むかし、某大手の中古車屋に居た頃、マスタングの旧車(マッハワンの初期型でシャーク顔した直6エンジン、赤い塗装がひび割れてた」のを珍し好き者のお客が買い。
それでドライブしてたら暴走族に取り囲まれて焦ったなどと話題になり皆で大笑いしたことが記憶にある。
エンジンからオイルが焦げた匂いがして「ヤバイ、」と感じた記憶も有る。
自分もバラクーダ、カマロ、シェビーバンと所有したことが有るが故障はなく(そんなに何年も乗らなかったが)エンジンオイルが焦げたヤバイ匂いなどしなかった(笑い)V8エンジンの鼓動は最高だった(アクセル踏みこむとガソリンゲージがガクンと減ることだけが心配だったが=苦笑)いい思い出。
現在は、海外生活でクルマはスズキの1000ccコンパクトCar。
たまにマスタング新車を見かける。音でv8マッスルエンジンと分かる迫力。ハマーH1好き者が乗っている。
道楽車種が最高楽しいね
フォード「マスタング」しぶとく残る車の真価
7/16(月) 6:00配信 東洋経済オンライン
フォード「マスタング」しぶとく残る車の真価
現行「マスタング」の第1号車(写真:Rebecca Cook/ロイター/アフロ)
今年6月16日はフォード創業115年の記念日だった。流れ作業とベルトコンベア導入による自動車の大量生産に先鞭を付けた、自動車メーカーの元祖である。
【写真】初代マスタングと、それをそっくりまねたトヨタ「セリカ」など
その由緒あるフォードで1947年(昭和22年)、つまり終戦の2年後に始まったピックアップの「Fシリーズ」を除き、最も長く続いている車名が「マスタング」だ。
■なぜ、マスタングだけが生き残れたのか
今年4月の決算発表で、フォードはラインナップの90%をSUV含むライトトラックなどに移し、マスタングとこれから導入される「フォーカス アクティブ」を除いて乗用車開発から撤退すると発表した。
フォーカス アクティブは乗用車ベースとはいえ、日本車で言えばSUBARU(スバル)「XV」のようなSUVルック。「フォードが北米でセダンから撤退する裏事情」(5月4日配信)でも詳しく解説したように、年間21万台販売の「フュージョン」も、同16万台の「フォーカス」も消滅する中で、純然たる乗用車としては唯一マスタングが残る。
マスタングの2017年の販売台数は約8万1000台と、この手のクルマとしては優秀だが、フュージョンやフォーカスと比べると絶対的なボリュームがあるワケではない。なぜ、マスタングだけが生き残れたのか。
フォードが乗用車を大幅に削減する理由は1にも2にも、レンタカーなどへの販売が多く、かつ一般販売においても値引きが多く、収益性が低いことにある。レンタカー商売が少ないマスタングは、価格が高いこともあって収益性は悪くないはずだ。それを支えているのが、マスタングが1960年代からずっと、フォードのイメージリーダーカーであり続けていることだ。
マスタングとは、アメリカ大陸にスペイン人が持ち込んだ小型の馬が野生化したものを指す。つまり野生馬だ。1965年に登場した初代フォードマスタングは、セダンのプラットフォームを流用し、安価に流麗なクーペスタイリングを提供する“ポニーカー”の草分けとなった。
ベースとなった「ファルコン」はお世辞にもカッコいいとは言いがたい野暮ったいスタイリングだった。これは1968年に6ライトのどちらかといえば野暮ったいセダンの「フローリアン」をベースに、流麗なクーペボディをまとったいすゞ自動車「117クーペ」が生まれたことに近い。
それまで、5メートル近いセダンに強力なV8エンジンを積んだ“マッスル(筋肉)カー”というジャンルはあったのだが、フォードは、より軽快でベースのセダンとはまったく異なる外観のクーペという“ポニーカー“と呼ばれるジャンルをマスタングで創出した。ポニーは小型の馬の意味であり、マスタングという車名がポニーカーの語源となったものと思われる。
