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献体が殺到する訳 献体墓

2023年08月14日 | 日記

献体が殺到する訳 献体墓の人類学
鵜飼秀徳ジャーナリスト、正覚寺住職、(一社)良いお寺研究会代表理事
8/11(金) 9:20
近畿大学医学部の献体供養塔(筆者撮影)

 近年、大学医学部への献体を申し出るケースが飛躍的に増えている。献体登録数は1990(平成2)年でおよそ10万人だったのが2000(平成12)年には約20万人、2022(令和4)年3月現在では31万人以上に上った。本稿では「絶滅する墓 日本の知られざる弔い」(NHK出版新書)をもとに、献体の現在と、献体の供養を紹介していく。
京都大学の巨大な献体供養塔

 献体とは、主に大学の医・歯学部が医学生の教育、訓練を目的として、一般の人から死後、遺体の提供を受ける制度のことである。日本における献体は、献体希望者の遺志によって、無条件・無報酬で行われる。献体は手術の技術向上や医学の発展において、欠かせない制度だ。医学生の場合、2人に1体、歯学生は4人に1体の遺体が必要になる。

 解剖実習を終えた後は、大学が手厚く弔ってくれる。献体として提供した篤志家の合祀墓(供養塔)が、大学の敷地や寺院などに存在する。

例えば、京都大学医学部には大学キャンパス内の供養塔のほかに、大学近くの専用の敷地に巨大な供養塔を立てている。

京都大学献体供養塔(筆者撮影)

 広い芝生の広場の奥に高さ3メートルほどの宝塔が立っている。宝塔には「安魂」と刻まれ、卒塔婆が立てられている。卒塔婆には、南無阿弥陀仏の名号が書かれており、浄土宗がこの墓地を管理し、供養していることがわかる。

 慰霊塔の南東には、浄土宗大本山の金戒光明寺(通称・黒谷)がある。京都大学の場合、この金戒光明寺にて慰霊祭(京都大学医学部解剖体祭)を毎年秋に実施し、慰霊塔での法要も実施している。法要には篤志家の遺族や大学関係者、学生らが参加。この1年間に解剖された200体前後の篤志体のほか、病理解剖、法医解剖された人々の弔いを実施している。法要に先立ち、9月には遺骨の返還式が執り行われる。

 大阪にある複数の大学医学部の献体墓があるのが四天王寺だ。大阪市立大学、大阪歯科大学、近畿大学が1970年代に続々と献体墓を立てた。

「医学の研究・教育に尊き遺体を捧げられたるみたま、ここにねむる」(大阪市立大学医学部)

「當学の教育研究に遺体を捧げられた崇高な御霊ここにねむる」(大阪歯科大学)

 近畿大学は1976(昭和51)年4月、献体墓(供養塔)の開眼式を実施。この年の秋には教職員の物故者法要と兼ねて合同慰霊祭が実施された。1979(昭和54)年には解剖体委員会が設置されて、解剖体慰霊祭の立案がなされた。そして、献体者の遺骨をここに納骨した。以来、毎年11月初旬に四天王寺で法要が実施されている。現在は、献体者本人や遺族の希望によって、四天王寺の地下納骨堂に納められ、永代供養がなされている。

 これらの大学が四天王寺に献体墓を建立する理由は、四天王寺が特定の宗派に属することのない超宗派の寺院だからだ。四天王寺は、蘇我氏と物部氏が仏教の受容を巡って争い、聖徳太子率いる蘇我氏側が勝利した際に開かれた日本最初の官寺である。いわば、日本仏教が分派する前の、起源といえる存在だ。四天王寺は特定の宗派に依らないので、献体墓を設けるのに適している。
献体に殺到する人々

 さて近年、大学医学部への献体を申し出るケースが飛躍的に増えている。わが国には献体篤志家団体が62団体ある。献体登録数は1990(平成2)年でおよそ10万人だったのが2000(平成12)年には約20万人、2022(令和4)年3月現在では31万人以上に上っている。うち、すでに献体をした人は約15万体となっている。こうしてみても、30年前にくらべて、献体数が右肩上がりに増加してきているのがわかる。

東京医科歯科大学(写真:西村尚己/アフロ)

 現在ではほぼ篤志家による献体でまかなえている。基礎医学を支える献体の世界に何が起きているというのか。

 解剖学の歴史を少し辿ってみたい。日本における医学目的の解剖は1754(宝暦4)年、京都の医学者・山脇東洋が実施した「腑分け」(幕府の許可を得て刑死体を解剖すること)が最初と言われる。その後、江戸の医師であった杉田玄白や前野良沢らも腑分けに立ち会い、その後、西洋医学の翻訳書『解体新書』を著した。

