牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

自分の体に感謝しよう

2012-09-30 07:15:51 | Weblog
自分に体があることに感謝します。

 右脳内出血になり完治し退院、二カ月目の朝を迎えています。今日は88歳で召された牧師の式を今夜と、明日の午前中に1時間半ほど離れた教会で行います。

 お断りしようと思いましたが、お世話になった先輩牧師で、家族と教会からの願いで、出かけことにしました。

 今朝の礼拝と昼からの大阪の礼拝を終え、夜に自動車で出かけます。幸い息子が運転してくれるので安心して出かけます。

 今朝の目覚めの瞬間、体に感謝しているか?という思いが与えられました。聖書には、すべてのことに感謝しなさい!とあります。

 すべての悩みや問題、試練など何事でも、すべてのことに感謝しなさいで解決する恵みを体験して来ました。

 生きているだけでも感謝だと病院入院中は感謝し、右脳内出血が一ヶ月で痕跡もないほど完璧に完治し、脳外科の専門医お二人がMRIやCT検査を示しながら、奇跡ですよといやしを告知されました。

 リハビリの主治医もすぐ退院許可を出し、近くの内科医もデータを見ながら、さすが牧師さんですね。不思議なくらいですと完治を喜んでくれました。

 ところが左足のしびれがあり、ほっておけば治りますよと医者に言われながら、左足をさするりつつ、感謝するよりは何でだろう?とつぶやくことの多い一ヶ月でした。

 今朝の目覚めとともに、神様感謝します!しびれている左足を心から感謝する思いが与えられました。

 自分の体に感謝することは難しいと言われます。毎朝の新聞折り込みには、ダイエットや、美容の広告チラシのない朝はありません。

 もっと美しく、もっと力強く、もっと健康で長寿をと、これでもかかこれでもかとの広告が、あふれ続けています。

 どんなに美しい女性、たとえ理想的に生まれついたとしても、一つも欠点のない人間などひとりもいません。

 でも何とかもっと、もっとと、摂食障害になったり、化粧品や着る物にお金をつぎ込んだり、果ては美容整形したりと留まることを知りません。

 しかもテレビではこうしたら美しくなったと、美形を強調し、きれいでないと人間でないと思わせるような番組さえもあります。

 書店棚にはダイエットの本、長寿の本が並べられ、まるで世の中が体について強迫観念に満ちているようです。それは女性だけでなく、少年少女たちや青年・成人男子、高齢者までも広がりつつあるように思います。

 今朝から思い切り自分の体に感謝し、しびれを感じたら直ぐ、神様いのちをありがとうございます。左足を感謝します!そう告白し、どうですか?と問われたら、左足がと言わないように気をつけようと思います。と言いながらブログに書いてしまいましたが・・・・。

創世記 1:31

そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。

見よ。それは非常によかった。



テサロニケ人への第一の手紙

5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

生駒聖書学院第一期生、長曽我部聡(88歳)牧師が天へ召されました

2012-09-29 15:01:50 | Weblog
生駒聖書学院4は、1929年(昭和4年)創立。第二次世界大戦(1961年)より1955年戦後再開です。

 戦後第一期生の大和高田キリスト教会・長曽我部聡(88歳)牧師が天へ召されたとの知らせがありました。

1924年7月28日生まれですから88歳になられます。その名のとおり四国愛媛県生まれです。長い療養生活でしたが、昨夜愛する家族の賛美の歌声に包まれて静かに、天国へと召されていかれました。

 主の聖徒の死は、主の目(御前において)尊い(詩篇116:15)

 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」(黙示録14:13)

 生駒聖書学院卒業後、京都救霊会館牧師となり、クート師召後、生駒聖書学院舎監になり試練の生駒聖書学院を乗り切り、若い院長を背後で支えてくれました。

 舎監であると同時に、奈良県大和高田市・高田キリスト教会牧師としての伝道牧会をなさり、年願の新教会堂を建設し、生駒市より大和高田市へ移られました。

 明日午後7時に前夜式、10月1日(月)午前10時半召天式を、教会牧師と愛娘家族より依頼され、尊い大先輩をお送りする重責を担うことになりました。

 明日大阪エリムキリスト教会礼拝後、一度帰宅して大和高田キリスト教会斎場へ向かいます。どうか、ご家族と教会員の平安と慰めを「お祈りください。

テモテへの第二の手紙

4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。

4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、

4:4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。

4:5 しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。

4:6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。

4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

病める者の祈り

2012-09-29 09:01:55 | Weblog
生まれからずっと健康に恵まれ、58歳の時初めて左脳内出血になり、東京で一ヶ月余の入院、脳内出血の痕跡もないほどに癒され、元気いっぱいに70歳まで動き続けてきました。