リー・アイアコッカ指揮下のフォードで生み出されたこのクルマづくりの手法は、最盛期には年間60万台強という、今の日本市場で言えばホンダの年間総販売台数に匹敵する驚異的なセールスを記録した。
■日本車全体にも大きな影響を与える
いすゞだけでなく日本車全体にも大きな影響を与え、トヨタ自動車はセダンの「カリーナ」とプラットフォームを共有させて1970年に「セリカ」を生み出した。さらに1973年に追加されたハッチバック仕様の「セリカ リフトバック」では、縦型が連なるテールランプデザインやCピラーのルーバーまで本家マスタングをそっくりまねたのは有名である。
初代マスタングは1969年に大幅なスキンチェンジを経て、1973年まで続くが、このスキンチェンジの際に長く幅広くなり、全長は20センチメートルも延びて4.8メートルを超え、重量は300キログラム以上も増加する。結果、軽快なポニーカーのイメージから離れ、加速性能も悪化した結果、末期には販売は低迷する。
その反省に鑑み、1973年9月には当時のアメ車で最も小さいサブコンパクトの「ピント」をベースとして、「マスタングⅡ」と呼ばれる全長4.5メートルを切るコンパクトな2代目が誕生し、初年度の販売台数は年間38万5000台まで回復した。
しかし、1979年登場の角型ヘッドランプの3代目、1994年の異形ヘッドランプの4代目と時を重ねるにつれ、人気は下降し、4代目は2000年を除いて販売が20万台を超えることはなかった。
この頃、ライバルであるゼネラルモーターズ(GM)の「シボレー カマロ」や、「ポンティアック ファイヤーバード」が全長5メートル近いグラマラスな車体を維持したのに対して、マスタングは全長4.5~4.6メートルのサイズを維持して、むしろカマロやファイヤーバードよりも、急速に台数を拡大したトヨタ「セリカ」や、日産自動車の「フェアレディZ」などの日本製クーペ軍を迎撃するポジションを取るようになった。
それゆえか、アメ車らしさを失い、この頃のマスタングは人気がない。フォードの対日本車シフトがさらに加速したのは1980年代後半で、この頃マツダとの協業が進んだフォードは、次期マスタングをマツダ「MX-6」(カペラ)ベースのFF(前輪駆動)にしようとしていた。
さすがにV8エンジンを搭載できないFF車でマスタングを名乗ることに、社内でも反対論が出て、このFFクーペは「フォード プローブ」という別の名前で販売され、代わりに1978年登場の3代目マスタングが1993年まで延命されることになった(余談だがカペラと聞くと、アラン・ドロンがカペラ セ モン プレジール“Capella, C'est mon plaisir”/私の喜び)と言っていた当時のCMが筆者世代には懐かしく思い出されることと思う)。
そんな紆余曲折はあったものの、マスタングは一度も途切れることはなく現代まで続いている。ライバルのカマロが2002年以降、2009年までの間に生産中止の憂き目に遭い、ファイヤーバードに至っては、2002年を最後に販売中止となり、揚げ句にポンティアックというブランドそのものが消滅してしまったのとは対照的だ。
2005年登場の6代目マスタングはフォードの「リビングレジェンド戦略」に基づいて、初代のデザインを現代風にアレンジしたものとし、当時を知る熟年から、伝説として初代にあこがれていた若者まで取り込んでヒット商品となった。
これに影響されて、GMもマスタングの往年のライバルであったカマロを7年のブランク期間後に2009年に復活。クライスラーも2008年に「ダッジ チャレンジャー」を復活し、マスタング人気に対抗した。それほど6代目マスタングが業界に与えた影響は大きかった。
かつては米国クーペ市場を席巻した日本車のクーペ軍であるトヨタ「セリカ」「スープラ」、日産「SX」(日本名シルビア)、ホンダ「プレリュード」「インテグラ」などが軒並み消滅してしまった後に、6代目マスタングは押し出しの効いたクーペスタイリングにハイパワーエンジンを押し込んだポニーカーの需要が現代にも根強いことを証明して見せた。