 篤志による献体は、明治期になってから。梅毒にかかった遊女・井上美幾女が医師の求めに応じて死後、身体を提供したのが始まりと言われている。

 戦後、篤志家団体(白菊会)が成立するが、昭和50年代までは献体数が絶対的に不足していた。昭和の時代には、解剖実習は身元不明遺体で行われるケースも多かった。

 その後、1984(昭和59)年に献体法が施行。文化人らが献体するケースや献体を題材にした小説も生まれ、広く世間に周知されるようになってきた。献体は、社会貢献の1つのあり方として位置づけられていく。こうした意識の変化が、じわじわと献体数を伸ばしている理由の1つに挙げられる。
東日本大震災後、「死後」を考える人が増えた

 一方で、社会構造の変化が増加要因になっている面もある。つまり、核家族化によって、独居老人が増え、孤独感、死後の不安感ゆえに献体を申し出るケースである。また、いわゆる「おひとりさま」の増加も、献体数の伸びに影響を与えていると考えられる。

 献体すれば、死後、防腐処理が施された上、大学で一定期間保管され、解剖実習後は遺骨となって遺族の元に還される。引き受ける遺族がいなければ遺骨は大学内の供養塔などに納められる。大学では、定期的に慰霊祭を実施している。つまり、献体することによって、「死後が見える安心感」が得られるというのだろう。

 また東日本大震災以降、「自分の死に関心を抱くようになった」という人が増え、献体を選択する人も一部で現われ始めた。こうした人々の多くは、「人はいつ何時、死ぬか分からない存在。葬送を自分で決められる献体を選ぶことで、前向きに生きられる」との理由を挙げる。「伴侶が献体を希望しているので自分も」というケースも多いという。

 様々な背景によって献体数が増えているが、献体の増加は、若き医師に対する教育が充実し、結果的に医療の向上に寄与することを意味する。だが、課題はある。

 地方の新設医科大学や歯科大学ではまだ献体が集まりにくいということだ。献体を希望する人は知名度の高い都市部の大学や、自身が通院していた付属病院の大学を指名する傾向があるという。遺体の運搬の制限もあり、献体する場合は、自宅から近い場所の大学に限られる。献体の世界にも、都市と地方の格差が影を落としているのだ。

 献体登録者が死亡し、実際の解剖実習までは2年ほどかかる。結果的に遺族の元に遺骨が返される時期が延び、

「(配偶者の遺骨が戻るよりも)自分の方が先に逝ってしまうので、早く解剖してほしい」

 という希望も相次いでいる。献体希望者が増えているのに、運用面がかみ合っていない。
「葬儀代を浮かせたい」という本末転倒な人も

 最近は、献体の理念や制度をないがしろにするような問い合わせが出てきている。

「献体をすれば、大学側が葬儀や埋葬をやってくれるでしょ。葬儀代を浮かせられるので献体したい」

 身寄りのない人の場合、遺骨は大学に納められ、慰霊祭を実施してくれる。しかし、大学側は憤る。

「本末転倒な考え方で、そういう申し出は基本的にはお断りしている。純粋に医学への貢献を思って献体に登録されている方に不愉快な思いをさせることにもなりかない。そもそも献体は無条件、無報酬の考え方に基づいており、葬儀代の節約のための献体となってしまうと、制度そのものが崩壊してしまう」(都内の大学)

 献体は「医療への貢献」という、極めて純粋な動機によって成立するものだ。そもそも、独居老人問題や高齢者の経済的な問題は、国や自治体が取り組まねばならぬ問題だろう。

 数を集めればよいという問題でもない。数を求めれば金銭がからみ、ブローカーの介入にもつながる。海外では献体の世界にエージェント(代理人)が入り、自動車の衝突実験や臓器売買などに転用されるケースも出ている。

 献体は、社会の実情を映す鏡なのかもしれない。日本人は死者を敬う美意識を持っているだけに、志を大切にした献体制度であってほしいと願う。

 本稿は「絶滅する墓 日本の知られざる弔い」(NHK出版新書)をもとに構成した。


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フィルムに残された あのころのにっぽん 昭和43年~46年

2023年03月22日 | 日記
フィルムに残された あのころのにっぽん 昭和43年~46年
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高齢者が田舎で生活していくのは大変だよ。

