隣人のバーベキューに「我慢の隣人のバーベキューに「我慢の限界きた」 押し倒し打撲負わせる限界きた」 押し倒し打撲負わせる

2018年07月16日 | 事件


隣人のバーベキューに「我慢の限界きた」 押し倒し打撲負わせる

7/16(月) 8:58配信 神戸新聞NEXT
隣人のバーベキューに「我慢の限界きた」 押し倒し打撲負わせる
兵庫県警兵庫署=神戸市兵庫区下沢通3
 隣人女性に軽傷を負わせたとして、兵庫県警兵庫署は15日、神戸市兵庫区のパートの女(39)を現行犯逮捕した。

【写真】ラーメン店対応に立腹、3時間居座る

 逮捕容疑は、同日午後7時15分すぎ、知人らと自宅でバーベキューをしていた女性につかみかかって押し倒し、首や腹部に打撲を負わせた疑い。同署の調べに、容疑を否認しているという。

 同署によると、女と隣人女性は以前から騒音問題などでトラブルがあった。女は「自宅から道路にはみ出してバーベキューをしていたことに、我慢の限界がきた」と話しているという。




模造刀と竹の棒で殴り合い そうじの仕方で“ご近所トラブル” 70代の男2人

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兵庫県警加古川署=加古川市平岡町新在家
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兵庫県警加古川署=加古川市平岡町新在家
 近隣に住む高齢者2人が模造刀と竹の棒で殴り合ったとして、兵庫県警加古川署は29日、加古川市内の無職の男(72)を暴力行為法違反の疑いで、隣人の無職の男(79)を暴行の疑いでそれぞれ現行犯逮捕した。同署の調べに2人は「そうじの仕方を巡り、以前から口論があった」などと話しているという。

 逮捕容疑は同日夕、79歳の男が住むアパートの階段で、近隣に住む72歳の男が模造刀(約70センチ)を相手に示し、殴りかかった疑い。79歳の男は竹の棒(約80センチ)で、相手の頭などを殴打した疑いが持たれている。同署によると、2人とも容疑を認めているという。




隣家を“ごみ屋敷”に 7トンのごみ積み上げる 容疑で74歳女逮捕

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兵庫県警神戸西署
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兵庫県警神戸西署
 集積所から持ち去った可燃ごみを近くの家に捨てたとして、神戸西署は29日、廃棄物処理法違反の疑いで、神戸市西区玉津町上池、無職の女(74)を逮捕した。同署によると、近くの民家の敷地内には約7トンのごみが積み上がっていたといい、関連を調べている。

 逮捕容疑は昨年8月10日午前5時50分ごろ、自宅近くのごみ集積所から、生ごみや紙など約4キロが入った可燃ごみ1袋を持ち去り、近隣の民家敷地内に投棄した疑い。女は「身に覚えがない」と容疑を否認しているという。

 同署は今月中旬、同じ民家の敷地内に積み上がっていたプラスチックや段ボールなどのごみ約7トンを不動産侵奪容疑で押収。数年にわたって女が置いた可能性があるとみて調べている。

 同署によると、女と民家の間にはトラブルがあり、女は家人に対する暴行罪で起訴されている。





マンション階下住民に…“砂かけ女” 5年前から暴言行為

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兵庫県警神戸北署=神戸市北区甲栄台3
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兵庫県警神戸北署=神戸市北区甲栄台3
 マンションのベランダから下の階に住む住民に砂をかけたなどとして、兵庫県警神戸北署は30日、暴行の疑いで、神戸市北区の無職の女(71)を逮捕した。

 逮捕容疑は30日夕、マンション2階の自宅のベランダから、1階に住む女性(48)に植木鉢の砂をかけた疑い。調べに対し「砂は投げつけたが、当ててはいない」と話しているという。

 同署によると、女は約5年前から、この女性に暴言を吐くなどの行為を繰り返し、ほかの周辺住民ともたびたびトラブルになっていたという。
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ザ・王道! トヨタ 5代目クラウンは先代の反省を活かした保守的デザイン

2018年07月16日 | モーターサイクルメーカーなど
ザ・王道! トヨタ 5代目クラウンは先代の反省を活かした保守的デザイン
7/16(月) 11:30配信 くるまのニュース
ザ・王道! トヨタ 5代目クラウンは先代の反省を活かした保守的デザイン
5代目クラウン、写真は4ドアセダン、当時の王道中の王道と言えるデザインを採用
4代目の反省を活かし、5代目は保守的なデザインに
 トヨタ クラウンの失敗作とも言われ、革新的なあまりセールスでは不調だった4代目の後である5代目は比較的保守的にまとめられました。

トヨタ 5代目クラウンの詳細を写真で見る(6枚)

 1974年10月、トヨタ 5代目クラウンが発売されました。この頃起こった象徴的な出来事といえば、読売巨人軍の長嶋茂雄が「我が巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残して引退した年として有名です。また、セブンイレブンの第1号店が東京・豊洲にできたのもこの年です。64年に及ぶ昭和もまもなく第4コーナーを曲がろうとしている、そんな時代です。