とはいえ超高齢化社会の日本と違い、移民流入もあって先進国の中でも健全な人口構成の米国では、シニア世代だけを相手にしてもビジネスは成り立たない。日本では若者層狙いの商品企画は成立しづらいが、アメリカでは過去数十年つねに、「Gen-X(ジェネレーションX)」や、「Gen-Y(ジェネレーションY)」、最近ではミレニアル世代が消費動向の中心である。したがって“昔の名前で出ています”、だけでは商売が成り立つはずもなく、若者をターゲットにしたマーケティングにもしっかりと配慮している。
■若者層にも広くアピール
まずGMが、2007年に始まった映画『トランスフォーマー』シリーズの準主役キャラのバンブルビーとしてカマロを提供。フォードはこれに対抗して2008年に映画『ナイトライダー』の準主役キャラの人工知能搭載のスーパーカー、ナイト2000役にマスタングを提供した。筆者の世代には懐かしい“ナイトライダー”の1980年代のオリジナルTVシリーズでは、マスタングのライバルであるGMのファイヤーバードが主役であり、当時、ナイト2000と同じ黒のファイヤーバードが全米で人気が出たほどであった。
2008年の映画版ではマスタング(正確にはそのハイパワー版であるシェルビー GT500)に寝返ったのは面白い現象である。結果的に違和感があったのか、映画版『ナイトライダー』は『トランスフォーマー』のような成功には至らなかった。
映画やTVに商品を登場させる手法はプロダクトプレースメントと言って、古くは『007』映画のAston Martinや、Omegaの時計、あるいはトヨタ 「2000GT」などで知られる。ただ、昔は映画製作陣が車やバイクが必要な際にいちいち購入していたのでは経費が嵩むので、メーカーに協賛を求め、メーカーが無償で商品を提供するというおおらかなものであったが、21世紀になってからは高額なスポンサー料とセットになるようになった。
大手の映画では、車両提供以外に10億円単位の費用を捻出しないと使ってもらえないようになっている。それでもわずか数十秒のTV広告に数億円を費やすより、何十分も映画の中でそのクルマが暴れまわるところを視聴者に刷り込みができる映画のプロダクトプレースメントは効果的で、2004年の『アイ、ロボット』のアウディなどは典型である。このプロダクトプレースメント手法も使って、マスタングやカマロは若者層にも広くアピールしている。
■ショーの目玉は初代マスタングへのオマージュ
昨今、家電ショーであるCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)への自動車メーカーの出展が著しく、CESと同じ1月開催のデトロイトモーターショーがかなり圧迫されている。2018年のデトロイトショーに、地元フォードは目新しい新車は出さなかった。それでも記者会見だけは行ったのだが、その目玉がなんとマスタング・ブリットという深いグリーンメタリックに塗装されたマスタングの特装車であった。
これは1968年にスティーブ・マックイーン主演のアクション映画『ブリット』に登場した初代マスタングへのオマージュである。会場には当時マックイーンが乗った初代マスタングを復元したクルマと、6代目マスタングベースのブリット特装車が並べて展示してあった。そう、マスタングこそは映画というメディアを通じて若者に訴求するプロダクトプレースメントの元祖でもあるのだ。
マスタングとは、小型の野生馬を語源とすることは冒頭に述べたが、馬という品種は北米大陸発祥でありながら氷河期に北米の馬は一度絶滅したという説がある。マスタングは、乗用車の大量絶滅を乗り切って、唯一生き残る品種となった。かつてマスタングが戦った相手の日本産のクーペが、フェアレディZ以外はほとんど死滅したこともあり、これからもずっとマスタングには生き残ってほしいものだ。
