指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

アジアと西欧の芸能の差異

2016年12月31日 | 音楽

毎年のように大みそかはNHKの紅白歌合戦を見ている。

             

 

いろいろとご批判はあろうが、これが日本の芸能の集約であるであることは間違いない。

そして、最近の傾向としては、年々グループ、集団の歌が増えていて、これは何だと思われる方もいるだろう。

また、なぜか知らないが、バックにやたらにダンサーや演技者が付いて、歌を盛り上げる。日本は人件費が安いから可能なのだという声もあるだろう。

だが、こうした日本の芸能、文化の持つ集団性は、アジアにも多く見られるものであり、香港の歌手のライブでも、必ずバック・ダンサーが付き、主人公の歌手は、男でも何度もお色直しをして華麗に歌うのである。

要は、日本のみならず、アジアの芸能は、村の祭り、祭祀が基なので、表現は集団的になり、季節的になるのである。

これに対し、欧米ではこうした集団性は基本的に忌避されるようだ。

そのことを最初に聞いたのは、1989年にパシフィコ横浜のオープニングイベントを企画するために、イギリスの西海岸のコーンウォールで行われていたウォーマッドに行った時だった。

日本の鼓童が話題になった時、彼らは鼓童のことを「オーバー・コンセントレイション」と言ったが、なかなか的確な批評だと思った。

図式的に言えば、近代の西欧では人間は、神から独立した個人となったので、その逆戻りのような集団性やコンセントレイションと言った非人間性はありえないのである。

私は、もちろんいろいろと批判したいところはあるが、偉大な村祭りである、紅白歌合戦は面白いと思うのである。

 


コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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非エリート ()
2017-01-07 19:51:34
グループというのは、入り易さを表していると思います。
昨今の祭祀は、来る者を拒まないですが、女性や外人を
受け入れるように、気軽さがポップカルチャーとマッチした
と思います。

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