指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

真帆しぶき、死去

2020年03月12日 | 演劇
1974年に私が最初に宝塚歌劇公演を見たのは、真帆しぶき主演の『花のオランダ坂』で、普通に言われる「宝塚調なるものより、はるかに上手いな」と思ったものだ。
その頃の大スターだった真帆しぶきが亡くなられたとのこと、87歳。



丁度、別役実の死と同時だったが、別役は新聞の1面で、真帆は普通の訃報蘭だったことは、やはり宝塚と新劇との評価の差だろうか。
もちろん、真帆と言っても、宝塚に詳しい人でないとその名は知らないかもしれない。
だが、私の考えでは、今日は、かつてSKDの他、NDT、大阪の松竹歌劇団など、いろいろとあった歌劇団の中で、今は宝塚のみで、他はなくなってしまった。
それは、宝塚歌劇団が阪急という大きなバックがあったにしても、以前は宝塚歌劇団の評価は他に比べてそう高いわけではなかった。
その証拠に、大阪の松竹歌劇団からは、京マチ子や笠置静子らが出ていて、戦前は宝塚からは、「歌や踊りが上手いとされる女優」は出ていない。
東京のSKDからも、草笛光子、淡路恵子らが出ているのに対し、「宝塚はお嬢さん芸だ」だと言うのが普通の評価だったと思う。
そうした中で、「歌や踊りもすごいのだぞ」と見せたのは、真帆しぶきや少し前の上月晃だったと私は思う。
彼女たちは、お嬢さん芸ではないことを示していて、上月晃は、宝塚退団後は、黒テントの佐藤信の下で、ミュージカル等に主演していて、見に行ったがかなりの成果があったと思う。
真帆主演では、『ザ・スター』というのも見たことがあるが、鴨川清作との名作『ノバ・ボサノバ』は、見ているが、彼女のものではなかったと思う。
いずれにしても、1970年代の宝塚を支えたスターのご冥福を祈りたい。