 高度経済成長を経て、劇的に変化していった日本ですが、クラウンに求めていたのは伝統的な落ち着きのある高級感でしょう。元々、国産初の高級乗用車として登場したクラウンは、世界に先駆けた先進的な技術を搭載しているクルマでした。

 しかし、先代の4代目クラウンでは、スピンドルシェープと呼ばれる挑戦的なデザインを採用した結果、保守的なデザインを好む層から敬遠されてしまい、ライバルである日産のセドリック/グロリアに販売台数で後塵を拝することになってしまったのです。

 そこで、5代目クラウンでは、当時の王道中の王道と言えるデザインを採用、「美しい日本のクラウン」というキャッチコピーとともに世に出されることになったのです。

ザ・王道! トヨタ 5代目クラウンは先代の反省を活かした保守的デザイン
5代目クラウン
風格と格調のニュークラウン、4ドアハードトップ登場
 5代目クラウンのカタログには、「あくまでもクラウンの格調を大切にしました」という言葉とともに「風格と格調。ニュークラウンをごらんになると、まさにその言葉がぴったりと当てはまります」と記されています。

 一方で、日本全体が豊かになってくると、富裕層の嗜好も多様化してきます。5代目クラウンでは、従来の4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、バンに加えて、4ドアピラードハードトップが追加されました。伝統的な高級車としての地位を残しておきつつ、時代に配慮したバリエーションを用意するのは、クラウンの伝統といえるでしょう。

 また、あえてモデルを増やすのではなく、クラウンファミリーとしてバリエーションを増やしていくところに、「クラウン」という名がいかに、ブランド力を持っていたかがうかがえます。

 モデルとしての性質は異なりますが、現在のポルシェでも、911というビッグネームの下に、数多くのバリエーションを持たせています。当時の国産車で、クラウンほどのブランド力を持っていたモデルはそれほど多くはなかったでしょう。


排ガス規制強化、時代の流れに翻弄されたモデル
 5代目クラウンは、消費者のニーズに合わせたクルマということもあり、順調な売れ行きを見せました。しかし、当時世界的に環境問題が深刻化していった時代でもあり、米国では通称マスキー法と呼ばれる厳しい自動車環境規制法が成立、トヨタを含む自動車メーカーが対応を迫られていました。

 日本でもその流れは進み、年々排出ガス規制が厳格化されていきました。同時代の多くのモデルがそうであったように、5代目クラウンも毎年のように年次改良を行い、規制へ対応していくことになります。

 エンジンの基本構造を変更するには多大なる時間と予算が必要となるため、対応部品を後付けすることで規制に対応する方法をとりましたが、そのたびに乗り味が変化するなど、時代の流れに翻弄されたモデルでした。

くるまのニュース編集部




これでクジラクラウンの販売不振を払拭した訳です。
私は、中古車屋の社長がいい人でヤナセから下取りに出たワンオーナーの良好なK230(グロリア4ドアハードトップ)を乗ってましたが父親が欲しいほしいとしつこいのでクレジット引き継ぎ条件であげて、父親のローレル(人気の前のモデル=BMWのエンジンを真似した4気筒モデル)を短期間乗っていた(これで女性とドライブした=佐藤さん上品なお嬢様だった)

このクラウンに対抗して日産は330セドグロを出した。L20エンジンを拡大した2800CCモデルのゴージャスな物を出して大好評だった(3ナンバーは憧れの的=金持ちのシンボル)このKP330=こんな型式だった記憶がある2800モデルを知り合いからバカ安現金払いで譲り受け引き取りに友人といったがすごいゴージャスだ~流石~~などと私を持ち上げていたが、速攻で長い付き合いの上記とは別中古車屋経営する社長に流した。
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迫る「超ソロ社会」…ひとりで死ぬのは宿命なのか?

2018年07月16日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備
孤独死は発見が遅れ腐乱死体となることが多いが、この場合異臭がする。

この「異臭とは、ほとんどのパーソンが嗅いだことはない」そこでアドバイスですが、、、腐乱死体の異臭は、大豆を茹でて放置すると腐りますが,この臭気と同じ様なきつい異臭がします(多めの大豆が必要)

お試しください。

海外では火葬しないで棺桶をセメントブロックなどで覆いますがヒビが入るなど工事が雑だと腐乱してきた遺体からの異臭が漂うことがあります。結構な周囲にまで異臭がするので分かります。

機会がありましたら墓場散歩してください。




迫る「超ソロ社会」…ひとりで死ぬのは宿命なのか?

