牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

関空自動車道を二度も走る

2006-03-31 08:42:18 | Weblog
 昨夜、関西空港に出かけました。ラッシュを抜けてやっと関空道路に出て、1,500円を支払い、駐車場に向ったつもりが、帰りの関空道路に出てしまいました。
 Uターンすることもできず、もう一度渡り直し徴収の方も苦笑いで料金を受け取りました。
 うっかり?間違うことはたまたまありますが、関空では初めてのこと。

 阪神高速を通らず近畿自動車道経由で帰ろうと思い、気がつくと和歌山方面に向って走っていました。
 泉南で出てUターン。夜9時過ぎだったのでスイスイと10時前には帰宅でした。
 車にはカーナビもついていなくて、自分のいい加減な経験と感で走ってしまうので、ときどき?ミスしてしまうことがあります。

 まあ、車やそのほかのことでの少々にミスは修正が効きますが、こと永遠に関してはミスが効きません。

 すべての人は罪を犯し、神の栄光を受けられなくなています。そして罪の支払う報酬は永遠の死です。
 人は一度死ぬことと、死んだ後に裁かれる事が定まっています。

 死の後に、天国か地獄かの二つの道しかありません。死ねば終わりだとよく聞きますが、死ねば地獄か天国かのどちらかなのです。

 人間の潜在的な不安は、死んだ後に行くところが分かっていないからです。
 死んだら天国だといいますが、その保証はだれも持っていません。

 聖書は、イエス・キリストを信じると永遠のいのちを持ち天国に行けると保証しています。
 永遠のいのちとは、死後に与えられるいのちではなく、今、持っているので心でも永遠に生きることができるのです。

 罪の支払う報酬は永遠の死です。
 その罪の支払う刑罰を、イエス・キリストが十字架の上に引き受けてくださったので、全人類の上にあった罪の刑罰(地獄)を免れて、永遠の天国に行くことができるのです。
 「アーメン。信じます。アーメン」と、その十字架の事実を信じるなら、だれでも救われて天国に行けるのです。

 ヨハネ
14:1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
1
4:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」

14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

孫の守をする

2006-03-28 08:40:06 | Weblog
孫は可愛いとよく言われますが、昨日の朝から満1歳と8歳の二人が来ています。
 両親そろって、韓国で行われる教会研修会に出かけました。帰りは木曜日の夜なので、金曜日の朝までいます。
 1週間前に乳離れ下ばかりでしたが、離乳食をシッカリ食べるので家内は楽なようです。
 けれども良く動くまわるので目が離せません。何でも口に入れるので、子育てなさっているママたちは偉いですね。
 私はそばで見ているだけで、機嫌おの良いときにあやすくらいが関の山です。
 神様の愛は、父母の愛、祖父母の愛にはるかにまさるものです。命を捨てて愛してくださり、復活して永遠に愛してくださる、限りない愛、無制限の赦しの中に守られている幸いを、強く思います。
 その愛の神に信頼して、平安と感謝の日々を過ごしましょう。

エレミヤ
31:3 【主】は遠くから、私に現れた。
  「永遠の愛をもって、
  わたしはあなたを愛した。
  それゆえ、わたしはあなたに、
  誠実を尽くし続けた。
31:4 おとめイスラエルよ。
  わたしは再びあなたを建て直し、
  あなたは建て直される。
  再びあなたはタンバリンで身を飾り、
  喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。
31:5 再びあなたはサマリヤの山々に
  ぶどう畑を作り、
  植える者たちは植えて、
  その実を食べることができる。
31:6 エフライムの山では見張る者たちが、
  『さあ、シオンに上って、
  私たちの神、【主】のもとに行こう』と
  呼ばわる日が来るからだ。」

