指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

黒澤明はなぜ三船敏郎を重用したのだろうか。

2020年04月07日 | 映画
CSで、『MIFUNE The LAST SAMURAI』を見る。
監督は日系人のステイーブン・岡崎なので、比較的客観的に三船敏郎の姿を描いている。さらに、黒澤明についても、異常な崇拝はなく、公平な描き方である。
これを見て、あらためて思うのは、黒澤明の三船敏郎の重用の大きさ、ある種の「偏愛」である。
黒澤明は、かなり自己愛の強い人間で、役者に対しても非常に公平な付き合い方で、志村喬を非常に信頼していたようだが、特に偏愛した俳優はいない。
だが、三船に対しては、異常なほどの親愛性を示している。

三船の演技に過酷な要求をするのは、その現れである。
映画『蜘蛛の巣城』での三船が演じる鷲頭の最後のシーン、弓矢の攻撃のすさまじさは、むしろ三船敏郎への黒澤明の愛情の強さのように私には見えるのだ。
まるで、緊縛ものやサド・マゾ映画での、攻めるものと受けるものの「愛の戦い」にすら見える。
それほどまでに三船敏郎を黒澤明が愛していたのには理由がある。

それは三船の演技が素晴らしかったことは勿論だが、彼は、黒澤明の兄・黒澤丙午、映画説明者の須田貞明によく似ていたからだと私は思うのだ。
彼のきれいな顔写真は、権利関係でここには出せないが、三船敏郎によく似ている。黒澤プロが作った黒澤のムック本には黒澤丙午の写真が出ているので、見たい方はどうぞ。
この黒澤丙午は、非常に優秀で、映画好きの「キネマ旬報」の投稿少年の一人であり、山野一郎の紹介で映画説明者となり、すぐに人気説明者になる。
そして、映画のトーキー化に際しての、「トーキー・ストライキ」の代表になるが、組合員と会社の板挟み、さらに愛人との確執等で、自殺してしまう。

                         

この時期、黒澤明は、兄丙午の神楽坂の家の居候だったので、兄を失うことは自分が働くことになり、PCLの助監督試験を受け合格する。この下宿の貧民街のことは、後の『どですかでん』や『赤ひげ』の下層の人間の姿として出てくる。
この、「キネマ旬報」の投稿少年仲間だった森岩雄氏が、「黒澤丙午の弟だから」と縁故入社させたのは、人情として理解できることである。
黒澤明は、この面接試験の時「総務課長にいろいろと聞かれて不愉快だった」と書いている。だが、課長側からみれば、森の手による黒澤明の縁故入社への不愉快と抵抗を現したものだといえるだろう。

戦後、黒澤明は、三船敏郎の中に亡き兄・丙午の面影を見出して、彼と共同作業することで傑作を生みだしたのではないかと思うのである。
この映画には出てこないが、1960年代に、黒澤と三船は決裂してしまうが、その裏には、東宝の合理化政策があった。
黒澤には黒澤プロを作らせ、三船にも三船プロダクションを作らせる。
この三船プロ作りは、ひどいもので東宝の高齢スタッフの切り捨てを三船側が受け入れさせられたのである。
三船は、長年一緒にやって来たスタッフを切り捨てられず、自社で雇用し、彼らと共に映画を作る道を選ぶが、これは人情家のすることではあっても、経営者のすることではないことは明白だ。
その点、黒澤明は非情で、晩年のスタッフには、東宝以外の技術者が多数いるが、これは彼の本質の冷酷さである。
黒澤曰く「映画作りに妥協はない」からで、そこが彼が完全主義といわれる由縁である。
日本映画専門チャンネル