告げているのか」と尋ねました。
2:5 彼らは答えました。 「ユダヤのベツレヘムです。 預言者ミカがこう書いております。
2:6 『小さな町ベツレヘムよ。
おまえはユダヤの中でも決して
ただのつまらない町ではない。
おまえから偉大な支配者が出て、
わたしの国民イスラエルを
治めるようになるからだ。』」
2:7 それでヘロデは、ひそかに天文学者たちを呼びにやり、例の星が初めて現われた正確な時刻を聞き出しました。
2:8 そして彼らに、「さあ、ベツレヘムへ行って、その子を捜すがいい。 見つかったら、必ず知らせてくれ。 わしも、ぜひその方を拝みに行きたいから」と命じました。
2:9 彼らがさっそく出発すると、なんと、あの星がまた現われて、彼らをベツレヘムに案内し、とある家の上にとどまったではありませんか。
2:10 それを見た彼らは、躍り上がって喜びました。
2:11 その家に入ると、幼子と母マリヤがおられました。 彼らはひれ伏して、その幼子を拝みました。 そして、宝の箱を開け、金と乳香(香料の一種)と没薬(天然ゴムの樹脂で、古代の貴重な防腐剤)を贈り物としてささげました。