牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

感謝の歌

2018-09-30 07:11:00 | Weblog
全地よ。
主に向って喜びの声を上げよ。
喜びを持って主に仕えよ。
喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。主こそ神。
主が、私たちを造られた。
私たちは主のもの。主の民。その牧場の羊。
感謝しつつ、主の門に
賛美しつつ、その大庭に入れ。
詩篇100篇 感謝の歌

1853年、ペリーがに来航。江戸湾上で日曜日の礼拝が行われた。
艦上で牧師が開いて読んだのは、詩篇100篇でした。
この聖書通り、日本が主の民、その牧場の羊となる日を祈る朝です。
北海道から沖縄まで、十字架列島となることを祈りましょう。
日本の地は茫漠として何もないように見えても、神の霊=聖霊がその上を動き働いているのです。
天地創造の時もそうでした。変化が起ったのは。神が光りあれと、ことばを出したとき。愛と調和の創造が始まりました。
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。すべての者は、ことばによって造られた。ことばによらずできたものは一つもなかった(ヨハネ1:1-3)
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります(ヘブル3:11)
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。天国ことばで、良いものだけを創造する、楽しい喜びの日になるよう、祝福を祈ります。アーメン。

全地よ!

2018-09-30 06:34:23 | Weblog
詩篇100篇
感謝の賛歌

全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。

救いとは

2018-09-29 09:09:20 | Weblog
救いについて(Ⅰ)

救いとは何か=救いとは助け出すという意味。
救われた人は、死の危機に直面し、その危機を見て救いに行き、その救い手が、その人を危機を救ったので、その人は救われた。聖書には、救う、救われた、救い主とある。
救いの必要
1.人間には罪=原罪があるという事実。すべての人間は、生まれながらに罪の性質を持って生まれる。その罪の性質が、罪の臣、言葉、行いとなって出てくる。
ローマ書5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。
5:18 こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。
5:19 すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。
6:16 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。
8:5-8 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。
エペソ書2:1-3 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
参照=創世記6:16,Ⅱコリント4:3-4,イザヤ53:6,エレミヤ17:9,マルコ7:20-23,ローマ1:21-23.
以上の聖書の言葉から、
人間は罪人であり救いが必要
滅びる者であり、救い出される必要がある。
罪があるので、赦される必要。
霊的には死んでおり、いのちが必要。
罪の奴隷であり、解放が必要。
しかも自分で自分を救うことが出来ない。

2.神は義である。
神は義であり、聖であるので、必ず罪を罰する。
出エジプト記 34:7 罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。
ローマ書、6:23 罪から来る報酬は死です。
神は罪を憎み、すべての人に罪の対する死を宣告している。救いを受けずⅡ、罪をも死ぬと、永遠の刑罰をうけるので、人間はみな救われないといけない。

ヨハネ8:24それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」
黙示録21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。

聖なる山に

2018-09-29 07:38:27 | Weblog
詩篇99篇

主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。
主はシオンにおいて、大いなる方。主はすべての国々の民の上に高くいます。
国々の民よ。大いなる、おそれおおい御名をほめたたえよ。主は聖である。
王の力は、さばきを愛する。あなたは公正を堅く立てられた。あなたは、ヤコブの中で、さばきと正義を行なわれた。
われらの神、主をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖である。
モーセとアロンは主の祭司の中に、サムエルは御名を呼ぶ者の中にいた。彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた。
主は、雲の柱から、彼らに語られた。彼らは、主のさとしと、彼らに賜わったおきてとを守った。
われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。
われらの神、主をあがめよ。その聖なる山に向かって、ひれ伏せ。われらの神、主は聖である。

台風接近中

2018-09-28 18:24:18 | Weblog
近畿、東海は30日(日)午後。
台風の北上に伴い、前線も北上するため、29日(土)は局地的に激しい雨や雷雨となるでしょう。台風が接近する30日(日)は大荒れです。広い範囲で台風の暴風域に入り、台風本体の活発な雨雲がかかるでしょう。水しぶきで視界が悪くなるほどの非常に激しい雨の降る所がありそうです。
穏やかな一日でした。
牧師来訪でカロリーの低い弁当を近鉄に買いに行き、いっしょの食べた昼。
今週は日曜日から、毎日7000歩以上の歩行。今日は万歩計を見たら8000歩を越えていた。台風接近に備えて、コスモス満開の鉢十個をローカに入れた。
祈りと感謝の夕べです。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日。平安と守りを祈ります。感謝です。アーメン。

新生3原則

2018-09-28 07:47:14 | Weblog
生まれ変わりの3つの原則
1. 神のことばをアーメンと信じる
ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
子の箇所の水は、洗礼を受けるから生まれ変わるという意味でHなく、水は神のことばを意味します。洗礼は信じた人が受けます。
Ⅰペテロ1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
ヤコブ1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。

2.聖霊による新生
霊は聖霊で三位一体の神のこと。
アーメンと信じるのは、聖霊によってイエス・キリストを主として受け入れる恵み。
1コリント12:3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
テトス3:5 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
ローマ書
8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

3.イエス。キリストの十字架の犠牲をアーメンと信じるだけ。
ヨハネ3:14—15 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。
イエス・キリストを信じる時、神のことばと聖霊の助けが与えられ、新生という奇跡が起り、神の国に生まれ変わる幸。
いつ生まれ変わるのか。
それは瞬間的な経験です。
どんな罪人でも、十字架のキリストをアーメンと信じると救われる。
エペソ2:8-9 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
Ⅱコリント6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

