俳優の安井昌二が死んだそうだ、85歳。
安井昌二と言ってもほとんど知らないだろうが、1954年に日活が制作再開したときは、スターの一人だった。
この頃の日活の男優は、安井の他、三橋達也、葉山良二らの二枚目だった。小林旭ですら、当初は美男子役だった。
当時の日活の路線は、戦前の再現であり、新国劇による時代劇と内田吐夢、田坂具隆らによる文芸映画だった。
その一つとして市川崑監督の『ビルマの竪琴』があり、安井はこれで水島上等兵を演じて一躍有名になる。
だが、当時の日活はヒット作がなく、給料も欠配・遅配する状況だったらしい。
このままでは、東宝から独立したが、じきに大赤字に転落してしまった新東宝になるところだったが、それを救ったのが、石原慎太郎・裕次郎兄弟の「太陽族」映画だった。
『太陽の季節』『狂った果実』『逆光線』など、太陽族映画はヒットし、日活は再生した。だが、一方で日陰に追いやられたのは、日活にいた二枚目たちである。
三橋達也は、『勝利者』のトラブルで日活を去り、安井昌二は、アクション映画の脇役になる。
最後まで残ったのは葉山良二で、高橋英樹の『男の紋章』シリーズはもとより、ニューアクション時代も日活で頑張っていた。
さて、安井昌二だが、この人を見ていていつもおかしいと思うのは、その台詞回しだった。テレビで『銭形平次』もやっていたが、どこか古臭い気がした。
それもその筈、彼は新演技座にいたのである。新演技座とは簡単に言えば長谷川一夫劇団で、戦時中から旅回り等で大活動していた。
戦後の東宝ストの後、長谷川一夫もほんの少し新東宝にいるがすぐにやめて、新演技座で劇団活動を再開したのだが、そこに安井は入座したのである。
時には長谷川のスタンドインもやったことがあるそうで、安井の台詞回し、また所作は完全に長谷川のモノマネだった。
だが、笑ってはいけない、かの勝新太郎も、映画デビュー時は、長谷川の完璧なマネだったのだから、驚くに当たらない。
勝新太郎は、『不知火検校』を経て『座頭市』に至り、白塗り二枚目を脱するが、それは彼が渡米時にジェームス・ディーンを見ていたことがある。
二枚目を捨てられなかった安井昌二は、テレビを経て劇団新派に入ったのは賢明な選択だったと思う。
言わば、原点に戻ったわけであり、新派の貴重な二枚目として活躍され、2年前の山田洋次演出の『東京物語』でも元気なところを見せていた。
彼の妻で女優だった小田切みきは、7年前に亡くなられている。
俗に夫婦のうち、妻が先立つと夫は長くないと言われるが、小田切の死後7年もご存命されたのは、娘や女性劇団新派などで、周囲の女性に恵まれたからだろうか。
日本映画史に残るだろう二枚目のご冥福をお祈りする。