7/16(月) 7:01配信 読売新聞(ヨミウリオンライン)
 遠くない将来、配偶者と離別・死別した人を含む独身者が国民の過半を占める「超ソロ社会」が到来するといわれている。独身生活に満足し「来世も独身で」と考える人が多いとする調査結果がある一方、孤独死の問題がクローズアップされ、独身者が「安心して最期を迎えられる」仕組みを作れるかどうかが日本社会の大きな課題にもなっている。そんな中、解決のヒントとなるような取り組みが全国で増えつつあるという。独りで迎える最期のあり方について研究している経済産業研究所の藤和彦氏に解説してもらった。

迫る「超ソロ社会」…ひとりで死ぬのは宿命なのか?
写真はイメージです
◆衝撃的な調査結果
 「5割以上の独身者は来世でも『おひとりさま』の人生を望んでいる」

 ――葬儀に関する総合情報サイト「いい葬儀」などを運営する鎌倉新書(東京)は今年6月、独身の40歳以上の男女の死生観に関する意識調査結果を公表した。それによると、実に52.5%の人が「現在の生活に満足している」ことを理由に、仮に来世があるとしても「配偶者なしでいい」と回答したという。

 2015年の国勢調査によると、生涯未婚率(50歳まで一度も結婚したことがない人の割合)は男性が約23%、女性は約14%に上昇した。これが35年にはそれぞれ約29%、約19%に伸びると予測されている(15年度版厚生労働白書)。

 さらに衝撃的だったのは、国立社会保障・人口問題研究所が12年に公表した「配偶関係別人口推計」である。

 この推計では、35年には15歳以上の全人口の半数近い約4800万人が独身者となり、65歳以上の高齢者人口(約3740万人)を上回るというのだ。

 ただ、独身とは未婚だけを指すのではない。配偶者と離別したり、死別したりして独身となるケースもあり、結婚した人も独身に戻る可能性が常につきまとう。つまり、結婚しているかどうかにかかわらず、誰しも「独りで生きる」ことを真剣に考えなければならない時代がやってくる、と言っても過言ではない。

 独身者がマジョリティー(多数派)になる社会は「超ソロ社会」と呼ばれている。そこでは「孤独死」する人の数が飛躍的に増加するのは言うまでもない。

 孤独死に対する社会的な関心が高まったのは、05年9月のNHKスペシャルのある番組が放映されたのがきっかけだったと筆者は記憶している。

 「ひとり 団地の一室で」と題されたその番組は、家族と別居していた男性が亡くなり、死後3か月経過して見つかったことなどを取り上げた。それから10年余りが経過し、冒頭の鎌倉新書の調査で「来世も配偶者なしでいい」と回答した独身者たちは、自らの「臨終」をどう考えているのだろうか。


◆「看取り難民」大量発生?
 現在、日本人の約8割が病院で亡くなっているが、厚生労働省は医療費を圧迫する病床数の削減を狙い、自宅で亡くなる「在宅死」の比率を上げようと躍起になっている。

 その環境を整えるため、厚労省は医療・介護・生活支援を一体的に提供できる「地域包括ケアシステム」の構築を進めている。ただ、人材・財源面の地域格差の問題や、医療と介護の連携の難しさなども指摘されている。仮にこの施策が「かけ声倒れ」に終わってしまえば、「死に場所」に困る国民であふれてしまう事態にもなりかねないと筆者は考えている。

 実際、当の厚労省も12年に「30年に約47万人の『看取(みとり)難民』が発生する」との試算を公表しているほどだ。

 日本では近世以降、「家(族)」が介護・看取りの中心的な役割を果たしてきた。江戸時代の医療技術は貧弱だったが、死を家族が皆で抱え込み、互いに慰め合うことで、病人は安らかな死を迎える(看取られる)ことができたのだ。

 しかし、「病院死」が当たり前になってしまった現代の日本では、かつてのような「看取り」の文化はもはや「絶滅の危機」にあるといっていいかもしれない。そこに「在宅」への流れを作るとなると、おひとりさまが増えている今では、看取り難民が心配されるのは当然ともいえる。だが、そんな中、一人ひとりが安心して旅立てるよう、各地で新しい取り組みが生まれている。

◆「近所の住人」が看取る社会に?
 在宅療養支援診療所「ケアタウン小平クリニック」(東京・小平市)は05年10月に開設された。医師は開設者の山崎章郎医師を含めて3人。半径3~4キロ圏内の患者の訪問診療を実施しているが、今では、山崎医師らが担当しているがん患者の在宅死の比率は「8割を超えるようになった」という。

 これには、山崎氏が当初想定していなかった「副次効果」も表れているという。在宅での看取りを経験した遺族が、今まさに臨終を迎えようとしている近所の人たちをサポートする動きが出てきているのだ。

 ケアタウン小平の取り組みを通して山崎氏は「血のつながりはなくても、近所の住人など、その人を取り囲む人が最期を見送ればよいのではないか。いざというときに傍らにいてほしい人のリスト(5人分)を準備しておけば大丈夫だ」と思うようになったという。

 そして、その山崎氏が推奨するのは「ホームホスピス」である。ホームホスピスとは、住宅地の中の空き家を改修し、終末期のがん患者や認知症で独り暮らしが困難になった人々が「終ついの棲家すみか」として共同生活を営む取り組みだ。


◆「ホームホスピス」という選択肢
 ホームホスピスは、1990年代後半に宮崎市で始まった取り組みが日本では最初といわれている。このホームホスピス「かあさんの家」は、活動を先導する市原美穂さんらが介護や食事などの支援を24時間対応で行っている。

