指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『戦艦大和』から『関東義兄弟』へ

2020年03月22日 | 映画
『戦艦大和』から『関東義兄弟』へとは、なんだろうと思うだろうが、この2本は、望月利雄というプロデューサーが共通しているのだ。
『戦艦大和』は、1953年に新東宝で作られた作品で、戦争映画としては、戦後すぐの作品であり、大ヒットした。
私の父も蒲田に見に行って、かなり感動して興奮したらしく、その夜は最初に血圧が上がる症状を起こしたらしい。
父は、戦時中は都の視学として学童疎開計画をやっていたので、徴兵されていない。もっとも、すでに40を越えていたので、徴兵年齢を越えていたのだが。中には、中野重治のように43歳で、徴兵された人もいるのだが、これは左翼としての懲罰徴兵だろう。

さて、『戦艦大和』は、吉田満の原作に忠実で、2時間の内、前半の1時間は、艦内の兵士たちの心情を描いていて、非常に淡々としている。
まだ、この時期は、「大和は片道分の石油しか積んでいなかった」など、特攻攻撃の意味が強調されている。
主人公は、船橋元で、新東宝倒産後はテレビで活躍されていたが、糖尿病で早く死んでいる。
主要な役でご健在なのは、久我美子らの女性を除けば、高島忠夫も亡くなられたので、和田孝さんだけだろうか。
最後、船橋は言う「戦争を知るものは、戦争を二度とやらないようにする」
安倍晋三や橋下徹らに聞かせたい台詞だった。

                      


『関東義兄弟』は、1970年の日活だが、これが正月映画なのだからひどかったわけだ。
昭和初期とのタイトルが冒頭に出て、ある街で祭礼が行われているが、そこの新興ヤクザ富田仲次郎の高級外車が暴走して来て、子供を撥ねるが、逆に車の傷の賠償金を要求する。
子供の姉は梶芽衣子で、貧乏長屋に住んでいる。そこが富田によってスラム・クリヤランスされようとするのは、東映と同じである。
当時、日活の伊地知啓は、「会社から東映のやくざ映画を盗め」と言われていたそうだ。
その中で、作られたのが、この外部発注作品で、ニューセンチュリー映画となっている。
製作は望月で、監督は元新東宝の内川清一郎、役者は善玉ヤクザの親分は辰巳柳太郎、流れ者で辰巳らを助けるのは村田英雄、初めは富田の組の側にいるが、梶芽衣子に惚れたために善玉になってしまうのが里見浩太郎。
この時期、日活は、新国劇と提携していたので、辰巳の他、香川桂子、石橋正次らも出ている。
村田英雄は、苦虫を噛み潰したような表情がおかしいが、結構様になっている。
村田英雄、辰巳柳太郎、北島三郎、里見浩太郎と昔の日本の俳優は、顔が大きくて、足が短いなと思う。

この日活と新国劇の提携は、弱者連合で駄目になり、その後大映とも提携してダイニチ映配を作るが、これも駄目になる。
いずれにしても、企業が落ち目になるといろいろな人間がやってくるという実例だろう。
このほかにも、この時期、いろんな会社が日活に出入りしていたのは、末期の新東宝と同じである。
北島三郎も、辰巳の組の若手として出てくるが、北島には東映で『兄弟仁義』シリーズがあるので、ここではホンの少しの出演。
日本映画専門チャンネル
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする