独眼竜国際ジャーナルの ヒデと明美の愛のブログ ヒデと明美が日々の愛の生活を書き留めます。

ヒデは1,人工透析、2,心臓が弱り40%機能、3,リウマチ身体が不自由

後2年、長くて5年以内に寿命尽きる予測

うちはバカ親だったので逆に自費で大学卒業して教育関係へ進んだことについて特に父親が足を引っ張り妬みされた。

2018年07月29日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
【沼にはまる女たち】学歴コンプレックスを補う手段は資格と習い事。止まらないスキルアップの欲の終着点とは?

7/29(日) 15:03配信 Suits-woman.jp
どこにでもいる女性でも気が付くと、その世界の『沼』にハマってしまうケースを紹介する同シリーズ。今回の沼は、一人前になるため、仕事で必要な人材になりたいために習い事や資格取得がやめられない「スキルアップ」の沼です。

「年齢を重ねると、どんどん自分の価値が下がってきている感覚に陥るんです。その感覚に歯止めをかけたくて」と語るのは、清美さん(38歳)。現在は都内のドラッグストアで登録販売者の資格を生かしてパートタイムの勤務をしています。

黒髪の一直線にきれいに整えられたショートボブに、切れ長でややつり上がった瞳からは強気な女性をイメージさせます。しかし話し方はおっとりしており、声も小さく、話している間数回しか目が合わないといった自信のなさも垣間見えました。清美さんは極度の人見知りだと自己分析をしています。

両親の基準は優秀な兄。比べられることが当たり前だった思春期
清美さんは両親と5歳上に兄がいる4人家族。父親よりも母親の方が8歳年下で、専業主婦だったこともあり、洋服を買う時でさえ、父親の許可がないとできなかったそう。まず初めに両親、そして兄との関係について伺いました。

「両親はお互いの親の紹介で知り合ったんです。両親ともに認めないんですが、おそらくお見合いです。父親の家は地元では広い土地を所有していた地主で、父親は公務員で公園管理などの仕事をしていました。公務員なのに土日も仕事に出ることがあり、小さい頃からあまり遊んでもらえた記憶はありません。

母親は優しいんですが、その日までに学校でいるものなどの準備もロクにできない人で、学生時代のお弁当はほとんどレトルトを詰めたものでしたね。兄はとにかく成績が優秀で、生徒会長をやったりするタイプです。成績は学年トップ、中学生の時に一度通っていた塾の全国模試で2位の成績を収めてトロフィーを持って帰ってきたことがありました。兄妹仲は普通だと思うんですが、両親からは常に『お兄ちゃんはそんなことなかった』と言われ続ける日々でした」

期待されていなかった清美さんですが、地元の難関高校に合格したことで両親の期待が集中したと言います。

「私の高校受験の2年前に兄が大学受験に失敗して、翌年に無事に大学生になれたんですが、2浪は避けたい思いから志望大学からレベルを落としたところに入ったんです。父親はそこが気に入らなかったみたいで。その翌年に私は、兄は地元で一番の進学校だったんですが、私は2番目にいいところに受かることができました。まったく期待されてなかった分、父は大喜びでしたね。そこから、『出来る子』だと認識されたんだと思います」


仕事を頑張るも評価してくれない親。そして実績を残せない自分を責め続け
親の期待値がどんどん上がる中、無理をして入った高校では落ちこぼれてしまったそうです。

「授業内容にはついていけるんですが、ある程度の点をとっても学年順位が低いんです。親は点数よりも順位を気にする人で、高校に上がってからは父親が成績を逐一確認するようになり、いつも怒られていました。

そこからは負の連鎖です。勉強できないことを親も自分も責めて、夜に眠れなくなりました。それなのに学校に行くと眠さから授業でうたた寝してしまい、授業内容にさえついていけなくなる。もちろん成績は下がり続け、進路では先生から希望大学ははっきり無理だと言われたくらいです」

清美さんは結局短大に進学。せめて就職先は親に認められたい思いから、職種に関係なく大手企業など複数社にエントリーしますが、落ち続けたそう。やっと受かった職場では、認められたい思いから自主的にある行動を起こします。

「結局受かったのは、美容院などにサロン専売品を売る、ルート営業の仕事でした。最初は先輩とセットになってクルマで回るんです。今ではほとんどないと思いますが、当時そこではマニュアル車が使われており、私はオートマ車しか運転できなくて……。採用には問題なかったんですが、一緒に行動する先輩にずっと運転させるのはどうも気が引けてしまって。会社に言われたわけではないんですが、限定解除の教習を受けました。免許を取ったことで、会社や先輩から正式ではないものの、評価してくれたんです。それがすごく嬉しかったんです」

やる気がある社員として評価され出したものの、業績はイマイチ……。なんとか職場の役に立ちたい思いからサービス残業を続けます。毎日遅く帰ってくる娘に、父親は厳しい一言をかけたそうです。

「父親からは『そんな誰でもできるような仕事をして楽しいのか』とか散々言われました。休めない日々と、親からのストレス、そして仕事がうまくいかないストレスから体調を崩してしまったんです……。睡眠障害がひどくなってしまって……。どんどん痩せてしまったこともあり、父親から『仕事を辞めろ』と言われました。もう、いいなりですよね。私はすぐに退職の旨を会社に伝えて、2か月後に退職しました。そして、その後アルバイトで始めた歯科助手の仕事から、資格というものに興味を持ち始めるんです」

たまたま始めた歯科助手の仕事から、医療系の仕事に目覚め、さまざまな習い事や、資格を取得し続けていくことに。続編に続きます。



うちはバカ親だったので逆に自費で大学卒業して教育関係へ進んだことについて特に父親が足を引っ張り妬みされた。

父親はバスの運転手、、、下級労働者の仲間がほしいのだ。ゲス親。

その後もハード勉強してフルタイムで働いて司法試験受験してたら<<父親と弟に、、兄ちゃんは電気代がもったいないから夜中勉強してないで、他にしろ!!>>と嫌がらせで、勤務先で夜中勉強するようにした。

すると、ある日、父親がネコ撫ぜ声で、帰ってきて、、などというので何事かと行くと<<この弟が大学受験するので=私立ばかり5校も!!=受験比が高いので=1校たしか2万円くらい=私に出してなどというのだ!!>>

このバカ親子が!!

普段散々嫌がらせして銭出せというのだ。

私は「何だ、、そういうことで呼んだのか。冗談じゃない」といって断った。

その後バカ弟は、5校受けて全滅。可愛そうなので浪人して来年受ければ<<私が銭出すから>>とアドバイスしたが、もう受験止めたと、さっさと諦めた。

その後、バイトを転々として、最後は美容師に成り<<美容院に来たオンナを漁り、結婚=資産ある同僚と=してたが離婚>>養子になってたが当然追い出され、、その後はどうなったか知らない。



「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由

2018年04月25日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
4/25(水) 11:00配信 現代ビジネス
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
写真:現代ビジネス
名門校出身者たちを目の当たりにして
 教育と格差の問題といえば、しばしば話題にのぼるのが東大生の親の年収である。2014年の調査によれば、東大生の育った家庭の半数強が、年収950万円以上の比較的裕福な家庭だという。

 ここで問題視されているのは、階級の固定化である。つまり、裕福な家庭は多額の教育費を支払うことができるので、子供は高学歴化する傾向にある。学歴と収入は比例することが多い。結果的に、金持ちの家系はいつまでも金持ちだし、逆に貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない――という問題だ。

 だが、こうした問題提起に出くわすたび、いつも「ある視点」が欠けていると私は感じる。それは都市と地方の格差、地域格差である。

 田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。

 あらかじめ、どんな地域で育ったどんな人物がこの記事を書いているのか、簡単に紹介しておこう。

 私は高校時代までを、北海道の釧路市で過ごした。初代の「ゆとり世代」であるらしい1987年生まれの男性で、これは2000年に中学に入学し、2006年に高校を卒業する学年である。

 中卒の母親と小学校中退の父親という両親のもとに生まれ、一人息子を東京の大学に通わせるだけの経済的な余裕はある家庭に育った。

 高校卒業後は浪人して東京大学の文科三類に進み、3年次で文学部へ進学、その後5年間の大学院生活を経て、現在はニューヨーク州立大学の博士課程に籍をおいている。

 釧路市は、見渡す限り畑が広がり家屋が点々と建っている、というほどの「ド田舎」ではないものの、若者が集まる場所といえば「ジャスコ」しか選択肢がなく、もっともメジャーな路線のバスは30分に1本しか来ず、ユニクロやスタバがオープンすると大行列ができるような、ある種の典型的な田舎町だ。

 私が住んでいた当時は、ちょうど人口が20万人を割ったころであり、現在も小中高のクラス数とともに、人口は減りつづけている。

 そのような田舎町で育った私は、東大に入学して、都内の名門校出身者をはじめとする「サラブレッド」たちに出会い、いたく驚かされることになった。

 文化と教育の地域格差が、想像以上に大きかったからである。

問題は「貧富の差」ではない
 私が主張したいのは、「貧富の差よりも地域格差のほうが深刻だ」ということではない。そうではなく、地方には、都市生活者には想像できないであろう、別の大きな障害があるということである。

 田舎では貧富にかかわらず、人びとは教育や文化に触れることはできない。

 たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。

 もちろん、文化と教育に無縁の田舎で幸福に暮らすのはいい。問題なのは、大学レベルの教育を受け、文化的にも豊かな人生を送れたかもしれない田舎の子供たちの多くが、その選択肢さえ与えられないまま生涯を過ごすことを強いられている、ということだ。

 「文化的」とは、おそらく、いまあなたが思い浮かべている次元の話ではない。たとえば私が想定しているのは、わからないことがあればひとまず「ググる」という知恵があり、余暇の過ごし方として読書や映画鑑賞などの選択肢を持ち、中卒や高卒よりも大卒という学歴を普通だと感じる、そういったレベルの話である。

 この記事は、以下のツイートの拡散をきっかけに執筆依頼を受けて執筆している。

 家庭が貧しいと教育が受けられず貧しさが再生産されるという話、もちろん大問題だけど、同時に知ってもらいたいのは、教養のない田舎の家庭に生まれると、たとえ裕福でも教育には到達できないってこと。教育の重要性じたいが不可視だから。文化資本の格差は「気付くことさえできない」という点で深刻。

― 阿部幸大/Kodai Abe (@korpendine) 2018年3月15日 私は社会学者ではない。田舎から運良く東京の国立大学に進学できたので、上記のような格差と落差を、身をもって体感した一個人にすぎない。

 だがこのような格差の紹介は、日本ではまだまだ驚きをもって受けとめられている――つまり十分に認識されていないようなので、私のような経験者がひとつの実例を提出してもよいだろうと考えた次第である。

 そしてこの「十分に認識されていない」という事実が、逆説的にこの格差の大きさを物語っているように思われる。


大学生を見たことがなかった
 私の育った釧路市のような田舎に住む子供の多くは、おかしな話に聞こえるかもしれないが、まず「大学」というものを教育機関として認識することからして難しい。

 言い換えれば、大学を「高校の次に進む学校」として捉える機会がないのだ。

 高校生の頃の私が「大学」と聞いたとき思い浮かべることができたのは、「白衣を着たハカセが実験室で顕微鏡をのぞいたり、謎の液体が入ったフラスコを振ったりしている場所」という貧しいイメージのみであった。仮に当時の私が「大学には18歳の若者が通ってるんだよ」と教わっても、驚くどころか、意味がよくわからなかっただろう。

 たとえば釧路市民にとっての「都会」といえば札幌だが、釧路と札幌は300km、つまり東京―名古屋間と同じくらい離れている。市内には2つの大学があるが、いずれも単科大学である(当時は知らなかったが)。

 日本の各都道府県にはそれぞれ総合大学(ユニバーシティ)が設置されているので、最寄りの総合大学からこれほど地理的に離れている地区というのは、全国を見渡しても、離島と北海道の端っこくらいのものであろう。

 都市部にも「大学と無縁の環境で育った」という人はいる。だが、この点において田舎と都会で根本的に異なると思われるのは、「文化」や「大学」といった存在が視界に入るかどうか、という差である。