 ホスピス内には、ありふれた家庭の日常の雰囲気が漂う。まさに「かあさんの家」だ。5人程度の、いわば「疑似家族」といえるものだ。

 同様の活動は全国に広がりつつある。2011年12月、ホームホスピスの質を維持する目的で、一般社団法人「全国ホームホスピス協会」が設立された。協会正会員となっている施設は全国に33(18年1月時点)あり、今後さらに増加する見込みという。

 介護施設とホームホスピスは、複数の高齢者が、同じ施設で生活するという点では同じだ。大きな違いは、ホームホスピスは生活支援だけでなく、人々が生活する中での看取りを前提にした「尊厳ある生と死」の実現までを目的としていることだといえよう。

 この取り組みは、地域の高齢者に対し、自宅でなくても、住み慣れた地域で安らかに最期を迎えられるという安心感を提供するだけではない。空き家を活用するため家主も家賃収入が得られ、支援スタッフなど新たな雇用を生み出すなどの地域経済のメリットも期待できる。

 前出の山崎氏は「(団塊の世代が後期高齢者となる)2025年問題や、その先に控える『多死社会』に向けた地域包括ケアシステムのモデルになる」としている。独りで最期を迎えることに少しでも不安を感じる人がいるなら、こういった取り組みに参画してみてもいいのではないか、と筆者も考えている。

迫る「超ソロ社会」…ひとりで死ぬのは宿命なのか?
写真はイメージです
◆変わる「埋葬」のカタチ……
そして、埋葬の世界も「激変」している。

 核家族化や少子化が進む現在、大都市を中心に墓地の継承者や縁故者が存在しない、いわゆる「無縁仏」が急増しているが、超ソロ社会の到来でこの問題がますます深刻化することが予想される。

 しかし、墓地が個人のものから「家」のものとなり、「先祖代々の墓地を守り続ける」という風習は明治時代以降に定着したものであり、旧来の伝統ではない、というのをご存じだろうか。弔う人のいない無縁仏などの問題の深刻化が予想される中、筆者が注目しているのは認定NPO法人「エンディングセンター」(東京・町田市)が進めている「桜葬」である。

 桜葬とは、桜をシンボルとした一種の樹木葬(墓石の代わりに樹木を墓標とする墓)だ。エンディングセンターは05年に東京都町田市の町田いずみ浄苑、11年に大阪府高槻市の神(か)峯(ぶ)山(さん)寺境内に桜葬ができる墓地を開設した。

 桜葬の特徴として
(1)骨を土に還(かえ)すという「自然志向」であること
(2)後継ぎを必要としない「非継承墓」で、かつ複数の墓が集まる「集合墓」であること
(3)会員制で、会員同士の生前の活動を重視し、家族に代わるサポートシステムを備えていること
 ――などが挙げられる。

 (3)は桜葬墓地から10分ぐらいのところに「もう一つの我が家」と名付けた一軒家を設け、会員がそれぞれ食材を持ち寄って料理したり、歌を歌って楽しんだりするイベントを定期的に開催。生前から「墓(はか)友(とも)」を作る活動を支援する、というものだ。

 晩年は家族に頼らず、自分の最期を自分で選んで決めなければならない――。そういった社会の到来に備え、理事長の井上治代氏は「今後、介護から看取り、葬儀などに関して、家族だけでなく、第三者と縁を結ぶことによる『相互扶助』も重要になってくる」と指摘する。


◆安心して死ぬための「結縁」
 ホームホスピスにエンディングセンターの取り組み。共通するキーワードは「血縁」ではなく「結縁(けつえん)」だ。

 超ソロ社会は、「困ったときに頼れるのは家族や親族ではなく、近くの他人」という社会、ともいえる。今後、血縁のないお年寄りが試行錯誤しながら助け合い、趣味サークルの後輩らが先輩を看取る、などといった「看取りの互助社会」が形成されていくことだろう。

 来世も「おひとりさま」人生を歩みたい、と考えている人が多いとする調査結果を冒頭で紹介した。「ホームホスピス」や「桜葬」などの例を参考にしつつ、超ソロ社会となっても、「幸せな最期」を迎えられるよう、自ら準備しておくことが肝要ではないだろうか。

◎藤 和彦( ふじ・かずひこ )
 経済産業研究所上席研究員。1960年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。通商産業省(現・経済産業省)入省。エネルギー、通商、中小企業振興政策など各分野に携わる。2003年に内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。16年から現職。著書に『石油を読む(第3版)』『原油暴落で変わる世界』ほか多数。

経済産業研究所上席研究員 藤和彦





kuy***** | 32分前
何が何でも生かそうとする医療のあり方から考えを改めないといけない気もする。

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返信16
mit***** | 1時間前
独りになることを覚悟して結婚、子育てしています。
迷惑もかけたくないので老後に誰かがいてくれたらラッキーぐらいにしか思ってないです。

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返信26
sit***** | 37分前
孤独死が当たり前になれば問題にならない

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返信18
yuj***** | 23分前
本人の意思を尊重した安楽死も必要だとおもう。

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pol***** | 38分前
最期は尊厳死施設で職員さんに見守られながら自分で死ぬ日を決めたいです。