森山 一雄 :自動車ライター
それでドライブしてたら暴走族に取り囲まれて焦ったなどと話題になり皆で大笑いしたことが記憶にある。
エンジンからオイルが焦げた匂いがして「ヤバイ、」と感じた記憶も有る。
自分もバラクーダ、カマロ、シェビーバンと所有したことが有るが故障はなく(そんなに何年も乗らなかったが)エンジンオイルが焦げたヤバイ匂いなどしなかった(笑い)V8エンジンの鼓動は最高だった(アクセル踏みこむとガソリンゲージがガクンと減ることだけが心配だったが=苦笑)いい思い出。
現在は、海外生活でクルマはスズキの1000ccコンパクトCar。
たまにマスタング新車を見かける。音でv8マッスルエンジンと分かる迫力。ハマーH1好き者が乗っている。
道楽車種が最高楽しいね
フォード「マスタング」しぶとく残る車の真価
7/16(月) 6:00配信 東洋経済オンライン
フォード「マスタング」しぶとく残る車の真価
現行「マスタング」の第1号車(写真:Rebecca Cook/ロイター/アフロ)
今年6月16日はフォード創業115年の記念日だった。流れ作業とベルトコンベア導入による自動車の大量生産に先鞭を付けた、自動車メーカーの元祖である。
【写真】初代マスタングと、それをそっくりまねたトヨタ「セリカ」など
その由緒あるフォードで1947年(昭和22年)、つまり終戦の2年後に始まったピックアップの「Fシリーズ」を除き、最も長く続いている車名が「マスタング」だ。
■なぜ、マスタングだけが生き残れたのか
今年4月の決算発表で、フォードはラインナップの90%をSUV含むライトトラックなどに移し、マスタングとこれから導入される「フォーカス アクティブ」を除いて乗用車開発から撤退すると発表した。
フォーカス アクティブは乗用車ベースとはいえ、日本車で言えばSUBARU(スバル)「XV」のようなSUVルック。「フォードが北米でセダンから撤退する裏事情」(5月4日配信)でも詳しく解説したように、年間21万台販売の「フュージョン」も、同16万台の「フォーカス」も消滅する中で、純然たる乗用車としては唯一マスタングが残る。
マスタングの2017年の販売台数は約8万1000台と、この手のクルマとしては優秀だが、フュージョンやフォーカスと比べると絶対的なボリュームがあるワケではない。なぜ、マスタングだけが生き残れたのか。
フォードが乗用車を大幅に削減する理由は1にも2にも、レンタカーなどへの販売が多く、かつ一般販売においても値引きが多く、収益性が低いことにある。レンタカー商売が少ないマスタングは、価格が高いこともあって収益性は悪くないはずだ。それを支えているのが、マスタングが1960年代からずっと、フォードのイメージリーダーカーであり続けていることだ。
マスタングとは、アメリカ大陸にスペイン人が持ち込んだ小型の馬が野生化したものを指す。つまり野生馬だ。1965年に登場した初代フォードマスタングは、セダンのプラットフォームを流用し、安価に流麗なクーペスタイリングを提供する“ポニーカー”の草分けとなった。
ベースとなった「ファルコン」はお世辞にもカッコいいとは言いがたい野暮ったいスタイリングだった。これは1968年に6ライトのどちらかといえば野暮ったいセダンの「フローリアン」をベースに、流麗なクーペボディをまとったいすゞ自動車「117クーペ」が生まれたことに近い。
それまで、5メートル近いセダンに強力なV8エンジンを積んだ“マッスル(筋肉)カー”というジャンルはあったのだが、フォードは、より軽快でベースのセダンとはまったく異なる外観のクーペという“ポニーカー“と呼ばれるジャンルをマスタングで創出した。ポニーは小型の馬の意味であり、マスタングという車名がポニーカーの語源となったものと思われる。
リー・アイアコッカ指揮下のフォードで生み出されたこのクルマづくりの手法は、最盛期には年間60万台強という、今の日本市場で言えばホンダの年間総販売台数に匹敵する驚異的なセールスを記録した。