2023年01月11日 | 日記

nan*****
nan*****6日前

生まれたのが田舎で現在は地方都市に住んでいる40代の私の意見としては、高齢者が田舎で生活していくのは大変だよ。

記事にあるように広い土地を管理しながら生活していくには体力がいるし、交通機関が発達していない地域も多いから車を運転しないと生活していけない。

それに、地方は物価が安いと言われているけれど、都会と比べて安いのは不動産くらいだよ。

スーパー・ホームセンター・ドラッグストアなどで販売されている商品は、まったく同じ商品なのに都会のほうが安い。

都会なら周囲に同じような店があるから値下げ合戦をしているけど、田舎の店は近くにライバル店が少ないから強気な値段設定にしている事が多いね。

それなのに、地方のほうが平均給与が安いし、生活保護の受給額も地方のほうが安いというのは変だよね。

sar*****
sar*****6日前

田舎が不便なのは言わずもがな。
たた、経済的な面での比較はあまり意味がないと思いますよ。
まず、不動産の価格差が違いすぎます。
その差額を生活費の差額として耕せば何十年分にもなりますから。
それに田舎の物価で高いものが多いのは事実ですが、それは都心と同じかそれに近い生活をしようとするからであって田舎にあった生活をすれば総合的には安く済ませられますよ。
それに田舎にいると自己顕示欲や物欲が薄れてきやすくなるので出費自体が大幅に減るとのデータもありますから。
第一、そんなに出費が多けりゃ仕事も稼ぎも少なく金持ちも少ない田舎の人たちは生活出来なくなっちゃいますよ?

mix
mix6日前

田舎の店ほど殿様商売なのは変わらないね
10年くらい前、転勤先で3年ほど住んだ町は車検してくれる車屋とかあてがわれた社宅のプロパンガスをお願いする店もひとつしかなくて、職場から「地元にお金を落とすのも仕事のうち」とか訳分からん話されたけど、頼みもしないのに純正バッテリーを勝手に交換されたり(もう充電がーとか言われたがイマイチ納得出来ない)、ガス屋のオッサンは手際は荒いし横柄だし、唯一の菓子屋のケーキはスポンジが明らかにふにゃふにゃシフォンだが高級店並みの価格だし
極めつけはそもそも下水が完備されていなくて、まだうちの社宅は浸透枡だったが街中を普通にバキュームカーが走っていて臭いのなんの
うちの会社の支店でもってるマチ、と先輩からは聞いていたが、もう2度と住みたくない
ちなみにスーパーも転入した年に2件あったが、うち1件はしばらくして潰れて、買い物は週末車で往復3時間峠越えで近隣中規模都市へ

cra*****
cra*****6日前

同じです、

私も超田舎に母の介護でいました。
元々都会に住んでいたのを介護でもどりました。不便で買い物も車く全て車でした。
今は8年の介護も終わり都会もどりました。今は2階建てのアパートです。階段を上がれなくなると住めないので
でも終いの住みかはまだ模索しています。

もく@co
もく@co3日前

街の方が便利だけど考え方しだいで畑をしたいとか静かでのんびりしたいなら田舎暮らしは悪くない。時間の流れ方が違う。これは住んでみないとわからないし感じ取れない人もいるかもしれない。自分は草刈りやチェーンソーを使ったりして不便をそれなりに楽しんでいます。

ead*****
ead*****6日前

私は、西伊豆の田舎の温泉付きバリアフリーのマンションを持っていますが、ガソリン、肉、野菜も高いです。家庭菜園や魚釣りを楽しんでいる人も多く田舎生活を楽しんでいますが、車が運転出来なくなったら都会に帰る人が多数です。田舎生活は、動ける間の遊びなら良いが身体の自由がきかなくなると病院通いも大変だし、死んでも檀家が少ないからお経代もバカ高いので勧めません。

kmb*****
kmb*****6日前

結局、受け取り方次第でね。
田舎だと、どこの店で買う、という選択肢はないが、それを「高いものを無理やり買わされた」と思うが「色々、自分で調べて考える手間が省けた」と見るかだ。

y_n*****
y_n*****6日前

60-70歳位の間に、のんびり田舎暮らしも良いんじゃないの?
そこを終の棲家とするのではなく、健康だけど時間とお金に余裕がある人が、田舎暮らしを楽しむ。
そういうのにお金を使うのって、悪いことじゃないよ。