 何度も書き続けたように、7月22日の夜今度は右脳内出血になり、運転中だったので交通事故まで起こしてしまいました。

 救急命救急室で手当てを受け、幸い交通事故の影響は全くなく、右脳内出血治療で三日後(初診は7~10日)には一般病棟に移され、さらにリハビリ病院に転院。

一ケ月後には完治を告知され、退院する恵みが与えられ、9月2日の71歳の誕生日には、礼拝説教、3日は生駒聖書学院2学期始業式説教もできるようになり、あっという間に9月が終わろうとしています。

 10月末には熊本まで講演会。11月3日(祭)には沖縄へ1泊返りで新しい教会献堂式説教で出かける予定です。

 送られてきた機関紙に、病者の祈りという文章があり、そのまま引用してみます。



大事を成そうとして、力を与えてほしいと神にもとめたのに

     慎み深く 従順であるように 弱さを授かった

より偉大なことができるように 健康を求めたのに

     より良きことができるようにと 病弱を与えられた

幸せになろうとして 富を求めたのに

     賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして 権力を求めたのに

     神の前にゆざまずくようにと 弱さを授かった

人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに

     あらゆるものを喜べるように 生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが

     願いはすべて聞き届けられた

神の意にそわない者であるにもかかわらず

     心の中の言い表わせない祈りは すべてかなえられた

私はあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されたのだ

「この詩はニューヨーク・リハビリ病院の壁に、患者が貼った詩だそうです」

ローマ人への手紙

8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。

8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。

8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。

8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。

8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

8:24 私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。

8:25 もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。


右脳内出血!四名の専門医者もおどろくような完治の幸い

2012-09-28 09:21:09 | Weblog
昨日は、思いがけずに脳内外科の専門医に診てもらう時間が与えられました。

 7月22日に脳内出血と交通事故とダブルで、救急車で堺市の馬場記念病院救急室へ運ばれました。

 自動車は形がないほどに壊れましたが、幸い対人・対物事故は一つもなく、車はひっくり返り、運転していた頭も下向きになっていました。

 そんなひどい状態の車でしたが、運転していたのにかすり傷一つなく守られました。

 救急室では7~10日の絶対安静で、右脳内出血が治っても左半身不随になるかもとの初診でした。

 幸い3日目には一般病棟に移り、歩くこともでき食事も普通に食べれるようになりました。二週間めにはペガサスリハビリ病院へ転院、理学療法士によりリハビリを受けました。

 事故一カ月目の8月23日のCT検査の結果、主治医から完治を告知され、翌24日リハビリ病院主治医からも完治を告知され、退院できました。

 退院後、近くの内科主治医も右脳内出血で一ヶ月で退院はすごいと完治を喜ばれました。

 それから一ヶ月、ずっと左足にしびれがあり、完治しているのにという思いもありました。

 昨日、脳外科専門医に2時間余、ていねいな問診、医師自らの治療、さらに突然でしたがMRI検査までしてもらいました。

 右脳内出血の完治を再確認してくださり、奇跡ですよとのことばをいただきました。これで四名の医者にそれぞれ完治を告知され、主の完全ないやしの恵みが与えられました。

 お祈りをありがとうございます。年内安静を言われており、ゆっくりする幸いを感謝します。

 生駒聖書学院日常業務や、エリムキリスト教会礼拝等は、今まで通り継続中です。

 来月は熊本県での講演会。11月3日は、沖縄県で新しい教会の献堂式メッセージで一泊します。

 11月23日(祭)午後1時半より恒例の天国聖会です。

幸せな生きかた!幸せな死に方について、

白方誠彌先生(元淀川キリスト教病院院長、現在、湯川胃腸病院理事。現役の脳内外科医師としても活躍中)が、医学的にも分かりやすくお話しくださいます。

白方先生は宮崎県出身で、大阪・宮崎県人会会長としてもご活躍です。

コリント人への第二の手紙

4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。





喜びに敏感になって見よう

2012-09-27 08:09:42 | Weblog
喜びの感度が高いと、悲しみの数よりはるかに多くの喜びが、人生には用意されています。

 ピリピ人への手紙はわずか4章、7ページだけの短い聖書です。喜びの手紙と呼ばれています。著者のパウロは、手紙を書いたときローマの牢獄に捕えられていました。