 釧路にも大学は存在すると書いたが、しかし子供たちにとってそこは病院などと区別されない「建物」にすぎず、「大学生」という存在にじかに出会ったことは、すくなくとも私は一度もなかったし、また私の場合は親族にも大学卒業者が皆無だったため、高校卒業後の選択肢として「大学進学」をイメージすることは、きわめて困難であった。

 それに対して都市部では、たとえば電車に乗れば「~大学前」といった駅名を耳にすることになるし、そこで乗ってくる大量の若者が「大学生」であることも、なんとなく理解するチャンスはかなり大きくなるだろう。上京して、じっさい私は「世の中にはこんなに大学があったのか」と驚いた。

 さらに言えば、私が東大に入学し、なかば憤慨したのは、東大と同じ駒場東大前駅を最寄り駅とする中高一貫校が存在し、その東大進学率が抜群に高いということだった。なんという特権階級だろう!  しかも彼らには、自らがその地理的アドバンテージを享受しているという自覚はない。まさに文化的な貴族である。


遠すぎて想像がつかない
 地域格差の大きさを考えるために、以下のような比較をしてみたい。

 たとえば東京に隣接したある県の家庭で、ひとりも大学卒の親族がおらず、しかし、抜群に成績が優秀な子供がいたとする。この子と、たとえば釧路市に住む、やはりひとりも大学卒の親族を持たない、同程度に優秀な子供とを比べてみよう。

 それぞれの家庭の親が、「この子を大学に入れようかしら」という発想に至る可能性を想像してみてもらいたい。

 前者の場合、仮に経済的な問題があっても、すくなくとも「将来、うちの子はもしかしたら東京の学校に通うことになるのかもしれない」という想像までは働くだろう。なにしろ東京まで電車で1時間程度なのだし、それに都内でなくとも、関東には大学がいくつもある。

 だが、後者の場合、親はせいぜい子供の優秀さをなんとなく喜ぶ程度で、大学進学などという発想はいちども脳裏をよぎることがなく、高校の終盤に先生から打診されてはじめてその可能性を知り、やっとのことで「『大学』って……どこにあるんですか? と反応するといったありさまだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは私の実例である。

 釧路のように地理的条件が過酷な田舎では「街まで買い物に行く」ことも容易ではないので、たとえば「本やCDを買う」という日常的な行為ひとつとっても、地元の小さな店舗で済ませる以外の選択肢がない。つまり、まともなウィンドウ・ショッピングさえできないのだ。

 したがって、私が関東に引越して自宅浪人しはじめたとき、まっさきに行ったのは、大きな書店の参考書売り場に通いつめることであった。見たこともない量の参考書が並んでいる東京の書店で、はじめて私は「釧路では参考書を売っていなかったのだ」ということを知り、悔しがったものである。

 田舎者(私)の無知と貧弱な想像力の例をいくつか挙げたが、まさに問題は、この「想像力が奪われている」ということにある。こうした田舎では、とにかく文化と教育への距離が絶望的に遠いがゆえに、それらを想像することじたいから疎外されているのだ。

 あまりに遠すぎて想像すらできないこと、これが田舎者の本質的な困難なのである。
サバイバーズ・ギルト
 田舎の小中高生にとっては、「将来のために勉強する」という発想もまた、かぎりなく不可能に近い。これは「何のために役に立たない勉強なんてするの? といった不満とは異なる話である。

 たとえば当時の釧路市では、高校入試の倍率はどの学校でもほぼ1.0倍であり、進学先は中学校の成績で自動的に割り振られた。いわば、いつのまにか「生涯の偏差値」が――その意味さえわからぬまま――決定されていたわけだ。

 田舎から抜け出すには大学入試がおそらく最大のチャンスだが、しかし、その可否は中学時代にすでに決まっている。

 なぜなら、「都会には『大学』なる組織が存在し、自分も努力次第でそこへ入学するチャンスがある」という事実を教わることができるのは、中学で教師の言われるままに学区トップの高校に進学した者だけだからだ。

 高校で初めて「大学進学」という選択肢の存在を知った私の場合は、この事実を驚愕と、いくぶんかの後ろめたさをもって受け止めた。なぜなら自分の学力が高くて大学に行けるのだとしても、それは「努力の成果ではなく、偶然の結果にすぎない」としか感じられなかったからである。

 田舎から都市圏の大学に進学するということは、たまたま容姿に恵まれて街角でスカウトされるのにも似た、きわめて確率的な事象である。

 それをプライドに転化することもできるだろうが、いわゆる「底辺」と形容される中学に通っていた私には、高い学力を持ちながらも、その価値を知らず道を誤ってしまった親しい友人を多く持っていたため、むしろ自らが手にした幸運の偶然性に寒気がしたものであった。

 この「後ろめたさ」は、一種の「サバイバーズ・ギルト」のような感覚だと言える。じっさい、そうした友人たちは中学のある時点で未成年による犯罪のニュース報道とともに学校から姿を消し、のちに鑑別所か少年院で撮影されたらしい変色した写真が卒業アルバムに載っているのを目にするまで、生死さえわからない状態であった。

 その中には私よりも成績が良い者もいたのだが、彼らは大学どころか中学校にも通えなかったわけだ。私が同様の運命を辿らずに済んだのは、たんに運が良かったから――たとえば犯罪行為が露見した日に一緒に遊んでいなかったから――にすぎない。私は、彼らが学力の価値を少しでも知っていたらどうだったろう、と考えないわけにはゆかない。

 かように田舎において、学力というポテンシャルの価値は脆弱なのである。


東京との根本的な違い
 仮にめでたく大学進学という選択肢が与えられ、十分に学力があり、経済的にも恵まれ、いざ大学進学を志したとしても、田舎の子供にはさらなる障壁がいくつも立ちはだかっている。思いつくままに羅列してみよう。

 ○「せめて県内の大学に行ってほしい」と希望する親(北海道はとくにこの傾向が強かった)

 ○「女性は大学・都会になど行くべきでない」という根強い価値観

 ○都会に出ようとする若者への激しい嫉妬と物理的・精神的妨害

 ○受験に対する精神的な負担(多くの人は飛行機に乗ったことも大都市に行ったこともない)

 ○単身で「都会へ引越す」ことへの精神的負担

 ○都会での大学生活について相談できる大人の不在

 ○塾や予備校の不在(都会にどんな機関があるのか知る機会もない)

 ○近所の本屋に受験参考書が揃っていない(取り寄せるべき参考書を知る機会もない)

 ○過去問を閲覧することができない

 ○各種模擬試験の案内がない

 田舎者は、こうした数多の困難によって、教育から隔絶されている。

 こういう話をすると、かならず「いまはインターネットで教育が受けられる」という反応がある。だがこれは、くりかえすが、機会の問題ではなく想像力の問題なのだ。田舎ではそのような発想じたいが不可能なのである。

 田舎者は、教育の重要性はもちろん、インターネットの使い方もろくに知らない人がほとんどである。そのような情報弱者に、みずからの社会的地位の向上のためにインターネット教育を利用することを期待するという発想は、都会人の想像力の貧困を示していると言わざるをえないだろう。

「幸せかどうか」とは別問題
 「田舎だけの問題じゃない」「うちの田舎のほうがキツかった」「都会の貧困層には都会特有の問題がある」といった数々の異論があると思う。それはもっともだ。しょせん私はひとつの経験しか持たない。とくに都会特有の問題については無知である。

 だが、別の事例と問題点を挙げるとき、念頭においてほしいのは、弱者同士でケンカすることなどまったく不毛だということである。

 たんに私は、「教育の格差といえば貧富の差」という一般論において消去されがちな地域格差という側面にスポットを当てたにすぎない。別の問題を知るひとは、また別の問題として提起すればよい。

 また、「田舎は田舎で楽しくやってる」というのはまったくそのとおりだが、その事実と、都会と田舎のあいだには「格差」が存在するという問題は位相が異なる。田舎の幸福は格差を容認する理由にはならないのだ。

 ましてや、「知らないほうが幸せ」という意見は、「家事こそ女の幸福」と主張して女性差別を温存するのにも似た、差別と搾取と格差を是認するロジックと同じである。

偶然に翻弄される地方の子供たち
 地域格差が存在することは理解してもらえたとしよう。ではどうすればいいのか? 
 教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる。

 先にも述べたように、私自身が偶然によって東京の大学に進んだ。ということはつまり、別の偶然によって田舎に留まることも大いにありえたのである。

 そして私は、もし過去に戻ってみずからの意思によって進路を選択できるのなら、迷うことなく前者を選ぶ。なぜなら、大学進学は選択肢を可視化するためである。「知らなくて損をする」という可能性を小さくするためである。

 私が必要だと思うのは、こうした偶然性に翻弄される田舎の子供たちに、彼らが潜在的に持っている選択肢と権利とを想像させてやることであり、ひいては、東京をはじめとする都市部に住む人びとに、もうすこし田舎の実態を想像してもらうことである。

 本稿がその実現にむけた小さな一歩となることを願っている。

阿部 幸大




筆者の書いてる通りで、ど田舎は文化格差がある<<極端な話がJungleの原住民状態>>で世界が異なる。

その原住民の中でも自頭がよく高校進学させる親が子供の足を引っ張らない場合、高校教師から大学の話が初めて出る。

また時代性もあり、昔はさらにひどかった。友人の親は茨城出だが親が百姓には学問はいらねえと言われ勉学の邪魔をされ家出をして東京の寺に居候。塾を開いて早稲田卒業した親がいる。

勿論、その子供二人には教育の大切さを教え大学を卒業させた。

うちのバカ親は、酒飲み父親が小学校中退で最終的に運転手(大手だが)母親は女学校出と言うが戦時中で勉強などしてない算数がまるでできない(論理的思考力ゼロの馬ヵ)

自分は、父親に働け!とだけ言われ小学校から新聞配達。

高卒で公務員になったが、自分で大学をその後卒業した。卒業式に両親を誘ったが拒否された(自分らに

1,高学歴の親は子弟にも良い教育をほどこす。

2.低学歴の親は子供にはろくな教育をしない傾向が強く<<学有るものを妬むので子供にも仲間的に低学歴もしくは高卒程度にしておく傾向がある。また、教育に金をかけたくない>>

3,ど田舎はそれ以前の低世界なのでイかっぺ~~豚めどに餌やるっぺえ~~~~@@肥溜めに落ちタッペ~~、、ガッハは~~酒のむベエ~~田吾作~~~~の世界。。。


因みに、フィリピンは日本より強烈な格差<<田舎格差やインカム格差>>がある。

貧困層には頭がっ良いのが出る、、苦学してっち角の国立大学の学長は(若くして成る)Trafficコストが出せなくサンダル徒歩で通い奨学金などヘルプで博士号をとる。

うちの子供の同級生(特別進学校=サイエンススクール=35人学級)にも多数の秀才がいて国際数学コンテスト代表など多数が同席していた0

突然変異?遺伝継承か知らぬが結構いる。

一方でバカはとことん馬ヵのレン中も多い、、、馬鹿なので仕事を覚えない重症。

コブラの達人、かまれて死亡=捕獲のため出動中―マレーシア

2018年03月18日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
コブラの達人、かまれて死亡=捕獲のため出動中―マレーシア
3/17(土) 20:35配信 時事通信
 【クアラルンプールAFP=時事】マレーシアで、毒蛇を扱う「達人」として知られてきた消防士アブザリン・フシンさん(33)が、コブラにかまれて死亡した。

 当局が17日、明らかにした。中部パハン州で12日、「コブラがいる」と通報を受け、出動した際に襲われた。クアラルンプール消防庁高官は「優秀な人材を失った。悲劇としか言いようがない」と悲しんでいる。

 マレーシアでは住宅街に出没した毒蛇の処理を消防隊が担うことが少なくない。「蛇遣い」とあがめられた父親の特訓を受けたアブザリンさんは、コブラにキスできるほど扱いにたけ、テレビ出演するなど有名だった。

 妻との休日中だったが、通報を受け出動したアブザリンさん。消防庁高官は「一度かまれたら象も死ぬというコブラを彼は捕まえた」と語った。かまれた後、病院に搬送されたが、16日に亡くなった。後輩にも毒蛇の捕まえ方を伝授し、慕われていた。 

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反日デモが目的の常習者を毎年、入国させ、その“保護”や騒ぎ対策のための警備に多大の予算を使っている日本当局は実に心優しい

2018年02月25日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
「竹島の日」興奮する韓国、相変わらずの“対日甘え”
2/24(土) 15:08配信 産経新聞
 2月22日の「竹島の日」を知っている日本人はどれほどいるだろうか。やっと2005年に島根県が制定したが、これに反対し興奮する韓国では毎年、官民挙げての日本非難の行事がありマスコミで大きく取り上げられる。するとそれが韓国名物の反日パフォーマンスとして日本に伝わり「ああ“竹島の日”だったんだ」と知ることになる。

 したがってこの日は日本より韓国の方で知られているというわけだ。島根県いや日本は韓国に感謝すべきかもしれない?