■日本車全体にも大きな影響を与える
いすゞだけでなく日本車全体にも大きな影響を与え、トヨタ自動車はセダンの「カリーナ」とプラットフォームを共有させて1970年に「セリカ」を生み出した。さらに1973年に追加されたハッチバック仕様の「セリカ リフトバック」では、縦型が連なるテールランプデザインやCピラーのルーバーまで本家マスタングをそっくりまねたのは有名である。
初代マスタングは1969年に大幅なスキンチェンジを経て、1973年まで続くが、このスキンチェンジの際に長く幅広くなり、全長は20センチメートルも延びて4.8メートルを超え、重量は300キログラム以上も増加する。結果、軽快なポニーカーのイメージから離れ、加速性能も悪化した結果、末期には販売は低迷する。
その反省に鑑み、1973年9月には当時のアメ車で最も小さいサブコンパクトの「ピント」をベースとして、「マスタングⅡ」と呼ばれる全長4.5メートルを切るコンパクトな2代目が誕生し、初年度の販売台数は年間38万5000台まで回復した。
しかし、1979年登場の角型ヘッドランプの3代目、1994年の異形ヘッドランプの4代目と時を重ねるにつれ、人気は下降し、4代目は2000年を除いて販売が20万台を超えることはなかった。
この頃、ライバルであるゼネラルモーターズ(GM)の「シボレー カマロ」や、「ポンティアック ファイヤーバード」が全長5メートル近いグラマラスな車体を維持したのに対して、マスタングは全長4.5~4.6メートルのサイズを維持して、むしろカマロやファイヤーバードよりも、急速に台数を拡大したトヨタ「セリカ」や、日産自動車の「フェアレディZ」などの日本製クーペ軍を迎撃するポジションを取るようになった。
それゆえか、アメ車らしさを失い、この頃のマスタングは人気がない。フォードの対日本車シフトがさらに加速したのは1980年代後半で、この頃マツダとの協業が進んだフォードは、次期マスタングをマツダ「MX-6」(カペラ)ベースのFF(前輪駆動)にしようとしていた。
さすがにV8エンジンを搭載できないFF車でマスタングを名乗ることに、社内でも反対論が出て、このFFクーペは「フォード プローブ」という別の名前で販売され、代わりに1978年登場の3代目マスタングが1993年まで延命されることになった(余談だがカペラと聞くと、アラン・ドロンがカペラ セ モン プレジール“Capella, C'est mon plaisir”/私の喜び)と言っていた当時のCMが筆者世代には懐かしく思い出されることと思う)。
そんな紆余曲折はあったものの、マスタングは一度も途切れることはなく現代まで続いている。ライバルのカマロが2002年以降、2009年までの間に生産中止の憂き目に遭い、ファイヤーバードに至っては、2002年を最後に販売中止となり、揚げ句にポンティアックというブランドそのものが消滅してしまったのとは対照的だ。
2005年登場の6代目マスタングはフォードの「リビングレジェンド戦略」に基づいて、初代のデザインを現代風にアレンジしたものとし、当時を知る熟年から、伝説として初代にあこがれていた若者まで取り込んでヒット商品となった。
これに影響されて、GMもマスタングの往年のライバルであったカマロを7年のブランク期間後に2009年に復活。クライスラーも2008年に「ダッジ チャレンジャー」を復活し、マスタング人気に対抗した。それほど6代目マスタングが業界に与えた影響は大きかった。
かつては米国クーペ市場を席巻した日本車のクーペ軍であるトヨタ「セリカ」「スープラ」、日産「SX」(日本名シルビア)、ホンダ「プレリュード」「インテグラ」などが軒並み消滅してしまった後に、6代目マスタングは押し出しの効いたクーペスタイリングにハイパワーエンジンを押し込んだポニーカーの需要が現代にも根強いことを証明して見せた。