wsc*****
wsc*****6日前

おっしゃる通り。
車が無かったら生活出来ないし、行事は参加しないといけないし、
物価は高いし、何かとやる事も多いし。

のんびり縁側で日向ぼっこ

なーんて生活は90歳過ぎてからだろうし。

田舎者なら分かるけど、わざわざ定年してから移住する気がしれない。

五流コメンテーター
五流コメンテーター6日前

先日、高知の山奥のGSに密着するバラエティをやってましたが、ガソリン類はもちろん、併設の売店で売ってるカップヌードルが230円とかでしたね。
しかし、行き帰りの手間や交通費を考えると、それでも買わざるを得ないという現実。

tmg***
tmg***6日前

田舎県だけど
県の中ではまだ利便性はよい
家電はAmazonやネットで買うので問題ない。

田舎のメリットは住居費が安いことかな。



五流コメンテーター
五流コメンテーター6日前

番組のせいとは言わないが、テレビ番組「人生の楽園」あたりの影響を受けて、安易に地方移住に乗り出して失敗する高齢者の多いこと。
テレビではその地域のイメージ保護とかもあるから基本的に良いことしか言わないし、その後どうなったかなんて話もあまりしない。
数少ない成功例ばかりを見て「自分もやれる」と、わずか数ヶ月の準備とかで行く人もいるが、本当に無謀なことをしてると思う。

vam*****
vam*****6日前

地方都市の郊外に住んでいた義両親、そこを終の棲家とするつもりでいたようですが、70代に入り色々思うところがあったようで、自宅を処分して我が家の近くのUR賃貸に引っ越してきました。

今はいいけど将来病気になったり介護が必要になったりしたとき、子供達と飛行機の距離では何かと大変だろう、元気なうちに自分達で近くに引っ越しておこうと考えたそうです。

義父は転勤族で義母は全て帯同していたこともあり、義両親は引っ越し慣れしていて、あっという間に物件を決めてサクッと引っ越してきました。イオンがあればどこでも暮らせると言っています。

80代になると思うように動けなくなるだろうから、動けるうちに大きな決断をするって大事ですよね。

cya*****
cya*****6日前

今、親の置かれている状況か、家を売りたくない方の例のようなもの。
地方の坂のある土地に一軒家があるが、2人には大きすぎる。もちろん、帰省した子どもたちのことも考えているであろうが…
2人とも体力が落ち、自分のことで精一杯。
昨年、車を手放してからは行動範囲はグッと狭くなった。こらなら、駅近の狭い場所でも便利なところに住む方がいいのだけれど、納得しない。ということで、移動は全てタクシーになっている。
家の中はほぼ不要なもの。
この年代は捨てきれないらしく、物置も全部捨ててもいいものばかり。 
介護のため帰省してマイナスなことばかり言うと嫌うので放っていますが、次に受け継ぐ方は大変です。

luf*****
luf*****6日前

「地方」とか「田舎暮らし」に夢を見すぎ
現実として
高齢となれば、かかることの多い大病院など
まず近所には無い(あっても地方都市)
何をするにも車は必要
都市部と違って、周辺に娯楽など無いに等しい
歩道も車の出入りが多くて、凸凹に作られている
街灯なんてほとんどない
バリアフリーなんてとこに金かける店が少ない
駅にエスカレーターがあれば良い方
地方自治体に金がないから、場所によってはバスやタクシーすら、割引にならない等々
家賃の高さはあっても、高齢になればなるほど都市部の方が暮らしやすいのに……

tam*****
tam*****6日前

35歳で家を立てて、田舎で120坪ほどの家に住んでいました。子育ても終わり、その後子どもたちは2人東京で生活をそれぞれするようになりました。25年のローンも終わり、30年間住みましたが、その家を手放し、東京の駅チカのマンションを購入し、現在71歳になります。田舎暮らしは若いときはいいですが、庭木の手入れ、草取り、家の修繕などとても負担になっていました。今は子どもたちにも30分程度の距離で遊びにもいけるし、マンションのすぐ近くに訪問介護施設、周りには5軒のコンビニ、スーパーは5分以内に2軒あり、とても便利に暮らしています。子育て世代はいいですが、齢をとってからの田舎暮らしはおすすめできませんね。まだ夫婦元気で都会ぐらしを楽しんでいます。この生活に満足しています。

cujqrgo0e******
cujqrgo0e******6日前

余り先の事ばかり考えていたんじゃ、人生面白くも何ともなくなってしまう。

70歳手前の自分の意見では・・一戸建てなら、退職前に屋根と壁だけリフォームして。。後は出来るだけ現金を使わない事です。 金は使えば無くなるけど、持っていれば何時でもその時の対応が出来る。