 しかもこの日になると毎年、おなじみの反日ご一行さまが松江にまで出掛け、韓国の国旗を振りながら反日デモをやって騒ぎを起こす。逆に日本人が反韓デモを韓国でやろうものなら裁判にかけられ以後は入国禁止だろう。国際法に違反する在韓日本大使館、釜山総領事館前の慰安婦像もそうだが、日本相手なら何をしてもいいという相変わらずの“対日甘え”である。

 それにしても日本当局も甘い。筆者などは以前、韓国の大学に頼まれ日本事情を教えたところ韓国当局から「滞在資格(記者)以外の違法活動」だといわれ100万円近い罰金を取られている。反日デモが目的の常習者を毎年、入国させ、その“保護”や騒ぎ対策のための警備に多大の予算を使っている日本当局は実に心優しい。(黒田勝弘「ソウルからヨボセヨ」)

フィリピンの透析、、、馬鹿野郎

2018年01月24日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
フィリピンの透析、、、馬鹿野郎


昨日、、、通院で透析だが<<午後1時>>予約だが、、、携帯に夕方6時変更と来た!!!!!

そして行くと<<へんな=ぼーどあり、、、、かいた順番だなどという。

かくと、最後で1時間待たされ<<終了は0時半!!!!!!!!!!!!!!!>>

このばキャロが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


状況を聞くと<<ここから3ー4時間もの田舎から早朝出てくる連中が多数いて占領してるそうだ>>


透析病院はここの町の3病院しかない!!!!!!!


透析患者は、あふれる。




一度退院したが、人工透析必要で緊急入院、、、フィリピ

2018年01月22日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
一度退院したが、人工透析必要で緊急入院、、、フィリピン

ラストウイーク、、、、退院した5Daysで、ブレス苦しい。

困難自宅

顔が腫れ、眼球が真っ赤。


エマージェンシーのホスピタル,、、’個室マージェンRoomが有るというので酸素吸入。

本来は、予約待ちだが緊急

翌日、、首の動脈にニップル手術。

テスト一晩。


翌日、、、2アワーッズ機械回す。

翌日、、、5時間

さらに昨日。

同時に腕にニップル手術、、、、加工


泊りがけ全額で7万p



心臓、、、腎臓びょう

2018年01月14日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
寝れない

歩けない、、、それ以前に
一人で座れない。






<

薬多数、、、、、、、 意識混濁、、、、ひどい口内炎!!!!!!!!

2018年01月14日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録

薬多数、、、、、、、

意識混濁、、、、ひどい口内炎!!!!!!!!



後、、、、、再度入院=2週間で精密検査


肺は、病原体生息だが元気、、、病原体殲滅

腎臓、、、透析寸前、、、薬、食事療法

心臓、、、40%かどう状況






<わろてんか>ヒロインの兄・新一まさかの“ナレ死” いきなり「遺影」で登場…衝撃広がる

2017年10月14日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
親戚の丁稚役の男がでしゃばりすぎ、、、ボスのような顔をして出しゃばる。

母親役の鈴木保奈美は、まるで大奥のような演技で溶け込んでいない=気持ちが入っていない。

竹下景子やエンケンさんなど、他の出演者は良い。

主人公の不自然な笑いが凍りつく。演技が下手、、、、


<わろてんか>ヒロインの兄・新一まさかの“ナレ死” いきなり「遺影」で登場…衝撃広がる
10/14(土) 13:01配信 まんたんウェブ
<わろてんか>ヒロインの兄・新一まさかの“ナレ死” いきなり「遺影」で登場…衝撃広がる
「わろてんか」で千葉雄大さんが演じるヒロインの兄・新一 (C)NHK
 葵わかなさん主演のNHKの連続テレビ小説「わろてんか」の第12回が14日に放送され、千葉雄大さん演じるヒロインの兄・新一が、まさかの“ナレ死”だったことから視聴者の間で衝撃が広がっている。

【写真特集】もう見られない!? 心優しい“理想のお兄さま”の極上スマイルをもう一度

 前日の第11回で新一は、持病のぜんそくが悪化し、余命幾ばくもないことが判明したが、最後は笑顔を浮かべるところで放送は終了していた。しかし、14日の第12回では、冒頭でヒロインのてん(葵さん)と妹のりん(堀田真由さん)が話しかける「遺影」として登場。すかさず「新一は家族の笑顔に包まれて、静かに息を引き取りました」とナレーションが流れるという、まさかの展開で、ツイッターで「新一、ナレ死」がトレンド入りした。

 千葉さん演じる新一は、病弱な体であるため、どんな病気でも治せる薬の開発に人一倍強い意欲を見せる信念の男で、物腰の柔らかさやはかなげな雰囲気、丸メガネからのぞかせる温かく見守るようなまなざしも魅力で、視聴者から「朝から癒やされる」との声が多数上がっていただけに、その死の描かれ方は衝撃だったようだ。

 「わろてんか」は、京都の老舗薬種問屋の長女で、笑いをこよなく愛するヒロイン・藤岡てん(葵さん)が、大阪を日本一の笑いの都にしていく姿を描く一代記。NHK総合で月~土曜午前8時ほかで放送。全151回。