とはいえ超高齢化社会の日本と違い、移民流入もあって先進国の中でも健全な人口構成の米国では、シニア世代だけを相手にしてもビジネスは成り立たない。日本では若者層狙いの商品企画は成立しづらいが、アメリカでは過去数十年つねに、「Gen-X(ジェネレーションX)」や、「Gen-Y(ジェネレーションY)」、最近ではミレニアル世代が消費動向の中心である。したがって“昔の名前で出ています”、だけでは商売が成り立つはずもなく、若者をターゲットにしたマーケティングにもしっかりと配慮している。
■若者層にも広くアピール
まずGMが、2007年に始まった映画『トランスフォーマー』シリーズの準主役キャラのバンブルビーとしてカマロを提供。フォードはこれに対抗して2008年に映画『ナイトライダー』の準主役キャラの人工知能搭載のスーパーカー、ナイト2000役にマスタングを提供した。筆者の世代には懐かしい“ナイトライダー”の1980年代のオリジナルTVシリーズでは、マスタングのライバルであるGMのファイヤーバードが主役であり、当時、ナイト2000と同じ黒のファイヤーバードが全米で人気が出たほどであった。
2008年の映画版ではマスタング(正確にはそのハイパワー版であるシェルビー GT500)に寝返ったのは面白い現象である。結果的に違和感があったのか、映画版『ナイトライダー』は『トランスフォーマー』のような成功には至らなかった。
映画やTVに商品を登場させる手法はプロダクトプレースメントと言って、古くは『007』映画のAston Martinや、Omegaの時計、あるいはトヨタ 「2000GT」などで知られる。ただ、昔は映画製作陣が車やバイクが必要な際にいちいち購入していたのでは経費が嵩むので、メーカーに協賛を求め、メーカーが無償で商品を提供するというおおらかなものであったが、21世紀になってからは高額なスポンサー料とセットになるようになった。
大手の映画では、車両提供以外に10億円単位の費用を捻出しないと使ってもらえないようになっている。それでもわずか数十秒のTV広告に数億円を費やすより、何十分も映画の中でそのクルマが暴れまわるところを視聴者に刷り込みができる映画のプロダクトプレースメントは効果的で、2004年の『アイ、ロボット』のアウディなどは典型である。このプロダクトプレースメント手法も使って、マスタングやカマロは若者層にも広くアピールしている。
■ショーの目玉は初代マスタングへのオマージュ
昨今、家電ショーであるCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)への自動車メーカーの出展が著しく、CESと同じ1月開催のデトロイトモーターショーがかなり圧迫されている。2018年のデトロイトショーに、地元フォードは目新しい新車は出さなかった。それでも記者会見だけは行ったのだが、その目玉がなんとマスタング・ブリットという深いグリーンメタリックに塗装されたマスタングの特装車であった。
これは1968年にスティーブ・マックイーン主演のアクション映画『ブリット』に登場した初代マスタングへのオマージュである。会場には当時マックイーンが乗った初代マスタングを復元したクルマと、6代目マスタングベースのブリット特装車が並べて展示してあった。そう、マスタングこそは映画というメディアを通じて若者に訴求するプロダクトプレースメントの元祖でもあるのだ。
マスタングとは、小型の野生馬を語源とすることは冒頭に述べたが、馬という品種は北米大陸発祥でありながら氷河期に北米の馬は一度絶滅したという説がある。マスタングは、乗用車の大量絶滅を乗り切って、唯一生き残る品種となった。かつてマスタングが戦った相手の日本産のクーペが、フェアレディZ以外はほとんど死滅したこともあり、これからもずっとマスタングには生き残ってほしいものだ。
森山 一雄 :自動車ライター
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