家内の誕生日に孫を

2006-03-27 07:14:35 | Weblog
家内の誕生日 2006年03月27日
 今日は家内の誕生日です。
 結婚したの23歳のときでしたが、子どもが生まれず医者に相談しら、手術をすれば五分五分生まれるかもしれないとのことでした。
 でもその頃は開拓伝道中で、手術の費用のめどもなく、神様に信頼して祈りました。
 結婚して五年目、生駒聖書学院チャペルにアメリカからの牧師を迎えての集会があり、家内はオルガン奏楽をしていました。
 説教が始まりしばらくすると話を途中でやめて、オルガンを弾いていた姉妹は前に来てくださいとのこと。
 そして、主人も前に出てください。何のことかといぶかりながら二人で前に進みました。
 「主は言われる。主はあなたがたに男の子を与える。心配しないで主に信頼しなさい」と、預言のことばを語ってくれたのです。
 私たちはそのことばを神様からのことばと信じて、すべての不安や恐れから解放されました。
 そのことばのとおり、それから数年たち結婚12年目を迎えたときに、男の子が生まれ、それから1年7ヵ月後には女の子も与えられました。
 息子は今、富雄キリスト教会牧師、生駒聖書学院教授として働いています。
 神のなさることはみなそのときにかなって美しい!ハレルヤ。

 その息子夫妻が韓国に出かけているので、今朝から孫の世話を金曜日の朝まで引き受けました。
 ちょうど1歳になったばかりなので、家内が出かける日には、ひとりで守りをすることになります。
 おしめをどうやってとりかえようかと、あたふたしています。子育ては家内に任せっぱなしで、何もしなかったので・・・。
 今夜は家内の誕生祝いですが、孫たちとケーキを食べるのを楽しみにしている、そんな朝のひと時です。

詩篇

128:1 幸いなことよ。すべて【主】を恐れ、
 主の道を歩む者は。
128:2 あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、
 幸福で、しあわせであろう。
128:3 あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、
 豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。
 あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、
 オリーブの木を囲む若木のようだ。
128:4 見よ。【主】を恐れる人は、
 確かに、このように祝福を受ける。
128:5 【主】はシオンからあなたを祝福される。
 あなたは、いのちの日の限り、
 エルサレムの繁栄を見よ。
128:6 あなたの子らの子たちを見よ。
 イスラエルの上に平和があるように。
 

人はうわべを見るが、主は心を見る

2006-03-26 09:31:44 | Weblog
出会いは第一印象で決まるとよく言われますが、そうでない場合も多くあります。

 サムエルと言う偉大な預言者が、新しいイスラエルの王を選ぶために、名門のエッサイの家を訪れました。

 7人の息子たちがその前に立ちました。長男エリアブを見た瞬間、その立派な体格、秀でた顔立ち、まさしくこの息子だと思いました。
 聖書をいんようすると・・・
 サムエル第一16:6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、【主】の前で油をそそがれる者だ」と思った。

 16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」

 上記のことばはすごく有名なことばですね。「人はうわべを見るが、主は心を見る」
 かっこよさだけを求める時代のように思います。しかし、人の見せ掛けだけにだまされてはいけません。
 7人の兄弟で誰一人選ばれていませんでした。
 末っ子のダビデはsの晴れの場にも呼ばれていません。
 野原で羊の番をしていました。
 彼が呼ばれて、その場にやってきたときの状況を聖書はこう書いています。

サムエル第一16:10 こうしてエッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「【主】はこの者たちを選んではおられない。」
16:11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れて来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」

16:12 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。【主】は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」
16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油をそそいだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。

 選ばれたダビデは、イスラエル黄金時代を築き上げた偉大な王となりました。
 今から3,000年前の出来事ですが、私たちも外見ばかり気にせず、真実の人生を生きて生きたいものです。
 
詩篇
119:9 どのようにして若い人は自分の道を
 きよく保てるでしょうか。
 あなたのことばに従ってそれを守ることです。
119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。
 どうか私が、あなたの仰せから
 迷い出ないようにしてください。
119:11 あなたに罪を犯さないため、
 私は、あなたのことばを心にたくわえました。
119:12 【主】よ。あなたは、ほむべき方。
 あなたのおきてを私に教えてください。
119:13 私は、このくちびるで、あなたの御口の決めたことをことごとく語り告げます。
119:14 私は、あなたのさとしの道を、
 どんな宝よりも、楽しんでいます。
119:15 私は、あなたの戒めに思いを潜め、
 あなたの道に私の目を留めます。
119:16 私は、あなたのおきてを喜びとし、
 あなたのことばを忘れません。


ご結婚おめでとう!