日本も小泉と竹中で破壊されたが、フィリピンも小泉と竹中にやられたのだ。

2017年10月05日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
フィリピンCPI、9月は前年比+3.4% 予想以上に伸びが加速
10/5(木) 17:41配信 ロイター
[マニラ 5日 ロイター] - フィリピン統計局が5日発表した9月の消費者物価指数(CPI)は前年比3.4%上昇と、エコノミスト予想の3.2%上昇を上回った。食品、燃料、輸送コストの上昇が主な要因。ただ、中銀の想定レンジである2.8─3.6%の範囲に収まった。

CPIは前月比では、0.5%上昇。

1─9月の平均は3.1%上昇で、中銀目標の2─4%の範囲に収まった。

変動の激しい食品と燃料を除いたコアインフレ率は3.3%で、予想の3.0%を上回った。

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フィリピンの急激なインフレは、アヨロ悪魔女政権で起きた<<悪魔女が2回二ホンに来て、小泉と竹中に悪知されたからだ>>アロヨ悪魔が帰国後すぐにVAT=消費税10%にして、後、12%にしたがバカ原住民は気が付かない低能。


日本も小泉と竹中で破壊されたが、フィリピンも小泉と竹中にやられたのだ。

20年前の3倍の物価のフィリピン。





バカ親に育てられたが、、、、

2017年08月23日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録


バカ親に育てられたが、、、、


確か、社会人になってから<<母親である、、糸子が>>親父が酒飲みで、、、

どうしたら良いかと、知り合いに聞いたら<<牛のションベンを飲ませると良いと>>冗談を言われたが、、、、

糸子は馬鹿なので(旧姓女学校でてるが戦時中で勉強などしていない)真に受けて、、その頃近所の牛飼いが有り、、、

ソコへ牛のションベンを貰いに行って、、爺に嘘ついて飲ませたそうだ。


俺が、その話聞いた時は<<さすがのバカ糸子も>>あれは嘘=冗談で真に受けた自分が馬鹿だとわかったらしい。

半泣きしながら俺に語った、、、バカでクレイジーの糸子。

こういうバカ親に育てられた。


そうして、その酒飲みのバス運転手のジジイが交番から<<警視庁警察官採用>>デカイ白バイ隊員のを貰い、、、

俺を唆して、、、

当時、バイククレイジーの(暴走族ではない)俺がその気になり警視庁を受験して採用され、、、

トンデモナイ人生を送ることに成った、、、、、


そのうち続く、、、、



東大でもハーバードでも頂点 真由さんが明かす「クセになる勉強法」とは?

2017年08月14日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録


凄いなあ~~~両親が医者で、、、本人も秀才。

うちとは大違いだ<<トトさん馬鹿なら、カカさんキチよ~~>>生まれた私は~~バカ基地よ~~@@


wwww******* | 39分前
すばらしい学歴や成績だけど、かなしいことに本当にやりたい仕事が見つからずに転職を繰り返してるように感じる。

官僚も弁護士にも、やりがいを見出だせず退職。試験で好成績を取ることは好きだから、公務員試験や司法試験を受けたのでは。家族法の研究にもあまり情熱を感じない。法学博士は取得が難しいから、この方はそこにやりがいを見出したのかもしれないけれど、在学中から家族法が好きで研究している人には敵わない気がする。
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kak*****

家族法は、大した論点もなく法律分野としては容易な方です。医者で言えば皮膚科や耳鼻科みたいなもの。

一番難解で論点が多いのは民法の債権法や民事訴訟法など、さらに矛盾だらけの憲法です。

彼女は、ここら辺も知っていて選択したのだと思います。


因みに自分の学部卒論は<<ネップ期とソビエト法の生成>>法哲学でした。




東大でもハーバードでも頂点 真由さんが明かす「クセになる勉強法」とは?
8/14(月) 7:47配信 NIKKEI STYLE
東大でもハーバードでも頂点 真由さんが明かす「クセになる勉強法」とは?
東大大学院在籍で、NY州弁護士の山口真由さん
 東京大学法学部を2006年に首席で卒業し、財務省の官僚を経て弁護士になり、ハーバード大学のロースクールをオールAで修了した山口真由さん。ニューヨーク州の弁護士資格も取得したが、現在は法律分野の大学教授を目指し、母校の東大大学院の博士課程に通う。「なかなか結婚できなくて」と悩みつつも、官僚、弁護士、教授と新たなキャリアに挑み続ける山口さん。スーパーウーマンに夏の勉強法を聞いた。

■長時間学習を習慣化 起床したら机を見る
 「暑い夏に勉強するのは私も苦手です。司法試験の時は氷水に足を突っ込んでがんばったのですが、それはちょっとバカみたいですね」。夏真っ盛りの東京・本郷の東大キャンパスで、山口さんは笑いながらこう話す。東大在学中に司法試験を突破した際は実に1日19時間半も勉強した。「これもダメです。こんなに長時間集中できないので、いい勉強法ではない。ただ、私は天才ではないので、がんばるしかなった」というが、どうしてこんなに長く勉強できるのか。
 「私は何でもワンパターンにして習慣化する癖があるんです。子供の頃、朝の光を感じたら、机を見る癖をつけたんです。子供の頃からベッドと机の距離をとにかく縮めました」という。山口さんが中学卒業まで過ごしたのは北海道。起床すると窓のカーテンを開けて太陽の光を浴びる。早朝は夏でも涼しい。次の瞬間、視線を机に移す。いすに座って、何の本でもいいから読み、母親が「朝ご飯よ」と呼ぶ10分程度を机の前で過ごすという。実は朝は弱くて、勉強には集中できないタイプだったが、「これでその日、机につくことに脳が抵抗しなくなります」と話す。