 毎日24時間、4名の兵士たちに四時間交代でが四六時中、見張られている状態でした。

 そんな中でこの手紙には、喜びのことばが24回も記されています。

1:3 私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、

1:4 あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、

2:17 たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。

2:18 あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。


 その最大の理由は、「 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」の一言に集約されています。

 主イエス・キリストにあってです。


 信じる喜びを持つと、喜びを敏感に感じ取る能力が用意され、試練や病の時にも喜びを見出し、感謝と幸せに満たされるのです。

明るく喜びながら生きる驚くべきパワーを体験なさってください。


できるだけ喜びを見つけて見ましょう。陽気な心は健康を良くすると聖書にあります。

周りの人々に好意的に接しましょう。回りの人々はみんなあなたの味方です。

他人の失敗や失礼さに、できるだけ寛大になりましょう。

ピリピ人への手紙4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。


実際にそうなるために、

一日10回は大きく笑いましょう。

一日10回は人をほめましょう。

一日10回は、具体的にありがとうございますと、感謝のことば語りましょう。

 
 そうすることで毎日は、今日もまた天国の一日になります。夜の休む前には、心から

ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。で熟睡です。

ピリピ人へのの手紙

4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

祈りは、とてつもない力を秘めている

2012-09-26 09:33:19 | Weblog
アメリカでは、毎年200万名入院患者があるそうです。保険治療のない国ですから、入院するときは大変です。

 今朝来られた講師の方の話ですが、アメリカではホームレスになると病気になればそれで終わりだそうです。だから前回アメリカへ行った時、出会ったホームレスの男性は、病気にならないことだけを気をつけなければと話していたそうです。

 200万人中、20万人者人たちが、薬の副作用などで入院当初はかかっていなかった病気で死ぬそうです。この数は、交通事故による死亡者数の8倍も多いのだそうです。

 先進医療のアメリカのデータだそうですが、日本にはまだそのようなデータはないようですが、余り変わらない現実化もと思いました。

 と言っても医学を否定したり病院や薬を非難するわけではありません。何しろ7月22日の脳内出血と交通事故で、救急車により脳内外科のある救命治療を10分もしないうちに手当てされたので、8月23日のCT検査では、脳内出血は完全に治ったのです。

 でも同時に、医学の手当てと同時に、多くの祈りがあったことです。自分でも祈りました。助けてください!と言う短い祈りでした。ありがとうございました。治りましたと宣言しても、何の自覚も変化もない祈りでした。ただひたすらに本音で「アーメン、癒してください」と祈っただけです。

 同時に事故のことを知った家族や、教会員や神学生、それから巡回予定の教会や、伝え聞いた教会やクリスチャンたちが祈ってくださいました。

 もちろん、主治医や看護師、理学療法士やスタッフの方々も、直るよう最善を尽くしてくれました。

 考えられないよいうに完治するという恵みで退院し、2ヶ月目を迎えております。無茶をしてはいけないし、ゆっくりと回復期を安静に過ごすことも大切です。

 アーメン。ありがとうございます。完全に癒されました!感謝しますと告白し続けの日々です。

 アメリカでははハーバード大学、コロンビア大学などの権威ある大学が、新しい分野で祈りの治療効果を医学的に研究しているそうです。すでに、その研究例は1200例を越えているそうです。

 学問的成果はいざ知らず、祈れば聞かれることは長い牧師生活では、多くの体験を重ねてきました。

 その体験例を上げれば、書ききれないほどになるでしょう。何よりも、自分自身の体験が、その実例です。人は必ず死にます。それを免れる人はありません。

 同時にいのちある限り、健やかに行きることも恵みです。たとえ病んでも、平安に守られ永遠のいのちを受けて、天国に召されることも幸いです。

ヨハネの福音書

3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。



14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。


いつまでも消えない、心に残る愛のことば

2012-09-25 09:37:01 | Weblog
さりげない一つのことばが、心に響くことがある毎日です。今朝ブログを書き終わりボタン一つで消えてしまいました。

 毎日、聞く否定的なことばややマイナスことばが、さあっと消えてしまえば、どんなにか心は自由に生きれるだろうかなどと考え、からし種の話を書こうとしたら、本棚に「コトバのチカラ」と言うタイトルが見えました。

 聖書のことばに生かされ続けた人生。心に残ることばを記します。

恵みは朝ごとに新しい!

