『灰とダイヤモンド』を最初に見たのは、1964年の8月だったと思う。
見たのは、新宿の新東地下で、後の新宿文化とは異なる東宝系の映画館の地下にあるちいさな洋画系の名画座だった。
結構いい映画をやっていたが、地下なので部屋に柱があり、その後ろでは見えないという不思議な館で、銀座の並木座のようなものだった。
この時、ニュース映画で、大井勝島の宝組倉庫の火災をやっていたので、8月中旬だったと思う。
この宝組倉庫の火災は大火災で、私は中学の友人でジャズ好きのN君と一緒に、新宿の厚生年金ホールで行われたマイルス・ディビス・クインテットの公演を見たの後、五反田の池上線のホームから、この大火災を見ていたのだ。
1964年の時は、そうは感動しなかったと思うが、いい映画だとは思った。
その後、政治学者の橋川文三がこの映画に大変な感動を受け、『ぼくらの中の生と死』として、1959年8月に『映画芸術』異常に思い入れた批評を書いているのを読んで、この映画の意味が少しわかった。特に、ポーランドという国の、親ソ連派と親英米的な反共派党派との激しい争いが、戦前からあった特殊な事情にである。
その後、リバイバル上映で、1980年にスバル座で『夜行列車』と一緒に見ているが、この時は「随分と自己憐憫の強い映画だな」と思ったことをよく憶えている。
今回見て、この映画に託された、主人公反共派テロリスト集団の若者のマチェック、チブルスキーの心情、まさしく自己憐憫は、1950年代の監督のワイダをはじめとするポーランドのインテリの心情だったと想像できる。
シナリオが、非常に上手く書かれていることに感心した。最初の地区共産党書記と間違えてのジープに乗った二人の労働者の射殺。
日向に置いてあった機銃の先が焼けて「アチチ」をマチェックがするところ。無関係な少女を追い返し、やってきたジープに銃を発するマチェックを何カットか正面から捉えているところ。
町に行くと、ラジオはドイツが降伏し、ソ連が勝利し、ポーランドも祖国を回復したことに沸いている。
そして、ホテルでは祝勝パーティが行われ、マチェックらが撃ち漏らした地区共産党書記も来るとのことで、上司らとホテルに潜入する。
そこでは、時代の変化に追従して出世しようとする市長の秘書は、インチキな新聞記者の偽情報で彼を狂喜させて酒で酔わせてパーティを滅茶滅茶にし、出世に失敗する。
地区共産党書記の男は、根っからの共産党員で、スペイン内戦にも参加し、現在は好ましいはずだが、息子はやはり反共集団の一員として警察に逮捕されている。
そうした時代の変化に蠢く人間が右往左往するが、ホテルの職員、トイレのチップの小母さんなどはまるで時代と無関係。
その日その日を自分の職業で生きているだけである。
夜中、街に出た共産党書記の後を追ったマチェックは、振り向きざまに射殺する。その時、祝勝の花火が打ち上げられるのは名場面だが、夜中に花火があるものだろうかという疑問はあるが。
ホテルのバーの娘クリスチナに恋し、性交までしたマチェックは、組織を抜けようするが、駅に向う道で警官に見つかり射撃されてしまう。
そして、病院の白いシーツから黒い血が滲み、さらに広大なゴミ捨て場で死んでしまう。
この時の彼のことを、橋川文三は「まるでいやいやをしているようだ」と書いている。
この名作に感動した者は、橋川先生だけではない。大映のオールスター映画で、長谷川一夫主演の『次郎長富士』シリーズの2作目の『続・次郎長富士』では、森の石松の勝新太郎は、都鳥一家にだまし討ちされて、田圃のあぜ道に落ちて、いやいやをしながら死んでしまう。
これは、勝新やスタッフの井上昭らが『灰とダイヤモンド』を見て、模倣したからなのだと私は思う。
上大岡東宝シネマズ