東大でもハーバードでも頂点 真由さんが明かす「クセになる勉強法」とは?
山口さんは「集中できないときは、あえて脳をリセットする」と話す
■教えるのが下手だった両親
 最近は家族もいるリビングで勉強するのが効果的といわれるが、山口さんは自分の部屋で勉強することにこだわった。両親はともに医師だが、勉強の教え方は「かなり下手だった」という。小学校の算数にもXやYを使う。理解できないというそぶりを見せるとすぐ怒るので、すごく嫌だった。両親は「あなたはできる子でしょ」という顔で見る。親の期待には応えたいので自分1人で勉強しようと思い、自分の部屋で学習する癖をつけた。そして机を中心に1日の行動パターンをつくり、習慣にした。
 学校から15時頃に自宅に戻り、おやつを食べて自分の部屋に入り、また机に目をとめる。母親が夕ご飯と呼ぶまで、勉強する。両親も妹も家族全員がワンパターンの生活習慣を好むタイプだった。この規則、パターンを壊すと、精神的にイラッとしたり、体調が崩れることもあるという。
 そうは言っても集中力を高めたり、維持するのは容易ではない。「そうなんです。例えば、憲法の勉強をして、あと1ページで章を終えるという大事なときに集中力を欠いてしまうことがよくありました。そういうときは刑法とかの別の章を開いて、あえて脳をリセットします。気分転換みたいなものです。受験でいえば、数学で詰まったら、英語を勉強するとか、そんな感じですね」という。「やはり集中できるときとそうでないときがあるので、自分の頭がはまるというか、脳が受け入れるタイミングが来るまで、リセットを繰り返すのです」
 山口さんは中学卒業と同時に上京して、名門の筑波大学付属高校に。ここでも朝の光を感じたら、机を見るのを習慣にした。東大に入学して法律を学んだが、最も「ガリ勉」に励んだのは司法試験だ。当時は、5月の短答式試験、7月の論文式試験、10月に口述試験と、まさに「夏の陣」。暑さ対策として、机のある自分の部屋だけにエアコンをつけ、ほかの部屋にはつけなかった。これも自分の部屋で勉強する癖をつけるためだ。リモコンの電池が切れたときは半狂乱になりそうだったと笑う。こうして04年、東大法学部3年生のときに見事司法試験に合格した。


■最後は必ず成功する
 数々の難関試験を突破した山口さん。目標をどう設定し、モチベーションを上げているのか。
 「実は夢とかないんです。弁護士になれば、お金持ちになれるとか、社会的な地位を得られるとか、そんな夢とかは描けなかった。やはり人を突き動かすものは義務感とか、恐怖感かもしれないですね」という。親に反対されながら、北海道を出て東京の有名進学校に入学したのでプレッシャーがあった。
 「がんばって東大に行かないといけないとか。財務官僚になっても、ちゃんと資料を作成しないと怒られるとか。弁護士になり、法廷に立つときも事前に問題点をつぶすのに必死でした。格好いいキャリアを夢見ている余裕なんてなかったですね。ネガティブな性格なんでしょうか」という。
 ただ、「努力すれば、最後には必ず報われる。成功する」と常に信じてきたという。根本的にはポジティブな性格のようだ。小学校の低学年で英検5級に合格したとき、「最後は必ず勝つ」という考え方が自然と根付いたという。

■キャリアに迷走、家族法に新視点を
 試験には強い山口さん。しかし、キャリア形成には迷った。財務省の官僚になるが、「自分には国家を背負う気構えが足りなかった」と挫折。その後、弁護士になったが、人前で相手を攻撃する職業には向いていないのではと疑問を感じた。「恋愛も下手ですけど、人前でしゃべるのも苦手なんです。弁護士も少し違うなと考えているときに、米国に留学しようと決めた」という。
 ハーバード大のロースクールに入ったが、英語で話すのはうまくなかった。当初は、教授陣からダメな学生だと判断されていると感じ、悔しい思いをした。しかし、そこで奮起した。ボストンの朝の光を感じ、自分の部屋の机を見て勉強モードを再燃させた。英語のリポートを見せると、「とてもロジカルな文章だ」と教授陣に驚かれた。結果的にロースクールをオールAの成績で修了した。東大でもハーバードでも、成績では頂点を極めたわけだ。その時、やはり自分にはアカデミックな世界が向いていると確信した。「博士号をとり、大学の先生になろう」と決意した。
 現在は東大の法学政治学研究科で総合法政を専攻。日米の家族法を研究している。「自分にとって家族は大切、とても重い存在。家族とは何かと問いながら、勉強している。米国では家族法は契約や機能という観点からとらえられがちですが、日本の普通の家族のことを考えながら、新たな視点も提示したい」と意欲的だ。朝の光を感じて、机につく「癖」を体得した山口さん。暑さの続く今もそれを実践している。



「毒親育ち」で今もツラい人へ…心の傷の治し方

2017年08月05日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
「毒親育ち」で今もツラい人へ…心の傷の治し方
8/5(土) 18:15配信 All About
「毒親育ち」で今もツラい人へ…心の傷の治し方
親の過度な支配や過干渉、言葉の暴力で傷つき、その影響が大人になっても残ってしまうことがあります。ここでは、その心のケア方法をご紹介します。
◆大人になっても修復されない心の傷はどうすればよい?
過度な支配や過干渉、言葉の暴力など、育てる過程で子どもに悪影響を及ぼしてしまう「毒親」。親自身が苦悩を抱えている場合もありますが、そのような親に育てられた方の中には、大人になって親と離れて暮らし始めても、その影響が長く残ってしまうことがあります。嫌な思い出がよみがえるフラッシュバックが起きたり、「自分自身に自信が持てない」「みんなに大事にされていると思えない」など様々な生きづらさを感じてしまうことがあるようです。

最近では「毒親育ち」という言葉もあるようですが、親から受けた悪影響による苦しみがひどい場合、カウンセリングなどを受けることも有効です。カウンセリングにはさまざまなアプローチの方法があります。ここでは「ホログラフィートーク」と呼ばれる心理療法のエッセンスを利用した、簡単なセルフケアの方法をご紹介しましょう。

初めての方には少し抽象的な表現に思われるかもしれませんが、「ホログラフィートーク」とは、自分の悩んでいる問題を色や形を持ったイメージとして表現し、そのイメージに語りかけていくことで、感情的なわだかまりを解放していく方法です。

◆ステップ1. 「問題」を色や形を持ったイメージにしてみる
リラックスできる落ち着いた部屋で行いましょう。ゆったりと座って、今問題に感じていることを一つ選びましょう。問題を選んだら、その問題に対する感情が「体のどこにあるか」を探って下さい。胸かもしれませんし、もしかしたらお腹や頭にあるかもしれませんし、手や足、体の外側などにあるかもしれません。

場所が特定できたら、その部分に手を置き、リラックスしましょう。そして、その感情や手を置いた場所に注意を向け、その感情の色や形がどんなものであるかを感じていきましょう。そうすると、多くの場合、色や形を持ったイメージが見えてくると思います。