2006-03-25 09:33:18 | Weblog
大阪全日空ホテルで今日は結婚式司式です。ブライダルを頼まれることも覆いのですが、土曜、日曜、祭日と予定がギッシリの牧師ですので、教会員の結婚式中心の司式です。
 今日は、教会でピアノ奏楽を長年続けてきた中学校教師と会社員の結婚式。式後は川崎市に住みます。

 ホテルでの式は短いのが特徴です。今回はお二人の強い願いで、説教を少し長くすることになりました。
 結婚式の主役は花嫁です。長い話は大変ですが、二人のたっての願いに答え、同時に参列者にも長く感じないように話すつもりです。

 結婚式メッセージ

 愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。第一コリント13:4-7

 ご結婚おめでとうございます。またご両親はじめ、ご家族の皆様、ご参列の皆さま、おめでとうございます。

 神のことばは生きていて力があります。クリスチャンの結婚は、先ほど牧師の前で二人が愛を誓いました。聖書のことばにアーメンと言う誓約をし、二人はその父と母を離れて夫婦となりました。おめでとうございます。

 聖書のことばに愛について書かれた箇所がたくさんあります。その中でも有名な第一コリントの手紙13章をお読みしました。
 その中からいくつかのことを申し上げます。愛はいつまで決して絶えることはありません。いつまでも残るものは信仰、希望、愛です。その中でもっとも大いなるものは愛です。
 人間は愛がなければ生きて行くことができません。人間にとって生きることは愛することです。人の心の奥底にある願望は愛されたということです。愛される限りにおいて、人は人間として存在している実感を持つものです。
 お二人の結婚は決して二人だけの幸せだけではありません。愛し育ててくださったお互いの両親の愛の喜びであり、愛の実りなのです。おめでとうございます。

 結婚生活は愛されることだけをお互いに求めてはいけません。愛するとき愛されるのです。要求し合う関係からは、愛も温かさも生まれてきません。要求し合うだけだと、愛は塩の海のようになってしまいます。

 私はあなたを愛しますということばには、二つの意味があります。一つは、あなたが欲しい!あなたが必要だ!という意味だけの愛です。
 もう一つは、私はあなたを幸せにしたい!あなたのことを気遣っている!
 最初の愛はエロースの愛、自分のために何かよいものが欲しい、「愛は惜しみなく奪う」ということばが、それを上手に表現しています。奪うもの得るものがなくなったら、サヨウナラしてしまう愛です。
 しかし、もう一つの愛はアガペの愛です。その意味するところは、相手に何かよいものを与えたい!「愛は惜しみなく与える!」のです。今日結婚した二人には、またここのお集まりの皆さまには、アガペの愛が聖霊によって満ち溢れることを心からお祈りいたします。アーメン。

 そのような愛の模範をイエス・キリストは示してくださいました。
 「人がその友のために命をすてるという、これよりも大きな愛はだれももっていません」とイエス・キリストは教えました。キリスト教は愛の宗教だとよく言われます。その理由を少しお話させてください。

 私は種子島で生まれ育ちました。キリスト教ではなく、無神論で唯物主義者の家でした。
 高校生のとき、アメリカ人の宣教師の英会話クラスに出席、礼拝にも行くようになりましたが、日本語が話せない宣教師は、聖書を読むだけでした。箴言31;10
 神の愛を知りました。人間には罪があること、心が汚れていることも分かりました。どうしたら雪よりも白くなれるのだろう?
 イエス・キリストが十字架の上に死んだことを聞きました。それは自分の罪のためではなく、全人類を救うため、私を愛していのちをささげてくださったのです。
 罪も呪いも病も貧乏も、地獄の苦しみもすべてを引き受けてくださったのです。
 私を愛していのちを捨てた!驚きでした。感激でした。母や父の愛。友達の愛。
 その日に、アーメン信じますと、イエス・キリストを心に受け入れました。50年になります。それがキリスト教です。キリストを信じるとは、茂樹さんのプロポーズを美和さんが受け入れたのと同じです。そして今日の結婚式があるようにです。
 結婚式のこの日、ぜひイエス・キリストのプロポーズを受け入れて、アーメン信じますとお祈りくだされば幸いです。
 
 そのような十字架の愛を大家するとき結婚生活は豊かな愛に満たされたものとして継続され続けるのです。

愛はすべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
ふたりの結婚生活がその聖書のことばどおりに豊かなアガペの愛の実を結ばせることを確信します。