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Levin111 | 32分前
医療の進化はいいことなのですが、副作用として高齢化が進み、結果的に孤独死みたいなのが増えますね。
いいことばかりではなく、難しい問題ですね。

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pla***** | 38分前
若いころは限りない未来が開けてるように思える、
しかし歳を取ると最期しか考えなくなる。
さびしいもんだ。

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返信6
gon | 33分前
何にもないから、自ら自分の人生を終わらせるかもしれない。期待しすぎては後々悲しいことばかり。なら、いっそのこと楽にあの世に旅立ちたい。

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返信1
まいにちめまい | 22分前
今からは孤独死ビジネスの時代。家族の代わりに最後を看取って葬儀までしてくれる。それが当たり前になる。

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返信1
cco***mkt | 23分前
ケアする者がケアされない現状の介護のまま5人に選ばれたらたまったもんじゃない。



hid***** | 11分前
お寺や、教会など宗教の力をあまりにも軽視している現在、
へんな宗教法人ができないように、審査を厳しくして、
まともな宗教法人だけが残るようにすれば、安心して、
宗教に頼れるようになる。また、檀家制度のようなものなら、
近隣で同じ教えを信仰する人同士が共同体をつくれ、看取り
の心配もなくなるだろう。
選択筋の一つにするためにも、厳格な宗教法人制度の運営を。

宗教法人に対する寄付も、特定NPOと同じように税額控除の
扱いができるようにするだけで、十分に選択筋の一つになり得る。

今は、宗教法人があまりにも経済的に疲弊していて、活動費を
捻出できないでいる。

年収を多く貰っているところへの寄付に税額控除のメリットを
与え、年収が少ない方に税額控除のメリットを与えない。

選択筋を増やすためにも、監視を厳しくし、宗教を活かして欲しい。

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返信0
sru***** | 7分前
全力全身チョーソロー

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痴漢冤罪は男性へのセクハラ | 37分前
人に迷惑をかけないよう、死んだときの準備を予めしておくべきだと思う。

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ツクツクボウシ | 56分前
孤独の中で死ぬなんて過酷

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awesome | 28分前
誰でも死ぬ時は一人だろうよ。 何を今更。
あと日本で墓なんか持たないほうがいいよ。 本人だけでなく延々と末代まで坊主に金取られる仕組みが日本の仏教(一部は違うが)葬式仏教なのだから。

私は死んだら海に散骨してもらうことだけは遺言に書いておこうと思う。迷惑をかけないということは、親族などになるべく余計な時間と金を使わせないことが一番有効なのだから。
気持ちだけ心にあればいつも一緒にいるのと同じ。 戒名だ何だかんだと騙されるのも、何回忌だとかでお布施を渡すのも、日本人はそろそろ終わりにしよう。

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返信0
gfdf | 12分前
誰でも一人で死ぬと思うのは俺だけの考え方?
老衰だろうと事故死だろうと
悪いが誰が看取ってるかなんて
最後はわからない!

だからそんなことは気にして生きていても
無駄!

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返信0
toraotoko | 25分前
バカだな来世なんせない
結婚しても最後に死んだら終わり
ひとりで生まれて死んでくだけ
余計な事を考えるから、みっともなくなるんだよね

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このコメントは非表示対象です。投稿内容に関する注意

ランバラル | 26分前
独り者は、手続き等手間が掛かるんだよ!だから、繋がりは持っておいて欲しい!愛人は駄目!だぞ!籍は入れて死んでくれ!

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返信0
警察検察裁判官は生ゴミ | 49分前
誰がこんな国にしたんだ?
私腹を肥やしてばかりいる国会議員だろ?

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フォード「マスタング」しぶとく残る車の真価

2018年07月16日 | モーターサイクルメーカーなど
むかし、某大手の中古車屋に居た頃、マスタングの旧車(マッハワンの初期型でシャーク顔した直6エンジン、赤い塗装がひび割れてた」のを珍し好き者のお客が買い。

それでドライブしてたら暴走族に取り囲まれて焦ったなどと話題になり皆で大笑いしたことが記憶にある。

エンジンからオイルが焦げた匂いがして「ヤバイ、」と感じた記憶も有る。

自分もバラクーダ、カマロ、シェビーバンと所有したことが有るが故障はなく(そんなに何年も乗らなかったが)エンジンオイルが焦げたヤバイ匂いなどしなかった(笑い)V8エンジンの鼓動は最高だった(アクセル踏みこむとガソリンゲージがガクンと減ることだけが心配だったが=苦笑)いい思い出。

現在は、海外生活でクルマはスズキの1000ccコンパクトCar。
たまにマスタング新車を見かける。音でv8マッスルエンジンと分かる迫力。ハマーH1好き者が乗っている。

道楽車種が最高楽しいね




フォード「マスタング」しぶとく残る車の真価
7/16(月) 6:00配信 東洋経済オンライン
フォード「マスタング」しぶとく残る車の真価
現行「マスタング」の第1号車(写真:Rebecca Cook/ロイター/アフロ)
 今年6月16日はフォード創業115年の記念日だった。流れ作業とベルトコンベア導入による自動車の大量生産に先鞭を付けた、自動車メーカーの元祖である。