住み替えしたって、余計な金掛かるし。。新たな場所に住むのは地域に溶け込むまで時間が掛かるし気苦労が増える。 
車椅子生活になるとは限らない。もしかして夫婦の片方が痴呆になるかも知れないし。。独りになるかも知れない。 そういう時こそ現金が一番頼りになるのです。 移住は若い内だけ。夢と現実は全然違うのです。
もし、どうしても移住したいなら・・今の家はそのままにして、住みたい場所に借家でも借りて生活すればいい。 多少、金掛かってもリフォームや住み替えより出費は少ないでしょう。

fuu*****
fuu*****6日前

高齢になるほど、都心のほうが便利で住みやすいですよ。
鉄道バスタクシーが多いので車いらず。医療施設や役所、スーパーも多いし近いし、美術館や映画館などの文化施設も多く、地方でも海外でもどこへ行くにも便利。医療でも買い物でも仕事でも教養でも遊びでも実に便利。
戸建ならマンションのような「管理組合の煩わしさ」や「修繕積立の強要」もありませんし、注文住宅なら「世界に1軒しかない我が家」を好きに建てることもできます。
年齢を問わず「都心の戸建」が家として最強でしょうね。
今後も都心志向が進み、都心に住む人と郊外・地方に住むの格差がますます広がるのではないでしょうか。

ice*****
ice*****6日前

その人その人で何が快適かは異なる。
私は狭いマンション暮らしは息が詰まる。いよいよになるまで、ゆったり暮らしたい。

実際の所、60過ぎではまだ、あれこれ処分して蟄居生活は早いでしょう?車が手放せるかどうかも大きな基準。

うちの場合は、夫が駅近のマンション主張したけど、駅近マンションだと駐車場問題が解決できなかった。夫はやれゴルフだジムだと車必須。私も認知症の両親の見守りに通う必要あり。車が2台必要なうちはマンションは現実的ではないですよ。

結局、コツコツ数年かかって探して、今の駅近の中古戸建てに落ち着く。便利な場所の戸建てが一番ですよ!

ima*****
ima*****6日前

まさにこういう問題に直面している年代。
要介護の親の家に同居して自身の未来の姿を毎日見ているので、今後の生活を考えざるを得ない。
若いときは、地方都市の中途半端な小さな町にある実家に魅力を感じていなかったが、気候的にも安定していて、何かと便利な地元が老齢者には住みやすいのだと改めて思った。
田舎や外国に住むは元気な若い時にこそした方がいいと思う。
お金に余裕があったらやりたいようにやってみてもいいのでは?





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[ツイキャス] ひでぽよ熱帯ジャングル通信キャス!PCからキャス配信中 - 世間話~~~www / ひでぽよ熱帯ジャングル通信キャス (2022.11.02)

2022年11月03日 | 日記
[ツイキャス] ひでぽよ熱帯ジャングル通信キャス!PCからキャス配信中 - 世間話~~~www / ひでぽよ熱帯ジャングル通信キャス (2022.11.02)
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{2}ビックスクーターを売りに出します。フィリピン外人集まる店の掲示板。125000ペソ🥇キムコ300、走行4300キロ。

2022年10月15日 | 日記
{2}ビックスクーターを売りに出します。フィリピン外人集まる店の掲示板。125000ペソ🥇キムコ300、走行4300キロ。

この連中がしてるサインは?
国際金融資本=イルミナテイの合図です。 陰謀論ではありません。
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ラム酒ボトルをカカアに没収されたフィリピンジャングル🙉日本は酒値上げ、麹菌でドブロクだな~🗾

2022年09月26日 | 日記
ラム酒ボトルをカカアに没収されたフィリピンジャングル🙉日本は酒値上げ、麹菌でドブロクだな~🗾
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ラム酒ボトルをカカアに没収されたフィリピンジャングル🙉日本は酒値上げ、麹菌でドブロクだな~🗾

2022年09月22日 | 日記
ラム酒ボトルをカカアに没収されたフィリピンジャングル🙉日本は酒値上げ、麹菌でドブロクだな~🗾
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MyVideo 85

2022年09月15日 | 日記
MyVideo 85
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決着が付きそうフィリピン税関問題。今朝メールが税関から来ました{今まで面倒な事をメールしてきた税関、初から送り状に課税すればいいだけ!}

2022年09月15日 | 日記
決着が付きそうフィリピン税関問題。今朝メールが税関から来ました{今まで面倒な事をメールしてきた税関、初から送り状に課税すればいいだけ!}
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{1}安いスマホ買ったら使えない性能だったストーリー。フィリピン生活。