 ではアガペの愛をどのようにして与えるのでしょうか。

 愛は相手をあるがままで受け入れます。相手を受け入れることは、あらゆる人間関係の秘訣でもあります。お二人にとっては、これまでのお付き合いにまさってお互いを受け入れあうことになります。

 愛はまた相手をあるがままに理解します。どれくらい愛しているかを時計で計ることができると言われています。それはほんとうです。人は愛しているもの、興味のあることに時間を使います。人の心のあるところに時間もあります。明日は日曜日です。イエス様を愛するクリスチャンたちは、時間をささげて礼拝を守ります。

 愛は見つめています。愛するとき必ず愛するものを見ています。アイ・コンタクトは、愛のコンタクトです。お互いに気づきあいのある夫婦となってください。

 愛は長い耳を持っていると言われます。人間に一つの口と二つの耳があるのは、話すことの二倍、愛する者の話を聞くように、神様がしてくださったのです。

 愛はまた相手に何かを与えることを喜びとします。その最高の表現は、自分自身の心と身体を相手のために犠牲にすることです。イエス様は、「人がその友のためにいのちをすてるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」ヨ15:13と語り、十字架の上に私たちの身代わりとなってくださいました。

 伝道4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
4:10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
4:11 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

 その大きな愛により私たちは救われました。聖書はそのことを夫婦の関係にも適応しています。
妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。エペソ5:22-25

最後に、そのような愛によって結ばれたお二人に申し上げます。
どうぞ、お互いの成長と祝福のために、妻は夫に従ってください。夫は妻を愛してください。それが夫婦となったものへの神のみこころです。
毎日の挨拶と微笑を絶やさないで、与え合いましょう。ゴールデンルールを実行し合うすばらしい家庭を築いてください。

マタイ7:12「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」

7:1ルカ6:38「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです」
 
使徒20:35「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」
 

すばらしいし愛と幸せがお二人を通して、世界中に広がりよう期待し、祝福をお祈りします。アーメン。


おめでとうございます!

2006-03-24 06:15:53 | Weblog
おめでとうございます!のことばに囲まれている春3月です。

 合格おめでとう!
 卒業おめでとう!
 就職試験合格おめでとう!
 結婚おめでとう!
 伝道師就任おめでとう!
 牧師就任おめでとう!
 新居おめでとう!
 転任おめでつ!
 誕生日おめでとう!

 ありがとう!   
 感謝します!  
 恵まれています!

 とすなおに、おめでとうございます!に応答してくれる方々に取り囲まれている幸いな日々です。

 今週から孫二人の世話をすることになり、静かだった我が家が一週間ほどにぎやかになりそうです。

 孫語録でも書こうかな?と、考えています。

哀歌

3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。
 主のあわれみは尽きないからだ。
3:23 それは朝ごとに新しい。
 「あなたの真実は力強い。
3:24 【主】こそ、私の受ける分です」と
 私のたましいは言う。
 それゆえ、私は主を待ち望む。

3:25 【主】はいつくしみ深い。
 主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
3:26 【主】の救いを黙って待つのは良い。
3:27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
3:28 それを負わされたなら、
 ひとり黙ってすわっているがよい。
3:29 口をちりにつけよ。
 もしや希望があるかもしれない。
3:30 自分を打つ者に頬を与え、
 十分そしりを受けよ。
3:31 主は、いつまでも見放してはおられない。
3:32 たとい悩みを受けても、
 主は、その豊かな恵みによって、
 あわれんでくださる。
3:33 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、
 思っておられない。
3:34 地上のすべての捕らわれ人を足の下に踏みにじり、
3:35 人の権利を、いと高き方の前で曲げ、
3:36 人がそのさばきをゆがめることを、
 主は見ておられないだろうか。
3:37 主が命じたのでなければ、
 だれがこのようなことを語り、
 このようなことを起こしえようか。
3:38 わざわいも幸いも、
 いと高き方の御口から出るのではないか。
3:39 生きている人間は、なぜつぶやくのか。
 自分自身の罪のためにか。