1957年11月24日の礼拝で、救いのメッセージを聞き、信じる決心をし、その日の午後、西之表キリスト教会そばの海岸でバプテスマを受けてクリスチャンに。
雪よりも白く参照。
話が終わると、牧師は賛美歌を選び、「この歌を賛美している間に、信じる人は手を上げてください」と招きました。心に戦いがありました。きれいな心になりたい、屋久島の雪よりもと思いつつ、自分の人生は自分で生きなければ意味がないという葛藤がありました。賛美歌が終わりまで歌われ、手を上げるチャンスを失してしまいました。「もう一度1番だけ歌いますので、手を上げてください」との優しい牧師の声が響きました。
十字架の血に 清めぬれば
来よとの御声を 我(われ)は聞けり
主よ我は 今ぞ行く
十字架の血にて 清め給え (讃美歌515番)
思い切って手を上げました。「イエス様、私の心にお迎えします。お入りください。信じます。アーメン」。その日から、イエス・キリストはいつも私と共におられます。
主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」(ヘブル13:5〜6)
その日からすでに60年、クリスチャンとして歩んでいます。しかも「信じます」と言ったその日の午後に、教会の近くの海岸でバプテスマを受けたのです。
「あなたは天地の造り主、生ける真の神のみを信じますか」
「アーメン」
「あなたは、神の御子イエス・キリストの十字架の贖(あがな)いによって救われていることを確信しますか」
「アーメン」
「あなたは、自分の最善を尽くして、教会の礼拝を守り、教会員としての務めを果たし、証しの生活をすることを願いますか」
「アーメン」



新しい歌を

2018-09-28 05:43:39 | Weblog
詩篇98篇

新しい歌を主に歌え。主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。
主は御救いを知らしめ、その義を国々の前に現わされた。
主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。
全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。
立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。立琴と歌の調べに合わせて。
ラッパと角笛の音に合わせて、主である王の御前で喜び叫べ。
海と、それに満ちているもの。世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。
もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって主の御前で喜び歌
確かに、主は地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、公正をもって国々の民を、さばかれる。

生まれ変わり

2018-09-27 05:54:27 | Weblog
新生=生まれ変わり
ヨハネの福音書3:1-7
さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
イエス様は、神の国を見、入る為には、生まれ変わることが必要だと教えました。生まれ変わりについて学びます。
A.本当の生まれ変わりとは何か。
それは霊的な変化。
・人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません(ヨハネ3:5)
・人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません(ヨハネ3:8)
御霊によって生まれると言うことは、神によってのみ、なされる事実です。
ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

B.なぜ人は生まれ変わる必要があるのか。
1.生まれながらの人は、神に対して霊的に死んでいるので、神との親しい交わりを失っているので、神の国に生まれ変わる必要がある。
肉とは、人が生まれたときから受け継いでいる罪の性質=原罪を指します。この罪はアダムから全人類に及びました。
ローマ書5:12 「そういうわけで、ちょうどひとりの人=アダムによって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです」 
それは、神に反抗し、神の律法に服従せず、神を喜だからこばすことのできない性質である。
教育も哲学も道徳も、宗教ででさえ、その肉の性質=原罪は神に敵対し、神を喜ばすことはできない。
だから、真の新生でないのは、家系や人の強制や、肉体的決断や社会的変化や、環境を変えたり悪習慣を捨てることでもなく、宗教を持つことでもない。
ところが、霊的に誕生すると、神のことを知る霊的能力が与えられます。
それは、人間としての能力が誕生によって与えられたように、霊的に生まれ変わると、霊的な性質が与えられ、神のことを知り、神の愛を分かり、神に感謝し喜ぶ、霊的能力を持てるようになる。
神の国に入るには、生まれ変わることが必要である。霊的新生によって、神の国に誕生したので、国籍は天なのだ。
ローマ書14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
生まれ変わるというギリシャ語は、上から生まれると言う意味がある。日本に生まれたから日本人として国籍があるように、イエス・キリストをアーメンと信じる時、聖霊によって神の子として生まれ、天に国籍を持つ天国人となる。ハレルヤ!
ローマ書8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
だから、霊的いのちを持たないと、肉体は生きていても、霊的には、自分の罪と咎とのな中に死んでいる者であり、イエス・キリストをアーメンと信じ、神との関係に生きることができる。
ヨハネの福音書5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
5:25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。
Ⅰヨハネ5:12 御子=イエス・キリストを持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
Ⅱコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

ハレルヤ!インマヌエル。マラナ・タ。アーメン。

愛する者たちよ

2018-09-27 05:51:06 | Weblog
詩篇97篇

主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。
雲と暗やみが主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。
火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす。
主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。
山々は主の御前に、ろうのように溶けた。全地の主の御前に。
天は主の義を告げ、すべての国々の民は主の栄光を見る。
偶像に仕える者、むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。すべての神々よ。主にひれ伏せ。
シオンは聞いて、喜び、ユダの娘たちも、こおどりしました。主よ。あなたのさばきのために。
まことに主よ。あなたは全地の上に、すぐれて高い方。すべての神々をはるかに抜いて、高きにおられます。
主を愛する者たちよ。悪を憎め。主は聖徒たちのいのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。
光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。
正しい者たち。主にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ。
しへn

新しい歌を

2018-09-26 05:01:18 | Weblog
詩篇96篇

新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。
主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。
主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざを、すべての国々の民の中で。
まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。
まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。
尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。
国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。
御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭にはいれ。
聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。
国々の中で言え。「主は王である。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。」
天は喜び、地は、こおどりし、海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。
野とその中にあるものはみな、喜び勇め。そのとき、森の木々もみな、主の御前で、喜び歌おう。
確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。