【写真】初代マスタングと、それをそっくりまねたトヨタ「セリカ」など

 その由緒あるフォードで1947年(昭和22年)、つまり終戦の2年後に始まったピックアップの「Fシリーズ」を除き、最も長く続いている車名が「マスタング」だ。

■なぜ、マスタングだけが生き残れたのか

 今年4月の決算発表で、フォードはラインナップの90%をSUV含むライトトラックなどに移し、マスタングとこれから導入される「フォーカス アクティブ」を除いて乗用車開発から撤退すると発表した。

フォーカス アクティブは乗用車ベースとはいえ、日本車で言えばSUBARU(スバル)「XV」のようなSUVルック。「フォードが北米でセダンから撤退する裏事情」(5月4日配信)でも詳しく解説したように、年間21万台販売の「フュージョン」も、同16万台の「フォーカス」も消滅する中で、純然たる乗用車としては唯一マスタングが残る。

 マスタングの2017年の販売台数は約8万1000台と、この手のクルマとしては優秀だが、フュージョンやフォーカスと比べると絶対的なボリュームがあるワケではない。なぜ、マスタングだけが生き残れたのか。

 フォードが乗用車を大幅に削減する理由は1にも2にも、レンタカーなどへの販売が多く、かつ一般販売においても値引きが多く、収益性が低いことにある。レンタカー商売が少ないマスタングは、価格が高いこともあって収益性は悪くないはずだ。それを支えているのが、マスタングが1960年代からずっと、フォードのイメージリーダーカーであり続けていることだ。

 マスタングとは、アメリカ大陸にスペイン人が持ち込んだ小型の馬が野生化したものを指す。つまり野生馬だ。1965年に登場した初代フォードマスタングは、セダンのプラットフォームを流用し、安価に流麗なクーペスタイリングを提供する“ポニーカー”の草分けとなった。


ベースとなった「ファルコン」はお世辞にもカッコいいとは言いがたい野暮ったいスタイリングだった。これは1968年に6ライトのどちらかといえば野暮ったいセダンの「フローリアン」をベースに、流麗なクーペボディをまとったいすゞ自動車「117クーペ」が生まれたことに近い。

 それまで、5メートル近いセダンに強力なV8エンジンを積んだ“マッスル(筋肉)カー”というジャンルはあったのだが、フォードは、より軽快でベースのセダンとはまったく異なる外観のクーペという“ポニーカー“と呼ばれるジャンルをマスタングで創出した。ポニーは小型の馬の意味であり、マスタングという車名がポニーカーの語源となったものと思われる。

 リー・アイアコッカ指揮下のフォードで生み出されたこのクルマづくりの手法は、最盛期には年間60万台強という、今の日本市場で言えばホンダの年間総販売台数に匹敵する驚異的なセールスを記録した。

■日本車全体にも大きな影響を与える

 いすゞだけでなく日本車全体にも大きな影響を与え、トヨタ自動車はセダンの「カリーナ」とプラットフォームを共有させて1970年に「セリカ」を生み出した。さらに1973年に追加されたハッチバック仕様の「セリカ リフトバック」では、縦型が連なるテールランプデザインやCピラーのルーバーまで本家マスタングをそっくりまねたのは有名である。

 初代マスタングは1969年に大幅なスキンチェンジを経て、1973年まで続くが、このスキンチェンジの際に長く幅広くなり、全長は20センチメートルも延びて4.8メートルを超え、重量は300キログラム以上も増加する。結果、軽快なポニーカーのイメージから離れ、加速性能も悪化した結果、末期には販売は低迷する。

 その反省に鑑み、1973年9月には当時のアメ車で最も小さいサブコンパクトの「ピント」をベースとして、「マスタングⅡ」と呼ばれる全長4.5メートルを切るコンパクトな2代目が誕生し、初年度の販売台数は年間38万5000台まで回復した。


しかし、1979年登場の角型ヘッドランプの3代目、1994年の異形ヘッドランプの4代目と時を重ねるにつれ、人気は下降し、4代目は2000年を除いて販売が20万台を超えることはなかった。

 この頃、ライバルであるゼネラルモーターズ(GM)の「シボレー カマロ」や、「ポンティアック ファイヤーバード」が全長5メートル近いグラマラスな車体を維持したのに対して、マスタングは全長4.5~4.6メートルのサイズを維持して、むしろカマロやファイヤーバードよりも、急速に台数を拡大したトヨタ「セリカ」や、日産自動車の「フェアレディZ」などの日本製クーペ軍を迎撃するポジションを取るようになった。

 それゆえか、アメ車らしさを失い、この頃のマスタングは人気がない。フォードの対日本車シフトがさらに加速したのは1980年代後半で、この頃マツダとの協業が進んだフォードは、次期マスタングをマツダ「MX-6」(カペラ)ベースのFF(前輪駆動)にしようとしていた。

 さすがにV8エンジンを搭載できないFF車でマスタングを名乗ることに、社内でも反対論が出て、このFFクーペは「フォード プローブ」という別の名前で販売され、代わりに1978年登場の3代目マスタングが1993年まで延命されることになった(余談だがカペラと聞くと、アラン・ドロンがカペラ セ モン プレジール“Capella, C'est mon plaisir”/私の喜び)と言っていた当時のCMが筆者世代には懐かしく思い出されることと思う)。