2022年09月11日 | 日記
{1}安いスマホ買ったら使えない性能だったストーリー。フィリピン生活。
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中国から変なメールの話、🙉 情報を知ってる方コメント下さい🌴

2022年08月11日 | 日記
中国から変なメールの話、🙉 情報を知ってる方コメント下さい🌴
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過去動画、ワリエラのドーピング問題🐒👩

2022年08月03日 | 日記
過去動画、ワリエラのドーピング問題🐒👩
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ポコチン~~🙉170センチ以下のオトコは人感がない👨

2022年08月02日 | 日記
170センチ以下のオトコは人感がない👨
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過去記事、ビクスクの登録間違えが未だ終わっていなかった🐒登録修正は終わりました。

2022年07月30日 | 日記
過去記事、ビクスクの登録間違えが未だ終わっていなかった🐒登録修正は終わりました。


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日本を動かした要人が同じ出自なのか?「山口県田布施町の怪

2022年07月21日 | 日記
ようこそ、穂の国富士見!!!


http://www.fuyuu.com/home5/tabusetyounokai.html



なぜにここまで日本を動かした要人が同じ出自なのか?「山口県田布施町の怪(上)」

2013年 06月 23日
「いま世界でなにが起こっているのか」さんのブログ記事に、鬼塚英昭氏の著書から、日本の国家権力機構の裏世界「田布施システム」についての記述を簡潔にまとめたものがあったので、ここに転載させていただいた。
これは明治天皇すり替えからはじまった「田布施王朝」の実態という、日本国家の秘史であり、この国のありかたとしておさえておくべき今や隠された基本情報である。



山口県田布施町の怪(上)

《1》  鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、 日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。
 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。
熊毛郡の田布施町を中心にしている。
ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。
大室寅之祐=明治天皇、
伊藤博文、 幸木戸一、 宮本顕治、 河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。
むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。  
小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。
小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。
小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。
ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。 例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。  
『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。

 「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、 明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、 近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。
尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。
かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、…… 激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。
 わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。
奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。 もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。 志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。 今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。
(益田勝実『天皇史の一面』より)」  

益田勝実は長州の国家老一族である。だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。 その子孫である益田勝実が、 「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、 孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、 明治天皇となった真相を突いたのだ。

『日本のいちばん醜い日』では、 「大室寅之助は田布施の生まれ、…… 伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。
また宮本顕治(日本共産党)も一族。 そして、木戸幸一も系図に入ってくる。
京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。
そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。
この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。
また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。 あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。 ……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。 むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」 (「日本のいちばん醜い日」より)




山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲)

http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/536.html

投稿者ウソ捏造工場日時 2007 年 9 月 10 日 19:11:32: OszuLYfIhReeI





山口県田布施町の怪(上)

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/7839377a3613e3d90e1198535ea65ced



《1》

 鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。

 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。

 小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。

 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。



 『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。

 「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。

 わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」

 益田勝実は長州の国家老一族である。だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。



 『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。

……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)

 明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。



 鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。

 源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に“鉄器を持って” 漂着した部族であった。その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのがあの源平の戦いである。だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。



 それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込んだ。おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作ったのではないか。田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。

 鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。ということは大室家が平家ではないことを意味している。平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。



山口県田布施町の怪(下)

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/1c1ad0126db64c496dc1e8b573179ef5



《2》

 現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。

 終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。

 先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。

 さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。

 こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。権力者どもにとっては同族だからだ。わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。

 こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、との予測は当たっているのかもしれない。冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。つまり、われわれは「日」といえば日本の「日」だと固く思いこんでいるが、そうではなく、もうちょっと東アジア一帯という視点を持つと、北朝鮮系とそれに呼応する日本の源氏系(?)との連携(=同族)を意味する言葉が「日」なのかもしれない。

 「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、だから何がなんでも政権を維持して、祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、必死なのかもしれない。安倍政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。今度の朝鮮南北首脳会談もそれを受けてのこととも考えられる。



《3》

 さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。

 これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。そのとおりである。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。

 先に「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。

 明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。それを鬼塚氏は詳細に検証していく。そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)

 鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。どちらのクーデターもヤラセだった。

 貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。貞明皇后は長州が嫌いだったので、薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。

 貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。中国か朝鮮であろう。朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。

 貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から勢津子を選んで、長州への面当てをやった。(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。

 今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。

 いずれにせよ、かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けているのであって、現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。
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