◆ステップ2. イメージが自分のものかどうかを確かめる
今度は、色や形が見えてきたイメージをじっくりと観察してみましょう。このイメージは自分の中に元からあった感情が変化したものなのか、外から勝手に入ってきたイメージなのかを観察してみましょう。自分の中に元からあるイメージに対しては、優しさと共感をもって接していくことになります。外から入ってきたイメージに対しては、決別し自分の中に侵入されないようにしていくことになります。

例えば、「誰も自分のことを大切にしてくれない」ということで悩んでいたとしましょう。この感情が、誰かに植えつけられてしまった感じがすれば、外から勝手に入ってきたイメージなのだと考えるようにします。


◆ステップ3. イメージに対して語りかける
■イメージが自分の中に元からあったものである場合
見えてきたイメージが自分の中に元からあった感情が変化したものだと感じる場合、そのイメージに対して「どうしたの? 今どんな気分?」と尋ねてみましょう。一通り、話を聞いたら、共感しましょう。「とても辛い状況にいたんですね」「あなたが本当に傷ついていることがよく分かりましたよ」「いま、あなたが考えていることはとても素敵なことですよ」と、メッセージを伝えて下さい。メッセージを伝えることで色や形が変化することもあります。

■イメージが外から勝手に入ってきた「別の物」であった場合
もし、そのイメージが外から勝手に入ってきた「別の物」であると感じた場合は、「あなたは、本来ここにいるべきものではないですよね。どうしてあなたは、ここにいるの?」と理由を尋ねてみましょう。理由が分かったら、「あなたが、そういう理由でここに来たのはよく分かりましたよ。でも、ここは本来あなたの場所ではありません」と伝えて下さい。

次に、空の一番高い所から、光の柱がおりて、自分をすっぽりとおおってしまう光景を想像しましょう。この光の柱は、その「別の物」を空の一番高い所にあげるためのものです。この光の柱を使って、「別の物」を空の最も高い所まで上げて下さい。「別の物」が柱の光に包まれて、空の一番高い所に消えると想像してみましょう。さらに、「別の物」は1つではないかもしれません。他にもあれば、全て空の高い所に上げて下さい。そして「別の物」が無くなった所を柱の光で満たしましょう。

◆ステップ4. 日常生活へのヒントを得る
最後に、「別の物」が無くなった場所や、色や形を持っているイメージに、「あなたは何を望んでいますか?」「そのために私は何をしたり、心がけたらいいですか?」と聞いてみましょう。答えが得られたら、その場所やイメージをあなたの優しさで満たしていきます。胸から体全体までゆっくりと優しさで満たしていきます。優しさで満たされたと感じたら、ゆっくりと深呼吸をして、いまここに戻ってきましょう。

◆まとめ
ここで紹介した方法は、ホログラフィートークと呼ばれる心理療法のエッセンスを簡単にしたものです。もし、このワークをやっている最中に、苦痛を感じたり、苦しみが改善しない場合は、専門的なカウンセリングを受けることをおすすめします。毒親からの影響というものは、根強く残るものです。その時には、このようなワークを通して、本来の自分の考えを見つめ直し、自分に優しくなる時間を持ってみると、心が軽くなるでしょう。

また、電気が来ない、、糞フィリピンライフ

2017年08月01日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
また、電気が来ない、、糞フィリピンライフ


昨夜、2回

そして先程から電気が来ない<<電気柱のコネクションだ>>


妻は犬の難産で、、ドクターなので


俺が電気組合に行き<<修理依頼した>>午後に来るらしい。


現在発電機作動中。





低能ファミリー、、、私の人生回顧録を書き始めます(連載 1、祖先の話)

2017年07月25日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
低能ファミリー、、、私の人生回顧録を書き始めます(連載 1、祖先の話)


◎最後は、何故海外移住したのか?

◎何故、警視庁を辞めて、人生旅に出て、仏僧勉強しが、大学に通い教育学と、さらに編入して法学部=司法試験を目指したか、さらに、再度国家公務員になり馬鹿らしくなり退職したか?

そして自営業=教育関係を設立して、、、

海外移住をしたのか?


時間を見て、連載で書いていきます。



以下、関係者名は仮名です。



初回1話=ルーツ



1,先ず、ファザーですが、、

これが長男、兄弟の中で(6人くらい居る=兄弟姉妹は当時国鉄、郵政、看護婦、ホンダ研修所ののハイレベルインストラクターなど)1番の出来損ないです。

肌が浅黒く、酒飲み(酒に弱くべろんべろんになる)こいつ以外は、酒飲みは兄弟にいません=これが私のファザーなわけです(これだけで人生どうなるか分かる)


祖父祖母は、800平米ほどのランドにマトモなハウスを建設してましたが<<祖父は人と会話ができない、、、痴呆?>>祖母は、まとも、、祖父の仕事は郵便局ということだが?真実は不明。

どうやって6もの子供を食わせスクールに行かせ(不作以外は、ハイスクールを出ていて公務員も居る)


◎私のファザーは、、、名前は、不作(仮名)です、、、昭和一桁生まれです。

親と不仲で飛び出し<<小学校も卒業できていない>>家具職人になるが、、、写真見た。

その後、霞ヶ浦の警察予備隊(自衛隊の前身)に入隊した、、写真あり。


このときに私のマザーである<<糸子>>が親戚の紹介で見合いで結婚した。

((この糸子がトンデモナイ女=後日書きます、、まさに泰葉、、一代と同じ系統のバカとクレイジーが混在のロクデナシ女です。))


そして除隊して(警察予備隊では車両の修理=トラックの車体)いすゞの修理工に成ったが、、給料が安く生活できない。

この頃私が生まれた、、、、、、、、


そうして、、実家に戻り<<大手私鉄のバスの運転手になった>>これが、幸運だった。

しかし、この頃ド貧乏で、親類の家の裏にバラックを建てて(フィリピンスラムと同じ)生活してた。

兄弟などが実家で生活なので、、一時期、別宅を作り住んでいたが?、、、ここの記憶がないが、敷地内に別のハウスが有った。


続く、、、、、、