 そんな紆余曲折はあったものの、マスタングは一度も途切れることはなく現代まで続いている。ライバルのカマロが2002年以降、2009年までの間に生産中止の憂き目に遭い、ファイヤーバードに至っては、2002年を最後に販売中止となり、揚げ句にポンティアックというブランドそのものが消滅してしまったのとは対照的だ。

 2005年登場の6代目マスタングはフォードの「リビングレジェンド戦略」に基づいて、初代のデザインを現代風にアレンジしたものとし、当時を知る熟年から、伝説として初代にあこがれていた若者まで取り込んでヒット商品となった。


これに影響されて、GMもマスタングの往年のライバルであったカマロを7年のブランク期間後に2009年に復活。クライスラーも2008年に「ダッジ チャレンジャー」を復活し、マスタング人気に対抗した。それほど6代目マスタングが業界に与えた影響は大きかった。

 かつては米国クーペ市場を席巻した日本車のクーペ軍であるトヨタ「セリカ」「スープラ」、日産「SX」(日本名シルビア)、ホンダ「プレリュード」「インテグラ」などが軒並み消滅してしまった後に、6代目マスタングは押し出しの効いたクーペスタイリングにハイパワーエンジンを押し込んだポニーカーの需要が現代にも根強いことを証明して見せた。

 とはいえ超高齢化社会の日本と違い、移民流入もあって先進国の中でも健全な人口構成の米国では、シニア世代だけを相手にしてもビジネスは成り立たない。日本では若者層狙いの商品企画は成立しづらいが、アメリカでは過去数十年つねに、「Gen-X(ジェネレーションX)」や、「Gen-Y(ジェネレーションY)」、最近ではミレニアル世代が消費動向の中心である。したがって“昔の名前で出ています”、だけでは商売が成り立つはずもなく、若者をターゲットにしたマーケティングにもしっかりと配慮している。

■若者層にも広くアピール

 まずGMが、2007年に始まった映画『トランスフォーマー』シリーズの準主役キャラのバンブルビーとしてカマロを提供。フォードはこれに対抗して2008年に映画『ナイトライダー』の準主役キャラの人工知能搭載のスーパーカー、ナイト2000役にマスタングを提供した。筆者の世代には懐かしい“ナイトライダー”の1980年代のオリジナルTVシリーズでは、マスタングのライバルであるGMのファイヤーバードが主役であり、当時、ナイト2000と同じ黒のファイヤーバードが全米で人気が出たほどであった。

 2008年の映画版ではマスタング(正確にはそのハイパワー版であるシェルビー GT500)に寝返ったのは面白い現象である。結果的に違和感があったのか、映画版『ナイトライダー』は『トランスフォーマー』のような成功には至らなかった。

 映画やTVに商品を登場させる手法はプロダクトプレースメントと言って、古くは『007』映画のAston Martinや、Omegaの時計、あるいはトヨタ 「2000GT」などで知られる。ただ、昔は映画製作陣が車やバイクが必要な際にいちいち購入していたのでは経費が嵩むので、メーカーに協賛を求め、メーカーが無償で商品を提供するというおおらかなものであったが、21世紀になってからは高額なスポンサー料とセットになるようになった。

大手の映画では、車両提供以外に10億円単位の費用を捻出しないと使ってもらえないようになっている。それでもわずか数十秒のTV広告に数億円を費やすより、何十分も映画の中でそのクルマが暴れまわるところを視聴者に刷り込みができる映画のプロダクトプレースメントは効果的で、2004年の『アイ、ロボット』のアウディなどは典型である。このプロダクトプレースメント手法も使って、マスタングやカマロは若者層にも広くアピールしている。

■ショーの目玉は初代マスタングへのオマージュ

 昨今、家電ショーであるCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)への自動車メーカーの出展が著しく、CESと同じ1月開催のデトロイトモーターショーがかなり圧迫されている。2018年のデトロイトショーに、地元フォードは目新しい新車は出さなかった。それでも記者会見だけは行ったのだが、その目玉がなんとマスタング・ブリットという深いグリーンメタリックに塗装されたマスタングの特装車であった。

 これは1968年にスティーブ・マックイーン主演のアクション映画『ブリット』に登場した初代マスタングへのオマージュである。会場には当時マックイーンが乗った初代マスタングを復元したクルマと、6代目マスタングベースのブリット特装車が並べて展示してあった。そう、マスタングこそは映画というメディアを通じて若者に訴求するプロダクトプレースメントの元祖でもあるのだ。

 マスタングとは、小型の野生馬を語源とすることは冒頭に述べたが、馬という品種は北米大陸発祥でありながら氷河期に北米の馬は一度絶滅したという説がある。マスタングは、乗用車の大量絶滅を乗り切って、唯一生き残る品種となった。かつてマスタングが戦った相手の日本産のクーペが、フェアレディZ以外はほとんど死滅したこともあり、これからもずっとマスタングには生き残ってほしいものだ。

森山 一雄 :自動車ライター
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国産新車のサンルーフ、絶滅寸前か 中国では「豪華さの象徴」 日本でなぜウケない?