3:40 私たちの道を尋ね調べて、
 【主】のみもとに立ち返ろう。
3:41 私たちの手をも心をも
 天におられる神に向けて上げよう。

朝早く岡山城や後楽園の周りを歩く

2006-03-23 23:01:21 | Weblog
昨日と今日、一泊で出かけた。昨日は朝早く車で姫路市まで。種子島の隣家にいた方が、姫路にいるので思い切って訪ねてみた。
 最後に会ってから50年目の再会。一学年下だったがほとんど話したこともなかったが、懐かしい思い出に話が尽きず、退職されたご主人とも楽しい会話のときだった。
 岡山では今日、アサエルの卒業生が牧師按手を受けて正式に、岡山第一キリスト教会の牧師として活躍するでしょう。

エペソ人への手紙

4:7私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。
4:8 そこで、こう言われています。
  「高い所に上られたとき、
  彼は多くの捕虜を引き連れ、
  人々に賜物を分け与えられた。」
4:9 ──この「上られた」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。
4:10 この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです──
4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

岡山へ

2006-03-22 05:40:48 | Weblog
今日と明日、姫路や岡山へ出かけます。明日、アサエル宣教聖書学院卒業生の牧師按手式があります。
 アサエル宣教聖書学院は1期生と2期生43名の卒業生で、終了した学院ですが、しっかりとみことばの基本を学んだ卒業生たちが、それぞれの地域で活躍していることは嬉しい限りです。
 これからの時代、目先の何なかやに踊らされることなく、聖書のことばをシッカリと信じ、聖霊に導かれながら地道に進む、キリストに従う方たちが祝福されるときです。
 新しい時代の到来が始まっています。期待しながら、神のことばは生きていて力があることを確信し、前進し続けたいものです。

箴言

3:1 わが子よ。私のおしえを忘れるな。
 私の命令を心に留めよ。
3:2 そうすれば、あなたに長い日と、
 いのちの年と平安が増し加えられる。
3:3 恵みとまことを捨ててはならない。
 それをあなたの首に結び、
 あなたの心の板に書きしるせ。
3:4 神と人との前に
 好意と聡明を得よ。
3:5 心を尽くして【主】に拠り頼め。
 自分の悟りにたよるな。
3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
3:7 自分を知恵のある者と思うな。
 【主】を恐れて、悪から離れよ。
3:8 それはあなたのからだを健康にし、
 あなたの骨に元気をつける。
3:9 あなたの財産とすべての収穫の初物で、
 【主】をあがめよ。
3:10 そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、
 あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。



すべてのことに感謝することを始めよう

2006-03-20 09:56:39 | Weblog
感謝のことばを口にしよう 

 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。第一テサロニケ5:17

 毎日の生活の中には、喜びや楽しみの日、悲しみや苦しみのとき、訓練や試練の日もある。それはクリスチャン生活でも同じである。エスカレーターで行くような順境の日、大嵐に直面するような逆境の中を腹ばいになって進むようなとき、進む気力も失い座り込んでしまうようなときもある。
 どのようなときにも進路を示す羅針盤を持つクリスチャンは幸いである。神のことばは生きていて力があり、みことばにアーメンと応答するとき、神の御業がそこからはじまるから不思議だ。
 8年前、左脳内出血で倒れ入院した。それまで病など一度も経験したことのない健康体に感謝していた。医学的には言語や右半身に障害が残るといわれた。
 「すべてのことに感謝しなさい」が生涯のモットーであり、カウンセリングや牧会上のアドバイスも、「これが、キリスト・イエスにあって神が望んでおられることです」であった。
 まさに神はそのことを望んでおられる。すべてのことだから左脳内出血での入院、リハビリ治療も真正面から感謝しますと受け止めることができた。
 心で感謝するだけでなく、口に出して感謝します。ありがとうございますと、素直に今日も感謝し続けている。
 幸せの証明は、使うことばと行動で決定する。神のことばは、生きていて力がある。その神のことばを昼も夜も口ずさむとき、その人は何をしても栄えると約束されている。
 すべてのことに感謝すると、感謝に満ちたことばが力になり、聖霊の力により、みことばの通りの状況が引き寄せられてくる。
 難しいことや苦しみに直面したら、「神様。ありがとう!感謝します!」と、心底から告白しよう。
 毎日の小さな出来事から、日本の福音化に至るまで、難しいとか仕方がないとかあきらめの言葉を捨てて、信仰のことばでももっとも強力なことば、「すべてのことに感謝します!」を合い言葉に、復活の主とともに輝きつつ、前進して行こう。

 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。
  ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。第二コリント4:15-16