この日は主が造られた。この日を楽しみ喜ぼう

その人は何をしても栄える

わが魂よ。主をほめよ。

心の貧しい人は幸いです。

心のきよい者は幸いです。

自分を愛するように、隣人を愛しなさい。

悪口を言われるときは、幸いです。

いつも喜びなさい。

すべてのことに感謝しなさい。

口に出てくることばは聖書のことばだけです。

最後に愛についてのことばを、コリント人への第一の手紙13章から引用します。

新共同訳:

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

愛は決して滅びない。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

口語訳;

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

新改訳;

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。

不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。



からし種のように!

2012-09-25 05:20:49 | Weblog
マタイの福音書

13:31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、

13:32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」

カボチャの種を蒔く

2012-09-24 08:07:41 | Weblog
種子島では田舎の田舎で育ちました。家は農家でしたが、小学五年生のとき、庭の外れにかぼちゃの種を蒔きました。

 しばらくすると芽が出て、ぐんぐん蔓が伸び黄色の花が咲きました。

 教えられたとおりめしべとおしべで実を結ぶようにすると、実が次々とできました。土手かぼちゃの三番なりと言いますが、ごろごろ大きな実を結び続きました。

 一つは種を蒔いたからです。

 もう一つは種の落ちた土地が、よく肥えていてかぼちゃの生育に良かったからです。

 三つ目は、雑草を取ったり実を結ぶように世話をしたからです。

 人生も同じだと思います。蒔いたものを刈り取る、特にマイナスの種を蒔くと、放っておいても否定的な結果を生じてしまいます。訳に立たない結果を刈り取ることになります。

 しかし、前向きに良い種を蒔き、世話をするなら考えられないような祝福を与えられます。

 聖書には種まきのたとえがたくさん記されています。良い土地に落ちた種が、よい地に蒔かれると、100倍の実を結ぶと教えられています。

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」(ガラテヤ6:7-9)

 イエス・キリストの十字架の救いは、人類のすべてのマイナスの種(特に原罪)のすべてを、十字架によって取り除いてくださったということです。

 信じるまでどんなに悪い種を蒔いていても、その刈り取りをイエス様が全部してくださったというすばらしいニュースがあるのです。

 アーメンとそのことを信じる時、罪が赦され神の子とされ、良い種だけを蒔く幸いが与えられるのです。

 カボチャ料理を食べながら、種子島でカボチャを育てたことを思い出したので・・・・。

コリント人への第二の手紙

9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。

9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。

マルコの福音書

4:20 良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」

4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、

4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。

4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。

4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」





脳内出血、退院一ヶ月の朝

2012-09-23 03:08:47 | Weblog
今朝は退院一ヶ月になり、第四日曜日で富雄キリスト教会礼拝です。

 すべてが益になると題して、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)より説教です。。


 生きた過去はすべてが明日を行きて行くための力となると、聖書は力強く宣言しています。

 どんな過酷な状況であれ、神のなさることはみな時にかなって美しい!

 事故からちょうど2ヶ月目の朝、どんな過酷な状況においても、朝に期待をかける心(気持ちと信仰)を持ち続けています。

哀歌3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。

3:24 主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。

3:25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。



詩篇118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。

118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。

118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。

118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。



 喜びの感度が高い人には、悲しみの数よりはるかに多くの喜びが用意されています。そしてまた喜びを敏感に感じ取る能力が与えられ続けます。苦しみの中にも喜びを見いだす力を私たちは持っています。

 不思議に試練や病の中に喜びや幸せや、すべてのことに感謝する心を聖霊は与えてくださいます。



神を愛する人々とは、神のご計画に従って召された人々のことです。

ローマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

ヘブル13:5「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」

祈りは聞かれます。

8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。



8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。

8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。



8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。



 圧倒的な勝利者としての人生があり、それを信じる時不思議なことが起こり始めます。

8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。



 何事があろうとも、確信の人生を生きる平安が与えられるのです。アーメン!



8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。