2018年07月16日 | モーターサイクルメーカーなど
サンルーフは所有したことはないが、オープンカーなら「SP310初期型フェアレデイ、三菱ジープ(ジーゼル)、スーパーセブン。ホンダビート=これは非力で最低だった」等所有したが郊外ドライブは気持ちよく秋の紅葉季節は最高だった。

ニッポンの冬もヒータ使えば暖かくホロ無しで0kで爽快だった。




国産新車のサンルーフ、絶滅寸前か 中国では「豪華さの象徴」 日本でなぜウケない?

7/16(月) 6:20配信 くるまのニュース
国産新車のサンルーフ、絶滅寸前か 中国では「豪華さの象徴」 日本でなぜウケない?
1978年発売のホンダ初代「プレリュード」。日本初の電動サンルーフが設定された(画像:ホンダ)
力を入れていたホンダ、現在では2車種にあるのみ
 クルマのルーフ部分に装備される窓を「サンルーフ」といいます。言葉としては開閉式の窓を指し、メーカーや形状によっても様々な呼称がありますが、開閉しないタイプのもの(パノラマルーフやガラスルーフ)も含めて、ひとくくりに呼ばれることもあります。

現行のサンルーフ設定車種や過去の車種を写真で見る(11枚)

 日の光で車内が明るくなるほか、開ければ外気も入るので、開放感を演出するものとして、特に日照時間が少ない欧州などで好まれる装備です。サンルーフを製造している八千代工業(埼玉県狭山市)も、サンルーフを含めたクルマのデザインでは、欧州メーカーが先進的だといいます。

 日本でサンルーフに力を入れていたメーカーのひとつがホンダです。本格的なスライド式サンルーフは1968(昭和43)年発売のホンダ「N360」が、電動式のサンルーフも1978(昭和53)発売の「プレリュード」が、それぞれ国内初といわれています。前出の八千代工業では1986(昭和61)年からサンルーフの製造を始めましたが、同社は現在ではホンダの子会社となっています。

 しかし現在、国産車ではサンルーフの設定がほぼなくなってしまったことから、八千代工業ではもっぱら海外向けに製造しているそうです。「昔はオプションで設定されるクルマが多かったのですが、いまはそれも減っています。開閉式でない屋根を透明のガラスにしたパノラマルーフなども同様です」と話します。

 2018年7月現在、ホンダでサンルーフの設定がある車種は、「アコード」と「レジェンド」のみだといいます。この2車種の現行モデルはもともと北米向けに開発されたものですので、国内市場向けという意味ではゼロといってもよいでしょう。

国産新車のサンルーフ、絶滅寸前か 中国では「豪華さの象徴」 日本でなぜウケない?
2009年発売の4代目「ステップワゴン」にオプション設定されていた「スカイルーフ」。現行の5代目には設定なし(画像:ホンダ)。
中国でも北米でも人気 なぜ日本で需要がなくなった?
 ホンダでは2000年代から2010年代前半にかけても、「エアウェイブ」「ステップワゴン」「フリード」「フィットシャトル」など様々な車種にサンルーフ(実際には開閉式ではない「スカイルーフ」)を設定していましたが、装着率の低さからすべて廃止してしまったのだとか。

 一方、八千代工業によるとサンルーフは特に中国で人気だといいます。「中国のお客様はクルマに豪華さを求める傾向が強く、サンルーフが好まれます。当社製品を提供している市場においては、中国の次に北米でサンルーフ装着率が高いです」とのこと。ホンダも、北米をはじめ需要のある地域では、日本でサンルーフの設定がない車種も含め、ほとんどのモデルでサンルーフを用意しているそうです。

 国内向けではないものの、八千代工業によるとサンルーフは現在も進化しているといいます。ガラスのサンルーフは一般的に重量が増し、燃費などに影響するともいわれますが、構成部品を少なくして薄型化や軽量化に努めているとのこと。また、現在は「暑さ」の原因となる赤外線をカットするIRカットガラスを使うのが普通だそうです。さらに、大開口化によって開放感を高めるほか、ルーフとの一体設計でクルマ本体のデザイン性にも寄与しているといい、サンルーフがクルマ本体と切り離せない要素になってきていることがわかります。

 そのような動きもあるなかで、なぜ日本ではかくも需要が減ってしまったのでしょうか。

 八千代工業は、「昔は日本でもクルマに特別感を求める人が多かったのが、しだいに実用性が求められるようになり、需要が減っていったのではないでしょうか。開閉式のサンルーフは換気にも有効ですが、あるいは喫煙人口の減少もあるかもしれません」と推測します。

 ホンダも「サンルーフよりも、ほかの装備が選ばれているということでしょう」と話します。確かにサンルーフは、オプションで装備すれば10万円以上する場合もあります。たとえば近年のクルマはカメラやセンサーなどの安全装備が充実していますが、どちらかといえば、そのような実用的な装置が選ばれているのかもしれません。

くるまのニュース編集部

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